Open App
4/1/2025, 3:12:15 AM


本日のテーマ『またね!』

別れの挨拶だ。
しかし悲観的な意味合いではない。むしろ『また会おうね!』と『また会えるよね?』が含まれた希望に満ち溢れた素敵な挨拶である。
もっとも俺自身は産まれてこのかた、その言葉を一度たりとも口にしたことはないのだが…
小さな頃から俺の別れの挨拶は『バイバイ』だった。
それは父さんがハンディカメラで撮った映像に残されているビデオテープを実家に帰った際に見返して確認しているので間違いない。
例えば、走り去る電車を見て『バイバイ』と手を振る俺。
オリの中に閉じ込められている動物園の動物たちに『バイバイ』と手を振る俺。
親戚の集まりで叔父さんが実家に帰ってきた時、母さんから『おじちゃんにバイバイしてあげて』と頼まれても恥ずかしがってバイバイしない俺。
このように俺の別れの挨拶は『バイバイ』と共にあった。
しかし高校生になると周りの友達は皆、別れの際に『ほな!』や『じゃーの』を使用するようになってしまった。一人だけ手をブンブン振って『ばいばーい』というのもなんだか子供っぽくて恥ずかしかったので、俺はその言葉を封印した。
ちなみにその頃の俺が使っていた別れの言葉は『…ん』とか『んじゃ』だ。『ほな!』や『じゃーの』っていうのもそれはそれで恥ずかしかったので、そんな感じになってしまったのだが、その挨拶も今になって思い返すとどうかと思う。社交性ゼロの無愛想なコミュ障みたいだ。
だいたいそれで合ってるけど…
…話を戻す。
高校を卒業して専門学生になると皆『お疲れ~』と言うようになった。なんなら解散する時だけじゃなく、朝の挨拶も『おはよう』じゃなくて『お疲れ~』だった。みんな小遣い稼ぎ程度のアルバイトやそれほどしんどくもない学校の課題に精を出したり、男女関係の面倒臭い青春に空回っていたりして、無意味に疲れていた。だからきっと顔を合わせた際に用いる挨拶が『お疲れ~』だったのだろう。

そして現在。
大人になった俺が活用している挨拶は『お疲れ様です』だ。
仕事をあがる時、職場の人に『お疲れ様です』
スマホで送るメッセージの文頭にも『お疲れ様です』
推しのVチューバーが配信を終了する時に送るコメントも、もちろん『お疲れ様です』だ。
このように別れの挨拶として『またね!』が入り込む余地など俺の人生のどこにもないのだ。
でも一度でいいから口にだして言ってみたい。『またね!』って。だって、とても素敵な言葉だ。
明日、言ってみようかな。
バイトが終わった後、店長や後輩たちに向かって『またね!』って爽やかに微笑みながら片手を軽く挙げて。
いや、やっぱりよそう。そんなキャラじゃない俺がやったら誰からもツッコミすら入れてもらえずに気まずい空気な感じの誰も何一つとして得しない最悪な状況に陥ること間違いなしだ。
死ぬまでに一度でいいから口にする機会があるのだろうか。
だれか俺に『またね!』って言わせてくれないか?
その時は最高の笑顔で言うと約束するから。

