猫兵器

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1/30/2024, 2:24:30 PM

大量の豚骨を強火で長時間炊いたのだろう。白濁したスープの旨味は強烈で、しかも下処理が丁寧だからか、臭みは全くない。一緒に煮込まれた香味野菜の風味も豊かで、仕上げにかけられたマー油がガツンとしたアクセントになっていた。
「どうだ?」
ずるずると加水率の低い極細麺を啜りながら、先輩が鼻息荒く、僕を見る。
「旨いっす」
「だろ?」
眼鏡を湯気で曇らせながら、先輩は子供みたいに笑った。
ラーメンと阪神をこよなく愛する先輩は、アクの強さと気の強さをミキサーにぶち込んで煮込んだような性格をしていた。
小柄で美人だからちょっかいを出す奴らも少なからずいたが、新入社員の頃に、露骨なセクハラをしてきた部長の腓骨をへし折ったという噂が流れてから、そういう手合いは潮が引くように離れていった。
僕は巨人ファンだが、ラーメンはとにかく好きで、先輩とは妙に気が合った。向こうはぼくを、できの悪い弟か、郊外のラーメン屋に連れて行く足くらいにしか思っていないかもしれないが。
「やっぱり、私はトンコツが好きだわ」
先輩はものすごい勢いで麺を啜り込みながら、幸せそうに笑う。
「おっちゃん、替玉! バリで! 魚介醤油系もいいけど、こういう一本気な味の方が気持ちがいいわね。あんたはどう思う?」
「僕も好きですね。あ、僕も替玉ください。ハリガネで」
本当は、野球よりも、ラーメンよりも、先輩が一番好きです。
言えずに流れた言葉を、僕は麺と共に啜り込んだ。

(I LOVE…)

1/29/2024, 4:45:14 PM

街は渦巻く雲海の彼方にあった。
この時代、永く続いた戦争の果てに、地平は腐食性の毒素と放射性物質に覆われた地獄と化していた。
絶滅寸前まで追い詰められた人々は、戦時中の戦略兵器である半生体機械昆虫『大甲機蟲』に街を背負わせ、空へと飛ばしたのだ。
衛星爆撃で舞い上がったチリと攻性ナノマシン群が入り混じった雲海よりも高く、大甲機蟲は飛翔する。有害な紫外線やナノマシンを遮断する特殊な力場を纏って。過去に実在したコオイムシのように、大甲機蟲は背負った街とそこに住まう人々を守っていた。
茉莉花は、操縦席の風防から徐々に近づいてくる大甲機蟲を仰ぎ見ていた。現存する6柱の雌型大甲機蟲のうちの1柱。『白星老君』。広げた七色の4枚翅は視界の彼方まで続き、氷と鉄錆に覆われた積層装甲板が山脈のように聳え立つ。無数のヴェイパートレイルが白い尾を引く麓、霞の中に無数の灯りが見えた。あれが、蟲の街だ。
「さすがにでかいなー」
茉莉花は笑う。彼女が搭乗するのも機蟲だが、雄型で、比べ物にならないくらい小型だ。体内をキャビンに改造した古株で、銘を『瑞風』といった。
茉莉花は白星老君から目を逸らさないまま、送声菅を取り上げる。
「こちらは蟲追い。機銘は瑞風。貴蟲に着艦願います」
機蟲は触覚から電波を発して交信する。その生態を利用して、この距離ならば声を届けることができる。
受声菅から、慌てたような気配があった。
『こちらは白星老君管制室だ。きみは、蟲追いか? 驚いたな。この辺りでは、もう何年も蟲追いは見ていない。・・・・・・待て、瑞風といったか? その機蟲は、柊の』
「父は4年前に、ナノマシンに食い殺されました。私は娘の茉莉花。この程、父の瑞風を継承しました。早速ですが、西凪洋で2齢から4齢までの雄型を4柱連れて来ました。代替わりはしましたが、変わらぬお取引をお願いできないでしょうか」
『蟲を連れているのか! ありがたい。プラントの調子が悪かったところだ。全部引き取ろう。うん、貴蟲の着艦を許可する。4番腔を使ってくれ。・・・・・・父君のことは、残念だった。柊殿には長年助けてもらった。君にも、末永くお願いしたい』
「はは、ありがとうございます。何とか、長生きできるようがんばりますね。ところで、そちらに蟲術師はおられますか?」
『蟲術師? 随分懐かしいな。残念だが、ここでは何代も前に途絶えてしまった。もう、新しい雌型の発生はあり得ないからな』
「・・・・・・ですよね。変なことを聞きました。すみせん。それでは、4番腔で着艦します。よろしくお願いします」
交信を終えると、茉莉花は大きく伸びをしてひっくり返った。
「だめか。取引が終わったら、早々に移動だな。次は東峰海域を回ってみるかー」
横になった茉莉花に、青白く柔らかな外装を持つ蟲が寄り添った。
「翠」
茉莉花が名を呼ぶと、言葉が分かるのか、嬉しげに蠢く。それは、先代の蟲追い師である父が、命と引き換えに守った機蟲。存在しないはずの、7番目の雌型大甲機蟲。その初令態
だった。
「おまえ、どうしようかね。雌型の幼体の扱いは、蟲術師の秘奥だからね。完全な失伝しちゃう前に、誰かわかる人を探し出さないと」
父の後を継いで早々に大きな問題を抱えてしまった。茉莉花は苦笑しながら、差し当たり白星老君に着艦するために、瑞風の操作菅を操るのだった。

