『どうすればいいの?』
現代社会を生きる社会人の一人として、不測の事態に陥った時にスマートかつ迅速にアクシデントを解決できるように常日頃から備えておくべきである。
そう、イメージトレーニングだ。
少し前のこと、コンビニのレジに並んだら、何があったのか事情は分からないけど店員さんがお客さんに強く叱責されていた。
「頭おかしいだろ!」
言って、激昂した様子のお客さんが店員さんにレジ前のお金を入れるトレイを投げつける。
よく行くコンビニで顔見知りの店員さん(話したことはないけど)がヒドイ目にあっているのを見た俺は、反射的に口走った。
「……いい加減にしろよ! みっともないヤツだな!」
しかし、何も起こらない。当然である。前述の台詞は俺の心の中で呟かれたものにすぎなかったからだ。
結局、俺は自分の順番が来るまで俯いてジっと待っていることしかできなかった。我ながら情けない。
と、嘆くだけならば誰にでもできる。なので、せめて反省し、次に生かさなければならない。
さて、ここでイメージトレーニングの出番だ。
コンビニで店員さんがお客さんに怒鳴られている。怒られている理由は不明。手は出されていないが、トレイは飛び出した。さて、どうする?
パターン1。
「あのー、へへ、なんかあったんすか?」
ヘラヘラしながら声をかけてみる。
「お前には関係ないだろうが!!」
怒鳴られる。
「へへ、すません……」
ヘラヘラしながら引き下がる。
ダメそうだ。
パターン2。
「……まぁまぁ、よしましょうよ」
温和な感じで刺激しないように声をかけてみる。
「なんだよ! お前には関係ないだろうが!!」
やはり怒鳴られるだろう。
「関係ありますよ。俺だって並んでるし買い物しにきてるんですから。邪魔なんですよ、アンタ」
「なんだとぉ~!!」
といった感じでたぶん掴みかかられる。
「なんだよ~!」
といった感じで俺も掴みかかる。
「お客様、おやめください!」
店員さんの制止を無視して弱そうな二人の争いが始まる。事態が余計に面倒くさいことになる。
ダメそうだ。
パターン3。
ここは公的機関に頼るべきだろう。
「あのー、大丈夫ですか? 警察呼びましょうか?」
心配してる感じを装いつつ、そっと店員さんに訊ねる。
我を忘れて激怒しているお客さんに対しても、冷静さを取り戻させる言葉だし結構いいと思う。どうだろう。
「いえ、大丈夫ですよ」
しかし、きっと店員さんはそう返すだろう。怒っているお客さんもギロリと俺を睨んできそうだ。
「あ、ああ、そうですか、じゃあ……」
なにが「じゃあ」だというのか、言って俯いて黙る俺。
ダメそうだ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ。全部ダメだ。
イメージトレーニングしたところで正解が出てこない。
うるせえーーってお客さんをぶっ飛ばせばいいのか? そんなことをしたら俺が警察にしょっぴかれるだろうし、そもそもカウンターくらってこっちがぶっ飛ばされるだろうし、そんな度胸もないし。
こういう問題をスマートに解決できる頭の良さもないし、相手を刺激しないように話を聞く話術スキルもないし、どうすればいいというのか。
本当に、マジで、こういう時『どうすればいいの?』
やっぱり関わらないのが正解か?
