始まりがあれば、終わりも当然あるわけで。
告白されたあの日のことだって鮮明に思い出せる。初めててを繋いだ時のドキドキも、くだらないことで笑い合った日々も、時々喧嘩だってした。すぐに仲直りしたけど、それでも言わなくていいことや、わざと傷つけるような言葉だって言ってきた。
きっと、ちりも積もればってやつなんだと思う。
どこかで感じていた二人の温度差や、以前ほど燃えなくなった穏やかな感情。愛し、愛されたいが叶わないとわかった瞬間。
長く付き合ってきただけ、この決断をするのは怖かった。
私から切り出した別れ話だったのに、先に泣いたのは私の方だった。彼も同じ気持ちだったようで、静かに終わった。
住んでいた家の名義は彼のものだったから、私が出て行くことにした。以前から荷物を新居に少しずつ運んでいたおかげで、すぐに家を出ることになった。
最後の日に、二人で食事に出かけた。初デートで訪れた思い出のあるお店だった。あのゲームが好きだったとか、あの旅行先の景色が綺麗だったとか、そういった思い出話をしていくうちに時間はどんどん過ぎていった。
最後にお互いが惚れた瞬間について話した。初めて聞く話だった。お互い、惚れた瞬間、初恋の日が一緒だったことを知って切なくなる。
お店を出て、数年ぶりの別れの挨拶をした。
「また、明日ね」と言いかけて、言葉が止まる。もう、二人の間に明日はない。
最後のこの瞬間に似合う言葉が見つからなくて、無言で手を振った。背中向けて、一人になったとき走馬灯のようにこれまでの思い出が蘇った。
確かに愛し合っていたのに、どこですれ違ったのだろう。
答えは見つからない。それでも、忘れない。いつか別の人と愛し合う関係になったとしても、この初恋だけはきっと忘れられない。
明日世界がなくなるとしたら、何を願おう。
幾度となく繰り返してきた妄想だ。世界が終わる前になにか、叶えられるなら何を願うか。
だが、その答えは一向に出ないままだ。
もしこれが、世界がなくなる前なら叶えた願いはいくらでもある。お金をもらって裕福な暮らしがした。生涯健康でいられる身体が欲しい。誰もが羨むような名誉と地位が欲しい。嫌いな人をこの世から消せるような力が欲しい。
だけど、世界がなくなるとなるとどれもが意味を為さなくなる。
お金だってただの紙切れになって、健康な身体でも世界がなくなったら生き残れない。名誉と地位もただの肩書きになって誰かに自慢できるようなものでなんかなくなる。嫌いな人だってそうだ。私が死ぬと同時に死ぬのだから、先に殺したって変わらない。
だったら、何が一番幸せなのか。
愛する人と一緒に過ごすのが無難だろうか。でも、私にそんな相手はいない。
それならば、私は次に生まれ変わるなら苦労を知らないイージーモードの人生を歩みたい。
テレビで流れている小惑星との衝突で地球が滅亡するというニュースはもう一時間前から止まってしまった。きっとテレビ局の人も最後の一瞬を大切な人と過ごすために帰ったのだろう。
明日にはなくなる世界。
見上げた空には煌々と燃える小惑星が近づいてきていた。
大地に寝転び雲が流れる…目を閉じると浮かんできたのはどんなお話?