(街へ)

1/28/2024, 1:13:27 PM

「申し訳ございません」
真剣な、張り詰めた声。
先輩が謝罪している。大きな背中を丸めて、床につきそうなくらい頭を下げている。
私の調整ミスで損害を与えた取引先の社長。いつもニコニコ優しかった顔を真っ赤にして、先輩を怒鳴り付ける。私なんて見もしない。
お腹の底が冷え、脚がガタガタ震えた。気を抜くとへたり込みそうだった。先輩が今後の段取りを丁寧に説明しているのを聞きながら、拳を握り、必死に堪えていた。

「行くぞ」
先輩が低い声で言った。申し訳ございませんと、もう一度頭を下げて、社長室から出ていく。慌てて私もお辞儀をして、先輩の後に続いた。社長はこちらに背を向けたまま、忙しそうに資料をめくっていた。
取引先を出て駅に向かう途中、先輩は一言も喋らなかった。私も黙って、先輩の馬鹿でかい背中を見ながら、とぼとぼと後について行った。
先輩は怖い。ずっとアメフトをやっていたらしく、顔も身体もひどく厳つい。あまり喋らず、ストイックで、他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。そして、物凄く仕事ができる。
今回の私のヘマで、部門のチーフである先輩に頭を下げさせてしまった。くだらないミスだ。学生気分が抜けてないと言われれば、そうなのだろう。
絶対に、怒られる。
怖くて堪らなかった。そして、それ以上に、たくさんの人に迷惑をかけ、損害を出したにも関わらず、そんなことを心配している自分が嫌だった。

電車は行ったばかりで、20分ばかり待つことになった。ついていない。
駅のホームで、ベンチに座って待つ。先輩はふらっと立ち上がり、戻ってくると、私の手の中に缶コーヒーを落とした。
「あ・・・・・・」
「飲め」
「あ、はい。その、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、先輩は自分の缶コーヒーを開け、5秒くらいで飲み干した。早い。
ふーと息を吐き、先輩はベンチに背中を預けて、しばらく黙ってから、遠くを見ながら口を開いた。
「今回の件な、まあ、気にするな。だけど、忘れるなよ。何が悪かったか、どうしておけば良かったか、しっかり考えて、まとめておけ。そんで、次に活かせ」
優しい声だった。
私は頷き、コーヒーを一口飲み、それから恐る恐る聞いた。
「・・・・・・あの、怒らないんですか」
「おまえ、反省しているだろ。なら怒る必要なんてない。あれ? 違った? 怒られたかった?」
「い、いえ。そうじゃないですけど・・・・・・」
「じゃあいいじゃん。・・・・・・こっちも悪かったな。おまえ、新入社員のくせに結構できるから、つい任せて過ぎちまった。俺がもう少しフォローしなきゃならんかった。すまん」
「ち、ちがいます! わた、私が・・・・・・」
それ以上、言葉が出なかった。じわりと涙が滲んだ。先輩は、気付かないふりをしてくれているのだろう。飲み干したコーヒーの缶を、無意味に手の中で転がしていた。
「ま、次はお互いにもう少しうまくやろうぜ」
「・・・・・・はいっ!」
私は強く頷いた。苦手に思っていた先輩を、近くに感じた。先輩みたいな優しさを、私も持ちたいと思った。

(優しさ)

1/27/2024, 4:14:11 AM

意識を失った。頭でキーボードをしたたかにタップする羽目になり、少しだけ覚醒する。
深夜。誰もいないオフィス。日頃は整頓を徹底している資料が無秩序に散らばり、万策尽きたラップトップは無気力なブルーライトを振り撒いていた。
「無理だ・・・・・・」
僕は枯れ切った声をこぼした。疲れ果て、心も折れていた。

