「日和(ひより)お兄ちゃん、これなぁに?」
ついこの間六歳になり、来年の春に小学校へ上がる姪が手にしているのは、俗に言う大人の玩具。
会社の飲み会でやったビンゴ大会の景品だったヤツだ。
しかも当てたのは俺じゃない、同期の中野目だ。
奥さんと使えばいいじゃないかと言ったら、そう言うのは一切ダメな潔癖な奥さんらしい。
昔ラブホで致そうとして、マジ泣きされ大変だったそうで。
で、俺が押し付けられたわけだが、俺は俺で使う相手がいない。
いや、去年までは居たんだが、まぁ、色々あって別れて、その後は独り身だ。
独りが寂しいかと言うと、そうでも無く、結構楽しんでいたりする。
相手の都合に合わせて何かをする必要もないし、映画も食事も自分の好きなところに行ける。
むしろ色々調べて準備して、相手好みの服を着て、プレゼントして食事を奢って、なんてしなくていいのがすごい楽だとか思ってしまっている。
毎日連絡を取らなくてもいいし、好きなテレビ番組観れるし、休日はのんびりできるし、寝たいとき眠れるし、もう、最高!
まぁ、性欲は溜まるのでその捌け口は必要だけど、最近のそう言うグッツは良くできている。
しかも、ネットでポチッとやるだけで買えるので便利でもある。
え?なら貰った玩具を使えばいいじゃないかって?
ごめん、俺そっちには興味無いんだ。
尻の穴は出口のままで十分です。
って、話が脱線してるな。
取り敢えず、戻すぞ。
姪っ子、名前を菜月と言うのだが、彼女が俺の部屋に来たのは三時間前。
俺が休日朝の惰眠を貪っていると姉からのLINEが入った。
『あんた、今日と明日予定ある?』
そこで、予定があると言えばよかったのだが、まだ半分夢の中にいた俺は素直に『ない』と返してしまった。
そしてそのLINEから三十分後、姉は菜月と大きな鞄を抱えて俺の部屋に来た。
曰く、急な出張に行かないといけないのだが、旦那も今出張中で戻りは明日の夜。
本当は実家に預ける予定だったが、親戚が亡くなって父も母も葬儀に行かなければならない。
よって、明日の夜までお前が預かれ、との事で。
おかしいな、さっきまで持ってきたタブレットで何かのアニメを見ていたはずなのに、菜月の手にはピンク色のナニが握られている。しかもウニウニ動いていやがる。
すぐ使えるように多少充電されているのが仇となったな。
マジで、こんなの姉にバレたら殺されかねない。
つかアレ、ベッドの下に袋に入れたまま置いてたはずだよな、俺。
「ねぇ、これなぁに?」
「あー、それはだな、大人のための玩具だ」
「おもちゃ?どうやって遊ぶの?」
純粋って怖い。
お願いやめて、そんなキラキラした澄んだ瞳で見ないで。
自分が凄い汚れてる気分になる。
「あー、大人になればわかる。さぁ、ソレは返して」
「えー」
「ほら、早く返さないとパンケーキしぼんじゃうぞ」
そう、俺は姉が持ってきた鞄の中にあったメモと材料で、パンケーキを焼いていた。
何でも今日の昼、一緒に焼く予定だったらしい。
残念ながらうちにはホットプレートがないので、俺が焼いてしまったのだけど。
菜月は渋々といった様子でナニを返してくれた。
取り敢えず、電源を切ってジーンズの後ろポケットに突っ込む。
いや、エプロンつけてポケットにナニ突っ込んでる男が、幼児と一緒にいるとか、ただの事案じゃねぇかコレ。
「コレはサービス。ママには内緒だぞ」
皿に重ねたパンケーキの上にバニラアイスを乗せ、その上からチョコレートシロップをかけてやる。
子供が目を輝かせて、じっと食い入るように見つめる姿は純粋に可愛いと思う。
「食べて良い?」
「どうぞ」
「いただきます!」
勢いよく食べ始めた菜月を置いて、俺は洗面所へと向かった。
ポケットに突っ込んだナニを取り敢えず一番上の棚に押し込む。
それと、乾燥中のアレも同じ所に押し込んだ。
これで一先ずは安心だ。
パンケーキを食べ終わった菜月とゲームをして、夕飯は焼きそばを作って、一緒に風呂に入って寝て、次の日は散歩がてら河川敷でおにぎりを食べ、公園で遊んで買い物をして帰宅。
二人でカレーを作って食べて、迎えに来た義兄さんにもカレーを出して、食べてもらっている間に菜月を風呂に入れ、余ったカレーをタッパーに詰めて義兄さんに渡して、二人を見送った。
「はぁぁ、疲れた」
子供は本当に元気が有り余っている。
あの相手をずっとするのは本当に大変だと思う。
もし結婚して子供ができたら、自分も義兄のように積極的に育児に参加しようと思う。
「さて、寝るかぁ」
三日後の夜、姉からのLINEを見るまで、俺はすっかり忘れていた。
洗面所の一番上の棚に押し込んだナニの存在を。
送られてきた画像にはパンケーキの横に描かれたピンク色のナニの姿。
怒りMAXなスタンプの後の『日和、覚悟しときなさい』のメッセージ。
あぁ、神様、これって俺が悪いのでしょうか?
