作家志望の高校生

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3/11/2026, 8:47:09 AM

小さい頃、母さんの歌う童謡が好きだった。
おとぎ話を音節に乗せただけの、簡素なもの。寝る前にいつも思いつきで歌われるそれは、毎日音程も中身も違って、幼い俺の頭に楽しげな刺激を与えてくれた。
母さんの語るおとぎ話は、大抵が勧善懲悪の話で、愛だとか、平和だとか、そういったものの大切さを説いて締めくくられる。
幼い頃は、何も疑わなかった。愛とは素晴らしく美しいものねら平和な生活が何よりの幸せなのだと。
俺が大きくなってからは、もうその童謡を聴くことは無かった。大きくなってひねくれた俺は、滅多に家にも帰らなくなっていた。
喧嘩に明け暮れ、補導回数も片手では足りない。まだ許されているが、そのうち少年院送りになったっておかしくない。
母さんの語るおとぎ話の、罰せられる側になっていた。
愛も平和もどうでもよくて、そこに愉悦と刺激さえあればよかった。
そんな生活の中で、俺を可愛がってくれた先輩がいた。
温かくも退屈だった家から俺を連れ出して、夜の味を教えた男。
無造作に伸ばされた黒髪と、前髪で陰る無気力な瞳。いつもどこかしらを怪我していて、理由を聞いても教えてはくれなかった。
今思えばあの人は、俺の知る愛も平和も、知らずに生きてきたのだろう。
未成年のはずの彼からは、いつも煙草と夜の湿った匂いがした。
そんな彼は、ある日ぱたりと顔を見せなくなった。その頃には俺も少しは落ち着いていて、先輩のことなんか気にせず、母さんとも程々に話すようになっていた。
なんとなく、先輩に会いに行こうと思った。今会いに行かなければ後悔すると、そう感じた。
大学受験が終わった日、俺はそのままの足で先輩の家に向かった。場所だけ教えられて、結局行ったことのなかった場所。
家は随分古くて、あばら家と言うに等しかった。家を囲む塀の内側では、積もったゴミ袋に鴉が頭を突っ込んでいる。
インターホンさえ無くて、ドアをノックした。中から聞き慣れた声がして、久しぶりに見る先輩の顔が覗く。
彼は少しきょとんとして、それから手招きをして、俺を家に引き込んだ。
引き込まれた家の中、俺は暴力と快楽の綯い交ぜになった、知らないものを嫌というほど流し込まれて、かつて愛だと教えられたはずの行為を、愛なのかも分からないうちに上書きされた。
気が付けば、俺は先輩の腕の中にいて、その日、俺は、愛からも平和からも、一番遠いところにいた。

テーマ:愛と平和

3/10/2026, 8:38:33 AM

「――じゃあ……ばいばい。」
夜桜の桜吹雪に掻き消されるように、もう二度と聞くことはないローファーの足音一つを残して彼は電車に乗り込んだ。
取り柄は、校門前の桜坂。あとは何もない学校だった。
成績は下の上、治安は下の中。毎日喧嘩は絶えないけれど、抗争という程でもない。
そんな、微妙な学校だ。先生も生徒も、どこかやる気が抜けた無気力さを孕んだ空気を纏っていた。
そんな、何の思い入れもない学校。そこを、今日卒業した。
クラスメイトは、専門と就職を合わせて大体4分の3、残りは進学。俺は多数側だった。
こんな底辺とも呼べる学校にいるのに進学を志す奴はそういない。だが、全くいないわけでもない。
数少ない真面目側に、俺の元親友がいた。
元、というのは、中学生の時に俺が半グレのような奴らとつるむようになってから疎遠になったせいである。
元々、真面目な奴だった。
課題はいつも期日より前に提出、テストも計画的な学習によって常に上位。
そんな彼がこんな学校にいるのも、ひとえに俺のせいだった。
アイツと俺は、仲がよかった。良すぎた。
俺が半グレ共とつるんでいた期間、奴らは何か、社会的に見てまずいことをしでかしたらしい。
未成年飲酒、喫煙。虐め、恫喝、深夜の暴走。挙げ句の果てに、闇バイト。
俺はそんなの全く知らなかった。けれど、そんな奴らと縁があったのは間違いなかった。俺が疑われたのは当然だ。
ただ、ここで問題だったのは、アイツまで疑いの目が向けられたことだ。
俺と仲がいい。その俺が、非行行為に及んでいる可能性がある。
元々推薦で進学校への進学が決まっていたのに、そのせいで取り消しになった。
時期はもう遅くて、桜はとうに散り始めていたと思う。
結局、枠の余っていて編入が容易な底辺校に入らざるを得なかった。俺のせいだ。
そんな学校での、汚くてつまらない3年が終わった。
俺と彼の間の関係は微妙なままで、あの日の溝は埋まることはなかった。
卒業式だった今日、俺は彼を連れて街を適当に出歩いた。
何となく、そうしたかった。
別れは案外あっけなくて、彼が電車に乗り込んだらそれきり。またね、とはお互い言わなかった。
こんな学校で高校生活を送ったのに、彼は元々目指していた大学に進学したらしい。
何もなくなった駅のホームで、白く儚い桜の花弁が、まだ冷たい夜闇に、何枚も何枚も呑まれていった。

