「こないだハロウィンだったじゃん?」
「……まぁ、そうだけど……どしたの急に。」
数多に居る友人の中でもトップクラスにアホな奴。それがこいつに対する一番強い印象だった。
「お菓子作りたい!」
「それバレンタインじゃね?」
お互い、視線を合わせもしない。スマホと顔を合わせながら、体だけ向き合って夕暮れの中話している。
結局押し切られて、なぜか男2人で虚しくお菓子作りをすることになってしまったのだが。異常によく似合う、小学生の頃作ったのだろうドラゴンのエプロンを着けた彼が階段を駆け下りてきた。
「母さんのしか無かった!」
彼の手にあったのは、やたらピンクでフリルのついた、きっとこいつのお母さんが若い頃使っていたのだろうエプロン。文句を言いそうになるが、借りる側な手前言いづらい。
「…………さんきゅ……」
複雑な心境をたっぷり込めた余韻でもって、言外に伝えることにした。果たして、この天性のアホに通じているのかは甚だ疑問だが。
「……で、何作んの?」
「チョコ!なんか台所にめっちゃ置いてあった!」
ちらりと調理台を目をやると、確かになぜか大量のチョコが見える。チョコなら、溶かして固めれば作ったという満足感を得られるし、失敗もしづらいだろう。
「……りょーかい。」
そうして始まった放課後クッキング。それは、思ったよりも盛り上がってしまった。
「やべー!超かっけぇ!」
「……ちょっと楽しくなってきたわ。」
ホワイトチョコとブラックチョコを見た彼の一言がきっかけだったが、案外上手くいった。アルミホイルで型を作り、そこに流してみたのだが。
「……ほんとに太陰陰極図作れると思わんかった。」
「これそんなかっけー名前だったの!?普通に白黒の勾玉みたいなやつって呼んでたわ……」
さすがにアルミホイル製の型だと、端は少しガタついてしまっている。けれど、なんだかそれさえいい感じの風情に見えてきた。
「……なんかお腹空いたわ。食べようぜ。」
「よっしゃ!待ってました!」
2人とも、なんの相談も無しに片割れを手に取る。当たり前のように、俺がブラックでこいつがホワイト。
やたら俺達に似合うな、なんて考えつつ、チョコを一口かじる。
「…………にっっっが!?」
「あ、それなんか母さんがダイエット用で買ったけど食べれんかったカカオ95%のやつだって。」
「先に言えよっ……!」
光と影のように正反対な俺らだけど、こいつがアホすぎて俺まで絆されたかもしれない。チョコは苦くて仕方なかったが、彼の手元のホワイトチョコと合わせると程よい甘さになった。
テーマ:光と影
気分が深く深く沈み込んで仕方ない夜は、いつも眠れない。心の奥底にあった、これまでの人生で蓄積してきた澱みの数々が濁流となっていっぺんに脳をぐちゃぐちゃにしていく。頭をかき回される感覚に吐き気がして、体が重くて仕方なくなる。
そんな夜。思い出さなくてよかった嫌な思い出ばかりがリフレインしている。
「…………ゔ……ぁ゙ー……」
意味を成さない濁った母音を喉から絞り出しながら、何かに平伏すように布団の中で蹲っていた。理由も分からない涙が止まらない。どうすればいいか分からない。希死念慮とわけも分からない謝罪が頭を支配している。
ふと、瞼越しに眩い光が瞳孔に差し込んだ。なんとか頭を上げて見れば、スマホに通知が来たようだ。
『なんか嫌な予感したから連絡した。大丈夫なら別にいい。遅くに悪かった。』
送り主は、義理の兄だった。血は繋がっていないが、いつも俺を本当の弟のように扱ってくれる。無愛想で無骨な言葉遣いの裏には、いつだって優しさが滲んでいた。
『たすけて』
その四文字を打ち込むので限界だった。送信ボタンをタップして、力尽きたようにまた伏せる。既読がついたかすら分からない。
どれくらいそうしていたか分からない。自責の念に囚われていた俺の意思が、玄関の鍵が開く音で引き戻される。この家の合鍵を持つのは今のところ兄だけだ。きっと、メッセージを見てわざわざ来てくれたのだろう。
「……大丈夫……じゃ、なさそうだな。」
大柄な体に見合った低い足音がして、分厚い布越しに背中をさすられる。ただでさえ止まらなかった涙が、もっと溢れてきてしまった。
「ぅ゙ゔ……にぃ、さ……」
蹲ったまま兄のズボンの裾を掴む。限界だと、もう殺してくれと念を込めて。
「……ダメだ。」