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) チョットばかし、あだると。
茜は頬に打ち付けた水滴を手の甲で拭った。
拭った頬に泥が着くのも構わずに。
「雨⋯⋯」
見上げた空はどんよりと薄暗くなってきている。
ここふた月、日照りが続き雨らしい雨が降っていない。
今年の米はもう諦めた。
冬に雪が少なかったため当然雪解け水も少なく、田んぼ全体に水が行き渡らなかった。
仕方なく3割を休耕田にし、父親は田植え後すぐに出稼ぎに行った。
植えた苗の半分は既に枯れ、今年の米の収穫は望めない。
せめて畑だけでもと、毎日少し離れた川にまで足を伸ばし水を汲んでは懸命に水を与えたが、それも気休め程度でしかない。
乾ききってひび割れた土に水を撒くと、土の表面が水を弾く。
故に少し水を撒き浸透するのを待って、また水を撒くを繰り返す。
何もせずに枯らすよりは、ほんの少しだけでも、食べられるものが出来ればそれで良い、ただその思いだけで茜は毎日、川と畑の往復を繰り返していた。
何故、今頃なのか。
何故、もっと早くに降らなかったのか。
ひと月早く降っていれば、田んぼの稲は大丈夫だったかもしれない。
ふた月早く降っていれば、冬に生まれた弟は元気に笑っていたかもしれない。
みつき早く降っていれば、父は出稼ぎに行かずに済んだかもしれない。
雨粒は大きくなり、バタバタと地面を打ち付ける。
しばらく空を睨みつけ、ギュッと両の拳を握っていた茜は、桶と柄杓を手にし家へと帰っていく。
ずぶ濡れになりながら家へと戻ったその足で、茜は家中の『入れ物』を家の外に出す。
初めは様々な音を奏でていた入れ物達は、そのうち揃ってぴちゃんぴちゃんと音を鳴らす。
小さな茶碗に溜まった雨水を桶に入れ、桶の雨水を家の中の水瓶に入れる。
水瓶は大きいのがふたつに小さいのがひとつ。
それがいっぱいになるまで繰り返した。
瓶に桶、茶碗に鍋、そして竹筒、ありとあらゆる入れ物を雨水で満たした頃、外は雷の鳴る土砂降りの天気となっていた。
「⋯⋯体洗おう」
ポツリと呟いて、茜は服を着たまま外へ出た。
打ち付ける雨は先程より強く、暗い空には稲光が走る。
髪をまとめていた紐を解き、ワシワシと髪と頭を雨で洗う。
普段は川に入って洗うのだが、この雨なら丁度いい。
ついでにと、着物の帯も解き体と一緒に着物も洗う。
着物と言っても、薄い生地一枚のものだ。
もう3年も同じものを着ているから丈は足りないし、所々ほつれている。
これの他には母親が着ていた着物が一着と冬用の羽織があるだけだ。
あぁ、後は弟を包んでいたボロ布もあったか。
母親の着物には手をつけたくない。
せめて、秋に父親が帰ってくるまでは。
茜は力を込めて洗うと破れてしまう着物を、優しく丁寧に洗って絞り、家の中へ置いてくる。
そして、何も身につけずに土砂降りの雨の中へ戻り、暗闇の中空を見上げた。
時折闇を走る眩い光は、龍がその身体をくねらせ空を泳ぎ咆哮している様だと、旅の坊様が言っていた。
人は亡くなると天に帰るのだと言う。
だから、亡くなった人に会いたければ空に向かって手を合わせれば良いとも。
「かか様⋯」
弟は父親が出稼ぎに出た十日後に、動かなくなった。
母親は乳の出が悪かったから、と、涙を零しながら言った。
食べる物も少ない冬を、やっと越えたと思った矢先の事だった。
母親はそれからひと月もしないうちに、弟のいる場所へ旅立った。