それは遠い遠い国のお姫様のお話。
小さい頃から身体が弱くて病気ばかりしていたお姫様は外で遊びたくても遊ぶことはできませんでした。お兄様たちが外で走り回っているところを窓から眺めているだけの日々にお姫様は毎日悲しくなっていました。
そんなお姫様の唯一の楽しみは本を読むことでした。本を読むと、まるでその世界に招かれているような気がして楽しかったのです。だけど、ベッドから動けないお姫様は自分で本を選ぶことができません。いつも本を持ってくるのは、生まれた時からお世話してくれているお医者さんでした。
ある日、お医者さんが持ってきたのは誰かが手作りしたような小さな絵本でした。
開けてみると、そこに描いてあるのはお姫様は住んでいるお城です。その窓にはお姫様と同じようにベッドで寝ている女の子がいました。女の子は毎日、お花畑で寝てみたい。流れる雲が見てみたいと願い続けていました。ある日、特別な薬を飲んだ女の子は誰よりも元気になって、外を走ることができるようになりました。初めて寝転がったお花畑の上はいい香りが漂っていました。流れる雲を見ながら、夜を待ちました。初めてみる夜空は今まで見てきたどんな宝石よりも綺麗でした。
お姫様はパタリとその本を閉じて、涙を流しました。どうして私の身体は弱いままで、この女の子は元気になれたのだろう。物語は嘘の塊です。それをわかっていても、お姫様は比べることをやめられませんでした。
その日の夜、お姫様はみんなが寝ている時間に外へ出ました。少し歩くだけで、息切れがして、足も痛いのに、我慢しました。
いつも、お兄様たちが走り回っている庭に、あの本のように寝転がってみました。すると、視界いっぱいにキラキラと輝く夜空が広がっていました。それはやっぱり、あの女の子が言っていた通りどんな宝石よりも綺麗な景色だったのです。
次の日、自分の部屋まで戻れなかったお姫様は、お父様とお母様に見つかってしまい、たくさん怒られてしまいました。
それでも、お姫様はいつか元気になれることを信じるようになりました。大嫌いだったお薬も今日は頑張って飲むことができました。
あなたのお話は、どんなお話?
ずっと言えずに胸に仕舞い込んでいた言葉がある。男手一つで私が大人になるまで面倒を見てくれたお父さん。不器用ながらに毎日お弁当を作ってくれた。恥ずかしかっただろうに、生理用品を買ってくれた。学校行事には欠かさず参加してくれた。一人で寂しい思いをしないようにと、憧れていた猫を家族として迎え入れてくれた。大学受験に落ちた時は一緒に泣いてくれた。
挙げだせば、本当にキリがなかった。それぐらい、これまでの時間に感謝している。
明日、私は愛する人と結ばれる。
親への感謝の手紙がまだ書けずに、思い出を一つ一つ振り返っていた。だけど、難しく考える必要なんてなかった。全部、照れくさくて口にしてこなかったものだ。
お父さんへ。
「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて。
そうすれば、いいだけのことだったのだ。
荒んだ心ほど、人の優しさが染み渡るものはない。大丈夫かと聞かれるだけで。泣いているところを慰めてくれるだけで。私のわがままを叶えてくれるだけで。
そんな人が現れてくれたらいいのにとずっと願っていた。
そして、その相手が先生だった。私の家庭事情を知った上で、傷が増えるたびに手当をして、心配してくれた。その優しさが嬉しくて。でも、怖くて。
ある日の放課後。私が帰るのを嫌がって、下校時刻を過ぎてまで教室に残っていたとき、先生が言ってくれた。
「君を助けたい。どうしたら、君は楽になれる?」
本当に? 本当に助けてくれるの? なんでもしてくれるの? 何度確認しても先生は頷いてくれた。
だから、一緒に私の家まで帰った。お酒の空き缶が転がっているリビングで母は大きないびきをかきながら眠っていた。ちょうど、キッチンに置かれていた空き瓶を先生の手に渡す。
「お願い、私を助けてくれるんでしょ」
「だけど、もっと他に方法が……。ほら、警察に相談するとかさ」
先生の手を握って涙を流す。
「お願い、先生と離れたくないの」
その言葉で、先生は私の願い事を叶えてくれた。リビングに広がる血溜まりを見て、嬉しくなった。はずなのに、なにかが、足りない。
「これで、一緒にいてくれるんだよね」
力強く抱きしめられる。嬉しいはずなのに、私はそれを拒んだ。
やめて、優しくしないで。
先生、これ以上優しくされちゃったら、私。
私のことを捨てたお父さんも。助けてくれなかったおじいちゃん、おばあちゃんのことも。見て見ぬ振りしてきた先生たちのことも。
みんなみんな、お願いしたくなっちゃう。