「犯罪をします。」
「そんな某クッキングみたいなノリで……?」
季節もそろそろ秋本番。気温も下がり始めて、上着を1枚羽織りだした頃。穏やかな秋晴れの昼下がり。突然バイオレンスなことを言い出した友人を、じとりとした目で見上げる。かっこつけて、窓にもたれて黄昏れる彼は、なんだか哀愁漂っている。
「……で、何があったの?」
椅子に座って、机に肘をついて、紙パックのいちごミルクを啜りながら尋ねる。質問の答えは粗方予想がついているが、話を続けるためだけに聞いた。
「…………振られた……」
予想通りの回答。コイツがこんなふざけたことを言い出すのは初めてではなかった。たぶんもう片手では足りないほど聞いている。
「あっそ。今回は何?」
「テンションがキモいって……」
危なかった。危うくスマホの画面がいちごミルクでびしょびしょになるところだった。歴代の失恋理由の中でも群を抜いて酷い言われように、可哀想だが笑いが止まらなかった。
「ちょっと!俺傷心中なんだけど!?」
ギャンギャンとチワワの如く吠え立てる彼を適当に制し、いつも通り慰めてやることにした。
「……要するに、爆食いして忘れたいってことね。」
「そう!!ってことで放課後ファミレスね!!」
半ばヤケクソのように叫ぶ彼に、また吹き出しそうになった。
放課後になって、ファミレスに入る。グチグチと垂れ流される未練達を、ドリンクバーのコーラで流した。宣言通り、目の前の男はバカみたいな量の注文をする。いくら健全な男子高校生とはいえ、相当お腹に溜まる量だ。
「…………お腹いっぱい……」
案の定である。いつもこうなのだ。無鉄砲に頼んで、食べきれない。俺は溜息を吐きながら、半分ほど残った料理の皿を手に取った。
「いい加減学習しろよ……」
呆れつつ、彼が食べ残した肉を食む。少し冷めてはいるが、これを見越してあまり食べていなかった俺には十分美味かった。
「返す言葉もない……」
しょげる彼を尻目に料理を平らげ、混んできた店に迷惑をかけないようさっさと会計をする。
「……今日奢る。」
「え?いや、いいよ悪いし……」
彼を無視してそのまま支払いを終えて外に出る。ファミレスの賑やかで温かい空気が一変し、秋の夜の冷たく静かな空気が頬を撫でた。
「ねぇ、ほんとお金返すって!ほぼ俺の注文だし……」
「いいってば。その代わり、もう明日には未練残すなよ。」
この可哀想な男のために、今日だけは甘く対応してやることにした。
テーマ:今日だけ許して
数回手元の液晶画面をタップして、投稿を完了する。少し胸元の開いた服を着た、首から下を写した自撮り。可愛子ぶった文言とともにネットの海に放り出せば、欲望を隠しもしない見知らぬ人から反応が来る。
「こんな貧相な男の体なんて見て何が楽しいんだか……」
若干嘲笑うような調子を含んだ冷笑。自分の投稿に群がる男達を馬鹿にしているが、その反応欲しさにこんな馬鹿げた投稿を繰り返す自分も馬鹿だ。俺は別に男が好きなわけでもないし、そういう趣味は一切無い。
にも関わらずこんなことをしているのは、偏に誰かに構ってほしかったからだ。初めは首元や脹脛なんかをちらりと写すだけだった。けれど、面白いくらい貰える賛辞の声に、段々エスカレートしていった。要するに、調子に乗りすぎたのである。
「ねぇ、これ君だよね?ねぇってば。」
因果応報。そんな言葉が脳裏をよぎった。スマホを持つ手が思わず震える。目の前の男が持つスマホの画面に映った投稿は、間違いなくさっき俺が投稿したもので。背筋を嫌な汗が伝い、普段は人に憎まれるほどよく回る頭と舌は凍りついて動かない。
その男に引きずられるままに連れ込まれた店は、意外にも落ち着いた雰囲気のカフェだった。俺は正直拍子抜けした。でも、あまりに自然で、逆に妙な違和感を覚えたことを、その時は深く考えなかった。
話してみるとそいつは案外いい奴で、件の投稿も、俺が大学のトイレで撮影したためバレたらしい。確かに、同じ大学に通う者ならばギリギリ分かるかもしれない。
最悪な出会いの割に仲良くなった俺達は、一緒に過ごす時間も増えていった。大学ではニコイチ扱いされる程度には一緒だった。それで、ある日俺はそいつに愚痴に近い相談を持ちかけた。
「そうそう、この……こいつ。ネットストーカーっていうの?」