ミツボシは日本が誇る世界最大の企業グループだ。その歴史は古く、創業は明治期まで遡る。重工業を核に多業種を展開し、近年ではIT分野における躍進が特に目覚ましく、その影響力は米国の主要IT企業群のそれを上回る。
大学を卒業して2年。僕はそのミツボシで働いていた。
子供の頃から憧れ、夢見ていたそこは、僕の描いた理想そのものだった。古い巨大企業にありがちな硬直性とは無縁で、各分野のトップランナーながら守りに入る気配すらない。
革新的で、アイディアに溢れ、若くても実力さえあればチャンスが与えられた。もちろん相応のスキルと成功が求められたが、必要な素養は持ち合わせていると自負していたし、情熱もあった。
そのプロジェクトは第三国を巻き込む大掛かりなもので、マネージャーに抜擢された僕は、人生の絶頂を味わった。
僕という人間の全てをそれに捧げた。誰よりも働き、立ち回り、あらゆる手段を講じて成功へと導いた。どこで歯車が噛み合わなくなったのか、今でも分からない。順調だったはずのタスクが滞り、気がついた時にはチームは瓦解していた。僕は一人でプロジェクトを必死に支え、形振り構わず足掻き、そして力尽きようとしていた。

間も無く日付も変わる。コーヒーでも飲んで、少しは気持ちを切り替えよう。
僕は震える手でカップを掴み、覚束ない足取りで立ち上がった。オフィス備え付けのコーヒーメーカーで適当なボタンを押し込み、どうにかカップに目当ての黒い液体を注ぎ込む。
その時、スマートウォッチが電子音で日付の変更を告げた。反射的にディスプレイに目を落とし、僕は眉を顰めた。
24:00の表示。違和感が膨らむ。日付が変わったのだから、0:00となるべきだ。OSの不具合か。スマートウォッチは24時と30秒をカウントしていた。
苛立ちながらオフィスの壁掛時計に目を投じ、異変に気付く。文字盤がおかしい。頂点に見慣れぬ「13」のアラビア数字が刻まれ、僕が知る定位置より幾分左下の「12」を僅かに過ぎた短針が、頂点に向けた身じろぎを始めたところだった。
「初めて見る顔だな」
カップを取り落としそうになった。明らかに僕に向けられた声に振り返ると、そこはもう見知ったオフィスではなかった。
時代がかった赤絨毯が敷かれ、飴色になるまで使い込まれたアンティーク調の大きな卓が、古びた電球に照らし出されている。そこに、10人を数える程度の奇妙な若者たちが、リラックスした様子で集まっていた。
奇妙といったのは、僕と同じくらいの年代に見える彼らが、それぞれ全く異なる風体をしていたからだ。
最も顕著なのは服装で、書生風の和装やスリーピースに蝶ネクタイなどが目を引く。スーツ姿であってもデザインや生地がひどく古めかしく、僕の知るそれとは異なる仕様が多く見られた。
それだけではない。髪型が、肌の質感が、仕草が、佇まいが、普段オフィスですれ違う同期たちとは一線を画し、ただの仮装などではないことを確信させた。
「驚くのは分かるが、君が今夜の発案者だ。早速取り掛かろうじゃないか。さあ、説明を始めてくれ」
先ほども僕に声を掛けたと思しき和装の青年が言った。他の若者たちも同調し、僕に注意が向けられる。
足が竦んた。それなりの場数は踏んだつもりだったが、重役や他社の取締役たちにプレゼンした時以上の圧を感じた。
「大丈夫ですよ」
一人の女性が僕の肩に触れ、微笑んで言った。
「あの人達は、皆ミツボシの人間。ほら、よく見たら、覚えのある顔がちらほらあるでしょ」
二人で、和装の若者を見る。忘れもしない。子供の頃に伝記で、就活の時の企業研究で、入社後の研修で、何度も目にした。あれは、若かりし日のミツボシグループの創・・・・・・。
「おっと、言わないでくださいよ。そういう作法だから。ここは、古い古いミツボシ由来のどこかの書斎。ミツボシで仕事をしていると、稀に明日が来ずに今日が続くことがある。そんな時は、こうやってミツボシの誰かに繋がるの。呼ばれるのは、ミツボシな大きな革新をもたらし得る人だけ。過去に、あるいは未来で・・・・・・」
そこで女性は僕に顔を寄せ、小さな声で囁いた。
「はじめまして。私はあなたを知っています。ずっと尊敬していたの。お会いできて嬉しい」
笑った。それから彼女はいつの間にか持っていたPCを僕に渡し、資料を卓に並べる。
「さ、せっかくこれだけの人が揃っているのだから、あなたの課題を共有してください。できることがないか、皆で考えましょう」
背を押されるようにして、僕はPCを開き、資料を配った。行き詰まったプロジェクトについて説明する。
闊達な質疑応答。そこかしこでディスカッションが起こり、瞬く間にまとめられた意見がフィードバックされる。和装の青年が思いがけないブラインドタッチでラップトップを操り、分析された数値を基に斬新な見解を述べれば、女性は絶妙な司会進行で議論を温め続けた。
そういえば、しばらく誰かと協力して仕事をすることなどなかった。矢継ぎ早に寄せられる意見や質問に応じながら、僕はふとそう思った。

