目が覚めるとそこは知らない場所だった。
辺りは真っ白で、こういうのを光に包まれているって言うんだろうな、自分の体の感覚もなくて、上も下も分からない。
当たりを見回してみても、小さなゴミひとつ見当たらない。
さて、ここはどこだろうか。
これからどうするべきか。
そんな事を考えていたら、何かが羽ばたく音が聞こえた。
そちらの方へ視線を向けると、俗に言う天使の羽を二対、つまり4枚の羽を広げ神様が舞い降りてきて、こう言った。
『異世界の勇者よ、私の世界を救って欲しい』
「⋯⋯うーん、なんで見ただけで神様ってわかるんだって話だよな。あー、ダメダメ。在り来りすぎるわ、この話。おっとそろそろ時間か。さてと、見回り行くかぁ」
某サイトの閲覧アプリを閉じ、スマホの画面を消しポケットに仕舞う。
深夜降り出した雨は、朝方になるとその勢いを増した。
貴志は長靴を履き、合羽を羽織ると玄関を開けた。
瞬間、雨粒が地面を叩く音が鮮明になる。
「行ってくる」
「気ぃつけやー」
「はいよー」
目指すはココから直線距離で500m先、つい一週間前に苗付したばかりの畑だ。
畑自体の水捌けはこの雨でも心配ないが、近くを流れる川が氾濫すれば大事だ。
流木や草、ゴミなどが貯まればそこから水が溢れる。
だからこうして、何時間か置きに見回りをしている。
軽トラに乗り込みエンジンをかけ、ワイパーをMAXで動かすと慣れた道を走る。
家の敷地を出れば周囲は全て畑で、全てうちの土地だ。
爺さんの爺さんの代から、この場所で農家をやっている、生粋の農家の長男。
弟二人は家を出て普通のサラリーマンをしている。妹は今、海外留学中だ。
農家と言えば一昔前は休めない、重労働、儲けなしなど言われたものだが今は違う。
初期投資は掛かったが、AIやドローンなど最先端技術を上手く組み込んで、労働時間の短縮、品質の改善、収穫量の増加を果たし、親父の頃より収入は何倍にも増えた。
また、株式会社化し、農業に興味を持っている若者や田舎暮らしを考えている人たちを雇用、労働者を確保する事で休日も取りやすくなった。
両親は半分リタイヤし、家の近くの畑で自分達が食べるものと珍しい野菜を夫婦で楽しみながら作っている。
近所の跡継ぎのいない農家から農地の購入を依頼されて買った結果、自分でも驚くほどの土地持ちになってしまったのだが、各種作業車も農地が広ければ活躍の機会があり、遊ばせる期間が短くて済むため、減価償却の面でもいい事である。
目下の課題は、独自販路の拡大と規格外野菜の活用方法と言ったところだ。
「よっと」
サイドブレーキを引いてエンジンを止める。
ココからは気を引き締めて行かないと危険が伴う。
川の横の道を川の状態を確認しながら歩く。
3年ほど前に護岸工事を行い、ついでに川幅も広くした。
それなりの時間と手間はかかったが、農閑期で社員も対応したので費用は随分抑えることが出来た。
「うん、大丈夫そうだな」
所々に溜まっていた枯草やゴミを、長い竹竿の先に熊手を付けたような手作りのゴミ取り棒で取り除き、ある程度上流まで来た所でふと畑の方へと視線をやった、瞬間。
「うわっ!」
目を刺すような光に、思わず声が出た。
雷かとも思ったが、そうでは無いらしい。
何故なら、あの独特のゴロゴロと大気を震わせる音が一切なかったからだ。
代わりに貴志の耳に届いたのは、今まで聞いたことがないほど美しい声だった。
「ここはどこだ?」
光に焼かれた目は無意識にシバシバと瞬きを繰り返す。
暫く後、貴志が細く薄く目を開けると視線の先には人影があった。
いや、人影と言って良いのだろうか。
それは貴志から20m程離れた場所、一週間前に苗付した畑の中に立っている。
いや、正確には浮いている、足が地面に着いておらず30cmほど浮いているのだ。
それの背には2対の羽があり、羽を含めた身体全体が淡く発光している。
極めつけは、何も身につけていない。
つまり人間で言えば、生まれたままの姿と言うやつだ。
男なら良かったのかもしれないが、それはどうやら女のようで、形のいい大きく膨らんだ胸に細くくびれた腰、そしてハリのある臀部が顕になっている。
だがしかし、局所については絶妙に長い金色の髪がかかって見えないのが残念である。
貴志はあんぐりと口を開けたまま硬直していた。
それもそのはず、こんなに綺麗で完璧で貴志の好みど真ん中な女性の裸体などお目にかかったことが無い。
しかも雨が降っていて薄暗いにも関わらず、自ら発光しているおかげでバッチリ見えている。
「⋯夢、か?」
貴志がぽそりと呟くと、それは音もなくゆっくりと浮いたまま移動し、貴志の目の前で止まった。
「ここはどこだ?」
「⋯へっ?あ、うちの畑ですが⋯」
再度告げられた質問に貴志は答えたが、相手の欲していた内容ではなかったようだ。
体同様、美しい彫刻のような顔の眉間に若干の皺が寄った。
「国名は?」
「え、日本です」
「ニホン⋯知らぬな。お主、シャーダリフを知っているか?」
