その場に響いた冷たい銃声の後、俺は一人泣き崩れた。
ずっと、二人で一人だと思っていた。俺がこの組織に拾われて、お前とバディを組んだあの日から、ずっと。俺は、家族というものを知らなかった。家に帰れば、ヒステリックに泣き喚く母と、酒に溺れてそんな母に手を上げる父。薄暗い部屋に籠もって、死んだような表情をしている弟。はっきり言って、俺の家族はもう破綻しきっていた。父と母の「恋人」の金で生活し、碌な飯さえ貰えずに盗みを働く俺がどれだけ惨めだったのか、たぶん俺の両親は知らない。だって、自分達の性欲の果てに生まれた子供に興味なんて無かったから。
そんな生活に疲れ果てて、荒んでいた俺を拾ってくれたのが、今所属している組織の幹部だった。その人はやさしい人だった。気まぐれな猫を彷彿とさせる眠たげな猫目に、本心の読めない飄々とした笑みを常に湛えていた。低く甘く響くテノールボイスと若干間延びするようなゆったりとした話し方は、男のもののはずなのに、なんだか妙な色気があった。その態度はいっそ軽薄そうでさえあるのに、接してみると誰より周囲をよく見ていて、相手に気負わせずさり気なく行われる気遣いの数々は舌を巻くものがある。
だからこそ、信じられなかった。彼が、組織を裏切ったらしい。彼は既に捕縛され、尋問用の地下牢へと繋がれていると。俺に降りかかる不幸はこれだけに留まらなかった。ボスは無情にも、彼への尋問と裏切り者の処分を俺に命じた。まだ、人伝に死んだと伝えられたほうがマシだった。
心を殺し、淡々と自らの恩人に傷を付けていく。さっさと吐いてくれればいいのに、彼はなぜか頑なに口を割ろうとしなかった。流石に幹部の座に就き続けられる精神力は伊達ではなかったようだ。けれど、なんとか吐かせた。正直、十分ではなかったと思う。でも、もうそれ以上彼を苦しめたくなかった。
最後の最期、銃の照準を彼の心臓に合わせて引き金に手を掛ける。撃つ直前。彼の呟きが耳に飛び込んできた。否、飛び込んできて、しまった。
彼の本当の思惑に気付いた時にはもう遅かった。銃口を飛び出した銃弾を止める術があるはずもなく、彼の生命が零れ落ちていく。俺は呆然としたまま、しばらく立ち尽くしていた。
銃を撃ってからの記憶は曖昧だった。なんとか報告に行って、部屋で服を着替える暇もなくベッドに倒れ込んだ気がする。ふと部屋の中に彼の残影を感じてしまった瞬間、もうダメだった。彼に救われ、彼に導かれた俺の部屋は、忘れるにしてはあまりにも、彼の痕跡が残りすぎていた。
2人で並んで眠ったベッドの上、慰めてくれる人はこの手で殺めた。俺を構成していた全てを自ら破壊した俺は、2人だった頃の陽炎に喉を圧迫されながら、ひとりきりで、虚脱したように泣いていた。
テーマ:ひとりきり
割れんばかりの歓声に包まれ、俺達3人はステージの表舞台へと駆け出していった。メンバーカラーのスポットライトに照らされて、それぞれらしい登場の仕方で。衣装も、精確も、そして熱意も。何もかもがバラバラな俺達は、それでも一つのグループだった。
ある大手アイドルスタジオから発表された、期待の新人男性アイドルユニット。それが俺達だった。メンバーカラーは赤、青、緑。それぞれの好きな色で適当に決めたらこうなった。そう、適当なのである。ユニット名も適当、ライブのセトリも適当。俺達は、とにかく性格面での相性が悪かった。1人は、真面目でアイドルへの熱意も高い青担当。練習も毎回1人残って夜遅くまでしているらしく、本番でも抜群の歌唱力とキレのあるダンスで観客を魅了する。しかし、真面目すぎるが故に堅物で、融通が利かないのが玉に瑕だ。そんな彼と相性最悪なのが、軽薄そうでチャラチャラしている赤担当。天性の才能から来るダンスや歌は確かに舌を巻くものがあるのだが、いかにも遊び人といった風貌とヘラヘラした態度はつくづく相性が悪かった。アイドルへの熱意も赤担当の彼が一番低く、受かったからなったといえ曖昧な理由だけでアイドルをやっている。俺は、そんな2人の緩衝材のためだけに入れられたようなものだった。良くも悪くも全てが平凡、前2人のように、特別な才能も、目を瞠るような熱意も無い。顔だって2人の放つ別ジャンルの輝きの間では空気みたいなものだし、グループとしてのファンは居ても、俺単推しのファンはほとんど居なかった。
