真宵子

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10/29/2025, 7:18:09 AM

「いらっしゃいませ。」
薄暗い店内を、ぼんやりとした間接照明の光が柔らかく照らしている。
「こちらが本日のメニューになります。」
上品なウェイトレスの制服を着た男が、几帳面に綴じられたメニューを手渡す。店内の僅かな明かりでは、彼の顔はよく見えなかった。
せっかくメニューを渡されたが、今日注文するものはもう決まっていた。
「『子兎』を。」
「かしこまりました。」
小さく頷いたウェイトレスが席を後にすると、気ままに過ごす店員達を見回した。
この店は、それぞれ割り振られた動物を模した衣装を着た店員達と時間を共にすることができる。僕が最近指名している『子兎』は、まだ幼く未熟だ。しかし、持ち前の可愛らしい容貌と、心を開いた時に見せる綻ぶような笑顔が魅力で、僕のような固定ファンが一定数居る。
「お待たせしました!」
ぴょこりとテーブルの下から子兎が飛び出してくる。僕の半分程しかない身体はまだ丸みを帯びていて、子供特有のふっくらとした手足がちょこちょこと動く。
「うん、大丈夫だよ。ふふ、今日はなんのお話を聞かせてくれるのかな。」
「今日は〜……店長さんが昨日読み聞かせしてくれたお話してあげるー!」
ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねながら言う彼は、まさに子兎。出会った頃の怯えた様子をふと思い出して、今の笑顔を見てじんわりとした満足感を得る。
ここに居る店員達は、基本皆帰る家を失った者達だ。『店長』と呼ばれた男に拾われ、客との交流や接待を通じて報酬を得る。彼らは住み込みで働いている者がほとんどなので、給料は大抵が貯金に回される。そうして、彼らが巣立ちたくなった時、その貯金を使って巣立っていくのだ。
ここは、彼らが僕らをもてなす場であり、同時に僕らが彼らに物事を教え、僅かながら手を差し伸べる場でもある。
彼らの『おもてなし』は、まさに十人十色。子兎のように絵本や遊びの話をする者もいれば、過去の話をする者だっている。お触りを含む者も、そうでない者もいる。
客と店員、双方がもてなし合うようなここで、僕のような社会不適合者は救われる。
彼らを救うことで、僕らもまた存在価値を得られた気になれるから。
足元で楽しげに跳ね回る彼を軽く撫でながら、僕は一時の救済感に満たされる。この店では多種多様なおもてなしが見られるが、きっと一番はコレなのだろうな、なんて思いながら、僕は彼の話を聞いていた。

テーマ:おもてなし

10/28/2025, 8:05:02 AM

これは、僕が背負うべき消えない罪なのだ。
部屋に置かれた大型の水槽に指を這わせ、そっと目を閉じる。薄暗い、音も無い部屋の中、コポコポと響く水槽のフィルターの音がやけにうるさかった。

