本日のテーマ『新年』
あけましておめでとうございます。
『新年』の挨拶といえばそれだ。
1月1日、俺のアパートに宅配便が届いた。
「あけましておめでとうございます!」
いつも荷物を届けてくれる見知った顔の配達員さんは、ドアを開けて応対するなり俺にそう言った。
いつもと違う聞き慣れない挨拶に戸惑った俺はどうしていいか分からず、ペコリと会釈して荷物を受け取った。
(あけましておめでとうございます、か……)
気が付いたら2025年になっていた。一年なんてあっという間だ。
1月1日の夜。
正月休みなので浮かれて夜更かしして飲んでいた俺は、酒がなくなっていることに気付き、コンビニまで買いにでかけた。
そこでもやはり見知った顔の店員さんに、やはりあの挨拶をされた。
「あけましておめでとうございます」
俺は突然のことすぎて、やはりどうしていいか分からずペコリと会釈するだけだった。
とはいえ既にお酒を飲んでいていい感じに出来上がっていたので、酔った勢いに任せて「おめでと~ござや~~す!」と言っても良かったのだが、そんな感じで今まで絡んだことのない店員さんなので、怖がらせるだけになってしまうおそれがあったためあえて自重したのだ。
さらに俺はそんなキャラでも見た目でもないので、そんなやつが急にそんなテンションでこられても店員さんからしてみたら恐怖でしかないだろう。
あの時の俺、よくぞ会釈だけで済ませたと、自分で自分をほめてやりたいぐらいだ。
そして本日、1月2日の昼。
やっぱり朝から飲んでいて、酒がきれていたことに気がついた俺は、近所のドラッグストアに買いにでかけた。
なにやらお正月っぽい厳かで神聖な琴のような音色の和風BGMが流れる店内を歩き、買い物かごの中に酒をいれてレジに向かう。
そこでも例の如く、お決まりの挨拶を見知った顔の店員さんにされた。
「あけましておめでとうございます」
瞬間、俺は『来た!』と思った。
昨夜、宅配便の配達員さんやコンビニの店員さんに対する自分のお粗末な対応を悔いて『あけましておめでとうございます』に対してのシミュレーションを寝る前の脳内妄想であらかじめ完璧に習得していた俺は勝利を確信した。
まずは自然な笑顔を作る。
次に相手のを目を見ながら、軽く頭をさげて言う。
「どうも。あけましておめでとうございます」
完璧だ。それでいてスマートかつ自然だ。
シミュレーション通りにいった、と思ったその時……
「それとこれ、お年玉です」
店員さんが、なにかおまけのようなものを袋の中に入れてくれた。
「お、お年玉、ですか?」
予想外の店員さんの行動に思わず復唱して聞き返してしまった。
まさかこの歳になってお年玉を貰えるとは考えてもみなかった。俺の脳内シミュレーションを大幅に上回るアクシデントの発生である。
「はい、ポケットティッシュですけど」
クスクスと可笑しそうに笑いながら教えてくれる店員さん。
「ポケットティッシュ……」
またもや復唱する俺。お年玉の正体はポケットティッシュだった。
アパートに帰り、『お年賀』と記されたピンク色の可愛いポケットティッシュを眺めながら考える。
(なるほど……こういうパターンもあるのか……)
しばらくは『新年』の挨拶、『あけましておめでとうございます』が俺の身に降りかかる。
そう声をかけられた時にキョドらないためにも、全てのパターンを網羅し、それに備えなければならない。
そしてなにはともあれ皆さんあらためまして『新年』、あけましておめでとうございます。
本日のテーマ『寂しさ』
朝の5時。いつもより、だいぶ早く目が覚めた。
「うああ、寒い……さむっ! 寒すぎるだろ……!」
意味のない感想を呟きつつベッドから身を起こし、PCの電源を入れる。
椅子に座り、PCのモニターをぼんやりと見つめて、俺は思った。
(寂しい……)
『うあー、寒い』に反応してくれる人が誰もいないからだ。
『寒いねー』とか『寒いからエアコンつけようか?』などと言ってくれる人が傍にいないので、本当にただ寒いと独り言を言っているだけなのだ。なので、ただただ一人で勝手に寒がっているだけにすぎない。虚しくなってくる。心に生じたその寒さと身体的に感じる寒さが『寂しさ』に直結していた。
「……ゲームでもやるか」
寝起きの寂しさを紛らわせるために、そうすることにした。
そういうワケで麻雀ゲームを起動してプレイする。
数十分後……
タン、タン、タン、と卓に出される牌の音が心地よいリズムで紡がれる。
(全員、迷いがない。これは、みんなテンパイしてるな。気をつけないと……)
そう思うが、いまだにいまいち麻雀のルールを把握していないので、どれが安牌なのかはおぼろげにしか分かっていない。俺は説明書をろくに読まずに感覚でゲームをプレイするタイプなのだ。
(とりあえず、この牌はいらないから捨てよう。頼む神様……どうか通してくれ……!)