3/29/2025, 4:38:27 AM

本日のテーマ『小さな幸せ』

人生はトータルで見るとトントン、という説がある。誰が言いだしたかは不明だ。
たぶん『人生山あり谷あり』というコトワザを現代風に噛み砕いて伝えているのだと思う。が、そんなのは、新旧関係なくどっちも嘘っぱちだ。
いいこともあれば、わるいこともある、それが人生……? 最終的に振り返れば、いいこともわるいことも同じくらいある?
うそつけ! 俺の人生は悪いことしかおこってないぞ!
それはこれまでここに書き記してきた俺の生活状況を見直してもらえれば理解して頂けるだろう。良いことなんてなにもない、悪いことばっかりだ。
むしろ悪いことばかりが連鎖して積みあがってきたのが俺の人生なのだ。こんなの、ぷよぷよで例えると、邪魔なぷよを消さないまま積み上げているだけのノータリンと一緒だ。
『人生トントン説』に関する論文があるなら、俺が今までここに書き記してきたものたちを逆説として発表したいくらいである。相手にもされないだろうが……
とにかく……
(ちくしょう、なにが『小さな幸せ』だよ……)
なんの罪もない本日のテーマに対して心の中で悪態を吐く。
だって、そうだろう。
お米が高くて買えないから、レトルトカレーのルゥだけを食べているおっさんのどこに幸せがある。
ゴミまみれの部屋で駄文を書き散らす独身男のどこに幸せがある。
先日届いた賃貸契約更新書に記されていた更新料の支払いと火災保険の支払いをお願いしますってなんだ?
ギィギィギィギィうるさい、買ってからだいぶ経つ壊れかけのデスクチェアの不快な音のどこに幸福を見つけろというんだ。
(なぜだ、なぜ俺ばっかり、こんな……)
部屋の掃除をしていないので風水的に最悪な状況だからか?
それとも、しばらく母方の先祖の墓参りに行っていないからか?
あるいは、幼い頃に神社の狛犬の足元に置かれていた神秘的な宝玉を「みてみてみんな、きんたまだ~」とか言って、からかったせいか?
不幸になる原因の心当たりはいくつかあった、が……

朝(昼)シャワーを浴びリフレッシュして、少しだけ部屋を片付けた俺はお気に入りの音楽を聞きつつ朝(昼)から缶チューハイを飲む。
ベランダに続く引き戸を開けて部屋の空気を入れ替える。寒くもなく暑くもない。季節は春、ご機嫌な陽気だ。
イヤホンから聞こえてくる優しい音楽に合わせるようにしゃがれ声で鼻歌を口ずさみながら、ギーギーうるさい椅子に座って、この文を書く。
心のイガイガはいつの間にか消えていて、少しだけ心は軽くなっていた。
全然関係ないが、道端で名も知らぬ野花を見た時に「綺麗だな、なんて花だろ?」っていう人が好きだ。俺にはその感性がないから。だって、花は花だ。
それと同じように幸せは幸せだし、不幸は不幸だ。そして、どっちを見つけるのが簡単かと問われれば、不幸のほうだと思う。
いや、つまり、なにが言いたいかというと、うーん、腹が減ったら食べ、飲みたくなったら呑み、眠たくなったら寝る、そんな山賊か動物みたいな感覚で生きている俺が言語化するのは難しい。
ただ、なんとなく今は気分がいい。
それを言語化すると『小さな幸せ』、なのか?

2/21/2025, 5:41:27 AM


『ひそかな想い』

人前ではできるだけ明るく振る舞うようにしている。
俺は目つきが悪いし眉毛も鋭角で攻撃的な形をしているし、輪郭もカマキリみたいでとっつきにくい印象を持たれがちなので、顔はともかく性格のほうはせめて愛嬌ある感じでいようと努力しているのだ。
それでもたまに気分が落ちる時がある。
バイトから帰宅すると寝袋を羽織って(暖房代がもったいないので)椅子に座って一人で今日一日の反省会をしたりする。
(また喋りすぎてしまった……)
聞かれてもいないのにバイト先の後輩に『俺は家ではエアコンつけないで寝袋を着て過ごしてるよ。だから電気代3000円とかだよ』とペラペラ得意気に語り聞かせてしまった自分が嫌になる。
だるい……
おまけになぜだか胸が苦しい。
明日バイトに行きたくない。消えてなくなってしまいたい。
今日一日をなかったことにしたい……
考えるのをやめたい。だけどやめようとすればするほど今日の自分の失態が頭の中でフラッシュバックしてモヤモヤして脳の血管を詰まらせて気分が悪くなっていく。