『……なぁ、それ痛くねぇ?』
薄汚い奴隷用の檻の中にいた僕に、真っすぐ声をかけてきたあの日のことを、僕はきっと、一緒忘れることは無い。
誰からも無視され、腹いせに殴られ、ゴミの方がマシな扱いだと思えるほど僕の扱いは酷かった。
彼は誰かに呼ばれてすぐに去ってしまったけれど、彼の声が、顔が、直前に聞こえた名前が、脳裏に焼きついて今でも離れない。
あれはきっと、崇拝にも近い恋だった。否、恋なんて一言では足りない。彼が欲しくて、彼に全てを奪われたくて仕方なかった。
チャンスは案外、すぐに転がってきた。何があったのかなんて知らないが、僕はどこかのお偉い様の遠縁だったらしい。疫病で跡継ぎが誰も居なくなっただか何だかで、僕はトントン拍子に地位を手に入れた。
これまで一度も教育なんて受けてこなかった。貴族のルールを一から頭に叩き込まれ、興味も無い人間の名前やら顔やらを覚えさせられるのは苦痛だった。でも、その全てが彼に会うためだと考えれば大したことでもない。
彼はすぐに見つかった。あの時見かけた服装から察してはいたが、やはりそれなりにいい家のご子息だったらしい。マナーもルールも教養も、死に物狂いで頭に入れた。そうしてようやく、彼に会う場を作るところまで漕ぎ着けたんだ。
彼と会った時、僕は感情が追いつかなくて泣いてしまった。彼は酷く困惑していたし、当然だと思う。僕の見た目はあまりにも変わっていたから。彼が僕を覚えていなくたって、僕は彼を覚えている。それだけで十分だった。
でも、狂信は裏返せば何より醜い刃となった。彼と話して、そして知ってしまった。完璧だと思っていた彼に、欠けがあることを。婚約者のことを照れたように語る彼を見た時、僕は我慢できなかった。戸惑う彼の首に手をかけて、そのまま全力で掴んで絞め上げた。
脱力て手先の冷えた彼の身体を抱き締めた時、僕の心は後悔と、それを塗り潰すほどの凄まじい独占欲が湧いた。
僕は持てるものを全て以て、彼の死を事故に偽った。跡継ぎも何もいなくなった、家臣の執着だけでできた僕の家は、都合が良かった。彼の遺体は帰り道獣に襲われ、跡形も無く喰い荒らされたことにした。
それで、彼の身体は今、僕の部屋にいる。丁寧に丁寧に内臓を抜いて、その一つ一つをホルマリンに漬けた。身体は剥製にして、綺麗な服を着せて、あたかも眠っているかのようにそこにいる。
左手を彼の中身が入った水槽に、右手で彼の手を握りながら、僕は一人笑った。
あの日心の奥底に芽生えた、燃え上がる焔のような支配欲と独占欲。この大罪は、きっと何を以てしても消えることはない。

テーマ:消えない焔

10/27/2025, 7:28:05 AM

「じゃーな!またいつか!」
彼は涙の光る顔で笑って、桜並木の下へ消えていった。
それが、1週間前のこと。大学進学の準備をしながらも、俺はどこか心ここに在らずだった。
高校の卒業式の日、彼は俺に告白してきた。けれど、俺は女の子が好きだったし、彼のことは友達としか思えなかった。だから丁重にお断りして、彼も納得して、最後は笑顔で別れた、はずだった。
彼に告白されてから、俺はおかしくなってしまったようだ。心を彼に持っていかれてしまったかのように、ふと何も考えられなくなる。それまで好きだった女優を見ても、どこか心が浮ついて直視できない。剰え、瞼を閉じると彼が浮かんできてどうしようもないといった有様だ。
「クソっ……なんなんだよ……」
大学に進学してしばらく経ってからも、それは変わらなかった。大学にはそれなりに可愛い子も多かったし、それなりに俺はモテた。なのに、可愛い女の子に告白されても俺の心は動いてくれない。いっそ誰かと付き合えば、彼を忘れられるかもしれないと思った。でも、それじゃあまりにも相手に不誠実だ。
結局、燻った感情の正体も分からないまま大人になってしまった。なんとなく大人になって、なんとなく仕事に就いた。そうやって惰性で人生を浪費していると、なんとなくで彼のことも忘れられた。
そう思っていられたのも短かったが。入社してしばらく経ち生活も落ち着いて来た頃、ある手紙が俺の元に届いた。
正体は彼の結婚式の招待状だった。
考えてみれば当然のことだった。まだ未熟な高校生が、ずっと孤立していた自分にたった一人声をかけた者がいたら。たとえそれが同性だって、友愛と恋愛を混同したっておかしくない。彼にとって俺は結局、最も親しい友人の一人だった。
着慣れたスーツに身を包んで、結び慣れない白色のネクタイを結って。あたかも平然を装って、俺は彼の式に参列した。
俺が彼に抱いていた感情がなんだったのか、結局今でも分からない。あれは果たして恋だったのか、はたまた、彼と同じように一人だった者からの執着だったのか。
相変わらず俺の心は乱されたままで、この疑問に終わりが訪れることは無さそうだった。