食べる物は出来るだけ茜に与えて、自分は水以外ほぼ何も口にしていなかったようだった。
ほぼ、骨と皮だけだった母親の亡骸は、弟の隣に埋められた。
ひとりで平気かと、村の皆に心配されたが、茜はひとりで家に残った。
田んぼも、畑の世話も、食事の用意も一人でできる。
茜はもうじき10歳になるのだから。
「とと様を守って⋯⋯」
出稼ぎ先で父親が何をしているのか、茜は知らない。
ただ同じように出稼ぎに出た村の人が、戻らないことがあるのは知っている。
だから、例えどんなに日照りが続いても、例えどんなに激しい嵐が来ようとも茜は家にいる。
父親が帰る場所を守るため、母親との最後の約束を守るため。
一際大きな雷が、山間の小さな村に鳴り響く。
村の外れの一軒家。
大きくもなく小さくもないその家には、たった一人の少女が住まう。
家の南側には、三代前から開拓し受け継いできた田んぼがあり、西側には狭くは無い畑が広がっている。
家から少し離れた東側を流れる小川は、家の背後にある山から湧き出た水が集まり流れを成したもの。
その流れは、山を下りながら村の田畑を潤し、やがて山の麓の町で大きな川に合流する。
合流した川は、平地を流れ大地と人々を潤し、やがて海へと注がれる。
家の中、濡れた着物を竿に干し、囲炉裏の傍で床に寝転ぶ。
誰もいない家は、広くそして寒々しい。
何も身につけていない己の体を抱き締めて、茜は小さく呟く。
「寂しくなんかない。大丈夫、大丈夫⋯⋯」
ぎゅうっと自分の体を抱きしめ、父親の、母親の、小さな小さな弟の温もりを思い出す。
その温もりをいつまでも忘れることがないように、茜はそっと小さな身体に閉じ込めた。
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(´-ι_-`) 語彙が乏しい⋯⋯。
「左乃(さの)、それはどうした?」
「迷子のようだ。今、管(くだ)に親を探させているところだ」
「本部に連れて行け。案外すぐに見つかるやもしれん」
「そうか。ならば、そうしよう」
始まりは村の小さな社だった。
人の争いに巻き込まれ、命を落とした子狐を祀ったのだと伝わっている。
心優しい村の人間が、粗末ながらも建てた社を、祀られたお狐様は大層気に入った。
お狐様は感謝の印に村人を見守る事にした。
作物がよく育つよう天に祈りを捧げ、日照りが続けば雨を、長雨にはお天道様を願った。
純粋な子狐の願いは、数多の神々により叶えられた。
やがて村は裕福になり、人が増え、同時に社も徐々に大きくなり、遣えるものも増え、神事が行われるようになった。
さすれば、お狐様の格も上がり人々の願いを自身で叶えられるようになる。
それでもお狐様は変わらずに純粋で、数多の神々に可愛がられている。
故に年に一度の豊穣の大祭には、人のみならず、人でないものもチラホラと混ざっている。
「それにしても、また人が増えたな」
「そうだな」
迷子の兄妹の兄を左乃が抱き抱え、妹を右乃(うの)が抱き抱え並んで人混みの中を歩く。
兄は5歳で『トオノ ホトリ』、妹は3歳で『トオノ アヤ』と言うらしい。
迷子だと言うのに泣きもせず、左乃の問い掛けに淡々と答えるホトリは、年齢よりも随分と大人びた印象を受けた。
アヤは年相応、色々なものに興味を示し目を輝かせていた。
どこかへ駆け出しそうになるアヤを、ホトリが繋いだ手をぎゅっと握って止める、そんな光景が左乃の前で何度も繰り広げられた。
