君の目を見ていると、なんだか月を思い出す。
君が楽しそうなら、淡く輝く半月に、悲しそうなら、弱い光が微かに瞬く新月に。
君の感情に合わせたようにコロコロ変わる瞳を輝きは、密かな俺の楽しみだった。
あの、月が、心底愉快そうな満月になって輝いて、緩く三日月型に歪められる瞬間が一等好きだ。
満月なのか三日月なのか、よく分からないその月が愛おしい。
俺が月と仰いだ彼は、まさしく月のような男だった。
誰かとペアを組まれて仕事をさせれば誰より結果を出せるのに、一人でやらせるとてんでダメ。
誰かのいいところを伸ばし、それを増幅させるのが得意なのだろう。
太陽の光を借りて光っている月のように、彼もまた、単独では光れない。
そんな彼が、他者の光を借りているのが煩わしかった。
彼は、俺の光だけを映して、俺の力を伸ばしていればいいのに。
そんな子供じみた独占欲がじわりと滲んで、俺は凶行に走った。
帰り道、彼の目によく似た月明かりが照らす帰り道。
俺のじゃない帰り道だ。
一番近い電車の駅は、俺の最寄りから4つほど進んだ所。
彼の後ろを、何でもないような顔をしてついて歩いた。
会社ではあまり見せない、疲れたような顔。
それを見ていたら、なんだかもう堪らない気持ちになった。
月が少しずつ陰って、辺りが僅かに暗くなる。
月とお揃いの彼の瞳も、一緒に暗くなっていった。
バチバチと物騒な振動を指先に感じて、俺はスタンガンを彼の首筋に押し当てたのだ。
彼を光らせる太陽は、俺一人で十分だ。
ぐったりとした彼の体を支え、愉悦の笑みを浮かべた俺は車に乗り込む。
次に彼が目を開いたとき、どんな月が覗くのか。
絶望したような新月か、反抗を滲ませる十六夜月か。
今から、楽しみで楽しみで仕方ない。
閉じられた瞼をそっとなぞって、俺は笑みを深めた。
テーマ:君の目を見つめると
まだ俺が随分小さくて、何かを考える能が無かった頃。
馬鹿で愚かだった俺を隠れ家にするように、何匹か動物が寄ってきた。
そいつに餌をやるがてら地面に転がっていると、少しずつ、本当にゴミに取り込まれていっている。
ほんの数ミリずつ自分の体を飲み込む蔦は、恐ろしくも美しく、綺麗だ。
そんなある日のこと。
俺は突然家から連れ出され、久々に車に乗せられた。
長いこと寝るしか無かった時間が、流れる景色と一緒に移り変わっていく。
どこへ連れて行かれるのかと思えば、到着したのはどこか分からない広い市場だった。
こっちだと手を引かれ、大人しくついていく。
外はもう夜になったらしく、煌々と光る月と星々が地上を薄っすら照らしていた。
幼い弟は馬鹿なもので、母が俺の手を見知らぬ男に引き渡して帰ろうとするのを泣いて引き止めた。
初めは出来のいい弟だけを連れ帰るつもりだったのだろう母の手に、少しずつ苛立ちが募っていく。
月明かりが陰った僅かな隙をついて、僕たちは市場を飛び出した。
大人の目では到底見えない狭い隙間に入り込んで、2人して口元をぎゅっと押さえて息を殺す。
しばらくは男達の野太い怒声と母の甲高い絶叫が響いていたが、やがてはそれを離れていく。
かつかつと苛立った様子のヒールの音が離れていって、ようやく俺と弟は詰めていた息を吐いた。
そんな光景を、チカチカと喧しく瞬く星空だけが見下ろしている。
指先を飲み込もうと絡みついていた蔦も、生きたまま死んだような俺の体を隠れ家にしていた小動物も、もう見当たらない。
冷たく、寒く、ふたりぼっちの星空の下。
あまりに唐突で、あまりにだだっ広い初めての自由を与えられたって、俺は怯えるしかできなくて、隣にいた弟の方が余程、自由に慣れていた。
テーマ:星空の下で
俺の友達は主体性が無い。
出かけた時の昼食を聞けば、
「なんでもいー。」
学校の科目選択さえ、
「お前と同じとこ行く。」
と、こんな調子である。
彼は全ての選択を俺に任せてくる。
普段は隠しているが、俺は人の選択権を預けられることが好きだ。
自分とは全く別の人生を歩み、全く別の思考を持つ人間の行動を、己の言葉一つで動かせるなんて、愉悦でしかないだろう。
そんな俺と彼は、頗る相性が良かった。
選択が嫌いな彼の選択肢を、選択が好きな俺が乗っ取る。
俺はそれが嬉しいし、彼だってそれが気楽だ。
彼は割となんでも卒なくこなすタイプの人間で、どんな選択をしたって最終的にそこそこの結果を残す。
重すぎない選択の責任が、心地よかった。
そんな彼が、唯一自分で選択したがったことがあった。
高校3年、進路を決める時期。
俺は夢を追って、上京することを決めた。