気晴らしに推しのVチューバーのゲーム実況アーカイブ配信を視聴してみる。
『グイグイきすぎだろ、コイツ!! ちょっとは遠慮しろよ!』
なにか巨大なモンスターと戦いながら吠えるVチューバー。
グイグイきすぎ……
ちょっとは遠慮しろ……
俺のことなのか……?
どうして俺は、いつもいつもいつも話題を作る時にどうでもいい自分の話を相手にぶつけてしまうのか。
それによって相手が反応に困ったりすることすら考えられない自分勝手な人間なのだろうか?
最低だ、俺。

『エアコンつけたほうがいいすよ。風邪ひいたらもっとカネかかりますよ』
バイト先の後輩から返された言葉が頭をよぎる。
仰る通りである。我慢して寒いなか凍えるくらいなら素直に暖房つけろやって話をオブラートに包んで伝えてくれているのだ。俺とは数年歳が離れているが、彼のほうがよっぽど大人だ。
そう思うと俺の人生っていったいなんなんだろう……
だいたい俺がユーチューブでゲーム実況をやってみようかなって言った時に『そんなの今時、再生数稼げないすよ』て馬鹿にしてたくせに、いつの間にか後輩もユーチューブを始めてゲーム実況動画で登録者数2万人を超えていて、それで俺にも自分のチャンネルを登録するように促してくるのはなんなんだろう。
ああ、だめだ。
また他人を蔑むようなことを言ってしまった。
こんなんだから後輩からも誰からも尊敬されないんだろうな。
みんな、どうしてあんなふうに息を合わせて喋るのが上手なのだろうか。なぜ俺だけズレてる感じがするのだろう。
他人と話す時はいつもこんなふうに感じる。
……と、言うような話をバイト先の後輩に話して聞かせたら
『だからダメなんすよ。難しく考えすぎです。俺も先輩の話なんて半分しか理解してないすから。そんなもんすよ』
と、言われた。
俺は後輩のことがほんのり嫌いで少しだけ好きだ。
これが『ひそかな想い』ってやつか

1/15/2025, 11:33:33 AM


買い物をして電車に乗って帰る。
商品が入ったレジ袋を座席に座った状態で膝に抱えてくつろいでいる俺。
目を閉じ妄想する。
家に帰ったら今日買った食材で作る予定のビーフシチューについて考えているのだ。
頭の中では既に完璧なシチューが完成していた。美味しそうだ。
ごくりと唾を呑む。
すると唾液が気管に入り、急にむせた。
「んん、こほ……」
小さく咳払いをする。
瞬間、乗客の皆さんの視線が一斉に俺へと向けられた。
いろんな感染症が流行っているのでそうなるのも仕方がない。
だがここで「すんません、唾が変なとこに入っちゃったもんで……病気じゃないですよ……へへ……」と言い訳をするわけにもいかない。知らない人たちの前でそんなことしたら、それはただのやばいやつだ。
そんな状況で、よりにもよって俺は、盛大に咳き込みたい状態にあった。
咳払い程度では気管支に入った異物を除去できていなかったのだ。今すぐ「ゴホッ!ゴホゴホッ!」と声に出して思いっきり咳き込みたい衝動に駆られる。
だが、できない。
俺にそう思わせるだけの謎の圧力が車内に満ちていた。
それはおそらく感染症への恐怖からくるものだろう。現に車内にいる8割の人はマスクを着用していた。ちなみに俺はマスクをしていなかった。なので、なおさら咳なんてできない。