けれど、そんな俺達は意外なことに、それぞれのメンバーを一人で推す、というよりはグループ箱推しのファンが多かった。一人一人の個性が強すぎるせいで、通常ならば単推しのファンが多そうなものだが。
ステージの上でだけ、俺達は仲良くなれる。ライバルとして、親友としての振る舞いができる。ダンスや歌の相性だけは抜群なのだ。歌ならば、低く、指示通りに歌う青の彼と、少し高く、アレンジが多い赤の彼。そんな2人の間を、俺が繋ぐ。ダンスでは、手本通りの振り付けを完璧にこなす青と、かなり自己流で踊る赤を俺がカバーしながら自然に見せる。はっきり言って、相性は最悪だが、この3人でしか成立し得ないユニットでもあった。
メンバーカラーのスポットライトは、ステージの上に俺達が上がりきると中央に集中する。
三原色のそれは、重なり合って何より眩しい白となる。バラバラな俺達でも、俺達でなければこの白で観客を照らすことはできないから。
俺達は3人、背中合わせで、振動するスピーカーを、揺れ動く白色のペンライトを見つめていた。
テーマ:Red, Green, Blue
自分の世界は完全に原色でできていると、信じていた。絵の具をチューブから絞って、混ぜて、そのまま塗った色。そんな色で世界は彩られていると、思っていた。
俺は、絵を描くことしか能がなかった。勉強をやらせても結果はさっぱり、スポーツをやっても上達の道すじすら見えない始末。社交も苦手で夜型人間。誰もが認める社会不適合者だった。それでも、絵が描けたから、なんとかなってきた。成績は1か2、よくて3が並ぶ中、美術だけは余裕で5。受験の時だって、絵で貰った賞を使って自己推薦で合格した。人と話すのが苦手でも、絵を描いていれば勝手に話しかけてくれたし、俺も絵のことならいつもより少しだけ上手く話せた。絵だけあれば、上手くいっていた。
そんな風にして、微温湯のような人生を歩んできた罰なのだろうか。ある日、俺の全ては崩壊した。事故だった。俺は、道路の反対側で起こった事故に巻き込まれて制御を失った車に轢かれた。不幸中の幸いか、命に別状はなかった。否、生物としての生命活動には別状が無かっただけで、俺という個人としてはもう、死んだも同然だった。
俺は、両腕に障害が残った。轢かれた割に原型は保っていたようで切断にはならなかったし、若干拙くはなったが、ひらがな程度の簡単なものなら書ける。でも、もう絵は描けなかった。入院先の病院で、看護師に無理を言って筆を取った。キャンバスにできていくのはただの絵の具で引かれた線の集合体で、到底絵とは言い難いものだった。
絶望。その一言に全てが詰まっていた。とうとう俺は、生きる意味さえ失った。世界から色彩が消えていく。皮肉にも、そのことに気付けないほど、病室は白一色だった。
俺の世界は、原色なんかじゃ塗られていなかった。繊細で複雑で、奇跡みたいなバランスで幾重にも重ねられたフィルターの層でできていたんだ。そして、それを固定するのが絵筆だった。けれど、俺はもうその筆を折ってしまった。世界に色を齎していたフィルターはバラバラになって、無色透明な世界だけが残る。前は確かに感じていた季節感を感じなくなった時、本当に色を失ったんだと実感した。夏に近付いて青々としていく夏草も、萎れて茶色くなっていく花束も、紅葉して赤や黄色に染まっていく山も、俺にはもう単なる白黒の単調な濃淡にしか見えなかった。
透けて、透けて、透き通って。俺はこんなにも無味乾燥な人間になったというのに、世間は何も変わりやしなかった。あれだけ好きだった色を、もう感じられない。網膜に焼き付いた赤が、青が、黄色が、心の傷だけをやけに鮮やかに傷付けていく。
俺はそれに耐えきれなくて、もう晴れ渡った青空なのか、はたまた満月の光る夜空なのかも分からない空に飛び込んで、皮肉にも前と変わらない見た目をした横断歩道にこの身を打ち付けた。
最後の最期、一瞬だけ。白黒の地面に広がった赤と、登りかけた朝日の橙色、それを反射するビルの窓の濃紺が、ボロボロになったフィルターを通したみたいに、変に一部だけ色付いて見えた気がした。
テーマ:フィルター
「ヤベー!さっきすれ違った女子めっちゃいい匂いした!」
「お前キモすぎ」
男子高校生が繰り広げる、どこにでもありふれた低俗な会話。大人から見れば、青くて眩しくて少しだけ痛い、青春の美しき1ページに映るのかもしれない。けれど、当事者もそう感じているとは限らないのだ。
