2人して、少し暖まった冬の空気を吸い込んだ。
目の前に広がるのは、揺れ爆ぜるような眩しい明かり。僕らの住む村一面を覆うほどのオレンジの光は、チカチカと瞬く冬の星空さえ霞ませてしまうほどだ。村から少し山を登った小高い山の上、展望テラスから身を乗り出すようにして、僕らは身を寄せ合って村を見下ろしていた。
短く息を吐きながら横を見ると、同じようにこっちを見ていた彼と目が合う。彼の目の中で揺らぐ光が綺麗で、その場のことなんて全て忘れて、しばらく僕は彼の目に魅入られてしまっていた。
「……ねぇ……」
震えたような彼の声で、現実に引き戻される。彼の大きな目は潤んでいて、光をより細かく反射し星を宿す。僕は続く彼の言葉も、目の前の光景も、全て放り出したくなって、ひたすらそれに見入っていた。
しかし現実は無常で、彼の目に映る光は一層激しさを増す。ぼんやりと、わざと合わせないでいた焦点がばちりと合ってしまって、僕はもう逃げられなくなった。
「……どう、しよ……」
山から見下ろす村は、一面が火の海だった。古い木造の建物ばかりが並ぶ僕らの村は、あっという間にその火の勢いを増していく。遠くから、村で一番大きな屋敷が焼け落ちるのが見えた。
近いはずなのに、消防車のけたたましいサイレンはどこか遠く聞こえる。酷い耳鳴りがして、彼の声も、目の前で爆ぜる火も、全てが遠のいていく。けれど、逃げることは許されない。鼻の先を掠める熱が、地面に吸い込まれる彼の涙が、どうしても僕をこの現実から離してはくれない。
「……父、さ……母、さん……」
昨日まで笑い合って走った野原も、隣に住む気のいいお婆さんも。皆、どうなっているのかさえ分からない。僕らは僅かな希望的観測だけを信じてみようと、引き攣る口角で無理に笑って、どちらからともなく展望テラスを後にした。
村は酷い有様で、あちこちから煙が上がって、タイヤのゴムやビニールハウスのビニールが燃える嫌な匂いが立ち込めている。消防隊員が忙しなく村中を駆け回り、生きている者は助け、焦げた肉の塊になった者はそっと納体袋に包まれる。村外れの空き地には所狭しと黒い袋が並べられ、生き残った者は絶望と恐怖に身を震わせている。地獄と言って大差ない世界を見つめながら、僕らは呆然とお互いの手を繋いでいた。
テーマ:きらめく街並み
退屈で眠たい、5時間目の科学の授業中。うつらうつらと舟を漕いでいると、ふと下からかさりと小さな音がした。下がりそうになる瞼をこじ開けて見ると、何やら小さく畳まれた紙が置いてある。咄嗟に浮かんだ顔に後ろを振り向けば、案の定、後ろの席に座る悪戯好きな彼が満面の笑みで小さくピースを送ってきていた。
とりあえず開いてみると、中身はよくある、授業中に回す手紙の定番だった。先生の口癖を数えてみようだとか、前の方に座っている某かが涎を垂らしているだとか、そういうの。普段ならくだらないと切り捨てるような内容だが、こうもつまらない授業の中では、それさえ面白く見える。俺は小さく千切った紙に返事を書いて、それから後ろ手で彼に渡してやった。
珍しく反応が返ってきたことに驚いているのか、それからしばらくは何も反応が無い。十分程してようやく、次の手紙が送られてきた。
この授業中の文通は、どれもまぁ幼稚で、くだらない。先生が意味のない母音を発した数をメモし、机の下でスマホを触る者をひっそり告発し、誰にもバレないように回すだけ。けれど、その2人だけの秘密感は、幼いまま変わらない男児としての本質を大いに喜ばせた。
結局授業が終わるまで文通は続き、俺と彼の筆箱の中には小さな紙くずの山が積もった。それをバレないようにと証拠隠滅するため更に小さく破き、ゴミ箱にパラパラ流し込んだ。ストーブから立ち上る一酸化炭素と重たい温かな空気のせいで、頭がバカになっていた俺達にとって、完璧なプランだった。
