『記憶』
この街では、記憶の摘出が認められている。
5年前に認められた新たな医療サービスである。
街の中心にある記憶センターでは新たな技術で記憶を抽出し、瓶に詰めて保管することができる。
今日も記憶センターの受付には記憶を消したい人が並ぶ。
今日来たのは20代の男性。
「記憶を抽出するにあたっていくつかアンケートを取りますね」
「……はい」
「まず、抽出したい記憶はどの記憶ですか?」
「…………」
「ここで黙り込んでしまう方が多いのですが、やはり正確に伝えていただかないと抽出する際に手違いが生じてしまい、失いたくない記憶まで抽出してしまう可能性があるのでお願いたします。」
「……彼女に関する記憶、全てです。」
「彼女、というのは?」
「大学の時に付き合ってから5年間を共にした女性です。」
「承知いたしました。ではこちらの書類にサインをお願いします。」
書類には注意事項が3つ書いてあった。
1、記憶を抽出すると二度とその記憶が戻ることはありません。
2、この記憶を抽出した後はこの記憶センターで厳重に保管することに同意していただきます。
3、記憶抽出を行ったという記憶も同時に抽出し、この施術を行った記憶もなくさせていただきます。
そのどれもに目を通して僕は最後の署名欄に名前を丁寧に書く。
そして施術が始まった。
記憶を抽出される度に彼女との思い出が一つひとつ消えていく。
しなやかな黒髪と左目の下にあるほくろ。
桜吹雪の中を2人で歩いたこと。
ハンバーガーを大きな口を開けて食べるところ。
些細なことで笑いあったこと。
苦しい夜を2人で泣いて過ごした日も。
その匂いも体温も、手を握った感触も、抱きしめた時の彼女の震えも。
最後に見た彼女の背中も。
そのどれもが消える。後悔は、してない。きっと。
「これで施術は終わりになります。」
眠りについたままの彼にそう声がかけられる。
彼はこのまま自宅に運ばれ、次に目を覚ますといつもの日常に戻るのだろう。
彼女がいないだけのいつもの日常に。
この街では記憶を消すことができる。
「あの、私の記憶を消していただけませんか?」
と、新たな患者が訪れるのであった。
2025.03.25
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3/25/2025, 10:36:36 AM