『涙』
昔からずっと泣き虫だった。
幼稚園の頃は虫を持って追いかけられて泣いて、
小学校の頃は男の子にいじわるされて泣いて、
中学校の頃は貴方との仲をからかわれて泣いて、
高校の頃は貴方に告白されて泣いた。
人間関係が上手くいかなくても、部活で怒られても、苦しいことや辛いことがあっても、
貴方がいたから乗り越えられた。
ここまで生きてこられた。
たくさん泣いたけれど、その分たくさん笑った。
なんだかんだ言って幸せだった。
そして今、大学生になって私は泣かなくなった。
貴方が傍に居てくれたから、少しは強くなれたのかもしれない
あの日貴方に貰った赤い花は枯れてしまった。
同時に私の涙も枯れてしまった。
あんなに泣き虫だった私がだよ?
それなのに貴方との記憶だけは枯れないの。
ねぇ、貴方が隣にいない日々に慣れる日は来ないと思うんだ。それくらい貴方を愛してた。
貴方が居なくなってから、ずっと探してた。
街を歩く人影にも、同じ授業の教室にも、
どこにもいなかった。
貴方が桜に攫われたときに、私の涙も一緒に攫われてしまったみたい。
2025.03.29
30
『記憶』
この街では、記憶の摘出が認められている。
5年前に認められた新たな医療サービスである。
街の中心にある記憶センターでは新たな技術で記憶を抽出し、瓶に詰めて保管することができる。
今日も記憶センターの受付には記憶を消したい人が並ぶ。
今日来たのは20代の男性。
「記憶を抽出するにあたっていくつかアンケートを取りますね」
「……はい」
「まず、抽出したい記憶はどの記憶ですか?」
「…………」
「ここで黙り込んでしまう方が多いのですが、やはり正確に伝えていただかないと抽出する際に手違いが生じてしまい、失いたくない記憶まで抽出してしまう可能性があるのでお願いたします。」
「……彼女に関する記憶、全てです。」
「彼女、というのは?」
「大学の時に付き合ってから5年間を共にした女性です。」
「承知いたしました。ではこちらの書類にサインをお願いします。」
書類には注意事項が3つ書いてあった。
1、記憶を抽出すると二度とその記憶が戻ることはありません。
2、この記憶を抽出した後はこの記憶センターで厳重に保管することに同意していただきます。
3、記憶抽出を行ったという記憶も同時に抽出し、この施術を行った記憶もなくさせていただきます。
そのどれもに目を通して僕は最後の署名欄に名前を丁寧に書く。
そして施術が始まった。
記憶を抽出される度に彼女との思い出が一つひとつ消えていく。
しなやかな黒髪と左目の下にあるほくろ。
桜吹雪の中を2人で歩いたこと。
ハンバーガーを大きな口を開けて食べるところ。
些細なことで笑いあったこと。
苦しい夜を2人で泣いて過ごした日も。
その匂いも体温も、手を握った感触も、抱きしめた時の彼女の震えも。
最後に見た彼女の背中も。
そのどれもが消える。後悔は、してない。きっと。
「これで施術は終わりになります。」
眠りについたままの彼にそう声がかけられる。
彼はこのまま自宅に運ばれ、次に目を覚ますといつもの日常に戻るのだろう。
彼女がいないだけのいつもの日常に。
この街では記憶を消すことができる。
「あの、私の記憶を消していただけませんか?」
と、新たな患者が訪れるのであった。
2025.03.25
29
『曇り』
僕は春が好きだった。
穏やかな日差しと柔らかい花の香りが好きだった。
春の空は薄い水色で透き通っていて好きだった。
夜の月は霞みがかった朧月で好きだった。
桜の花が満開に咲くのも、散るその一瞬も好きだった。
桜の咲く海辺で君が笑う姿が好きだった。
そんな君の姿が見られる春が好きだった。
肌は白く肉付きの良い綺麗な脚で駆ける君が好きだった。
素足で砂浜を歩き、バシャッと波を掻き乱す。
色んなところで散歩をするのが好きな君は、春が好きだった。
だから僕も春が好きだった。
君と過ごす春はどれも鮮やかで晴れていた。