兄の大きな手が頭を優しく撫でる。そ動かなかった体をそっと抱き起こされて、兄の腕の中に収められた。あやすように背中を叩かれ、それが兄の心音と合わさって俺の呼吸を落ち着かせていく。兄の体温もあって、俺は徐々にではあるが眠気を催していった。
「……お前は一人じゃないんだ。」
相変わらずぶっきらぼうで、でも温かい兄の声。今なら、きっとよく眠れる。
眠れば、この憂鬱な夜も明けるだろう。明日の朝焼けを夢に見ながら、俺は兄の大きな体にこの身を預けた。
テーマ:そして、
「おにいちゃ、だっこ!」
ちぎりパンのような短い腕が、懸命に俺の方へ伸ばされる。ふっくらした体を抱き上げれば、自分より高い体温がじわりと伝わってきた。
この寒い中を半袖短パンで、関節も耳も頬も真っ赤にしてニコニコと無邪気に笑っている。苺が透けた大福そっくりの頬をつつけば指が沈み込んだ。
「むぇ。んふふ〜……ほっぺもちもち?」
むいむいと自分の頬を揉み込む姿があまりにも可愛くて、よりしっかりと腕に抱え込んでしまった。
「うん、もちもち。寒いでしょ?早く帰ろ?」
ね?と首を傾げて顔を覗き込むが、まだ遊びたいのかもにょもにょと何か言っている。仕方ないかと、飴玉を小さな口に押し込んでご機嫌になった隙に連れ帰った。
やはり外ではしゃぎ回って疲れていたのか、家に戻って毛布に包んでやるとすぐに寝入ってしまった。こくりこくりと傾く頭が真ん丸で、それを見る度きゅんきゅんと何とも言えない感情が湧き上がってきた。
上がりっぱなしの口角をそのままにしながら、すぅすぅと可愛らしい寝息を立てる弟を抱え込んで彼の脱ぎ散らかされた服を畳む。青色の小さな園服は、弟の元気いっぱいな遊び方についていけなかったのか所々ほつれてしまっていた。
「ん〜……ついでに縫っとこ。」
家は母子家庭で、母さんはバリキャリの溌剌とした人だ。俺達のことをきちんと愛してくれているし、真っすぐに育ててくれてはいるが、家にいる時間はやはり少ない。俺が家事全般を習得するのは必然にも近かった。
鼻歌を歌いながらほつれを直して、ついでに名前のワッペンを貼り直してハンガーに掛けておく。そうこうしていると、弟が起きたようだ。何か探しているように、キョロキョロと眠い目を擦りながら辺りを見回している。
「あれ……おにいちゃ、ぼくのえんぷく……」
「そこにあるよ。」
ハンガーを指さすと、彼はぽてぽてとそちらへ走っていった。
数分して、彼が何かを握りしめて笑顔で俺に近付いてくる。屈んで目線を合わせてやると、小さな手が眼前に突き出された。
「あげる!」
差し出されたのは、小さな青い花。名前も何も分からないし、長いこと園服のポケットに入れられていたのか少し萎れてしまっている。
「わ、いいの?ありがとう!」
けれど、その小さく可憐な花が、そして何より、俺にそれを差し出す弟が愛しくて愛しくて、世界中のどんな豪奢な花束より綺麗に見えた。
小さな青い花の押し花があしらわれた栞を撫でながら、ふと物思いに耽っていた。もう随分昔のことのはずなのに、今でも愛しくて仕方ない。
ガチャリとドアの開く音と、声変わりして低くなった弟の声がする。
「おかえり〜。」
今日も今日とて、まだまだ俺にとって小さな弟は愛しいし、この家はいつでも眩しかった。
テーマ:tiny love
「いらっしゃいませ。」
薄暗い店内を、ぼんやりとした間接照明の光が柔らかく照らしている。
「こちらが本日のメニューになります。」
上品なウェイトレスの制服を着た男が、几帳面に綴じられたメニューを手渡す。店内の僅かな明かりでは、彼の顔はよく見えなかった。
せっかくメニューを渡されたが、今日注文するものはもう決まっていた。
「『子兎』を。」
「かしこまりました。」
小さく頷いたウェイトレスが席を後にすると、気ままに過ごす店員達を見回した。
この店は、それぞれ割り振られた動物を模した衣装を着た店員達と時間を共にすることができる。僕が最近指名している『子兎』は、まだ幼く未熟だ。しかし、持ち前の可愛らしい容貌と、心を開いた時に見せる綻ぶような笑顔が魅力で、僕のような固定ファンが一定数居る。
「お待たせしました!」
ぴょこりとテーブルの下から子兎が飛び出してくる。僕の半分程しかない身体はまだ丸みを帯びていて、子供特有のふっくらとした手足がちょこちょこと動く。