でもそれだと一生モヤモヤする。なんなら10年後でもこの時の自分の情けなさを覚えていそうだ。
『キャンドル』
これまで心底どうでもいいことばかり記してきた俺が、ここにきて人生において役に立つことを書いてみる。
それは『ガラにもないことをあえてやってみる』ということだ。
人は自分の性格や姿形で自分をこういうものだと無意識下で決めつけて、つい自分が認識してる自分がやりそうな趣味や趣向をおこなってしまいがちだが、実はそんなことないのだ。
たとえば俺。100人の見知らぬ人に『この人はドーナツが好きだと思いますか?』と質問したら、80人近くは気難しそうで無愛想に見える俺のことをドーナツが好きじゃないと思うだろうし、彼はドーナツよりイカの塩辛や醤油せんべいが好きそうだと答えるだろう。実際、俺はドーナツが好きじゃない。いや、好きじゃないと決めつけていた。
ドーナツなんて俺が食う物じゃないと勝手に遠ざけていた。
だけど、物は試しと「あのー、すみません、このエンゼルなんとかと……そこのやつと……あと、へ、へへ、ポ、ポン・デ・ザクショコラ……ください……テイクアウトってやつで、はは」
恥を忍んでドーナツを購入し、家に帰って食ってみると驚くほどに美味かった。はっきり言って数年ぶりに食べ物で感動した。
人生の幸福度が20%くらいアップした。
そうして俺は、大人になってようやく気付いたのだ。自分を自分でキャラ付けして、似合わないからやめとこうと思うのは馬鹿らしいということに。
それからというもの、自意識という殻を破った俺は色々なコトにチャレンジした。
スーパー銭湯に一人で行って流行りのサウナで整ったり、キックボクシングジムに入門したり、ターミネーターツーが好きなので大型二輪免許を取ろうとした。
サウナは地元のおっさん連中が水風呂を占拠するし、キックボクシングジムはすぐ潰れたし、大型二輪免許は取ろうと思ったけど絶対乗らないだろうしそもそもバイクを購入する金がないからやめたけど。
まぁ、とにかく……
そんな俺がガラにもなく『キャンドル風呂』でリラックスしてみようと思うのは必然だった。
たしかあれは数年前だったか。
念入りにユニットバスの浴槽を掃除して、お湯を貯めて、ネット通販だかなんだかで買ったアロマキャンドルってやつに火を灯して、キャンドルの明かりだけが揺らめく狭い浴室で半身浴してみた。
BGMはもちろん、タイだかインドだかの『プァァァ~ン、ヌァァァ~』って感じの、瞑想できそうな曲をスマホで垂れ流しつつ。
(おお、いい……いいな……宇宙を感じる……)
そうとでも思わなければ、目を閉じて暗い浴室でキャンドルをつけて変な音楽流して、全裸でお湯に浸かって瞑想してる自分の存在を肯定できなかった。
取捨選択の必要はあるが、俺が言いたいのはなんでも一回はやってみよう!ということ。それと、キャンドル瞑想風呂は俺には合わなかったということ。
本日のテーマ『ススキ』
ススキ……俺の思っているとおりなら、そこらの野原の辺り一面に群生しているフワフワした白い花穂をつけた秋の植物である。
最近、目にしていない。
最後にススキを目にしたのはいつだろう。
今住んでるとこじゃ見たことない。だとすれば田舎で見たのだろうか。
思い出す。
今でこそ立派なシティボーイだが、実家はとんでもない山奥にある田舎なので、そこで生まれ育った俺の本質はただのポテトボーイである。
小さな頃は俺と兄貴、幼馴染の6つくらい歳の離れたお兄さんとお姉さん、それからまだ5歳くらいだった弟や6歳くらいの近所の子と一緒に田舎の野山を駆け回って遊んだものだ。
田舎の遊びがどんなものかというと……
納屋からかっぱらってきた父さんの海釣り用の釣り竿で土から掘り出したミミズをエサに川で釣りをし、釣った川魚をクッキーの空き缶と蝋燭を用いた簡易フライパンで調理して食べたり(内臓の処理もなにもしてないので危険。しかも生焼け)、イッタンドリを収穫して塩をふって食べたり(すっぱ苦い)、山ブドウもどきを磨り潰したモノを手にぬりつけて紫鬼(山ぶどうまみれの紫の手形をつけられたらしぬ)という遊びをしたり、戦士ごっことかいってヒガンバナを棒きれでなぎ倒したり(暴力的コンテンツ)、山に迷い込んでわざと迷子になってスリルを楽しむ遊びをしたり(本当に危険)していた。
他にもリーダー格の年上のお兄ちゃんが持っていたスケボーに三人で跨り、恐ろしいほど急な下り坂から猛スピードで下り落ちるデス・コースターなるいつしんでもおかしくない物騒な遊びや、かけっこしながら段差や2メートルぐらいある川辺の堤防を乗り越え、神社の狛犬の足元にある宝玉に最初に触った人が勝ちという、現代でいうところのパルクールの原型のような遊びをしていた。
……どうにも話がおかしな方向に逸れてきている気がするので軌道修正。
とにかく、そういった遊びの中で、俺はススキに触れていたはずである。なのにススキに関する事柄を何も思い出せない。
ススキがフワフワした白いヤツと知っているので、見たことはあると思うが……
ススキ……ススキについて書かねば……そう思うが何も思い浮かばない。
(困ったな……ススキで思い出すものなんてなにも……)
心の中でポツリとそう呟いたとたん、はたと気がついた。
(そうだ、そうだよ! ススキと言えばお月見の代表的な飾り物だ! 昔話なんかじゃなくてお月見の話を書けばいいんだ!)