でもある日、君は事故にあった。
もう二度と、その綺麗な脚で立てなくなった。
肉付きの良かった脚は貧相になり、血色も悪い。
君はふくらはぎに残る古傷を気にしていたが、そんなものは見る影もないほどに新たな傷で消えていた。
輝く海が、淡い桜が、小さなてんとう虫が、どれもが霞んで見えた。
どれも灰色で鮮やかだった色彩は君の笑顔と共にどこかへ消えてしまった。
僕は気づいた。
春が綺麗に見えていたのは、
僕の見る景色の全てが鮮やかで綺麗だったのは、
君が笑っていたからだと。
どれだけ快晴でも、君が笑ってくれないとそれは曇り空と同じだった。
晴れているのに空は泣きそうだった。
2025.03.24
28
『君と見た景色』
空が淡い水色の日に、この関東でも桜が咲き始めたとニュースが流れる。
昨日までの冬の寒さはどこへやら、雪の溶けた水溜まりに桜の花びらが浮かぶ。
春休みの後半に差し掛かった3月の中頃。
僕は1人で地元の水族館に来た。
建物は綺麗だが所々に古さを感じる部分がある。決して広くはないが静かで、外の陽射しが水槽に反射して柔らかく館内を照し、ゆったりとした時間の流れるこの水族館が僕は好きだ。
君との初デートの場所もここだった。
君のお気に入りの大水槽もあの頃のまま、体長2m程のアカシュモクザメが優雅に泳いでる。
2匹が寄り添うように泳ぐ姿はまるで僕と君みたいだった。
「あの2匹みたいにずっと一緒にいられたらいいね」
そう言って笑う君がきらきらと眩しくて愛おしかった。
淡い陽の光に照らされたその瞳は輝いていて、幼い子供のように真っ直ぐに水槽を泳ぐ魚たちに向けられていた。
「綺麗だね」
そういう君の横顔を見つめて
「そうだね、とても綺麗だ」
僕はそう言った。
好きだった。
この空間が、この時間が、君の横顔が。
君がもうこのアカシュモクザメを見ることは無い。
ねぇ、この水族館、取り壊しが決まったよ。
君と見た景色はもう見られないみたいだ。
最後にもう一度だけ2人で来たかった。
君に見せてあげたかった。
2025.03.21
27
『手を繋いで』
僕の恋した君は、クラスの人気者だった。
くりっとした大きな目。
ほわほわとした猫っ毛の茶髪。
笑った時にできるえくぼとキュッと細まる目。
色素の薄い瞳と血色の良い唇が映える白く柔らかな肌。
少し筋肉質でもちっとした足と腕。
背は小さく小動物を思わせる。
そんな彼女が僕は好きだった。
きっかけは些細なことで、図書館で同じ本を取ろうとして触れた指先が僕の心を奪った。
ほんのりと温かい彼女の体温が忘れられない。
その指先の触れるどれもに僕は嫉妬してしまう。
もう一度その手に触れたい。
僕のその欲求は日に日に増え、毎晩彼女を思って眠りにつく。
好きだ。かわいい。会いたい。触れたい。
僕だけのものにしたい。独り占めしたい。
誰に触れさせたくない。
ある日の放課後。
帰り道に彼女の後ろ姿を見つけた。咄嗟に電柱の影に隠れて彼女を観察する。
楽しそうに男と話す彼女。
僕の愛するその指先は知らない男と繋がれていた。
僕は腹の奥からドス黒い何かを感じた。
ドロっとしてて息苦しいそれは次第に嫉妬から怒りに変わり、憎悪や嫌悪となった。
許せなかった。
彼女の手が僕以外の誰かと繋がれているという事実に耐えられなかった。
僕は彼女が男と別れるまで背中を追った。
1人になったところで声をかけると彼女が微笑む。
“どうしたの?”
彼女のその声は音になることは無かった。
彼女の首をグッと締める。僕の手に彼女の手が触れる。
あぁ、君の手が僕に触れている。僕の手首を握っている。愛おしいなぁ。
だんだんと弱まる手の力さえも愛らしくて、僕はそっと僕の両手と彼女の両手を絡ませた。
そのまま彼女と手を繋いで家に帰る。
腕から滴る液体は僕の胸から溢れたドス黒い何かのように思えた。ぽたぽたと垂れる度にその何かが消えていくように感じた。
夜が明けるまで君と手を繋いで、幸せを噛み締めた。
2025.03.20
26