豊穣の大祭は三日三晩行われる。
何のことは無い、人も人でないもの達も、どんちゃん騒ぎが大好きなのだ。
呑んで歌って踊って食って、体力と気力の続く限り騒ぎまくる、ただそれだけの事がこんなにも楽しい。
神々の力でこの三日間は良い天候に恵まれる事が決まっている。
故に皆、何を心配することなく騒ぎまくるのだ。
人の中には村を出ていった者達も多いが、この三日間のために帰ってくる者も多い。
「始めた頃は100人もいなかったのにな」
「今年は5万人を超えたらしいぞ」
「そりゃすごい。あ、お狐様だ」
「あぁ、また神輿を担いでいる。神輿は乗るものだと言ったのに」
神輿の担ぎ手の中に、自分たちの遣える主がいる。
小柄故、周りの男たちにもみくちゃにされているが、弾けるような笑顔で担いでいる。
「ん?神輿に乗っているのは⋯篠倉の山神様か?」
「そのようだな。あぁ、すっかり出来上がっておられる」
神輿の屋根にどっしりと胡座をかいて座っていれば良いのだが、屋根に覆い被さるようにぐでっと乗っかり半分目は虚ろ。
そんな状態にもかかわらず、手にはしっかりお猪口と徳利を持っていて、チビチビと酒を口に運んでいる。
「人間がトンネルを掘ったとお怒りのようだったが⋯ご機嫌だな」
「お狐様が陽録(ようろく)に伝えたらしい」
「伝えた?何をだ?」
「篠倉の山神様は酒が滅法お好きだと。日本酒、焼酎、ビールにワイン、特に珍しいものがお好きだと」
「つまり⋯」
「賄賂だな。世界中の色々な酒をお供えすれば良い、と陽録が篠倉の社守に伝えたんだ」
「なるほど」
人間の生活の利便性のため、自然に手を入れるのは致し方ない。
しかし、やはり神にも心はある。
篠倉の山神はその気持ちを、工事の邪魔をする事で現した。
無論、人は奇っ怪な現象が起きる、工事が進まないで困り果てていた。
そこに手を差し伸べたのがお狐様、ということだ。
因みに陽録とは、お狐様を祀る社守の末の息子の名前だ。
近年珍しく、人ならざるものの姿や声を聞くことができる。
当然、お狐様や左乃、右乃とも話せる。
今はお狐様も左乃、右乃も人に見えるよう力を調整しているが。
「あ、リンゴ!」
迷子の妹アヤが右乃の腕の中から手を伸ばし落ちそうになる。
その様子を見て、左乃の腕の中にいる兄ホトリもアヤに向かって腕を伸ばした。
「危ないから、動くな」
左乃にがっしりと掴まれたホトリは、それでも妹から目を離そうとしない。
アヤはと言うと、リンゴ飴に夢中になっている。
屋台の照明の下で、キラキラと輝く飴を纏ったリンゴが気になってしょうがないようだ。
右乃はそんなアヤの様子を見て笑い、屋台の店主にリンゴ飴を二本くれるよう話している。
店主は一本をアヤに、もう一本をホトリに手渡し右乃から代金を受け取っている。
早速リンゴ飴にかじりつこうとしているアヤを静止し、右乃はリンゴ飴を覆う透明な袋を外してやる。
その様子をじっと見守っているホトリに左乃は声をかけた。
「今食べるか?」
するとホトリはフルフルと首を振った。
「そうか」
そして右乃と左乃は、迷子の兄弟を抱えて また歩き出す。
笑って走り回る子供たち、懐かしい顔に話の花が咲く大人たち、手を繋いで屋台を覗いて歩く恋人たち。
人の間を走り回る人ならざるもの、木の上や岩の上、はたまた屋台の上等で、酒盛りをしている神々。
皆が皆思い思いに楽しい時間を過ごしている。
