あなたに伝えるために生きている。
喉で音を奏でることはできないけれど、
言葉を綴って歌っている。
歌は届くだろうか。
語り尽くせるだろうか。
伝えたいことの半分もうたえないだろうけど。
声帯を震わさずとも伝わる歌
声が枯れるまではまだ死なない歌
掌で耳を覆ってみたら、私の歌が聞こえてくる。
声が枯れようときっと鳴り続ける歌が。
音を挟まなくてもあなたの歌が届くように、わたしも届けたい歌があるのです。そうして語り尽くすまでは枯れない命の歌が永遠に、誰かの胸に残り続ければいいなと思います。
声が枯れるまで
始まりはいつも炎。
まるで、自身を火葬するような。
抜けた髪や切った爪を嫌悪するのは
それが自分自身だからだ
私だったものを簡単にゴミ箱にすれられようか
単調な空想ばかりに脳を酷使している
後ろめたさで息をする
コンベアの上を流れる魚を見下ろす
これが私でない証拠はないだろう
頭を落とされるまでの命拾いをする繰り返し
神に祈れば長生きできようか
死人に口が無いのなら、閉ざす者みな死人か
謂れもなく衣を濡らして生きるのだ
だって生きてる確信はないでしょう
一切合切を溶かす炎を始まりとする
沈黙は金。死人に口なし。というのなら、余地もなく燃えた方が楽だと思う日もあります。自他すべて嫌悪しつつも終わりに恐怖するよりは楽だと。まるで逆らわなくなった途端死んだような心地は気分が良くない。天国が存在するなら、死をもって初めて幸福は始まるのではないでしょうか。
日曜は暗いことばかり考えてしまいます。
みなさん一週間はどこから始まりだと考えていますか。
私は毎日。始まった日に終わる、そして終わるなら始まる。あたりまえですね。
始まりはいつも
尊い父には聞けない精神の誤りを、
ただあなたに拒絶して欲しかっただけだ。
言いたい事が喉に詰まって吐き出せない。
当たり前に享受していた平穏はいつの間にか遠くなって、終わりを求めてしまうほど耐えられない。
あなたに誠実であることに固執しすぎている。
歯車の油はあなたの寛容だった。
ボタンの掛け違いは掛け終わらなければ気付かなかった。
あなたの全てを肯定していたかったけれど。
わたしの全てが間違っていたわけではないんだろうけど。
すれ違うのは私の心だ。
許されたいわけでもなかった。
そうであると告げた瞬間、目の前の人間がまるで同じだとは受け入れがたくなるでしょうから。
最近はずいぶん少数派にも寛容になっていますが、しかしそれを打ち明けるのはなんだか違うような気がしています。誰に許されずともそれは間違いなく自身です。だから急き立てられるように告げるのでなく、まず自分を認めたい。
「すれ違う」とは、途中からではなく、初めから全く逸れていることでもあると考えています。深くを知らない心のように。
すれ違う
失っていく切なさを例うなら、きっと秋晴れ。
ゆっくり、ゆっくりと変わっていく。
ふと視界の隅で落ちた葉が、いつの間にか赤く染まっていることに気がついたりする。
よくよく目を凝らすと生き物たちの姿は影を潜めていて、おや全く見当たらないぞと心配すれば鈴虫が鳴いていることもままある。夏の涼しさを嘯く風鈴の音よりも真実澄み渡っている風の、なんと心地の良いこと。しかし夏のむせ返るようなじっとりした暑さも、過ぎてみれば案外恋しかったりもした。
秋は、なんだか寂しくて恐ろしい。
また来ると分かっていても、萎んでいく命が。
潤いを失った景色すべてが死んでいく季節のようだ。
命の違いをまざまざと思い知らされる季節。
置いていかれる季節。
そうして死の気配を呼びながらもまだ生きながらえようと足掻くように、空はまったく綺麗で仕方がないのだ。
それは切なくて寂しくて恐ろしくて、酷く美しい。
美しさは退廃と共にあるように、きっと秋には切なさが重要なのだ。それがなければ、とても死にきれないのだろう。
何もかも失っていくのにそれでも空だけは同じ色。
季節の死を養分に、秋晴れは咲く。
秋晴れ
全部、つもりでしかなかった。
好きなつもり。愛しているつもり。
そうして置いて行かれる私の記憶すらも遠く風下へ。
好きなもの、嫌いなもの、流行っているもの。
それらを追ううちに本当に好きなものは一体なんなのか、思い出せなくなって、私は偽物なのではないかと疑ってしまうような心苦しさがありました。
学生、社会人、集めているもの、何かのファンでいること。
そういうバッチを外した時、私はそこに存在しているだろうか。何かに所属していないと存在できないことに恥入ります。きっとスワンプマンみたいな人生です。誰かの劣化版でしかない人生です。そういう風に歩いています。
本当の私を忘れればもっと楽に生きられるはずだけれど、私は少しだけ、私のことが好きだから忘れられないでいます。
忘れたくても忘れられない