しかし、俺は産まれてこのかたお月見なんてしたことがなかった。
春の花見や、夏の縁側での花火や、お正月のお餅つきや、鯉のぼりもあげてくれたし、乳歯が抜けたら丈夫な永久歯が生えるようにと屋根に向かって投げる教えだったし、このように主だった重要イベントは体験させてくれたのに、なぜうちの両親はススキを飾ってお団子を作ってお月見をしてくれなかったんだ。なにかしてはいけない制約でもあったのか……
「はあ……」
思わず溜息が出た。
だめだ、完敗だ。今回ばかりはススキの勝ちだ。手も足もでなかった。
今回はススキに勝ちを譲ろう。
だが、いつかとびっきりのススキに関するエピソードを入手したら、その時は俺が勝つ。
個人的に思う『意味がないこと』を列挙する。
・飲酒
酒を飲むと悩みごとの8割を忘却でき、気分が高揚し、ポジティブな気持ちになる。
副作用として解決しなければならない悩み事を忘れ、翌日、二日酔いになり、酔いが覚めた途端バッドトリップになって激しく気分が落ち込む。
一時しのぎの現実逃避ほど意味がないことはない。
・酩酊状態での買い物
酒を飲んでアガった状態だと普段より8割増しで気が大きくなる。
そんな状態で通販サイトを見るのなんて厳禁だ。
意味のないモノをその場のノリと勢いで買ってしまうからだ。
ひとつ例を挙げるとするなら、カメラ付きの耳かきだ。一回も使ってない。なんで買った? 意味がない……
・酒を飲んでする話
酒を飲むと自分の気持ちを正直に曝け出せているような錯覚に陥るので、さも意味あり気に語ってしまいがちだが、実は意味がない。
だって本人ですら自分が何を言っているのか理解していないのだから。
酔っ払いの戯言ほど意味がないことはないだろう。
酔った人の話がめんどいなぁと思ったら、相槌を打つのに徹するか、もうそれか『はいはい、おやすみ』と語ってるヤツは無視して寝てくれて構わない。その場で酒のみが怒ったとしても、大抵の酒飲みは翌日なにも覚えていない。
・酒を飲んだ後に免罪符のように飲むサプリメント
意味がない。酒で肝臓に負荷をかけているのに、そのうえサプリを飲んでさらに肝臓を傷めつけてどうするというのか。そんなのカツ丼とミニラーメンのセットを頼んでいるようなものだ。
肝臓がいつオーバーヒートを起こしてもおかしくない。危険である。
・酒を飲んで書く文章
これに尽きる。
海外の文豪はワインを嗜みながら物を書いたというが、俺がやると支離滅裂な文章にしかならない。現に今みたいな感じで……
ノリノリで書いて翌日読み返すと「なんじゃこりゃ? なんだコイツ?」となって全ての日記的文章を一括消去したくなる。眩暈までする。
ようするに、何が言いたいかというと……
お酒に頼るのは弱い人だ。飲むのは祝いの席と節句やお正月などのおめでたい日だけにしよう。
お酒はやめよう。『意味がない』
『あなたとわたし』
俺は人間が好きじゃない。動物も好きじゃない。じゃあ、植物は? と聞かれたら、やっぱり好きじゃない。
でも家族や友達、バイト先の皆は好きだ。にゃあ(実家で飼ってた猫)やハムハム(実家で飼ってたハムスター)も好きだ。ホームセンターで気まぐれに購入して育ててる謎の多肉植物も好きだ。
『だれかとわたし』の関係性でなく『あなたとわたし』の関係性になると、その人や動物や植物の解像度が鮮明になって、一気に親密度があがって愛着が湧く。路傍の石ではなく、自分の大切なものに変わる。俺は単純な人間なのだ。
夏の暑さが落ち着き……いや、落ち着くどころか急激に冷え込んできた昨今。