「左乃!右乃!」
その声がした方へ首を回せば、祭りの法被を着て頭に狐の面を着けた青年が、運営本部とでかでかと文字の書かれたテントの前でブンブンと手を振っている。
「陽録、ここにいたか」
「おうよ、あれ、お狐様は一緒じゃないのか?」
「あー、神輿を担いでる」
「えっ、今年も?一体いつになったら乗ってくれるんだろう」
「一緒に騒ぎたいんだろ、その方が楽しいからな」
今も心から喜んでいるはずだ。
おかげで、周囲の空気が清々しい。
「で、その子達は?」
「あぁ、迷子だ。二ノ池近くで保護した。こっちが兄でトオノ ホトリ5歳」
「こっちが妹でトオノ アヤ 3歳」
「親は来てないか?」
「トオノ⋯今の所来てないね」
スマホの画面をスイスイとスライドして、陽録は答える。
迷子情報は、運営のLINEで共有し探すようにしている。
何せ祭りの会場は村全体、一箇所で集約していては対応できない。
迷子センターは村全体で20箇所近く、神社敷地内だけでも4箇所ある。
因みに昨年の迷子の数は378人と、大人が祭りで羽目を外すので迷子が多く出る。
故に警察の協力無くしては、この豊穣の大祭は行えないのも事実。
まぁ、人間のみならず、人ならざるものたちも大勢参加している祭りなので、迷子にもしもの事は起きないのも、この祭りの特徴だ。
「よし、じゃぁこっちで預かるね。二人はお祭り楽しんで来て!」
「陽録、お前は?」
「俺は今日は忙しいんだ。あー、でも夕方にはちょっと時間とれるかな」
「そうか、ならその頃に楓を連れて来てやる」
「へっ?」
楓とは、陽録の幼馴染で村長の娘、そして恋人。
陽録同様、左乃達を見ることが出来る貴重な人間だ。
そして、お狐様はじめ大勢の方々から好かれる稀な人間だ。
「お前もいい歳だしな。いい加減身を固めろ」
「左乃?」
「そうだな、いい頃合いだろう」
「右乃?」
「逃げるなよ、陽録」
「お狐様は既に認めているから、問題ないぞ」
「え、ちょっと」
「ではな」
左乃と右乃はそう、言い残し人混みの中へと消えて行く。
その後ろ姿に戸惑いの言葉を投げつつ、陽録は思う。
何だかんだと言いつつも、やっぱり人ならざる者達は自分勝手だ、と。
「俺にだって、計画ってもんがあるんだよ⋯」
今年の彼女の誕生日、今日からひと月と6日後にプロポーズしようと思っていたのに。
でもそんな陽録の思いとは裏腹に、事は進んでいく。
3人の話を耳にした、陽録の友達が、親戚が、人ならざるものが、夕方に向かって準備を始める。
他人の恋バナは最高の酒のツマミ。
夕方、何故か陽録の手の中には先週買って部屋に隠しておいた指輪があり、右乃、左乃に連れられて楓は人垣の割れた、花道を静かに歩いてくる。
何故自分がイベント用のステージの上に立っているのか分からないまま、陽録は楓が自分に近づいて来るのを待っている。
たくさんの人と人ならざる者達に囲まれて、一生に一度の思い出にしたいプロポーズを強制的にやらされる事に僅かな怒りを感じるが、これもまた思い出となるだろう。
大きく息を吸って、静かに吐き出して、丹田に力を込める。
楓の笑う顔、頷いた仕草、その全てを目に焼き付けて、楓を腕の中に包み込む。
「おめでとう」
方々から聴こえる祝いの言葉は、そのまま喜びの声に変わり村全体を包み込む。
今の今から、三つの夜、人も人ならざるものも、歌い踊り呑んで食べる。
さぁ、最高の思い出になる、お祭りを始めよう!