実力ではなく神頼みで牌を切る。どうにか通った。
しかし……
『ツモにゃっ!』
結果的にあがられてしまった。
しかも、そのあがったプレイヤーはこれで三連勝目だった。いくらなんでも勝ちすぎだ。
「なんでだよ! なんか仕組まれてるだろ、これ! おかしいって……! 絶対、操作されてるって! そうか! あの人は課金してるから運営に優遇されてて、それであがれるんだ!」
悔しさのあまり激昂して負け惜しみを口にする俺。
ゲームシステムそのものの不正を疑うくらい悔しかったし、それと同時に寂しかった。
誰かがここで『でた!陰謀論!』とでもつっこんでくれれば笑い話にして気が楽になるのに、今のままだとただ一人で陰謀論に傾倒して激怒しているだけだ。
(寂しい……)
寂しいし、悔しかった。
ムシャクシャした時は、お酒を飲むかモノを口にするのに限る。
だがまだ朝なので流石にこんな時間からヤケ酒をかっくらうわけにもいかず、かわりに暖かいコーンスープを作って飲むことにした。
インスタントのコーンスープを手早く作る。できたスープに瓶入りのパセリと黒コショウを振りかけるとお洒落な感じになった。その暖かいスープに食パンを浸し、もそもそと朝食を摂る。
もそもそ、もぐもぐ、とユーチューブのニュース配信を見ながら食パンを齧り、スープを啜る。
ふと思った。
(寂し……くない! 美味しい!!)
コーンスープで身も心も暖かくなった俺は感動した。誰かと美味しさを共有しなくても、コーンスープはただそこにあって、ただ美味しかった。
「ふう……」
食事を終えて一息つく。
今日はバイトが休みだ。これから二度寝してもいいし、ゆっくり朝風呂に入るのもいいし、どこかに出かけるのもいい。俺は何でも出来る。そう考えると急激にテンションが上がってきた。
現在時刻、朝の9時。
俺の可能性は無限大だ。テレビでやっていた朝の占いも俺の星座が上位に食い込んでいたし、今日は良い日になりそうな予感がする。
さて、今日は何をしようか、と考えながら伸びをひとつ。
心の中にあったモヤモヤした『寂しさ』は、いつの間にか霧散し、俺の心はスッキリと晴れていた。
『愛を注いで』
いつだったか、実家に帰って家族で揃って宴会をしている時に父さんが言った。
「みんなよく帰ってきてくれた。嬉しい。みんながどこで何をやっていても元気でいてくれればそれでいい」と
普段、無口で自分の思いを口にしない父さんが酔っぱらって口にした言葉がそれだ。だから、それは、きっと父さんの本心なのだろう。
いっぽうの母さんは、たまに俺のスマホにメッセージを送ってくれる。
その内容はというと……
「元気にしていますか? ちゃんと食べていますか?」
かいつまんで述べると、そんな感じのメッセージである。
そのメッセージを見るたび、小さい頃を思い出す。
うちの両親は共働きだったので、母さんが帰ってくるのは夕方の6時頃だった。
小さい時に母親が傍にいないというのはとても寂しくて心細い。婆ちゃんや兄ちゃんが小さい俺の面倒を見てくれていたが、それでも小さい俺にとっての一番は母さんだったのだ。
夕方の6時頃に車の停車する音が外から聞こえてくると、急いで玄関に出て母さんを出迎えたものだ。
その時も母さんは車から降りるなり「ただいま。お腹は空いてない?」と俺に聞いて頭を撫でてくれた。
間違いなく父さんも母さんも俺に『愛を注いで』くれていた。
いっぽうの俺はどうだろうか?