彼とと出会ってからも、俺の悪習慣は直らなかった。相変わらず際どい投稿を続けている。しかし、彼と出会うずっと昔、それこそ投稿を始めた初期の頃からずっとコメントをしてくる者が一人いた。そいつは所謂ネットストーカーで、最近になっていよいよ住所がバレたのだ。
「え、大丈夫なの?」
「うん。今んとこ何もされてない。」
でも怖いからという理由で相談したのだ。そいつの投稿をいくつか見せて、問題の投稿も見せる。送られてきた住所が合っているのかと聞かれ、合っているから怖いのだと話した。
しばらく様子見しよう、という結論に落ち着き、その日は解散した。
『今日そっち行くね』
夜、問題のアカウントから届いたDMに俺は恐怖を感じ、確実に鍵が閉めてあるのを確認して部屋に引きこもる。時刻はもう深夜だ。彼に助けを求めるのも悪い。
数分後。本当に鳴ったインターホンの音にびくりと体を震わせ、恐る恐るドアスコープを覗き込む。そこに立っていたのは彼だった。
「大丈夫?心配だから来ちゃった。開けてほしいな。」
俺はほっと溜息を吐き、ドアを開け彼を迎える。そこで気付いた。
俺は、彼に家なんて教えていないということに。
テーマ:誰か
立てない。立てないどころか、布団から起き上がることさえままならない。鬱病の辛さを、俺はこの日初めて体感した。頭では動きたい焦燥が募るのに、動けない。寝ているのがこんなに苦痛だったのは生まれて初めてだ。
寝不足の頭にガンガン響く怒鳴り声。無意味で理不尽な叱責に、残業続きで疲弊した身体が更に重くなっていく。
遂に倒れた日、見舞いに来た上司は俺を嘲笑った。少しだけでも労りを期待した俺も馬鹿だったが、それで完全に俺の心は折れた。
上司の顔も見たくなくて、辞職届を退職代行に頼んで叩きつけ、俺は晴れて自由の身になった。けれど、自由の身になったところで折れた心がもとに戻るわけでもない。俺は、何もできない社会のお荷物に成り下がった。
他の人は、どれだけ落ちぶれていても何かしら役に立っているように見えて、自分だけが不適合者の烙印を押された気がしてならない。
そうやって、今日もまた布団に包まって倒れ込んでいた。何かすればこの罪悪感も少しは薄れるだろうに、俺の体は指先の一つさえ動いてはくれない。罪悪感、焦燥感、ありとあらゆる負の感情が濁流となって一気に頭に流れ込み、俺は強く掛け布団のカバーを握りしめた。
何かの通知が来たらしい。遮光カーテンを年中閉め切った薄暗い室内に、スマホの明かりが灯る。通知を確認するのもしんどいが、きっと俺に届く通知なんて一つしか無い。
『俺今日そっち行く』
それだけのメッセージ。それだけなのに、スマホの明かりなんかよりずっと明るく見えた。
社会に耐えきれなくて、潰れてしまった不適合者の俺。そんな俺を、唯一最後まで見捨てなかったのが彼だった。来たって、何を言うでもない。ただ静かに、俺が飲み散らかした薬の包装を片付け、食べられたらでいいと作り置きのおかずを冷凍庫に入れて寄り添うだけ。それが、何より嬉しかった。余計な詮索も心配もされないから、変な自己嫌悪もしなくて済む。傍に居て俺が泣きたくなったらそっと抱きしめてくれる。そんな彼が、唯一俺に許された社会とのつながりだった。
古いマンションの、トタンでできたような階段を上る独特の足音がする。ここは階段から一番遠い角部屋。まだ距離はある。
遠くに聞こえる足音が段々近付いてくるにつれ、沈みきった心にじわりと明るい感情が滲む。さっきまで全く動かなかった体が、少しだけ動くようになっている。
俺は、半ば這うようにではあるが、少しでも早くアイツの顔を見たくて玄関へと移動する。トタンを踏む音がコンクリートを踏む音に変わって、その音だけが今の俺をこの世に繋ぎ止めていた。
テーマ:遠い足音
「……ねぇ、今ってほんとに秋……」
「だーもーうっさい!何回言うの!?」
ぐだぐだと流れるとある休日。2人並んで、公園にも満たないような微妙な空き地でアイスを囓っている。一昔前の小学生のような行動だが、我らは立派な令和の高校生である。
「だってさぁ……暑すぎじゃね〜……?」
そう言われるとぐうの音も出ない。今は9月も後半、そろそろ秋本番に入ろうかというところだ。現在気温は30℃。夏真っ盛りよりは涼しいが、依然として暑いのは変わらない。
「……それは同感……」
この時期にアイスを食べるなら、前は濃厚なバニラやチョコ系一択だったのだが。最近ではこの時期でも暑すぎて、氷菓を選びがちになった。
