猫兵器

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街は渦巻く雲海の彼方にあった。
この時代、永く続いた戦争の果てに、地平は腐食性の毒素と放射性物質に覆われた地獄と化していた。
絶滅寸前まで追い詰められた人々は、戦時中の戦略兵器である半生体機械昆虫『大甲機蟲』に街を背負わせ、空へと飛ばしたのだ。
衛星爆撃で舞い上がったチリと攻性ナノマシン群が入り混じった雲海よりも高く、大甲機蟲は飛翔する。有害な紫外線やナノマシンを遮断する特殊な力場を纏って。過去に実在したコオイムシのように、大甲機蟲は背負った街とそこに住まう人々を守っていた。
茉莉花は、操縦席の風防から徐々に近づいてくる大甲機蟲を仰ぎ見ていた。現存する6柱の雌型大甲機蟲のうちの1柱。『白星老君』。広げた七色の4枚翅は視界の彼方まで続き、氷と鉄錆に覆われた積層装甲板が山脈のように聳え立つ。無数のヴェイパートレイルが白い尾を引く麓、霞の中に無数の灯りが見えた。あれが、蟲の街だ。
「さすがにでかいなー」
茉莉花は笑う。彼女が搭乗するのも機蟲だが、雄型で、比べ物にならないくらい小型だ。体内をキャビンに改造した古株で、銘を『瑞風』といった。
茉莉花は白星老君から目を逸らさないまま、送声菅を取り上げる。
「こちらは蟲追い。機銘は瑞風。貴蟲に着艦願います」
機蟲は触覚から電波を発して交信する。その生態を利用して、この距離ならば声を届けることができる。
受声菅から、慌てたような気配があった。
『こちらは白星老君管制室だ。きみは、蟲追いか? 驚いたな。この辺りでは、もう何年も蟲追いは見ていない。・・・・・・待て、瑞風といったか? その機蟲は、柊の』
「父は4年前に、ナノマシンに食い殺されました。私は娘の茉莉花。この程、父の瑞風を継承しました。早速ですが、西凪洋で2齢から4齢までの雄型を4柱連れて来ました。代替わりはしましたが、変わらぬお取引をお願いできないでしょうか」
『蟲を連れているのか! ありがたい。プラントの調子が悪かったところだ。全部引き取ろう。うん、貴蟲の着艦を許可する。4番腔を使ってくれ。・・・・・・父君のことは、残念だった。柊殿には長年助けてもらった。君にも、末永くお願いしたい』
「はは、ありがとうございます。何とか、長生きできるようがんばりますね。ところで、そちらに蟲術師はおられますか?」
『蟲術師? 随分懐かしいな。残念だが、ここでは何代も前に途絶えてしまった。もう、新しい雌型の発生はあり得ないからな』
「・・・・・・ですよね。変なことを聞きました。すみせん。それでは、4番腔で着艦します。よろしくお願いします」
交信を終えると、茉莉花は大きく伸びをしてひっくり返った。
「だめか。取引が終わったら、早々に移動だな。次は東峰海域を回ってみるかー」
横になった茉莉花に、青白く柔らかな外装を持つ蟲が寄り添った。
「翠」
茉莉花が名を呼ぶと、言葉が分かるのか、嬉しげに蠢く。それは、先代の蟲追い師である父が、命と引き換えに守った機蟲。存在しないはずの、7番目の雌型大甲機蟲。その初令態
だった。
「おまえ、どうしようかね。雌型の幼体の扱いは、蟲術師の秘奥だからね。完全な失伝しちゃう前に、誰かわかる人を探し出さないと」
父の後を継いで早々に大きな問題を抱えてしまった。茉莉花は苦笑しながら、差し当たり白星老君に着艦するために、瑞風の操作菅を操るのだった。

(街へ)

1/29/2024, 4:45:14 PM