考えてみる。
すぐに答えはでた。
愛されてきた自覚はあるが、愛してきた自覚はあまりない。
父さんや母さんは俺に良くしてくれているけど親孝行は何もできていないし、しっかりものの兄ちゃんは俺の将来を心配してくれているのに時たまウザいなぁと思ってしまうし、弟は好き勝手に生きている楽観主義者なので俺が声をかけても意味ないし、爺ちゃんはしんじゃったし、婆ちゃんはボケが入って俺を電気工務店の人と思っているので話が通じないし……
文章化して理解する。俺は誰も好きじゃない。どこを切っても自分、自分、自分で、他の人なんてどうでもいいのだ。
……いや、そんなはずはない。そんなわびしい人間だと信じたくない。
もう一度、愛について必死に考えてみる。しかし俺が『愛を注いだ』人や物は思い浮かばない。そもそも『愛を注ぐ』ってなんだ? ますます訳がわからなくなってくる。
考えが煮詰まった時は、はじめに戻って考えてみるべきだろう。
俺のはじまりといえば父さんと母さんだ。生物学的にもきっとそうだ。
父さんは言った。
「みんながどこで何をやっていても元気でいてくれればそれでいい」と。
俺にだってそういう人はいる。それは家族の皆もそうだし、友達や、疎遠になってしまった人たちもそうだ。
母さんは言った。
「元気にしていますか? ちゃんと食べていますか?」
俺にだってそう聞きたい人はいる。元気で、お腹を空かせず、幸せに暮らしていてほしいと願う人が何人もいる。
そう思うのが愛なのだろうか?
そして俺は気がついた。
このような思いを言葉やメッセージで大切な人に伝えるのが愛なのだと。俺ひとりで勝手に納得していてもしょうがないことなのだ。
だけど俺はやっぱり誰にも『愛を注がない』
だって、家族や友達にそんなこというの、恥ずかしいから。
本日のテーマ『逆さま』
さかさま……でいいんだよな?と意味を調べる。
・物事の上下・左右・前後・裏表などの関係が本来の状態とは反対になっていること、またそのさま
・道理や事実に反すること、またそのさま
なるほど……意味不明だ……
なので、ここは逆向きに生きている俺の生態を披露する。
なにしろ俺は、いわゆる『逆張り』が大好きだ。これは幼い頃からの習性なので矯正しようがない。直せと言われても、こじれきった今となってはその方法も分からない。
自分は特別な人間じゃないと頭では分かっていても、人と同じ選択をするのが嫌いなのだ。
だからついついいらんことを強迫観念に駆られるようにやって痛い目を見てしまう。
たとえば中学生の頃、『犬か猫のどちらが好きですか?』という質問が授業の中で出た。
ちなみにうちでは猫を飼っていた。にゃあという名前のおっとりとした性格の雌猫だ。俺はにゃあが好きだった。
なので当然、猫が好きなほうに挙手をするつもりだったものの、当時は今の猫人気と違って犬が圧倒的に人気だった。猫が好きなやつなんて恰好悪いって空気があったのだ。なので計算できる人ならここは犬好きの時に挙手するのが得策であろう。
しかし、それでも俺は猫好きな人~?の時に手を挙げた。男子は俺ひとりで、女子ですら3人くらいしかいなかった。30名近くいるクラスメイトの中で。
むろん、俺は皆から馬鹿にされた。
「猫、好きなん?」
「猫とかださい」
「猫の名前なんていうの?」
「にゃあ……」
「にゃあて」
「猫好きって顔かよ」
顔は関係ないだろってつっこみたくなる気持ちを抑えつつ、いつか猫好きの時代が来ると信じていた。
すると、どうだ。今となっては猫好きが我が物顔でSNSや動画投稿サイトに可愛い猫の画像や映像を載せている。
時代が俺にようやく追いついたって感じだ。
そして今でも時代に逆らう感じで『逆さま』に生きている。
キャッシュレス決済ですらようやく手を出したのは今年になってからだ。
バイト先の後輩達に電気代の節約になりますよと親切心でオススメされた電気毛布ですら、俺にはあったかい寝袋があるからと頑なに購入せずに暮らしている。
LGBTだって同性愛者に間違われたくないからスーパー銭湯に行く時は鍵のついた輪っかをつける位置に気を遣う。
そんな偏屈者で差別主義者の俺が、この先生き残るにはどうすればいいのかと考えてみる。