「うん、大丈夫だよ。ふふ、今日はなんのお話を聞かせてくれるのかな。」
「今日は〜……店長さんが昨日読み聞かせしてくれたお話してあげるー!」
ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねながら言う彼は、まさに子兎。出会った頃の怯えた様子をふと思い出して、今の笑顔を見てじんわりとした満足感を得る。
ここに居る店員達は、基本皆帰る家を失った者達だ。『店長』と呼ばれた男に拾われ、客との交流や接待を通じて報酬を得る。彼らは住み込みで働いている者がほとんどなので、給料は大抵が貯金に回される。そうして、彼らが巣立ちたくなった時、その貯金を使って巣立っていくのだ。
ここは、彼らが僕らをもてなす場であり、同時に僕らが彼らに物事を教え、僅かながら手を差し伸べる場でもある。
彼らの『おもてなし』は、まさに十人十色。子兎のように絵本や遊びの話をする者もいれば、過去の話をする者だっている。お触りを含む者も、そうでない者もいる。
客と店員、双方がもてなし合うようなここで、僕のような社会不適合者は救われる。
彼らを救うことで、僕らもまた存在価値を得られた気になれるから。
足元で楽しげに跳ね回る彼を軽く撫でながら、僕は一時の救済感に満たされる。この店では多種多様なおもてなしが見られるが、きっと一番はコレなのだろうな、なんて思いながら、僕は彼の話を聞いていた。
テーマ:おもてなし
これは、僕が背負うべき消えない罪なのだ。
部屋に置かれた大型の水槽に指を這わせ、そっと目を閉じる。薄暗い、音も無い部屋の中、コポコポと響く水槽のフィルターの音がやけにうるさかった。
『……なぁ、それ痛くねぇ?』
薄汚い奴隷用の檻の中にいた僕に、真っすぐ声をかけてきたあの日のことを、僕はきっと、一緒忘れることは無い。
誰からも無視され、腹いせに殴られ、ゴミの方がマシな扱いだと思えるほど僕の扱いは酷かった。
彼は誰かに呼ばれてすぐに去ってしまったけれど、彼の声が、顔が、直前に聞こえた名前が、脳裏に焼きついて今でも離れない。
あれはきっと、崇拝にも近い恋だった。否、恋なんて一言では足りない。彼が欲しくて、彼に全てを奪われたくて仕方なかった。
チャンスは案外、すぐに転がってきた。何があったのかなんて知らないが、僕はどこかのお偉い様の遠縁だったらしい。疫病で跡継ぎが誰も居なくなっただか何だかで、僕はトントン拍子に地位を手に入れた。
これまで一度も教育なんて受けてこなかった。貴族のルールを一から頭に叩き込まれ、興味も無い人間の名前やら顔やらを覚えさせられるのは苦痛だった。でも、その全てが彼に会うためだと考えれば大したことでもない。
彼はすぐに見つかった。あの時見かけた服装から察してはいたが、やはりそれなりにいい家のご子息だったらしい。マナーもルールも教養も、死に物狂いで頭に入れた。そうしてようやく、彼に会う場を作るところまで漕ぎ着けたんだ。
彼と会った時、僕は感情が追いつかなくて泣いてしまった。彼は酷く困惑していたし、当然だと思う。僕の見た目はあまりにも変わっていたから。彼が僕を覚えていなくたって、僕は彼を覚えている。それだけで十分だった。
でも、狂信は裏返せば何より醜い刃となった。彼と話して、そして知ってしまった。完璧だと思っていた彼に、欠けがあることを。婚約者のことを照れたように語る彼を見た時、僕は我慢できなかった。戸惑う彼の首に手をかけて、そのまま全力で掴んで絞め上げた。
脱力て手先の冷えた彼の身体を抱き締めた時、僕の心は後悔と、それを塗り潰すほどの凄まじい独占欲が湧いた。
僕は持てるものを全て以て、彼の死を事故に偽った。跡継ぎも何もいなくなった、家臣の執着だけでできた僕の家は、都合が良かった。彼の遺体は帰り道獣に襲われ、跡形も無く喰い荒らされたことにした。
それで、彼の身体は今、僕の部屋にいる。丁寧に丁寧に内臓を抜いて、その一つ一つをホルマリンに漬けた。身体は剥製にして、綺麗な服を着せて、あたかも眠っているかのようにそこにいる。
左手を彼の中身が入った水槽に、右手で彼の手を握りながら、僕は一人笑った。
あの日心の奥底に芽生えた、燃え上がる焔のような支配欲と独占欲。この大罪は、きっと何を以てしても消えることはない。
テーマ:消えない焔