昔からそうだった。俺の良いと思ったものは、皆にとって「ありえないもの」だった。俺はいつも少数派で、多数決で自分の要望が通ったことは一度も無い。俺の考え方は、きっと普通の人とどこか違うんだろう。とどこかで諦めて、冷めた目で世界を見つめていた。
とはいえ、これまでは少数派で困ることはそんなに多くなかった。少しだけ残念に思うことはあっても、本気で多数派になりたいなんて望んだことも無かった。ケーキの味だとか、遊びの種類だとか、精々その程度のことだった。だから、ここまで本気で、「普通」を望んだことが無かったんだ。
もし俺が普通だったら、胸を張って堂々とお前の横に並べたのだろうか。もし俺が普通だったら、もっとちゃんと顔を上げてお前の顔を見られたんだろうか。ぐるぐると考えは巡って、俺の視線をさらに床に押し付ける。こんなもしもを考えている時点で、普通とは程遠いというのに。
女の子を好きになれなかった。小さくて柔らかくて、華奢でふわふわしたような子を可愛いと思うことはあっても、所詮可愛い止まりなのだ。そこから「好き」に繋がらない。かといって、男子が好きかと問われれば、それもまた何か違う気がする。好きな人なんてできたことが無かったから、気が付かなかっただけかもしれないが。
お前に出会って初めて、俺は恋愛感情を正しく理解した。それと同時に、また世界のレールから外れたようなものすごい自己嫌悪と焦燥で死にそうになった。
今日もまた、俺はお前の男子高校生らしい話を聞き流す。お前が嬉々として語る隣のクラスの可愛い女子より、頬を紅潮させて興奮した様子で話すお前を可愛いと思ってしまった。友人数名とお前が、所謂恋バナをしているのが耳に入る。俺はクールを気取ってスマホに視線を落とすが、その画面には何も映っちゃいない。
もし、俺が、あるいはお前が、可愛くて華奢で、いい匂いがして柔らかい女の子だったら。俺は、「普通」の仲間入りができたのかもしれないのに。
ありもしない空想を思い描きながら、俺はまた間違いを恐れて何も言えなかった。
テーマ:仲間になれなくて
君は晴れ男だった。君が参加する行事はいつも晴れていて、空は一片の雲さえ見当たらなかった。それに、いつも皆の中心にいて、側にいる人を皆照らす、本当に、太陽みたいな人だった。
僕はその反対で、誰より酷い雨男だった。遊びに誘われても、僕がいるといつも雨だからいつからか誘われなくなった。話すのも下手だから、僕に話しかけてくれるのなんて本当に君くらいだった。雨さえ照らせるほどの光を持ったのは、太陽だけだったんだ。
だから、皆錯覚していた。太陽はいつまでもそこにあって、いつまでも温かく、優しく僕らを照らしてくれると。僕は知らなかった。太陽が時に、この身を焦がすほどの熱でもって呪うことを。太陽には、近付きすぎちゃいけなかったんだ。
そのことに気が付いたのは、君が居なくなってからだった。あれだけ明るかった君が、僕の頭くらいの壺に収まってしまった。いつもカラフルな色に囲まれていた君に似合わない、白と黒がその場に広がっていた。僕は、君が居なきゃダメなんだ。
君の葬式は雨だった。晴れ男だった君は、死んだら効力を失うらしい。雨男の僕が参加したせいか、晴れ男の君が死んだことを天が悲しんだのか、先が霞んで前も見えないくらいの大雨だった。
太陽が滅んでしまってから、僕は仄かに残った熱で酷く焼かれた。君が綺麗に埋めてくれた穴の中身が全部焼け落ちて、その灰さえ残さず風がさらっていってしまった。僕には何が遺されていたのか、もう分からない。
あれだけ眩しかった君を失っても、皆はすぐに立ち直った。他に埋めてくれるものがあったから。でも、僕は違った。君の遺した熱が冷めてしまわないように守りたいのに、僕が降り続かせる雨はそれを許さない。僕が生命活動を続ける限り、君は僕の中から失われていく。そんなの、許せないじゃないか。
月は太陽に照らされて、ようやくその姿を見せられる。でも、その光は永遠じゃない。間に別の邪魔者が入って、その温かな光を遮ってしまう。非力で無力でどうしようもない月は、太陽に焦がれながら邪魔者の陰に食われるしかない。けれど、それだけじゃ嫌だった。
晴れだけじゃ田畑は乾ききって枯れてしまう。けれど、雨だけでは川も海も暴れ狂って、他の全てを飲み込んでしまう。僕と君は、どちらか一方が欠けたら終わりだったんだ。
だから、僕は君に逢いに行くことにした。
テーマ:雨と君