テーマ:過ぎ去った日々

3/9/2026, 9:11:32 AM

俺の幼馴染は守銭奴である。それも、かなり重度の。
口を開けば金のこと、大事なものを問えば、1に金、2に金と答えるような奴だ。
俺はずっと、彼のことを意地の悪い男だと思っていた。
ずる賢くて、金のためならなんだってする、狐みたいな奴。
近頃じゃ危ない商売に片足を突っ込みかけているようだが、持ち前の危機察知能力からなのか深入りはしていないらしい。
そんな彼に、まさか、金を投げうってでも守りたいものがあったなんて知らなかった。察しはつくだろうが、奴にとって俺は、金より価値のあるものだったらしい。
今思えば、夜道を一人で出歩くのは、いくら男だからといって危険すぎる選択だっただろう。
頭のネジが外れた奴らの本領は、日が沈んでからだ。
人通りの少ない道、新月で街灯もない田舎で、ぽつりと一人出歩くいかにも出不精そうな若い男。
格好の餌食である。その推測は外れることなく、俺は抵抗する間もなく横付けしてきた車に引きずり込まれた。
財布と携帯は奪われ、口に猿轡を噛まされ、手足は太い縄でぐるぐる巻きにされて縛られた。お手本のような誘拐で、でも当事者となった自分にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
俺のような陰気で誰からも気にかけられないような見た目をした人間は、いなくなってもしばらくの間気付かれず、熱心に探し回る面倒な者もいない。そう思われた。
が、予想外にいたのだ。先述の、守銭奴の幼馴染。奴が、全財産、全権力をフル活用して俺を探している、と。誘拐犯共の焦ったような囁き声が聞こえた。
面倒事になる前にさっさと俺を金にしてしまいたかったのか、俺は適当に何度か殴られて意識を落とされた後、好き者の集まる悪趣味な売買現場に運ばれた、らしい。意識がない状態だった俺は全く覚えていないが。
どうやらそこで幼馴染は、生活に支障が出ないギリギリの額だけを残して、全財産を使って俺を買い戻したらしい。意識が戻った時目の前にあった奴の顔は、珍しく泣きそうで、けれど安堵していて、笑ったような怒ったような、あるいは泣いているようなおかしな顔をしていた。
俺の殴られた傷に気が付いた彼を窘めるのは少々骨が折れたが、俺が彼に後ろから全力で張り付かれて自由を奪われるのを代償としてなんとか押さえた。
想像以上の幼馴染の執着に鳥肌が立つ一方で、あれだけ金が好きな、金が代名詞のような男の一番が自分である事実に口角が緩むのはどうしても抑えられなかった。