『次は〇〇駅です。The doors on the right side will open…』
車内アナウンスが流れる。俺が降車する駅まであと2駅だ。それまで我慢して、降りたら盛大に咳き込んでやろうと決め、無心で英語の部分のアナウンスを心の中で翻訳する。たぶんドアが右に開きますよ、という意味だろう。
などと考えていると……
「こほっ……」
急にきた。咳が。きっと、よく知りもしない英語のことを考えて油断していたせいだ。
それはさておき、コップに限界まで水をいれても表面張力というやつで溢れそうで溢れない現象がある。もうあと一滴でも水をいれたら零れるだろうって感じのやつだ。
その状態が、その時の俺だ。
だから溢れた。咳が。
「ごほっ!!ゴホゴホッ!!ゲホッ!!!」

本日のテーマ『あなたのもとへ』
俺のもとに注がれた視線の話。

1/4/2025, 3:56:24 AM


『日の出』

昨日の夜から寝ていない。
徹夜して何をしているかというと、俺の推しである個人ブイチューバーがチャレンジしている『24時間耐久バイオハザード三部作クリアまでやります』的な配信を視聴しているのだ。
実際のところは適当に視聴を切り上げて早めに寝ようと思っていたのだが、ブイチューバーが配信内でリスナーに質問した『皆はお餅って食べた?どんなお餅が好き?』に対して、リスナーたちが『醤油つけたやつ』や『ずんだもち』や『納豆をつけると美味い』などと答える中、俺は『きなこもち』とコメントした。
その何気ない俺のコメントがブイチューバーに見事に刺さったようで『きなこ餅!わたしも好き!美味しいよねー』などと返答してもらえた。
眠気は吹っ飛び、一気にテンションが爆上がりした。
べつに推しのブイチューバーがきなこ餅を好きだったからではない。他のリスナーの意見を差し置いて、ブイチューバーが俺の意見に賛同してくれたのが嬉しかったのだ。ブイチューバー視聴勢のリスナー初心者にありがちな、自分だけ特別扱いされているような錯覚に俺は陥ってしまっていた。
(ふふ……寝るのはやめて見守ろう……ああ、そうだ、返信しないと……『きなこに混ぜる砂糖に少しだけ塩混ぜるともっと美味しくなるよ』と……いや、まて、なんか教えたがりおじさんみたいでキモいか。それにここでしつこくコメントすると他のリスナーの手前、マウントとってるみたいで感じわるいよな……うん、ここは黙っておこう……)
書きかけていたコメントを消去する。
こういう時にどうすればいいのかが俺には分からなかった。
ひとつだけ分かるのは今になって文章にして見直すと、だいぶ気持ちが悪い行動と心境ということだけだ。

そんなこんなで時間は過ぎてゆき……
プシっと酒の缶を開ける。ちびりと飲む。本日6本目の缶チューハイだ。
気が付けば時刻は朝の7時過ぎだった。
(もう朝か……)
「……やばい、眠くなってきた」
イヤホン越しにブイチューバーが弱音を吐く声が聞こえてくる。
(俺もやばい。なんか体が震えてる……)
思いつつ、本日2本目の缶コーヒーを手に取りゴクゴクと飲み干す。
アルコールとカフェインが胃の中でちゃんぽんになって化学反応を起こした結果、わけのわからない感じの体調になっていた。

椅子から立ち上がり、部屋の電気を消してカーテンを開ける。
ベランダから覗く空は日が昇っており明るかった。
(うわ!朝だ!)
『日の出』じゃん、おめでたいなぁ、というような粋な感想は朦朧とした頭では出てこなかった。
部屋の中の空気を入れ替えるために少しだけベランダの戸を開ける。
刺すような冷たい朝の風が吹き込んできた。
酒とコーヒーの混合物によって震えていた体が、今度は冷気によってぶるると震えた。
(おー、さぶっ! でも少しだけ頭がスッキリしたぞ!)
大きく伸びをして『日の出』がもたらす太陽光と朝の新鮮な空気をその身に受けて気合いを入れ直した俺は再び椅子に座ると、推しのブイチューバーの配信にこうコメントした。
『がんばれ!あと15時間だ!』
彼女に告げるというよりは、自分自身に言い聞かせているような感覚であった。

Next