が、秘密の文通は普通にバレていたし、なんなら先生の愚痴を書き連ねた彼の紙が1枚、床に落ちていた。当然彼は放課後先生に呼び出されていたし、助けを求めるような目を向けられたがそっと目を伏せて見ないフリをした。
それでも俺は生徒指導室には呼ばれなかったから、やはり彼はバカだが友情に厚いいいヤツなのだ。
翌日。今度は昼の直前に垂れ流される睡眠導入のBGM。いっそお経のように聞こえるそれに嫌気が差した俺は、ノートの端をそっと千切って、彼に送る文を取り留めもなく書き連ねていた。
テーマ:秘密の手紙
冬にしか会えない人がいる。日に弱い、色素の薄い真っ白な肌をした、同い年の幼馴染。今日は彼が日本に戻って来る日。僕は、彼を迎えるためだけに学校を休んで、空港へと足を運んでいた。
「おかえり!」
彼への第一声は、絶対僕がよかった。もう十年近くこの言葉を言い続けて、もう十回近く空港で彼に飛びついた。半分外国の血が入っている彼は、純日本人の僕よりずっと背が高い。全力で助走を付けて飛び込んだって、軽々と受け止められてしまうのだ。それが堪らなく嬉しくて、今年も僕は、彼の胸に飛び込んだ。
彼の親御さんは、抱き合う僕らを微笑ましいような目で見て、気を遣って後からゆっくり歩いてくるよう言ってくれた。空港からはそれなりに距離がある。雪の積もった田舎道を、肩が触れるくらい近くに寄り添って歩いた。
日本が夏の間、彼は季節が真逆のオーストラリアに住んでいる。毎年のことなのに、マメに毎年お土産をくれるのを、僕は毎年、子供っぽく喜んで満面の笑みで受け取る。本当は、お土産より何より、彼がすぐ近くにいることが嬉しいのだ。
彼と歩く道は寒くて、手袋を忘れた指先を容赦なく吹き付ける雪交じりの風は痛いくらいだ。けれど、チクチクと刺すような僅かな痛みも、動かなくなる指先も、彼と話す口がよく回りすぎて、弾む鼓動が速すぎて、気が付かなかった。
真っ赤になったお互いの指先を、いたずらっぽく笑って互いの首に寄せ合う。氷のように冷たい温度に悲鳴を上げて笑って、解けていく温度にまた笑う。彼と過ごす冬が来たのだと、その温度が実感させてくれた。
さくりさくりと、軽快な足音が2つ響く。それは、誰も踏み荒らしていない新雪の道だったり、或いは朝の霜が溶けない畑の畦道だったりする。真っ白な地面に、泥濘んだ土で汚れた靴裏の足跡が二筋残るのを振り返って、一人で口角を上げて笑ってしまう。
段々とそのサクサクとした足跡を消えて、住宅地の硬質なアスファルトを踏む音に変わっていく。それでも、横を歩く雪の足跡は消えなくて、足音は変わらず2つ響いている。
明日も、雪が積もるらしい。僕は早速、高校生らしくないとは分かっていながら彼と雪遊びの約束をして、今度は一人分だけ雪の足音を立てながら、温かな家へ入っていった。
テーマ:冬の足音
「はい。」
「え?」
突然、目の前に小包みが押し付けられる。視界は淡い水色の袋で覆われ、何も見えなくなってしまった。
「早いけどあげる。クリスマス。」
コイツとはもう十年近い付き合いだが、クリスマスプレゼントなんて一度も貰ったことがない。余計怪しいので受け取らず訝しんでいると、急かすように彼は更に強く小包みを押し付けてきた。このままでは鼻が潰されかねないので受け取り、無遠慮にそのまま開けてみる。中身は、太めのチェーンブレスレットだった。
「……いや嬉しいけど……急に何?」
「別に。僕らももう高校生だし、バイト代とか入ったから。あげてみようかなって。」
スカスカの理由にじとりとした目を向けつつ、そういうことならと素直に受け取った。デザインもシンプルで俺好みだし、きっとそれなりに考えてくれたのだろう。
中身を見ても俺が何も言わないと、彼はなぜか少しだけ焦れたような、どろりとした目を一瞬向けてきた。それが余計不可解で呆然としていると、けろりと普段通り、柔和で人好きのする笑みを浮かべて
「なに、嬉しくなさそうじゃん?」
「……いや、嬉しいって。さんきゅ。」
