真宵子

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11/13/2025, 7:09:29 AM

「数学暇すぎて迷路作った!!」
「小学生かよ。」
どん、と効果音がつきそうなほど自慢げに、彼が眼前に紙を突き出してくる。裏を見れば、今日配られたばかりの数学のプリントだった。問題は全然解かれていなくて9割が空欄だ。
「……意外とよくできてんな。」
定規か何かできちんと引かれた直線は、落書きにしては高クオリティの迷路を構成している。彼とは長い付き合いだが、昔からこういった余計な所には過度なほどの集中を見せた。
「でしょー?ね、やってみてよ!」
「おー……」
かなり入り組んでいて複雑な迷路だったので、適当に筆箱からマーカーを取り出して道をなぞりながら進んでいく。ペンを持ったとき、目の前に立つ彼が一瞬ぎくりとした気がした。
そこそこ時間が経って、迷路を解き終えゴールする。何とも言えない達成感に満たされながら、してやったりといった心持ちで彼の顔を見上げた。
「どーだ、解いてやったぞ。」
「……ん……うん……そうね……うん……」
なぜか噛み合わない視線に違和感を覚えた。彼はファイルを顔の前に立て、わざわざ俺から顔を遮っている。あまりにも露骨に俺の視線を避けるので、つい悪戯心が湧いた。
ファイルを奪い取り、頭を掴んで強引に視線を合わせた。彼の顔はなぜか真っ赤で、呆然と開かれた口が忙しなく、はくはくと開閉している。
「……なんだその顔。」
照れたような彼の顔のせいで、俺達の間に微妙な空気が流れる。気恥ずかしくなってきて視線を落とすと、さっき解いたばかりの迷路が目に入った。
白い紙に書かれた迷路。ゴールへと続く道は、マーカーで綺麗に塗り潰されている。
「…………えっ、」
『スキ』。確かに、そう浮かび上がっていた。ガバリと彼の顔を見直せば、尚更真っ赤になってうっすら汗ばんでいる彼の姿が飛び込んでくる。
「……お、まえ、なぁ……!」
俺の頬まで熱くなってくるのを感じる。目の前にいる幼馴染は、この複雑に絡み合った迷路に本心を託したらしい。俺がペンを持ったときぎくりとしていたのは、色をつけてしまえばその本心がいとも容易く暴かれてしまうからだろう。
「こういうのは直接言えって……」
天邪鬼な俺達の真ん中に置かれたのはもう、ただの迷路じゃない。変に几帳面で、複雑で、入り組んだ、俺達の心を代弁したようなものだ。
彼の、そして俺の、心の迷路のゴールまで、あと数秒。

テーマ:心の迷路

11/12/2025, 7:23:28 AM

「あ。」
ある日の暖かな昼下がり。ガシャンと大きな音を立てて、2脚セットのティーカップの片割れを落としてしまった。美しい細工がされたティーカップだったものは、割れた綺麗な陶器片へと成り下がる。そこそこ長い期間使っていた物なので、落ちた破片に妙な哀愁を感じた。
愛惜の念が強かったので、ティーカップは手放さないことにした。それに、恋人と揃いの茶器の片割れを捨てることは些か憚られた。
調べる方法を色々と調べて、近くの工房に金継ぎを依頼した。それなりに値段はしたが、仕上がったものを見れば懐が空くのも惜しくはなかった。
破片の縁は金色の線で縁取られ、元のそれには無かった美しさを醸し出していた。とはいえ落としたのは自分なので、恋人には綺麗な方を使わせ続けたが。
そんな日が、ふと過った。病院のベッドの上、等間隔に響く電子音が自分の鼓動と重なる。静かに聞こえる幽かな呼吸音とその電子音だけが、恋人の生を感じる唯一の手段だった。
腰の辺りから下の布団は、ぺたんとしていて厚みがない。つまりは、そこに本来あるべきものが無い。俺の恋人は、事故で足を失った。
突然のことだった。手を繋いで、寒空の下を2人で歩いていた。そして、その手に振り回され、直後車が突っ込んできた。
俺は背中をぶつけただけの軽傷だったが、アイツは違う。下半身が轢かれてぐちゃぐちゃだった。骨の砕ける音と、空回りするタイヤに人の肉が焼かれる嫌な匂いが今もこびり付いて離れない。
「お前の脚も金継ぎできれば綺麗だったのかな。」
きっと、あの白くて長い脚に金色の線はよく映える。
白磁の陶器に細く繋がった線をぼんやり見つめながら、2脚のティーカップに紅茶を注ぐ。真っ白で無垢な片方には砂糖をたっぷり入れて、俺はストレートで。
金継ぎされた方がすっかり軽くなっても、片割れは温度を失うばかりで減りやしない。
冷え切った紅茶は渋味を増しているのに、それに尚打ち勝つほどの甘みと、それから塩味。冷たくて甘ったるい紅茶を口に流し込んで、下らない幻想ごと一滴残らず飲み下した。

