真宵子

Open App
11/3/2025, 7:04:01 AM

僕はある日、理科室の標本に恋をした。
友達もいない、なんならいじめに遭っていた僕は、その日も掃除を押し付けられていた。それで、一人で理科準備室に足を踏み入れたんだ。
全然使われていない準備室の方は理科室よりずっと埃っぽくて、ドアを開けた瞬間に生温く黴臭い空気が雪崩込んできた。思わずマスクを少し上まで上げて、恐る恐る部屋に入る。手前の方には授業で見たことがあるような器具が並んでいたが、少し進むと名前も知らないようなものになっていった。
棚の埃を払って一つ一つ丁寧に拭き上げ、中身を取り出して整理する。何に使うかも分からないので、慎重に作業した。
一番奥の棚に手をつけ始めた時、僕はそれに出会った。そこは、恐らく今よりずっと昔、規制も緩かった頃に寄贈されたのであろう人体標本がずらりと並んでいた。古びたボトルの中に浮かぶ心臓や肺、本物の人骨だろう骨格標本。ホラー映画でしか見ないような物品の数々に、思わず声が出てしまった。
「うわっ……」
とはいえ、仕事は仕事なので早めに終わらせてさっさと出ることにした。あまり触りたくはないが、一つずつ取り出して曇ったガラスを綺麗に拭く。ラベルを見ると、少し潰れた字で寄贈年月日が記されていた。
「……昭和……」
まだホルマリンの規制も厳しくなる前だ。これらもその時代の遺物なのだろう。処理が大丈夫なのか心配になったが、僕がそこまで気にする所以は無い。標本を掃除して、棚に綺麗に並べ直した。
「……あ……」
ふと、目が合った。ホルマリン漬けの眼球と。日本人らしい真っ黒な瞳に、僕は心を奪われた。
その子の入った瓶を手に取って眺める。ラベルには、寄贈年月日以外にもう一つ記述があった。それが、寄贈者の名前。名前を見ると、男性らしいことが分かった。
「……きれー……」
そこにあった享年は、僕と同じくらいだった。随分若くして亡くなったらしい。この目が似合うひとは、どんな人間だったのだろう。
僕は、彼のことは知らない。名前と、この目以外。けれど、この目だけで僕は恋に落ちてしまった。
この子はここに似合わない。こんな埃っぽくて薄暗い棚の中なんて、こんな綺麗な瞳に映すには勿体ない。そう思って、僕は初めて、自分の意思でこの手を汚した。
ホルマリン漬けの眼球を鞄にしまい込んで、何事も無かったかのように理科室を出た。
次の日からも同じようにいじめられたし、友達も居ない。でも、帰れば彼がいる。
僕は机の引き出し、一番下の大きな段に大切に隠した彼の視線を思い出し、人知れず密かに恍惚とした笑みを浮かべていた。

テーマ:秘密の標本

11/2/2025, 5:55:18 AM

俺には親友がいる。
「…………は、よ……」
朝の挨拶をしながら半分寝ているコイツである。
彼は俺とは正反対。彼の友達は俺一人くらいしか居ないし、そもそも彼は話すのがあまり好きではない。夜型で、いつもゲームばかりしている。下を向いて歩きがちで、そのまま電柱にぶつかったり、結構抜けてる。そんな奴。
今日も今日とて、俺は彼の横を歩いている。それなりに友達が多い自信も、話すのが好きな自信もあるが、それでもコイツといるのは楽しい。
「今日も相変わらず眠そうだな。」
「ん゙〜……」
息が白く染まるほどの寒さの中、彼はネックウォーマーに顔を埋めて唸っている。
「寒い、眠い、帰りたい、ってとこか?」
「…………俺の心情当ててくんな……合ってるけど……」
ガクガク震えつつも一応返してはくれる。コイツは仏頂面と無愛想な話し方のせいで初対面の印象最悪だし、本人も一匹狼型だからそれを直そうとしない。皆、コイツのこういう面を見れば見る目変わるのかな。
2人して耳を真っ赤にしながら横並びで歩いていく。俺もマフラーくらい着けてくればよかった。寒い。
「……あ。」
彼の短い返事の合間に一人でベラベラ喋っていると、ふと、下を向いていた彼が口を開いた。
「どした?」
「……霜……」
彼の視線の先に目をやると、そこは農耕を終えたらしい畑だった。よく耕された土が一面に露出している。その土に、霜柱ができていた。光がキラキラと反射しているのを見るに、きっとこの畑一面が霜柱で覆われているのだろう。
『……』
2人、一瞬だけ目を合わせる。俺達は健全な男子高校生である。霜柱を見てやることなんてただ一つ。
無言で霜柱を踏み荒らしていく。さすがに、せっかく耕してある畑の土を潰してしまうのは罰当たりな気がするから、端っこの方。
十分くらいそうして、満足した俺達は何事も無かったかのようにまた学校へ足を向ける。
凍えるような、寒い寒い冬の朝。俺はあまり下を向かないから、霜柱にはいつも気付けない。
彼は、俺にいつも新しい視点をくれる。今だってそうだし、ずっと昔からそうだった。
まだ寒そうにしている彼に、俺も新しい世界を教えてやりたくなってしまった。彼は相変わらず下を向いている。
「……ね。綺麗じゃね?」
半ば無理やり前を向かせる。冬の朝、澄んだ空気の中山は霞がかっている。一面の霜に光が反射して、世界全体にラメでも振りかけたようだ。
「……きれー……」
ほう、と白い息が揺れて、ネックウォーマーが下にずり落ちる。真っ赤になった頬と鼻の頭がよく見えるようになった。伏し目がちな目をぱちりと開いて、寒さも忘れたかのように前を見つめている。
そんな姿が猫みたいで、思わず小さく笑ってしまう。俺は冬より夏が好きだし、寒いのは得意じゃない。でも、コイツとこうやってバカをするのは大好きなのは、どれだけ寒くなっても変わりそうになかった。