テーマ:終わらない問い

10/26/2025, 6:50:45 AM

俺の家には天使が居る。
「あ、おかえりー。」
比喩じゃなくて、マジの。

コイツはある日、突然現れた。インターホンが急に鳴って、ドアを開けたら立っていた。宅配便のような極軽いノリで、
「こんちは。天使でーす。」
なんて挨拶してくるものだから、しばらく読み込みが追いつかなかった。もちろん初めはコスプレした不審者かと思い、通報しかけた。その度、遠くにいたはずの彼がなぜか背後にいて携帯を奪われてしまうのだ。
「僕は天使なんだよ?通報なんてしたって意味ないって。君が不審者みたいに思われて終わりだよ?」
にまりと猫のように笑う彼に得体のしれない恐怖感を感じたことも数知れない。
けれど、人間の適応力とは恐ろしいほどのものだった。数週間前もすれば彼の存在にすっかり慣れ、扱い方も掴めてきた。頭上にふわふわと浮いている光の輪も、肩甲骨の辺りから生えている純白の羽根も、どうやら本物らしい。しばらく一緒に暮らすうちに、それは嫌でもよく分かった。
そんなこんなで、俺は今日も、自称天使と奇妙な二人暮らしを続けている。彼の翼があまりに大きすぎて、彼がいると部屋が狭くなるのが最近の悩みになるくらいには馴染んでいるのだ。
彼は、皆が想像する天使の像とはかけ離れている。平気で嘘も吐くし、ヘラヘラしていて軽薄そうだし、人のことをからかってゲラゲラ笑っている。良くも悪くも普通の人間のようで、俺はつい絆されてしまった。

「ただいま。」
今日も狭いアパートの小さなドアを開け、靴を脱ぐ。家に入ると、キッチンに立つ彼の後ろ姿が目に入った。部屋の中は綺麗に掃除されていて、彼の手元にあるだろう料理の香りが満ちている。
楽しげに鼻歌を歌いながらぱたぱたと羽根を揺らしている彼の後ろ姿を見ていると、こんな生活も悪くないかと思えて仕方ない。食費は2倍だし、よくからかわれるし、暇つぶしにホラー映画を見た彼に夜中叩き起こされたりもするが。なんだかんだ、悪くない、気がする。
相変わらず視界の端で揺れる純白の羽根は、今では見えないと落ち着かなくなってしまったのだった。

テーマ:揺れる羽根

10/25/2025, 7:44:38 AM

「じゃあ、行ってくるね。いい子で待っててね?」
特に返事は無い。僕の飼い猫は気まぐれな子だから、きっとまだ寝ているんだろうなと苦笑いを浮かべた。
会社に着いて、いつも通り業務をこなす。データを入力して資料を作るだけの簡単な仕事だ。
単純そうに見えて案外頭を使うせいか、時間の経過が早く感じる。気付けば昼休みだった。
昨晩の残りを詰めたお弁当を開いて、ついでにスマホを立ち上げる。ペットカメラと連動したアプリで、猫の様子を確認しようと思った。
「……あれ?」
家は狭いマンションの一室なので、カメラには風呂とトイレ以外ほとんど全体が映る。それなのに、猫の姿が無い。
「え〜……勝手にお風呂とかにいるのかな……」
そう呟いた瞬間、あることに気が付いて血の気が引いた。
ドアが、開いていた。逃げたのかもしれない。そう思うと、もう居ても立ってもいられない。
会社を早退して、普段は絶対使わないタクシーを使って最速で帰宅する。ドアの鍵は開いていて、家の中はガランとしていた。
どこにもいない。逃げられた。どんどん悪い考えが浮かんできて、手足の震えが止まらなくて動けなかった。
どれだけ放心していたか分からない。玄関のドアが閉まる音で我に返った。半ば這うようにして見に行く。
「…………どこ、行ってたの……」
消えた猫が帰ってきていた。僕は彼を抱きしめ、引きずり込むようにリビングへ連れて行く。
「ごめんって……コンビニ行ってただけ。……泣かないでよ……」
彼の着けた、首輪のようなチョーカー。そこに繋いでいた鎖は、いとも容易く外されていた。
「……どこも行かないで……」
彼の胸元に縋り、子供のように泣きながら言う。彼はそんな僕に困ったような笑みを向けて頭を撫でてくれた。
僕と彼の関係はきっと間違っている。僕は彼を監禁しているし、彼は甘んじてそれを受け入れている。本当は、彼はここから逃げ出すことなんて簡単にできるはずなんだ。
2人だけの部屋。ワンルームの小さなマンションは、飼い主と猫のような僕らの秘密の箱庭だ。
どちらも飼い主で、どちらも飼い猫。この箱庭に他の誰かが入ることは、きっとこの人生の中でたったの一度たりとも無いだろう。

テーマ:秘密の箱

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