テーマ:ティーカップ

11/11/2025, 7:40:22 AM

『続いてのニュースです。昨年N県O市で発生した夫婦殺害事件の犯人とみられていた、夫婦の一人息子の男子高校生が昨日逮捕されたことが警視庁への取材で判明しました。』
昼の十二時過ぎ。普段なら学校にいる時間だが、もう長いこと行っていない。今日は輪にかけて行く気になれなくて、こうして部屋に閉じこもっている。
まだ未成年という盾が残っていたおかげで、犯人と報じられた彼の顔も、名前も、まだ世間様は知らない。昨日まで2人で潜っていた布団の中、事件の全容を知る僕は1人酷い憂鬱感に沈んでいた。
『……やっちゃった。』
その一言が全ての始まりだった。滅多に電話なんてかけてこない彼が、健康優良児なら深い眠りに就いているであろう時間に僕の携帯を鳴らした。普段通りに聞こえる、少しだけ震えた声で彼がすぐ来いなんて言うから、真冬の夜中、コート1枚を羽織って僕は家を飛び出した。
招かれた彼の家で見たのは、臓物を晒して血溜まりに倒れ込む彼の両親と、紅潮した頬に虚ろな目をして立ち尽くす彼の姿だった。
「……は……?」
恐怖で喉が引き攣って声が出なかった。噎せ返るような血の匂いに、胃が痙攣してその場に中身を全て吐き戻した。
「なに、して……」
「ころしちゃった。」
にこりと笑って答える彼の顔は、強い街灯の光に目が眩んでよく見えなかった気がする。
それからのことは、あまり覚えていない。突然服を脱いだ彼の上半身に生々しい打撲傷が残っていたことと、泣きながら手を握られて一緒に来てと言われたことだけを覚えていた。
気が付いたら僕の両手も血で染まっていて、足元には深い穴とバラバラになった何かの肉片が広がっている。僕はあの日、彼と一緒にどこまでも堕ちて行くことに決めた。
それから1年、逃げ続けた。はじめの頃は連日連夜報道されるニュースに怯えていたが、電車に乗って適当な場所で降りて逃げる、を繰り返すうちに、鮮度を失ったニュースは報道されなくなっていった。
なのに、昨日。日銭を稼ぐためのバイトから帰ったら彼がいなくて、酷く嫌な予感がした。彼と行った場所を辿っても、どこにもいなかった。
結局その後、僕が彼の姿を見たのは小さなワンルームのボロアパートに置かれた、大特価の液晶テレビの中だった。
2人で居た時はあれだけ狭くて、あれだけ温かかった家が、広く、冷たく感じる。彼の手が血に塗れていようと、繫いだ僕の手が汚れようと、彼さえ居ればよかったのに。
汚れた意味を失った両手と、きっともう埋まらない穴だけを抱えたまま、僕はこれから彼を待ち続ける。彼との日々が薄れていく部屋で、日に日に感じなくなっていく彼の残り香に頬を撫でられながら。