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 兄妹のお話もある⋯のです。
目が覚めるとそこは知らない場所だった。
辺りは真っ白で、こういうのを光に包まれているって言うんだろうな、自分の体の感覚もなくて、上も下も分からない。
当たりを見回してみても、小さなゴミひとつ見当たらない。
さて、ここはどこだろうか。
これからどうするべきか。
そんな事を考えていたら、何かが羽ばたく音が聞こえた。
そちらの方へ視線を向けると、俗に言う天使の羽を二対、つまり4枚の羽を広げ神様が舞い降りてきて、こう言った。
『異世界の勇者よ、私の世界を救って欲しい』
「⋯⋯うーん、なんで見ただけで神様ってわかるんだって話だよな。あー、ダメダメ。在り来りすぎるわ、この話。おっとそろそろ時間か。さてと、見回り行くかぁ」
某サイトの閲覧アプリを閉じ、スマホの画面を消しポケットに仕舞う。
深夜降り出した雨は、朝方になるとその勢いを増した。
貴志は長靴を履き、合羽を羽織ると玄関を開けた。
瞬間、雨粒が地面を叩く音が鮮明になる。
「行ってくる」
「気ぃつけやー」
「はいよー」
目指すはココから直線距離で500m先、つい一週間前に苗付したばかりの畑だ。
畑自体の水捌けはこの雨でも心配ないが、近くを流れる川が氾濫すれば大事だ。
流木や草、ゴミなどが貯まればそこから水が溢れる。
だからこうして、何時間か置きに見回りをしている。
軽トラに乗り込みエンジンをかけ、ワイパーをMAXで動かすと慣れた道を走る。
家の敷地を出れば周囲は全て畑で、全てうちの土地だ。
爺さんの爺さんの代から、この場所で農家をやっている、生粋の農家の長男。
弟二人は家を出て普通のサラリーマンをしている。妹は今、海外留学中だ。
農家と言えば一昔前は休めない、重労働、儲けなしなど言われたものだが今は違う。
初期投資は掛かったが、AIやドローンなど最先端技術を上手く組み込んで、労働時間の短縮、品質の改善、収穫量の増加を果たし、親父の頃より収入は何倍にも増えた。
また、株式会社化し、農業に興味を持っている若者や田舎暮らしを考えている人たちを雇用、労働者を確保する事で休日も取りやすくなった。
両親は半分リタイヤし、家の近くの畑で自分達が食べるものと珍しい野菜を夫婦で楽しみながら作っている。
近所の跡継ぎのいない農家から農地の購入を依頼されて買った結果、自分でも驚くほどの土地持ちになってしまったのだが、各種作業車も農地が広ければ活躍の機会があり、遊ばせる期間が短くて済むため、減価償却の面でもいい事である。
目下の課題は、独自販路の拡大と規格外野菜の活用方法と言ったところだ。
「よっと」
サイドブレーキを引いてエンジンを止める。
ココからは気を引き締めて行かないと危険が伴う。
川の横の道を川の状態を確認しながら歩く。
3年ほど前に護岸工事を行い、ついでに川幅も広くした。
それなりの時間と手間はかかったが、農閑期で社員も対応したので費用は随分抑えることが出来た。
「うん、大丈夫そうだな」
所々に溜まっていた枯草やゴミを、長い竹竿の先に熊手を付けたような手作りのゴミ取り棒で取り除き、ある程度上流まで来た所でふと畑の方へと視線をやった、瞬間。
「うわっ!」
目を刺すような光に、思わず声が出た。
雷かとも思ったが、そうでは無いらしい。
何故なら、あの独特のゴロゴロと大気を震わせる音が一切なかったからだ。
代わりに貴志の耳に届いたのは、今まで聞いたことがないほど美しい声だった。
「ここはどこだ?」
光に焼かれた目は無意識にシバシバと瞬きを繰り返す。
暫く後、貴志が細く薄く目を開けると視線の先には人影があった。
いや、人影と言って良いのだろうか。
それは貴志から20m程離れた場所、一週間前に苗付した畑の中に立っている。
いや、正確には浮いている、足が地面に着いておらず30cmほど浮いているのだ。
それの背には2対の羽があり、羽を含めた身体全体が淡く発光している。
極めつけは、何も身につけていない。
つまり人間で言えば、生まれたままの姿と言うやつだ。
男なら良かったのかもしれないが、それはどうやら女のようで、形のいい大きく膨らんだ胸に細くくびれた腰、そしてハリのある臀部が顕になっている。
だがしかし、局所については絶妙に長い金色の髪がかかって見えないのが残念である。
貴志はあんぐりと口を開けたまま硬直していた。
それもそのはず、こんなに綺麗で完璧で貴志の好みど真ん中な女性の裸体などお目にかかったことが無い。
しかも雨が降っていて薄暗いにも関わらず、自ら発光しているおかげでバッチリ見えている。
「⋯夢、か?」
貴志がぽそりと呟くと、それは音もなくゆっくりと浮いたまま移動し、貴志の目の前で止まった。
「ここはどこだ?」
「⋯へっ?あ、うちの畑ですが⋯」