テーマ:お金より大事なもの

3/8/2026, 8:38:36 AM

静かな街を一人で出歩く。
空はもう真っ暗で、街灯もない道を頼りなく月明かりが照らしていた。
行き交うトラックの運転手が向ける不審そうな目も、冷たい夜の空気で冷えていく頬も、今はもうどうだっていい。自暴自棄を起こした人間が何をするか、今から世間に教えてやるのだ。
心の形をつくっていた殻がぐずぐずに崩れ落ちて、腐って、ダメになっていく感覚を、きっと世間は知らない。
そこそこの成績で学校を卒業して、それなりに苦労して就職して、そこそこの地位を築いて、結婚して、子供を作って、なんて、誰もが思い描く、何より贅沢で幸せな「普通」を知る者は、俺のような弾かれた人間のことを知らない。
中学校までは、いい子だった。テストの点も上の中、提出物はギリギリにやり始めて期限内に提出。優等生とまではいかずとも、普通に生きていけるだけのいい子。
それが、高校1年生のときに壊れた。夏休み明けの2学期、気怠げなセミの鳴き声が響いていた。
1学期、俺は頑張った。高校生になったからと、中学生の頃はギリギリに始めていた課題も計画的に終わらせ、自主的に勉強をしてテストの点も少しは上がった。
だが、そのせいで燃え尽きた。体が重くて、ベッドから起き上がれない。携帯の放つ青白い光が消えた途端に涙が止まらないから、麻酔のように情報の濁流を浴びるのがやめられない。
いつしか成績は地の底まで落ち、提出も出せない不良品へと成り果てた。
初めは、自罰的な考えがずっと頭を満たしていた。早くできるようにならないとダメだと、社会的にダメな大人になってはいけないと、良くも悪くも、まだ社会の決めたレールから、逸れてはいなかった。
けれど、ある日。渦潮のように渦を巻いていた自罰的な俺の考えが、ふと止まった。
何故、自分よりずっと恵まれた者達が決めたルールに、型に嵌まらなくてはならない。何故、俺ばかりがこんな思いをしなくてはならない。
俺はその日、包丁を買った。
中学生の頃の真面目さは変に捨てきれなくて、律儀に持ち手に布を巻いて、滑らないよう、一度抱いた刃を手放さないようきつく縛った。
そして、今日。月の光が冷たく照らす夜に、俺は適当に目をつけたアパートの入り口を堂々と潜った。
オートロックなんて無い、田舎の集合住宅。
家々のインターホンを片っ端から鳴らし回って、鞄に忍ばせた刃に手を掛けて、不審がった獲物が顔を覗かせるのを、待っていた。

テーマ:月夜

3/7/2026, 8:22:12 AM

裏社会の人間が、まともな死に方をできるはずがない。
そんなことは分かっていた。分かっていた、つもりだった。
目の前で冷えていく兄だったものを前に、俺はただ打ちひしがれていた。
今日は1日中、酷い雨だった。少し先の視界さえ霞んで見えるほどで、コンクリートの冷たい地面が、含みきれなかった水で満ちて鏡のようになっていた。
ちょっとした抗争だろうと、そう思っていた。いつものように、部下にでも向かわせればすぐに片付くだろうと。
けれど、送り込んだ部下十数人は、いくら待っても戻っては来なかった。
様子見で送り込んだ下っ端も下っ端の雑魚だったし、次で終わるだろう。そう誰もが思っていた。
でも、次に送り込んだ幹部級の強さの者達でさえ、戻っては来なかった。
流石におかしい。これは、ただの抗争ではない。
でなければ、苛烈な訓練と死線を潜り抜けてきた先鋭とも呼べる幹部達が死ぬはずがない。
そこで、首領たる俺達が向かったのだ。
最後の一人だったのだろう幹部が、最期に送ってきた場所。雨の降りしきる廃倉庫は、死屍累々としていた。
確かに送った部下達が、物言わぬ肉塊となって辺りに雑多に散らばっていた。
見知った顔も多い。俺達に近かった幹部も既に事切れているようだった。
溢れた血肉で彩られたレッドカーペットの上に、硬質な革靴の足音が響いた。それが、終わりの始まりだった。
相手はその辺りのゴロツキなんかじゃなかった。隣の大陸から潜り込んでいた、俺達よりずっと大規模で、ずっと強いマフィアのボス。
力量差は明確だった。俺達に勝ち目はない。それでも、やれるだけやろうと、兄はそう言った。
それは戦いなんかではない。一方的な蹂躙。技術も、獲物の性能も。何もかもで負けていた。
奴が銃口をこちらに向けた時、俺は終わりを悟った。黒々とした金属の塊が、俺を貫き殺そうと静かに口を開いている。
だが、その口から吐き出された鉛玉を喰らったのは、俺の心臓ではなかった。
兄の、腹。人体の中で最も柔く、脆く、重要な部位。そこに、風穴が空いた。
碌な死に方をするとは思っていなかった。けれど、こんなのあんまりじゃないか。
溢れていく兄の命の温もりを、俺は止めることもできない。しとしとと降り注ぐ雨は、兄の痕跡さえ遺してはくれなかった。
これが俺達の絆の結末なら、こんな結末だと分かっていたのなら、初めからこんな絆なんて無ければよかった。
そうすれば、この、裏社会で首領なんてやっているクセに無駄に優しくて、首領のクセに前線にでて部下を庇うような、生傷の絶えなかった兄が死ぬことは無かったかもしれないのに。
改めて自分に向け直された銃口を前に、俺は兄の左手の薬指を強く強く噛んだ。
幼稚な執着だ。未来でもしも生まれ変われるのなら、もう一度見つけられるように。結婚指輪の紛い物は、俺が兄を縛り付けるためだけの、愛なんかよりずっと汚くて重たい想い。
兄の味が口に広がって、雨の降る街に似合わない銃声が一つ響いた。

テーマ:絆

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