猫兵器

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「申し訳ございません」
真剣な、張り詰めた声。
先輩が謝罪している。大きな背中を丸めて、床につきそうなくらい頭を下げている。
私の調整ミスで損害を与えた取引先の社長。いつもニコニコ優しかった顔を真っ赤にして、先輩を怒鳴り付ける。私なんて見もしない。
お腹の底が冷え、脚がガタガタ震えた。気を抜くとへたり込みそうだった。先輩が今後の段取りを丁寧に説明しているのを聞きながら、拳を握り、必死に堪えていた。

「行くぞ」
先輩が低い声で言った。申し訳ございませんと、もう一度頭を下げて、社長室から出ていく。慌てて私もお辞儀をして、先輩の後に続いた。社長はこちらに背を向けたまま、忙しそうに資料をめくっていた。
取引先を出て駅に向かう途中、先輩は一言も喋らなかった。私も黙って、先輩の馬鹿でかい背中を見ながら、とぼとぼと後について行った。
先輩は怖い。ずっとアメフトをやっていたらしく、顔も身体もひどく厳つい。あまり喋らず、ストイックで、他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。そして、物凄く仕事ができる。
今回の私のヘマで、部門のチーフである先輩に頭を下げさせてしまった。くだらないミスだ。学生気分が抜けてないと言われれば、そうなのだろう。
絶対に、怒られる。
怖くて堪らなかった。そして、それ以上に、たくさんの人に迷惑をかけ、損害を出したにも関わらず、そんなことを心配している自分が嫌だった。

電車は行ったばかりで、20分ばかり待つことになった。ついていない。
駅のホームで、ベンチに座って待つ。先輩はふらっと立ち上がり、戻ってくると、私の手の中に缶コーヒーを落とした。
「あ・・・・・・」
「飲め」
「あ、はい。その、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、先輩は自分の缶コーヒーを開け、5秒くらいで飲み干した。早い。
ふーと息を吐き、先輩はベンチに背中を預けて、しばらく黙ってから、遠くを見ながら口を開いた。
「今回の件な、まあ、気にするな。だけど、忘れるなよ。何が悪かったか、どうしておけば良かったか、しっかり考えて、まとめておけ。そんで、次に活かせ」
優しい声だった。
私は頷き、コーヒーを一口飲み、それから恐る恐る聞いた。
「・・・・・・あの、怒らないんですか」
「おまえ、反省しているだろ。なら怒る必要なんてない。あれ? 違った? 怒られたかった?」
「い、いえ。そうじゃないですけど・・・・・・」
「じゃあいいじゃん。・・・・・・こっちも悪かったな。おまえ、新入社員のくせに結構できるから、つい任せて過ぎちまった。俺がもう少しフォローしなきゃならんかった。すまん」
「ち、ちがいます! わた、私が・・・・・・」
それ以上、言葉が出なかった。じわりと涙が滲んだ。先輩は、気付かないふりをしてくれているのだろう。飲み干したコーヒーの缶を、無意味に手の中で転がしていた。
「ま、次はお互いにもう少しうまくやろうぜ」
「・・・・・・はいっ!」
私は強く頷いた。苦手に思っていた先輩を、近くに感じた。先輩みたいな優しさを、私も持ちたいと思った。

(優しさ)

1/28/2024, 1:13:27 PM