なにはともあれ、最も必要なのは自活能力であろう。
畑で野菜を育てる能力と知識、民芸品の人形などを作成できる能力を身につけ、町におりて人形を米と交換してもらえるコミュ力を養い、そして鹿やイノシシを倒す戦法を学ぶのと同時に狩猟免許とライフル銃も必要になってくる。
考えるだけで途方もない工程の多さに眩暈がしてくる。
だが、人と『逆さま』の生き方を選んでいる以上、これらをこなして生きていかねばならない。
さしあたって、狩猟免許の取得に向けての勉強と農業の知識を学ぼうと思う。
いつか偏屈な爺さんがユーチューブで山小屋生活を配信していたら、そのときは俺だと思って応援して欲しい。
本日のテーマ『泣かないで』
母さんを泣かした時は正直いってかなり心にきた。
あれは確か反抗期真っ只中の15歳くらいの中学生の頃、理由は忘れたけど「うるせーんだよ!」と母さんを突き飛ばしたことがある。
軽く押しただけなのに吹き飛んだ母さんに驚くと同時に、「え、なんで、そんなことするの?」と口に出しては言わないが、そう言いたげな母さんの驚愕と悲しみに満ちた表情を見た俺は、一瞬にして体が石のように固まったのを覚えている。
何も言わずしくしくと泣く母さん。
その姿を見て俺は酷く心が痛んだ。あの頃の俺は、自分のイライラの原因をなんの非もない母さんにぶつけることでしか発散できなかったのだ。
逃げるように二階の自室に駆け込み、鍵をかけて籠城する。
しばらくすると兄ちゃんが二階の窓から侵入してきて「お前が悪いんだろうが、母さんなかせんなよ、お?」とヤンキーみたいに俺をボコボコにする。
それから少し後、夕食を食べていない俺に弟が気を遣って俺の部屋の前にお供え物のようにお菓子を置いてくれる。
そして、母さんが俺の分の夕食を部屋の前に置いてくれる。
『ごめんね』という手紙つきだ。全面的に俺が悪いのに、被害者に謝られると余計に心にくる。
俺は今でもあの時の天ぷらうどんの味を覚えている。
反抗期は誰しもあるが、度がすぎると自分にも両親にも心にモヤモヤを残す形になるので気を付けてほしい。
あと『泣かないで』で印象深いのは……
やはり兄ちゃんの息子、ハルくんであろう。つまり俺の甥っ子にあたる存在だ。
お盆や正月に帰省して出会うたびに年々、大きくなっていってるのを感じる。俺はなんの変化もないのに、子供というのは1年合わないだけで身長も見た目もずいぶん印象が違う。不思議なものだ。
で、そんなハルくんと一緒に初詣に行って、その帰り、デパートに寄る。
普段一緒にいない叔父さんという存在の俺に懐いてくれているハルくんは俺にべったりくっついてくる。
なので必然的に俺が面倒をみる。
「はーー!」と俺のみぞおちに正拳突きを叩きこんでくるハルくん。乱暴なところは兄ちゃんそっくりだ。結構、効く。
「ぐっ、ハルくん……そういうことしたらあかんよ……」
優しく諭す。が……
「おいちゃん! お菓子あったよ! これおいちゃんの分」
二人分の知育菓子を取ってきて俺に渡すハルくん。優しいところは義姉さん譲りだ。が……
「駄目だよ、今日は皆でお寿司食べるんだからお菓子はなしだよ」
「あとで食べたらいいよ?」
「いや、だめだよ。今日はお菓子かったら駄目な日だから。トーチャンとカーチャンのとこ行こう」
そう促すと‥…
「……う……うわああああああああああああ!!」
もの凄い勢いで泣きだす。これがまた凄い。
何事か!?と辺りの人が一斉に俺を見る。俺は慌てふためいてハルくんをあやす。
「おー、おー……どうしたん、大丈夫だよ~~」
ちっとも大丈夫じゃない。なんならあやしてる俺も子供連れ去り犯みたいに見られて怪しまれてるんじゃないかと不安になる。
『もうこれ以上、泣かないでくれ~』と願いながら口にする。
「わかったわかった、おっちゃんが内緒で買ってあげるから」
とたん、スっと泣き止むハルくん。
「ガシャポン……」
ついでとばかりにガシャポンもせがんでくる。そういう厚かましさは隔世遺伝で俺に似たのだろうか?
「うんうん、ガシャポンも後でやろう」
なにはともあれ、泣いている子供というのは最強だ。
そして、その子供を毎日相手に出来る親も最強だと思う。