秋の足音が近付いては遠ざかるせいで、なんだか体調も良くないようだ。何とも言えない倦怠感で、ほぼ毎日だるいと口にしている気がする。
そんな、五月病のような状態になった2人が意味もないような話をしていれば、あっという間にアイスは食べ終わってしまった。手持ち無沙汰になって、アイスのパッケージを読んでみたり、棒をバキバキに折ってみたりはするが、あまり時間は潰せない。
「……スーパー行こうぜ。あそこなら涼しいし。」
俺は特に断る理由も無かったので頷いた。ついでに、このゴミも捨ててしまおう。あまり良くはないかもしれないが。買い物はきちんとするから今日だけは見逃してほしい。
スーパーに着くと、店内に入った瞬間甘い匂いが俺達を誘惑した。そう、焼き芋である。外の気温では到底食べようとは思わなかっただろうが、生憎店内は生鮮食品の保管のためか少し肌寒いくらいだ。
男子高校生2人は、気付けば湯気を立てる焼き芋を手に、よく日の当たる公園のベンチに居た。
「……暑いし熱い。」
全く同じ感想である。しかしまぁ、買ってしまったものは仕方ない。包装から取り出して、一口かぶりつく。どうやらねっとり系の品種らしい。砂糖とは違う品のいい甘さと、舌に触れる滑らかな質感が素直に美味しかった。
「……美味いけど暑い。」
思わず口に出た一言に同調するように、横に座る男も頷いた。
秋真っ盛りみたいなことをしているのに、秋の足音はまだまだ遠い。俺達は秋の訪れを心底待ち遠しく思いつつ、早めに引き寄せてしまった手元の秋を食んでいた。
テーマ:秋の訪れ
さくさくと小気味良い音を立てながら、表面に薄氷の張った雪の上を歩いていく。
これまで、多くの街や集落を訪れてきた。多種多様な種族に民族、それに合わせた風習と文化。どれもが刺激的で目新しかった。元々俺の種族は、平々凡々としていて特徴も無い。良く言えば穏やかな、悪く言えば代わり映えのしない日常が退屈になって、仲の良かった親友を誘って二人で街を出た。
出会った人々は、誰もが違った常識で生きていて、そのどれもがキラキラしていた。当然、中には救いようのない悪党や、泣きたくなるほど不遇で憐れな人々だって居た。けれど、彼らのもつ価値観や善悪も全て、これまで生きてきた経験と景色の作り出した概念なのだ。だから、言動の一つ一つをよく観察して読み解けば、必ずどこかには輝く星のような綺麗なものが見える。俺はそれが好きだった。
親友はそういった読み取りが苦手なようで、ただひたすら真っすぐ、純粋に見える美しさを好んでいた。だから、「その人たちが今持つ幸せ」を重視して関わらないようにする俺とは少しだけぶつかることもあった。
ずっと前、どこかの村の孤児を見たときに、俺達は一番激しくいがみ合った。親を亡くし、忌み子だと村で虐められていた子だった。俺は、可哀想だとは思った。けれど、手は差し伸べない。その子が自ら得た小さな幸せこそ、他者から与えられる何より綺麗で、その子にとっても自らの力で得た幸福こそ真実だと思ったから。逆に、あの真っすぐで純粋な親友は手を差し伸べた。俺達が旅立つまでの僅かな間でも、心が休まるようにと。たぶん、どちらも間違いではなかった。正義と悪なんかじゃなくて、正義と別の正義でいがみ合ったんだと思う。
それを収めたのが、渦中に居たその子だった。その子は、自ら考え、少しギスギスした俺達を誘って遊んだ。それは、俺達2人をどちらも満足させる行動であった。
旅立つ頃には俺達3人はすっかり打ち解けて、出立の日には泣かれた。一瞬、あの子を連れて行こうかとも思ったが、それはあの子が拒否した。ここでの生活は辛いことも多いけど、いいこともあると教えてくれたから、と。強い子だった。
2人でそんな過去の思い出を語りつつ、雪原に二筋の足跡を残していく。なんとなく、別れの日に見たあの子の涙に似ている気がして、またあの村に寄ってみるのも悪くないかもしれないな、と思った。表情的に、たぶん隣を歩く彼も同じようなことを考えているのだろう。この旅がいつ終わるかなんて分からない。けれど、またあの子のような、強く綺麗な人の世界観が知りたくて。あるいは、あの子のような存在に気付いて少しでも救いたくて。何もかも正反対で、何かと馬が合う俺達は、次の街へと歩を進めた。
テーマ:旅は続く