再度告げられた質問に貴志は答えたが、相手の欲していた内容ではなかったようだ。
体同様、美しい彫刻のような顔の眉間に若干の皺が寄った。
「国名は?」
「え、日本です」
「ニホン⋯知らぬな。お主、シャーダリフを知っているか?」
「いいえ、知りません。国の名前ですか?それとも人の名前ですか?」
「⋯⋯⋯」
貴志の問に答えはなかった。
不思議なのは、雨は相変わらず降り続けているのに、その音が全く聞こえないという事。
そして目の前の女性がこれっぽっちも濡れていないこと、そして何やらいい匂いがする事だ。
「仕方ない⋯⋯」
女性はそう呟いて貴志に近付いた。
貴志は後退ろうとしたが、体が動かなかった。
貴志の頬に女性の細い指が触れる。
少しひんやりとした感触が頬から伝わってきた。
それから静かに唇を重ねられた。
「神様⋯なんですか?」
「そうだ。この世界の神ではないがな」
「えーと、シャーダリフっていう世界の?」
「そうだ。で、今どこに向かっておるのだ」
「取り敢えず、俺の家に」
「そうか。それにしても随分と揺れるな」
「あー、軽トラなんで仕方がないというか、何と言うか」
貴志は自分の隣に座る女性をチラチラと確認しながら運転を続ける。
口の中に鉄の味が残っているのは、先程のキスで舌を噛まれたからだ。
男女の甘い官能的なものではなく、ガッチリと流血する噛み方だった。因みにまだ少し痛い。
後から確認したら、相手から知識を得る為には体液を摂取するのが手っ取り早いとか何とか。
それなら先に言って欲しかった。
舌を噛まれて、プチパニックを起こした貴志は後ろに転げて、危うく川に転落するところだった。
何だかんだで、その場に残していくわけにも行かず、こうして家まで連れていこうとしているのだが、さてこの先どうしよう。
軽トラに乗る際に羽が邪魔だと言って羽を仕舞った?ので、今の見た目は普通に超絶美人の外国人さんという感じだ。
因みに発光していたのも抑えて貰ったし、浮くのも辞めていただいた。
だって人間は浮いたり発光したりしないので。
「シャーダリフに戻る宛はあるんですか?」
「んー、今の所ないな。この世界の神ならわかるかもしれんが」
何でも、自分の世界で無ければ神の力?はほぼ使えないらしい。
だから、この世界の情報を得るのも、物理的な取得が必要だったとのこと。
自分の世界であればそんな事をする必要はなく、頭の中で願えば情報を手に入れることができるんだそうだ。
やっぱ、神様ってすげえ。
「ならすぐにわかるんじゃないですかね。だって日本には八百万の神様が居るんですから」
「⋯あー、その神と私の言う神は別物だな」
「え?」
「私の言う神はこの世界を管理している神であって、お前の言う神はその神の下の更に下にいる神のような存在だ」
「マジかぁ」
八百万の神様にすら会ったことないのに、その上の上とか、何か絶望的じゃないだろうか?
あ、でも同じ神様だしどうにかなったりするのかな?
「気長に待つしかなかろう。運が良ければお主が生きている間に会えるかもしれん」
「俺が生きている間にって、平均寿命から行けばあと50年くらいだけど、え?俺、早死する?」
「それは知らんな。この世界の神が我の存在に気付けば良いのだが、この状態では八百万の神とやらとあまり変わらん。そうなれば気付くことも興味を持つことも難しいだろうな」
「あ、え、その場合シャーダリフは大丈夫なんですか?管理人不在で」
「大丈夫かと言われれば大丈夫では無いが、まぁどうにかなるであろう。神などいなくても世界は廻るものだ。で、着いたのか?」
「あ、はい⋯って、待って待って、まだ降りないで!」
この状況を親に何と説明すればいいんだ?
それにこの人素っ裸のままなんですが!
「何だ?服か?」
「え、はい、そうなん⋯⋯エェェェ!」
「騒がしい奴だな」
そりゃ騒がしくもなる。さっきまで裸だったのに今は服着てるし。
素肌にサマーセーター、しかも色は白、そして肌にピッタリ貼り付いたスキニージーンズとヒール高めのサンダルとか、俺の性癖ど真ん中なんですけど!
「お前から得た情報を使わせてもらったぞ。後はそうだな、私はお前の恋人ということにすればいいだろう」
「こ、恋人!」
「何だ、不満か?」
「い、いいえ」
「アメリカ人とでも言っておけば、多少常識がなくても問題なかろう。そうだな、私のことはエマと呼ぶがいい。私はお前をタカくんと呼ぼう」
にっこりと微笑んだエマの笑みに、貴志は釘付けになった。
「じゃあ、行こう?タカくん」
顔を少し傾けて、上目遣いで貴志を見つめるエマに貴志は無言で頷いた。
あぁ、神様、俺今凄い幸せです⋯じゃなくて。
あれだ、夢だ、コレは絶対夢だ。
夢じゃないなら、きっと神様が舞い降りてきて、こう言ったはずなんだ。
『お前の夢を叶えてやろう』ってさ。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 神様が異世界転移!
