これは夢だ。
そう分かっているから、滝つぼに落ちていく影を見かけても驚きはなかった。きっと昇仙を目指す者が千度の滝登りに挑んでいるのだろう。
これまでも夜ごとの眠りのなかで様々な土地を旅してきたが、仙人の住まう国へ来たのは久しぶりだ。ゆったりと流れる雲の行方を追いながら、金鳳花が揺れる野辺を独り散策する。
穏やかな風に光の粒がきらきらと舞う。ここでしばらくのんびり暮らしてみたいが、ささやかな願いほど儘ならないもの。夢の終わりを告げる不穏な鐘の音が空の上から降ってきた。スマホのアラーム。放っておくと大音量で帝国のマーチが始まってしまう。
さて、この美しい世界が現実に侵略されてしまう前に、こちらからおいとましなくては。
ひとつ深呼吸をすれば意識は一気に浮上する。
おはよう。また新しい一日を迎えられたよ。
旅立ちの夜の訪れまで、今日も丁寧に生き延びよう。
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「落ちていく」
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所感:
特定の一点へと向かっていく抗い難い引力の働きと思えば、落ちていくときも浮上するときも身体に受けるのはよく似た感覚のような気がします。
議題がスムーズに片付き雑談モードに入ったミーティングルーム。気軽な筈の一言が部屋の温度を下げていく。
「犬猫の日だっけ。ワンワンにゃんにゃん」
「いい夫婦の日だよね」
「偉大なる北欧の至宝の日!」
「追いポッキーの日、なんちゃって」
今日は何の日だと思う?なんて、明快なフラグのついた質問だったのに、ことごとく回避されてしまった。
去年は祝ってくれたじゃないか。
なぜ覚えてない。今日は僕の誕生日だ。
「……」
「……」
うっかり顔に機嫌を出してしまったに違いない。
スタッフ達の顔が固まっている。
「リーダーってそういうとこがほんと」
「何?ほんと、何?」
「分かりやすくて可愛いですよねお歳のわりに」
パッ、と目の前にブーケを差し出された。
「お誕生日おめでとうございます!」
机の下からケーキの箱もいそいそと取り出される。
皆の顔が固かったのは、笑いをこらえていたせいか。
去年朝イチからお祝いしたら「待ち構えられるのは恥ずかしい」っておっしゃったので、今年はサプライズにしてみたんですよー、なんて種明かしを挟みつつ手際よくキャンドルに火が付けられていく。
「……寿命が縮むから、サプライズも却下で頼む」
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「夫婦」
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所感:
きっと日付に合わせたお題だと思ったので、そのまま横スライディングしてみたら、どこかの上司の誕生パーティーに着地しました。そして北欧の至宝、御年57歳!
趣味をきわめてみたくなり、骨格標本制作のワークショップに参加して半年。先週やっと骨の漂白が終わり、今日から組み立ての工程が始まった。
大型動物の場合、何をするにしてもとにかく広いスペースが必要だから自宅ではなかなか手を付けられなかった。ここでなら思う存分作業ができて気分が良い。
真っ白に仕上がった脛骨を握る。手袋越しでもさりさりとした手触りが心地よい。きっといい出来になる、と気合を入れ直したときだった。後ろから申し訳なさげに声をかけられた。
「あの、もし骨が余ったらどうすればいいの?」
「余るわけないだろう」
「いや、ここに山盛りあるんだけど」
「は?」
ちら見すると彼の作業台の脇には骨が散らばっている。翼の骨か。なるほど、真面目に参加してたなら「余る」なんて考えは出ない。おおかた途中サボり組かな。
「この子たちはただの天使じゃない」
烏口骨を手に取り、くぼみがよく分かる向きにして関節位置を示してやる。
「二対四枚の翼をもつ智天使だ。見なよ、ほら、ここに二対目の上腕骨がくるんだ」
「ああなるほど!ありがとう、いや助かった」
お人好しな講師が休んだメンバーの分までいつも作業を肩代わりしていた姿を思い出した。やれやれ、これじゃあ何一つ勉強になってないじゃないか。サボる奴らは授業料を完成標本の代金にしか考えていないんだ。
溜め息まじりの深呼吸と共に窓の外を見やると、件の講師が次のクラス用に仕入れたらしい天使の死体を運んでいた。これから裏の墓地で野ざらしにするんだろう。
……六枚の翼。熾天使はレアだな。
せっかくだ、来期も参加するか。
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「どうすればいいの?」
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所感:
どうすればいいの?と聞かれて困るシチュエーションを探したら骨が出ました。標本は悪魔でもよかったのですが天使にしたのは好みです。
世界の東の果ての寺院には竜の宝物殿があるという。
生涯かけても使い尽くせないほどの金銀財宝。
どんな願い事でも叶えてくれる不思議な珠。
飲めばたちまち不老不死になる竜涎酒。
竜の髭で編まれたサンダルは履けば空を駆けられる。
これをただの御伽話だと思う者もいれば、真実と信じて一攫千金の旅に出る者もいる。
ある日、一人の若者がついに東の果てまで辿りついた。古びた寺院には人の気配がない。彼は朽ちた門を幾つもくぐり、草木の枯れた中庭を抜け、廃墟の如き僧房の奥の奥に、ようやく大きな蔵を見つけた。
喜び勇んで扉を開く。
果たして中には一頭の竜がいた。蔵の中には他に何もなければ誰も居ない。問えば宝をもらえるものかと、おそるおそる竜に声をかける。
「竜よ、竜よ。私は宝を探してここまでやって来た」
「よく来たね。でもお前の望むものはここにはないよ」
打ちひしがれる若者に竜は優しく語り掛ける。
かつてこの蔵に積まれていたのは有難い経本。しかし戦で寺院が焼かれ、全て失われてしまった。私がここをねぐらと定めてからどれほどの年月が過ぎただろう。いつの間にやら御伽話の存在にされてしまった。
「しかしこうしてお前のように、夢物語の真実を探して稀に訪れる人間がいるから私は救われる」
長く独りで過ごした辛さは如何ほどかと若者がそっと伸ばした手を竜は軽く握り返してかすかに笑った。
「なかなか肉付きの良い手だ。久々の晩餐だよ」
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「宝物」
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所感:
この竜、単に出不精なんですよね。食事に出掛けるのも面倒っていう。でも待ってたらたまに出前が届くから。
母の誕生祝いのケーキに乗せるロウソクをどうするか。
そんな話題で子供らがずっと騒いでいる。
「年の数と同じだけ用意するのは?」
「…それ、お母さん多分嫌がる」
「でも、記念なんだしデコりたい」
「大きい位の数は、大きいサイズのにするとかさ」
「数字のカタチした可愛いキャンドルもあるよ」
意見を全部聞いていては、いつまでも決められなさそうだ。年長者らしく、ここらで強権発動しておくか。
「いいか。ケーキに立てていいのは1本だけだ」
途端に激しいブーイングが巻き起こったが、こればかりはもう仕方ない。
なにせ我らが愛しの母、大いなるマザーアースは御年46億歳。年の数だけロウソク立てるなんて一体どんな酔狂だ。46億の炎を一息で吹き消すと、どれほどの暴風が地上を駆け抜けると思う?
誕生パーティーが俺達全員の命日になっちまう。
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「キャンドル」
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所感:
最近はLEDのキャンドルが人気ですね。野外活動で使うとか、室内でも失火の危険が無いと喜ばれたり。