それも余計に寒さがきつくなる深夜、俺は寝酒を買いにコンビニへ出かけた。最近、寝つきが悪くて酒を飲まないと眠れないのだ。
(だーれもいないなぁ)
歩道の真ん中をとぼとぼ歩きながら思う。すれ違う人も車も、なにもない。
信号機だけがチカチカと明かりを灯している。
この世界で生きているのは俺ひとりだけのような気分になる。
「……まるで異世界に来たみたいだぜ。テンション上がるなぁ」
誰も見ちゃいないからって変なことを言いながら歩を進め、コンビニで酒を購入して帰る。
その帰り道、近くの駐車場に立ち寄った。
「おーい、リンリン! リンちゃん? いるかー?」
4、5台、車が停めてあるだけのなんの変哲のない駐車場に向かって声をかける。
しかし応答はない。
「リン? リンリーン?」
ついに気が触れたわけでもないし、ましてや呪文を唱えているわけでもない。
(今日はいないのか……?)
そう思いかけたその時、
チリリン……
鈴の音が聞こえ、車の影から一匹のミケネコが姿を現した。
「リンちゃん! ほら、おいで」
その場に屈んで、ほれほれとミケネコに向かって手招きする。
「うにゃあん」
チリンチリンチリンと首輪につけられた鈴を鳴らしながら寄ってきたミケネコのリンちゃんに人差し指を差し向ける。
リンちゃんは俺の人差し指をスンスンと鼻で嗅ぎ、その後、くしくしと口元を擦りつけ始めた。
「はは、カワイイのう」
ミケネコのリンちゃんは地域ネコなのか、はたまた飼い猫だけど外飼いなのか、それは不明だけど、この駐車場によくいた。
出会ったばかりの頃はお互い警戒していたけど、何度もニアミスを繰り返すうちに、いつしか仲良しになっていた。ちなみに本名は分からない。リンちゃんという名前は、鈴の音がリンリンリンって鳴るから、俺が勝手につけているだけだ。
「リンちゃんは、なんでいっつも駐車場にいるん? よっ、と」
通じるはずもない質問をしつつ、リンちゃんを抱きあげる。
「んんんんん……」
抱っこした腕の中で暴れるリンちゃん。抱っこされるのが嫌いなのだ。分かっているのに愛らしくてついついやってしまう。
「あー、ごめん、ごめんよ」
嫌がっている人や動物を痛めつける趣味はないので、即座に地面におろしてあげる。
「にゃっ、にゃっ」
嫌われたかな、と思ったら、そんなことはなくて足元に顔を擦りつけてくるリンちゃん。そういうところがたまらなくキュートだ。
「さて、と……」
手に持っていたビニール袋の中から宝のチューハイ缶を取り出す。
「んにゃあっ!!」
「あー、違う違う、これお酒だから」
なんかくれんのか!? とハイテンションで寄ってきたリンちゃんを諭し、プシっと缶をあけて酒を飲む。
(本当は、ちゅーるやカリカリをあげたいんだけど……)
首輪と鈴をつけている以上、リンちゃんは誰かの飼い猫だ。俺が無責任に与えたものが原因でお腹をこわしたりアレルギーにでもなったりしたら、俺には責任の取り様がない。
俺が何も与えてくれないと分かると、リンちゃんは素気なく俺から遠ざかり、少し離れた位置で毛づくろいを始めてしまった。猫とは現金な生き物だ。
「リンちゃんが人間の女の子だったらなぁ……」
軽く気持ち悪いことを呟く。いや、それでも同じか。責任をとる覚悟もなく何も与えず、ちょっかいだけだして、結局なにもしてくれないやつなんて誰からも好かれるわけない。
『あなたとわたし』 『リンちゃんと俺』
対人の人間関係でも当てはまるのかと思うと、ちょっと悲しくなった。