『言葉にできない』
言葉にできない。
ぱくぱくと水面から顔を出す魚のように、口は開閉できるのに言葉だけが出ない。
「……」
「……」
お互いぱくぱくと口だけ動かす様は、傍から見たらなんて間抜けな姿なのだろう。
それでも伝えたくて、身振り手振りを交えてぱくぱくさせる。
「……」
「……」
しかしそれでも話すことは出来ない。
なので手を握った。
すると彼女も握り返してくれる。
きっと話せなくても、心では同じ思いを抱いているだろう。
(こんな光景を君と見られたこと、一生忘れない)
真っ暗な暗闇にぽつんと浮かぶ青い星。
端からゆっくりと太陽が顔を出し、すべてを光で照らして行く。
瞬きするのも惜しいほどの光景。
(やっぱり新婚旅行を宇宙遊泳にして正解だったな)
彼女の手を握りながら、お互いに微笑みあった。
『春爛漫』
「今年も春爛漫と言う言葉がぴったりなほど、桜の花が咲き誇る季節になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか」
突然届いた手紙はお行儀よく、形式通り時候の挨拶から始まっていた。
「前回からさほど時間も経っていないのに、こうして手紙を送ることを少し恥ずかしくも思います。
しかしどうしても素敵な出会いがあると私の胸は高鳴り、居ても立っても居られなくしまうのです」
くしゃりと手紙を持つ手から音がして、慌てて手から力を抜く。
どうも無意識に手に力が入ってしまった。
目をつぶり深呼吸して、心を落ち着かせる。
「この度は、現在限定公開されております舞姫の雫を頂きに参ります。
それでは、またお会いできることを楽しみにしております」
そこまで確認すると、また腹立たしさで手紙を破り捨ててしまいたくなったが理性で押し止める。
こんなものでも立派な証拠品だ。
勝手に捨てては証拠隠滅になってしまう。
「またヤツから予告状が届いた! 今度こそ警察の威信にかけて捕まえるぞ!」
皆の応えは警察署が揺れる程であった。
『誰よりも、ずっと』
あるところに誰よりも、ずっと国民のことを考えている王さまがいました。
「どうしたらより良い国になるだろうか」
王さまは常に考えていましたが、どうしたら良いのかわかりません。
なので王さまは他の人に聞いてみることにしました。
「神に祈り、正しく生きていれば神が見守っていてくださいますよ」
大司教は神へ祈りながら答えました。
王さまもすぐに大司教のマネをして祈り、国民全員に朝晩必ず神へ祈りを捧げるよう言いました。
国民はやる事が増えて負担になりましが、王さまへは不満を言うことができません。
「近隣国からの侵略に備え、軍事を拡大するべきです」
宰相は大きな世界地図を見ながら答えました。
王さまはすぐに国の周りに高い壁を作り、兵にそこを守らせるよう言いました。
国民は高い壁に囲まれ閉塞感を感じましたが、王さまへは不満を言うことができません。
「もっと芸術に触れられるようにすれば、心が豊かになるわ」
王妃はガゼボでお茶を飲みながら答えました。
王さまはすぐに大きな美術館を建て、そこには素晴らしい芸術品をたくさん飾るように言いました。
国民は美術館の入場料を払うくらいなら、もっと良い物を食べたいと思いましたが、王さまへは不満を言うことができません。
「あぁ、今日も国民のために良いことが出来たぞ」
王さまは上機嫌で眠りにつきます。
そして今日も何人もの国民が食べるものもなく、死んでいきました。
『これからも、ずっと』
「これからも、ずっと一緒にいようね」
頭の中で、幼い自分の声がした。
むかしむかしの約束。
相手の姿も場所もその前後も何も覚えていない。
むしろその約束さえ、忘れてた。
思い出したのは、偶々観ていたドラマで似た台詞があったからだろうか。
「誰だっけ……」
幼馴染というような人が居れば良かったけれど、該当する人はいない。
記憶を振り返ってみても、ピンとくる人もいない。
もしくは覚えていない。
「……」
静かな部屋にドラマの続きが流れる。
画面の中の約束は守られるのだろうか。
いや、相手はフィクションだ。
最後は「ふたりは末永く幸せにくらしました」めでたしめでたしの世界が当たり前の世界だ。
何だかんだあっても、私が見守ってようがいまいが、結末はそんなものだろう。
テレビの電源を切って、ほんの少しの苦みをビールの苦みで誤魔化し飲み込んだ。
「ふぅー」
まぁ所詮は子どもの約束。
現実というものが見えていなかったし、そこまで真剣に考えていなかったかもしれない。
それでも気分は下がって、机に突っ伏す。
勢い良すぎて、ガチャリと眼鏡と机がぶつかった。
「……あぁ、そうだ」
思い出した。
霧がかっていた記憶が晴れていく。
そう、あの時確かに約束したんだ。
何処もかしこもキラキラ光って綺麗な眼鏡屋で、その中でも一等気に入った赤い縁の綺麗で可愛い眼鏡。
それが自分の物になり、これから先もずっと一緒だと胸を躍らせていたその時に。
「なんだ、忘れてても守ってたじゃん」
随分と古ぼけてしまったけれど、未だ私の顔にある赤い眼鏡をそっと撫でた。
『沈む夕日』
砂浜に座って、沈む夕日を見ていた。
じりじりと水平線へ消えて行く太陽。
時間とともに色合いを変える空。
輝き始める月と星々。
雄大な景色を見ていると、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと思い知る。
「綺麗だね」
「……そうですね」
そうだ、景色に気を取られて忘れていたけれど、隣にも人がいたんだった。
「さて……」
太陽が完全に水平線の彼方へと消えると、隣に座っていた男性が徐に立ち上がる。
「何処へ行くんですか?」
「いや、ずっとここに居る訳にもいかないからね」
「……そうですね」
確かに、いつまでも砂浜に座ったままではいられない。
すでに太陽は沈んで、夜になってしまった。
「一緒に行くかい?」
ついほんの夕日が沈む前に出会った人だから、悩む。
でも綺麗な景色をそのまま綺麗だと言えるこの人は、きっと悪い人ではないだろう。
だからこの人についていくことを決めた。
「……よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
空には見覚えのない星々と、太陽に負けないくらいに輝く2つの月が私たちを照らしていた。