テーマ:凍える朝

11/1/2025, 7:17:12 AM

「こないだハロウィンだったじゃん?」
「……まぁ、そうだけど……どしたの急に。」
数多に居る友人の中でもトップクラスにアホな奴。それがこいつに対する一番強い印象だった。
「お菓子作りたい!」
「それバレンタインじゃね?」
お互い、視線を合わせもしない。スマホと顔を合わせながら、体だけ向き合って夕暮れの中話している。
結局押し切られて、なぜか男2人で虚しくお菓子作りをすることになってしまったのだが。異常によく似合う、小学生の頃作ったのだろうドラゴンのエプロンを着けた彼が階段を駆け下りてきた。
「母さんのしか無かった!」
彼の手にあったのは、やたらピンクでフリルのついた、きっとこいつのお母さんが若い頃使っていたのだろうエプロン。文句を言いそうになるが、借りる側な手前言いづらい。
「…………さんきゅ……」
複雑な心境をたっぷり込めた余韻でもって、言外に伝えることにした。果たして、この天性のアホに通じているのかは甚だ疑問だが。
「……で、何作んの?」
「チョコ!なんか台所にめっちゃ置いてあった!」
ちらりと調理台を目をやると、確かになぜか大量のチョコが見える。チョコなら、溶かして固めれば作ったという満足感を得られるし、失敗もしづらいだろう。
「……りょーかい。」
そうして始まった放課後クッキング。それは、思ったよりも盛り上がってしまった。
「やべー!超かっけぇ!」
「……ちょっと楽しくなってきたわ。」
ホワイトチョコとブラックチョコを見た彼の一言がきっかけだったが、案外上手くいった。アルミホイルで型を作り、そこに流してみたのだが。
「……ほんとに太陰陰極図作れると思わんかった。」
「これそんなかっけー名前だったの!?普通に白黒の勾玉みたいなやつって呼んでたわ……」
さすがにアルミホイル製の型だと、端は少しガタついてしまっている。けれど、なんだかそれさえいい感じの風情に見えてきた。
「……なんかお腹空いたわ。食べようぜ。」
「よっしゃ!待ってました!」
2人とも、なんの相談も無しに片割れを手に取る。当たり前のように、俺がブラックでこいつがホワイト。
やたら俺達に似合うな、なんて考えつつ、チョコを一口かじる。
「…………にっっっが!?」
「あ、それなんか母さんがダイエット用で買ったけど食べれんかったカカオ95%のやつだって。」
「先に言えよっ……!」
光と影のように正反対な俺らだけど、こいつがアホすぎて俺まで絆されたかもしれない。チョコは苦くて仕方なかったが、彼の手元のホワイトチョコと合わせると程よい甘さになった。