気がつくと、僕は人気のないオフィスで、冷えたコーヒーを手に立っていた。時計を見ると、午前1時を回っていた。
僕は手早く荷物を片付け、家に帰り、シャワーを浴びて3日ぶりに眠った。
次に出社した僕がしたのは、チームのメンバーに頭を下げて、プロジェクトを畳むことだった。意外にも、メンバーは僕を責めることなく、後始末もスムーズに進んだ。
上役にはこっぴどく締め上げられたが、現地でプロジェクトの枠組みを別の業態に流用し、一定の成果を挙げてみせることで、何とかチームメンバーの評価を下げることだけは防ぐことができた。
僕はまた出直しとなったが、それはいい。ただ、またいつか、あの真夜中の古い書斎まで届くような仕事をしてみたい。そう思うのだった。

(ミッドナイト)

1/25/2024, 3:34:51 PM

ぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらと、本当に良く回る口ですね。
里佳子の血色の悪い唇を、私は頬杖をついて見ていた。あれだ、ボクトウガの幼虫に似ておる。
里佳子は大学時代のテニスサークルの友人だった。大学時代にテニスサークルなんぞに籍を置いていたことすら半分忘れかけ、里佳子という名の友人はもはや忘却の彼方であったが、律儀にも名前と連絡先を覚えていたスマホを通じてメッセージが届き、大学卒業以来5年ぶりにランチをご一緒することになったという次第であった。
(来るんじゃなかった)
イカとマイタケのアラビアータ・スパゲティを啜りながら、私は貴重な休みを無駄にしたことを嘆く。

安心を得ようと思ったのだ。

毎日毎日家と職場の往復で、たまの休みは趣味の昆虫採取のために自然公園や山林を飛び回る変な女。それが私だ。
彼氏はおろか友達すらまともにおらず、家の中は虫と虫を採ったり飼ったりするための道具でいっぱい。親に泣かれ、妹に笑われ、職場の同僚にドン引きされるに至り、さすがにマズイと思い始めたのが先月の話だ。
久しぶりに会おうという里佳子からのメッセージは、脅迫めいた不安に苛まれていた私にとって、救世主に等しいものだった。
全く覚えていないが、テニサーという無駄に煌びやかな響き、大学時代の友人という青春の食い残しのような中途半端なポジションもいい。
一片の興味もないのにとち狂ってテニサーなんかに片足を突っ込んでいた過去の自分を褒めたい気分だった。大丈夫。私はまだ大丈夫。私には、休みの日におしゃれなカフェで一緒にランチを摂取する友人(覚えてないけど)がいる!
そう思って待ち合わせた里佳子は、せっかくのリゾットにも手を付けず、飲むだけで光楼気が満ちて絶対幸福の奥義に通じるという「光楼気水」の話ばかりしていた。今なら2ℓでたったの1万円という超お手軽価格だそうなのだ。どうしよう、私は、水は水道水しか飲まないって決めてるのに・・・・・・。

初夏の日差しも穏やかな午後であった。爽やかな羽音が踊り、誘われるように天を仰いだ。ストレスで半眼になっていた私の頭上を駆け抜けたのは、艶やかな水色の複眼を輝かせた、立派なギンヤンマであった。
「あ・・・・・・」
完成されたメタリックな美しさに、思わず吐息が溢れる。なんて雄々しく、自由なのか。それに比べて、私はくだらないことで不安になり、愚にもつかない話ばかり聞かされている・・・・・・。
何だか可笑しくなり、私は無造作に右手を伸ばし、
「ボクトウガ!」
水の話を続ける里佳子の唇を鷲掴みにして黙らせた。
目を丸くした里佳子の唇が、ふがふがと蠢き、私を喜ばせる。
「あはは。里佳子、ごめんね。光楼気水って、コオロギ水みたいな響きで私は好きだけど、水は塩素がたっぷり入った水道水しか飲まないと決めてるの。それよりあなたの唇って、ボクトウガみたいでとっても素敵・・・・・・。でも本物が見たくなったから、ちょっと山に行って来るわね。ばいびー!」
呆気に取られた里佳子の唇に、残したイカのミミを突っ込んでから、私は千円札を2枚置いて席を立った。
今日は、来てよかったのかもしれない。心からそう思う。詰まらない不安を吹っ切ることができた。普通が何だ。これが私だ。彼氏も友達もいらん。いざとなればヨツスジトラカミキリと結婚すればいいのだ。
軽やかな心地だった。良く晴れた初夏の陽気の中を、私は駆けて行った。

(安心と不安)

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