けれど、主体性の無い彼が東京なんて騒がしい街に出てしまったら、俺以外の指示を聞いて、俺から離れていってしまうのではないか。
要は、お気に入りの玩具を取られるのを恐れる子どもの我儘と同じである。
俺は、彼に県内の大学へ進学することを勧めた。
しかし珍しく彼は渋い顔をして、ぽつりと反対の言葉を零した。
ずっと俺の意見で人生を決めてきた人間の、初めて見る選択の瞬間。
俺は何も言えなくなった。
もう俺がいなくても生きていけるのだと、彼は別に、選択ができないわけではなかったのだと、知ってしまった。
「僕、お前と一緒の夢見たい。……一緒の大学、受験する。」
縫い留められていた口が解けて、恐れて、凍って、固まってしまった心の何かが溶けた気がした。
彼は、俺と一緒にいたくてわざわざ、嫌いなのに選択をしたのだ。
「……ああ。……一緒に、行こうか。」
俺はこの日、記憶にある中で初めて他人の選択を認めた。
テーマ:それでいい
俺は弟に比べて出来が悪かった。
両親は結果主義の人間で、俺はあっという間に弟に全てを奪われることになった。
お菓子に始まって、おもちゃも、お小遣いも、弟が生まれてからは全部弟のもの。
果てには、友人も、恋人さえ弟に取られた。
不出来というだけで忌まわしいのに、弟に負ける兄なんて、両親にとっては論外だったようだ。
俺は、実物どころか、存在さえも弟に取られた。
家では空気のような扱いで、食事だって一人だけ別、簡素なおにぎり1つで終わる。
足りない分は、必死にバイトを掛け持ちして稼いだ自分の金で補った。
両親が弟を褒める度、弟のものが増える度、俺はどんどん惨めになる。
そんな俺にも、唯一、たった一つだけ残されたものがあった。
まだおむつを履いていたような頃から一緒の親友。
彼だけは、俺の元から離れなかった。
家に来る度弟に愛想を振りまかれても、弟との出来の違いを見せつけられても、弟になびかずずっと俺を選んでくれた。
彼が最後の砦と言っても過言ではない。
彼まで奪われたら、俺にはもう何もない。
学も、能も、顔も声も愛嬌も、全部弟に負けている。
そんな自分がコンプレックスで、ある日彼に聞いたことがあった。
なぜ俺を選んでくれるのか、と。
彼はしばしきょとんとして、それから心底おかしそうに笑った。
彼は俺の頬に手を添えて、そっと撫でて口を開いた。
「僕は別に、出来のいい便利な友達が欲しいんじゃないよ。ちょっと不器用で、ドジで、素直じゃない君がいいの。」
キザなセリフだと顔を背けたが、赤くなった耳は隠せない。
俺の唯一にとって、俺もまた唯一だったらしい。
彼は、彼だけは、弟に取られるのを怖がらなくていい。
そう、思うことができた。
テーマ:1つだけ
「昨日、エイプリルフールだったじゃん。」
俺の机に無遠慮にのしかかりながら話す彼の額を押しやりながら、適当な相槌で返した。
「でさぁ、今日2日なわけだけど。今日、エイプリルトゥルーの日だって。」
「何それ。」
エイプリルフールの翌日。そんな話題に、ほんの少しの興味を惹かれた。
俺は、こういうどうでもいいような雑学に弱い。彼も、それを知っていてこんな話をしているのだろう。
「今日、嘘ついちゃダメな日なんだってー。」
なるほど。
昨日が嘘をついていい日なら、その翌日は嘘をついてはいけない日。だから、エイプリルトゥルー。
納得はしたが、理解はまだ追いついていない。
「……おー……で……何で急にそんな……?」
彼はにまりと笑って、俺の唇にコンビニのチョコプリンが乗ったスプーンを押し付けていた。
「んー……だからさ、今日言ったことって、全部ほんとなわけじゃん?」
嘘がつけない日なのだから、そりゃそうだろう。
彼の意図がいまいち読めなくて、とりあえず目の前のチョコプリンを享受した。
濃厚、とまでは行かずとも、そこそこ満足できるガツンとした甘さ。親しめる味だ。
「……ね、僕らって親友?」
理解した。たった今理解した。
目の前で心の底からの愉悦を浮かべる奴の狙いを。
今日は嘘をつけない日。本当のことを言わなくてはならない日。
ここで俺が違うと言えば、俺達はただの友達だ。
しかし、頷くにも照れくさい。
だが、やられっぱなしも腹が立つ。俺も、趣向を凝らすことにした。
「……ああ、大親友だよ。世界一仲良くて、めっちゃ大事な。」
奴の愉悦が崩れた。
俺の耳もじわりと熱くなっていくのを感じたが、奴の余裕は崩せたので相討ちだろう。
なんとも言えない空気の中、2人して顔を赤くして目を逸らし合っている男子高校生共を、悠々と空を飛ぶ鳥が生ぬるい目で見つめていた気がした。
テーマ:大切なもの