小包みを鞄にしまい込み、その話はそこで終わった。俺もお返し用意したほうがいいかな、なんて、この時はまだ、考えていた。
翌日から、俺はせっかくなので貰ったブレスレットを着けて学校に行くようになった。そこそこ賢い学校なので、校則も比較的緩い。このくらいは見逃してくれるだろう。
男子はノータッチだったが、普段俺はアクセサリーなんてほとんど着けないから、変化に敏感な女子には物珍しく思われたらしい。休み時間、数人の女子が俺の机に集ってきた。
「ね、珍しいじゃん。なんで急に?」
「ああ、これ……貰った。」
一瞬、場の空気が凍り付いた気がした。互いに顔を見合わせ、ひそひそと何か話し合っている。
「……ちなみに、誰から……?」
「アイツ。」
生徒会の仕事を熟しているらしい彼を指差すと、彼女達の囁く声は更に大きくなった。
「……あの、ソレの意味……」
「え、意味とかあんの?」
女子達は気まずそうにしながら、おずおずとスマホの画面を見せてくる。
数秒後、俺は彼の方をガバリと見てゾッとした。
いつも通りの柔和な笑み。しかし、その目は笑っていない。
手元で揺れる鎖は、着けてきた時よりも重く、絡み付いてくるように感じられた、
テーマ:贈り物の中身
古い下町の、隅の方。そこに、彼の店がある。
こじんまりとした、小さな菓子屋。色とりどりのケーキやマカロンが詰まったショーケースに、カップに詰め込まれたアイスの入った冷凍庫。子供の夢の権化であり、大人でも惹かれてしまうような、アンティーク調で落ち着いた店内。趣味もよく、味もよく、そしておまけに店主の人柄もいいそこは俺の行きつけだった。
今日もいつも通り、週末の金曜日にドアを開けると、何やらカウンターで頭を抱える彼の姿があった。
「……何してんの?」
軽くコートに付いた雪を払って問うと、目元にクマを作った彼が力無く笑った。
「……冬の新作が何も思いつかなくて……」
なるほど。それは死活問題である。菓子屋にとって期間限定メニューは、大きな稼ぎどころでもある。それが思いつかないとなると、相当焦るだろう。
「ん〜……ずっと考えててもアレだしさ、息抜きしよーぜ。」
何気なしに彼を誘う。半分くらいは単純に遊びたいだけなのだが、それらしい理由を取ってつけて誘った。
行き詰まった彼は、案外すんなりと頷いてくれた。ずっと店で考えていてもいいアイデアは浮かんでこないと悟っているらしい。
そうして翌日、土曜日。本来は店を開ける予定だったのを急遽変更してもらって、俺達は一日中遊び歩いた。水族館、遊園地、夜にはイルミネーションを見に行った。おおよそいい年した男二人が行く場所ではないが、彼の顔が少しは晴れたので良しとしよう。
そうして、2人で駅まで戻っていた時だった。ふと空を見上げた彼の目に、ぱちぱちと爆ぜる光を俺は見た。
「……思いついた。」
静かに呟く彼の頭の中は、きっともう新しい菓子の案でいっぱいだろう。何かを考え込んだまま立ち止まる彼を、苦笑いして引きずっていった。
翌週。いつも通り店を訪れると、でかでかと新作の文字が張り出された菓子がいくつかあった。その中でも特に推されていたのが、冷凍庫の中の小さなカップアイス。アイスクリームというより氷菓に近いそれは、仄かに透き通る紺色をしていた。混ぜ込まれたアラザンが小さな光を反射し、それはまるで星空のようだった。新作を一通り見て回れば、半透明の、透き通った星空を模したものばかりだ。
「おいおい、真冬にアイスかよ?冬にこんな透き通る色は売れなくないか?」
彼はへらりと笑って答えた。
「……まぁ、売れないかもしれないけど……それでもいいや。」
あの日君と見た星空が綺麗だったから、どうしても。なんて小っ恥ずかしいセリフを堂々と吐く彼を肘でつつきながら、新作を全部一つずつ買って帰る。
レジに並んだ客の列には、それなりに新作の紺が並んでいた。
テーマ:凍てつく星空