テーマ:寂しくて

11/10/2025, 7:05:48 AM

感情の違いが、昔から分からなかった。流石に、人が死んで喜んだり、鬼ごっこをして泣き出すようなことは無かったが。感情の微妙な差異が、分からないのだ。「楽しい」と「嬉しい」の違いとか、「嫉妬」と「寂しい」の違いだとか、そういったものが感じ取れない。おかげで、幼少期は空気が読めないだの化け物だの言われて孤立した。
そんな僕も大人になって、周りに合わせることを覚えた。相変わらず感情の機微は分からないままだったが、周囲から見ればそんなことは知られっこない。案外、他の人間も他人の感情には疎いらしい。
感情を感じ取れないのだから、当然、恋愛なんてしたことが無かった。一緒に居て楽しい、までは理解できる。しかし、そこからどうしても、愛には繋がらない。僕には一生初恋は訪れないだろうな、と半ば諦めていた。
ただ、恋愛というものの魔力は凄まじかった。それまで恋愛感情を一切知ったことのない僕でも、これが恋だと分かる程には。戯曲や小説でしか知らなかった、胸の中を焼き尽くされるような感覚。それを、初めて知った。
彼の人は、曖昧だった僕の心の中の境界線を明確にした人だった。違いが分からなかった感情達を、手間暇かけて分類して一つ一つ教えてくれた。初めて彼と同じ感情を感じられた時、僕は嬉しかったはずなのに泣いていた。それがなぜなのか分からなくて混乱していたら、彼はまた笑って教えてくれた。嬉しくても、涙は出るのだと。
僕にとって、彼が引いた心の境界線は絶対だった。彼が教えてくれた感情が僕の感情の全てで、その境界に上手く当てはめられない微妙なものは、その都度彼に聞いていた。
僕の中にある感情の中で、彼がラベリングしたのでは無い感情はたった一つだけなのだ。それが、慕情。彼は僕より二回りは歳が上だし、何より同性だ。こんなこと、聞けるはずが無かった。それに、聞かなくても理解できてしまった。僕は、彼が好きだ。
けれど、彼が教えてくれた感情が、怯えや躊躇、困惑、愛着が、全部綯い交ぜになって僕を縛る縄となる。僕はついにその一歩を踏み出せないまま、彼を失ってしまった。
彼がいなくなった時の感情は、いまだに分からない。悲しみなんかよりずっと強くて、慕情のように自分では自覚できない。じわじわ僕を蝕んでいくこれを、どの境界に入れたらいいか、教えてくれる人はもういない。

テーマ:心の境界線

11/9/2025, 7:14:56 AM

「写真部展示会……」
朝、昇降口で受け取ったビラを眺める。コンテスト式の展示会だというソレに、少しだけ興味を引かれた。写真部には、俺の唯一の友人も所属していたはずだ。少し見に行くくらいならいいかもしれない。そんなことをその時は思ったが、ビラを鞄にしまってからはすっかり、そんなことは頭から抜けてしまっていた。
「ねー!マジでお願い!ね、ね?今度ご飯奢る!」
目の前で両手を合わせて小首を傾げ、悪びれもしない笑みを浮かべて懇願してくる彼を見て、ようやくその存在を思い出したのだが。
「……まぁ……奢ってくれんなら……」
年中金欠の俺は、奢りという言葉に釣られて承諾した。コイツの昔の家庭環境の悪さを知っているから、こういったおねだりに弱いのもあるが。なんでも、件の展示会に展示する写真がまだ撮れていないらしい。それで、一緒に撮りに行って欲しい、と。
終業のチャイムと共に俺の教室へ突撃してきた彼の手には、それなりにしそうな一眼レフがあった。父親のお下がりだと言っていた気がするが、確かに年季が入っている。
「早く行こ!」
ぐいぐい手を引かれ、学校の裏門から外に出る。正門しか使ったことが無かったが、裏門は湖の辺に出るらしい。
「実はねー、撮る場所はなんとなく決まってるんだ!」
そう言った彼が俺を連れて行ったのは、ススキがよく映える公園だった。しかし、綺麗ではあるものの写真映えはしない気がする。
「いーの、僕はどうしてもここが撮りたいから。」
もっと写真映えする所を撮ればいいのに、と素直に口にしたら、少し拗ねたように彼が言った。何かは知らないが、こだわりがあるらしい。
パシャパシャと何枚か撮っては見返し、また撮るのを繰り返す。待ち時間が長くて飽きてきた俺は、小さな公園内を適当に歩き回っていた。
ふと見えた夕日が綺麗で、眺めたまましばらく立ち止まっていた。ススキの湖に太陽が落ちていくようで、茜色の光が鮮烈に網膜を焼き付ける。
パシャ、とシャッター音がして振り向くと、彼がこちらにレンズを向けていた。
「は?勝手に撮んなよ。」
「ごめんって!……ね、この写真使っていい?」
せめて写真を見せろと言っても、まだ秘密だと言って見せてくれない。どうせ逆光で大して顔も見えないだろうと、溜息を吐きながら渋々了承した。
展示会当日、俺は彼にまた手を引かれて展示会場へ連れてこられていた。
貼られていた写真の中、一際目立つ大きなものがあった。大賞と書かれた下の解説パネルには、彼の名前。
あの日撮った俺の写真に、天使の翼が後から描き足されている。
「ね、どう?よく撮れてんでしょ。」
タイトルは、『僕の天使』。瞼の裏に、まだ幼い頃あの公園で交わした約束が過った気がした。
「……まぁ、いんじゃね。」
飛び跳ねて喜ぶ彼の背中に、俺も透明な羽根の幻覚を見た気がした。

テーマ:透明な羽根

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