「一人娘だったの」
そう呟いて、女性は淡いピンク色のスイートピーを花立てに挿した。
かすみ草とスイートピー、それに黄色のガーベラをバランス良く整えていく。
スイートピーと同じ色の洋型の墓石には、家名ではなくただ一文『ありがとう』の文字。
墓石を縁取るように掘られているのは桜の花。
ロウソクに火をつけ、濃い桃色の線香を火に近付けると辺りに桜の香りが拡がった。
女性は静かに手を合わせる。
私も隣に並び手を合わせた。
女性の娘さんは高校2年生、17歳の時に交通事故にあい、帰らぬ人となった。
学校の帰り道、前方不注意の車に後ろから追突されて、ほぼ即死状態だったと言う。
不妊治療の末に授かった一人娘で、大きな怪我や病気もなく元気に育ち、友達も多く、休日には両親と共に買い物に出かけたり、映画を観に行ったりしていた親孝行な娘さん。
高校に自転車で通うとなった時、保険に加入した。
本人が怪我した場合ではなく、誰かを怪我させた場合を想定して。
車の運転手は裁判で悪びれもなく言ったそう。
『スマホを取ろうとしていたんだ、仕方がないだろう』
仕方がない?なんだそれは。
聞いているだけの私でも頭にくると言うのに、この女性の気持ちを考えると更に怒りが募る。
が、女性の続く言葉に自分の浅はかさを知った。
「裁判官の方もね、怒ってくださったの。でもね、そんなのどうでも良かったのよ。だって娘は戻らないもの」
女性は儚く笑う。
その事実を受け入れるのに、どれだけの時間を要した事か。
「ここにお墓を買うって決めて、この近くにマンションも買ったの。いまでもお友達の方が来てくれて。いい子達なのよ」
娘さんの保険金は、お墓と度々訪ねて来てくれるお友達へのおもてなしのために使うと決めているのだという。
娘さんのために貯めていたお金は、娘さんのお墓の近くにいるために買ったマンションになったと笑う。
用事がなければ女性は毎日墓へ来て、娘さんと会話する。
「ふぅ、長居しちゃったわ。お仕事の邪魔じゃなかった?」
「いいえ、大丈夫です」
立ち上がった女性に合わせ、私も椅子から立ち上がる。
平日の管理人の仕事はそれほど多くはない。
それじゃぁ、と言い残し女性は駅へ向かって歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送って、私は休憩室に戻る。
机に置かれた湯のみを片付け、ガラス張りの扉の向こう側、整然と並ぶ墓石を見る。
『仕事はね、難しいことはないよ。掃除をしながら見回り。枯れた花は回収して、墓石に異常がないか確認する。これを大体、一日三回から四回。お供え物は夕方に必ず回収すること。鴉や猫に荒らされるからね。あとは法事の準備などだけど、これは実際やってみればわかりやすいかな。難しくはないから。それから一番大事なのは、お客さんの話を聞くこと。掃除よりも、こっちの方を優先してね』
仕事を教わるとき、そう伝えられた。
初めは何故なのかよく分からなかったが、今なら理解できる。
ここには色んな人の色んな人生が詰まっている。
時間は悲しみを癒すのに必要なものだけれど、残された人にはまだこの先も人生が続く。
無くした人との思い出を、心の中で整理して、人に話すことで哀しみを昇華させる。
私はそのお手伝いをしている。
その人の人生に、直接関係のない人間だから。
故人のことを何も知らない他人だから。
けれど、全く関係のない人間では無いから。
適度に他人で、適度な関係者。
だから、話しやすい。
あなたが顔を上げ明日を生きるために必要ならば、私が話を聞きましょう。
あなたが未来で出会う誰かのためになるならば、私が涙を流しましょう。
あなたが過去に囚われそうならば、私が手を握りましょう。
「こんにちは、いい天気ですね」
私は今日もお客さんに声をかける。
誰かの終わった人生と、これからの人生を見守るために。
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(´-ι_-`) 墓石は『深海』がイイ