テーマ:光と影

10/31/2025, 7:27:47 AM

気分が深く深く沈み込んで仕方ない夜は、いつも眠れない。心の奥底にあった、これまでの人生で蓄積してきた澱みの数々が濁流となっていっぺんに脳をぐちゃぐちゃにしていく。頭をかき回される感覚に吐き気がして、体が重くて仕方なくなる。
そんな夜。思い出さなくてよかった嫌な思い出ばかりがリフレインしている。
「…………ゔ……ぁ゙ー……」
意味を成さない濁った母音を喉から絞り出しながら、何かに平伏すように布団の中で蹲っていた。理由も分からない涙が止まらない。どうすればいいか分からない。希死念慮とわけも分からない謝罪が頭を支配している。
ふと、瞼越しに眩い光が瞳孔に差し込んだ。なんとか頭を上げて見れば、スマホに通知が来たようだ。
『なんか嫌な予感したから連絡した。大丈夫なら別にいい。遅くに悪かった。』
送り主は、義理の兄だった。血は繋がっていないが、いつも俺を本当の弟のように扱ってくれる。無愛想で無骨な言葉遣いの裏には、いつだって優しさが滲んでいた。
『たすけて』
その四文字を打ち込むので限界だった。送信ボタンをタップして、力尽きたようにまた伏せる。既読がついたかすら分からない。
どれくらいそうしていたか分からない。自責の念に囚われていた俺の意思が、玄関の鍵が開く音で引き戻される。この家の合鍵を持つのは今のところ兄だけだ。きっと、メッセージを見てわざわざ来てくれたのだろう。
「……大丈夫……じゃ、なさそうだな。」
大柄な体に見合った低い足音がして、分厚い布越しに背中をさすられる。ただでさえ止まらなかった涙が、もっと溢れてきてしまった。
「ぅ゙ゔ……にぃ、さ……」
蹲ったまま兄のズボンの裾を掴む。限界だと、もう殺してくれと念を込めて。
「……ダメだ。」
兄の大きな手が頭を優しく撫でる。そ動かなかった体をそっと抱き起こされて、兄の腕の中に収められた。あやすように背中を叩かれ、それが兄の心音と合わさって俺の呼吸を落ち着かせていく。兄の体温もあって、俺は徐々にではあるが眠気を催していった。
「……お前は一人じゃないんだ。」
相変わらずぶっきらぼうで、でも温かい兄の声。今なら、きっとよく眠れる。
眠れば、この憂鬱な夜も明けるだろう。明日の朝焼けを夢に見ながら、俺は兄の大きな体にこの身を預けた。

テーマ:そして、

10/30/2025, 7:50:22 AM

「おにいちゃ、だっこ!」
ちぎりパンのような短い腕が、懸命に俺の方へ伸ばされる。ふっくらした体を抱き上げれば、自分より高い体温がじわりと伝わってきた。
この寒い中を半袖短パンで、関節も耳も頬も真っ赤にしてニコニコと無邪気に笑っている。苺が透けた大福そっくりの頬をつつけば指が沈み込んだ。
「むぇ。んふふ〜……ほっぺもちもち?」
むいむいと自分の頬を揉み込む姿があまりにも可愛くて、よりしっかりと腕に抱え込んでしまった。
「うん、もちもち。寒いでしょ?早く帰ろ?」
ね?と首を傾げて顔を覗き込むが、まだ遊びたいのかもにょもにょと何か言っている。仕方ないかと、飴玉を小さな口に押し込んでご機嫌になった隙に連れ帰った。
やはり外ではしゃぎ回って疲れていたのか、家に戻って毛布に包んでやるとすぐに寝入ってしまった。こくりこくりと傾く頭が真ん丸で、それを見る度きゅんきゅんと何とも言えない感情が湧き上がってきた。
上がりっぱなしの口角をそのままにしながら、すぅすぅと可愛らしい寝息を立てる弟を抱え込んで彼の脱ぎ散らかされた服を畳む。青色の小さな園服は、弟の元気いっぱいな遊び方についていけなかったのか所々ほつれてしまっていた。
「ん〜……ついでに縫っとこ。」
家は母子家庭で、母さんはバリキャリの溌剌とした人だ。俺達のことをきちんと愛してくれているし、真っすぐに育ててくれてはいるが、家にいる時間はやはり少ない。俺が家事全般を習得するのは必然にも近かった。
鼻歌を歌いながらほつれを直して、ついでに名前のワッペンを貼り直してハンガーに掛けておく。そうこうしていると、弟が起きたようだ。何か探しているように、キョロキョロと眠い目を擦りながら辺りを見回している。
「あれ……おにいちゃ、ぼくのえんぷく……」
「そこにあるよ。」
ハンガーを指さすと、彼はぽてぽてとそちらへ走っていった。
数分して、彼が何かを握りしめて笑顔で俺に近付いてくる。屈んで目線を合わせてやると、小さな手が眼前に突き出された。
「あげる!」
差し出されたのは、小さな青い花。名前も何も分からないし、長いこと園服のポケットに入れられていたのか少し萎れてしまっている。
「わ、いいの?ありがとう!」
けれど、その小さく可憐な花が、そして何より、俺にそれを差し出す弟が愛しくて愛しくて、世界中のどんな豪奢な花束より綺麗に見えた。

小さな青い花の押し花があしらわれた栞を撫でながら、ふと物思いに耽っていた。もう随分昔のことのはずなのに、今でも愛しくて仕方ない。
ガチャリとドアの開く音と、声変わりして低くなった弟の声がする。
「おかえり〜。」
今日も今日とて、まだまだ俺にとって小さな弟は愛しいし、この家はいつでも眩しかった。

テーマ:tiny love

Next