「いいえ、知りません。国の名前ですか?それとも人の名前ですか?」
「⋯⋯⋯」
貴志の問に答えはなかった。
不思議なのは、雨は相変わらず降り続けているのに、その音が全く聞こえないという事。
そして目の前の女性がこれっぽっちも濡れていないこと、そして何やらいい匂いがする事だ。
「仕方ない⋯⋯」
女性はそう呟いて貴志に近付いた。
貴志は後退ろうとしたが、体が動かなかった。
貴志の頬に女性の細い指が触れる。
少しひんやりとした感触が頬から伝わってきた。
それから静かに唇を重ねられた。
「神様⋯なんですか?」
「そうだ。この世界の神ではないがな」
「えーと、シャーダリフっていう世界の?」
「そうだ。で、今どこに向かっておるのだ」
「取り敢えず、俺の家に」
「そうか。それにしても随分と揺れるな」
「あー、軽トラなんで仕方がないというか、何と言うか」
貴志は自分の隣に座る女性をチラチラと確認しながら運転を続ける。
口の中に鉄の味が残っているのは、先程のキスで舌を噛まれたからだ。
男女の甘い官能的なものではなく、ガッチリと流血する噛み方だった。因みにまだ少し痛い。
後から確認したら、相手から知識を得る為には体液を摂取するのが手っ取り早いとか何とか。
それなら先に言って欲しかった。
舌を噛まれて、プチパニックを起こした貴志は後ろに転げて、危うく川に転落するところだった。
何だかんだで、その場に残していくわけにも行かず、こうして家まで連れていこうとしているのだが、さてこの先どうしよう。
軽トラに乗る際に羽が邪魔だと言って羽を仕舞った?ので、今の見た目は普通に超絶美人の外国人さんという感じだ。
因みに発光していたのも抑えて貰ったし、浮くのも辞めていただいた。
だって人間は浮いたり発光したりしないので。
「シャーダリフに戻る宛はあるんですか?」
「んー、今の所ないな。この世界の神ならわかるかもしれんが」
何でも、自分の世界で無ければ神の力?はほぼ使えないらしい。
だから、この世界の情報を得るのも、物理的な取得が必要だったとのこと。
自分の世界であればそんな事をする必要はなく、頭の中で願えば情報を手に入れることができるんだそうだ。
やっぱ、神様ってすげえ。
「ならすぐにわかるんじゃないですかね。だって日本には八百万の神様が居るんですから」
「⋯あー、その神と私の言う神は別物だな」
「え?」
「私の言う神はこの世界を管理している神であって、お前の言う神はその神の下の更に下にいる神のような存在だ」
「マジかぁ」
八百万の神様にすら会ったことないのに、その上の上とか、何か絶望的じゃないだろうか?
あ、でも同じ神様だしどうにかなったりするのかな?
「気長に待つしかなかろう。運が良ければお主が生きている間に会えるかもしれん」
「俺が生きている間にって、平均寿命から行けばあと50年くらいだけど、え?俺、早死する?」
「それは知らんな。この世界の神が我の存在に気付けば良いのだが、この状態では八百万の神とやらとあまり変わらん。そうなれば気付くことも興味を持つことも難しいだろうな」
「あ、え、その場合シャーダリフは大丈夫なんですか?管理人不在で」
「大丈夫かと言われれば大丈夫では無いが、まぁどうにかなるであろう。神などいなくても世界は廻るものだ。で、着いたのか?」
「あ、はい⋯って、待って待って、まだ降りないで!」
この状況を親に何と説明すればいいんだ?
それにこの人素っ裸のままなんですが!
「何だ?服か?」
「え、はい、そうなん⋯⋯エェェェ!」
「騒がしい奴だな」
そりゃ騒がしくもなる。さっきまで裸だったのに今は服着てるし。
素肌にサマーセーター、しかも色は白、そして肌にピッタリ貼り付いたスキニージーンズとヒール高めのサンダルとか、俺の性癖ど真ん中なんですけど!
「お前から得た情報を使わせてもらったぞ。後はそうだな、私はお前の恋人ということにすればいいだろう」
「こ、恋人!」
「何だ、不満か?」
「い、いいえ」
「アメリカ人とでも言っておけば、多少常識がなくても問題なかろう。そうだな、私のことはエマと呼ぶがいい。私はお前をタカくんと呼ぼう」
にっこりと微笑んだエマの笑みに、貴志は釘付けになった。
「じゃあ、行こう?タカくん」
顔を少し傾けて、上目遣いで貴志を見つめるエマに貴志は無言で頷いた。
あぁ、神様、俺今凄い幸せです⋯じゃなくて。
あれだ、夢だ、コレは絶対夢だ。
夢じゃないなら、きっと神様が舞い降りてきて、こう言ったはずなんだ。
『お前の夢を叶えてやろう』ってさ。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 神様が異世界転移!
「一人娘だったの」
そう呟いて、女性は淡いピンク色のスイートピーを花立てに挿した。
かすみ草とスイートピー、それに黄色のガーベラをバランス良く整えていく。
スイートピーと同じ色の洋型の墓石には、家名ではなくただ一文『ありがとう』の文字。
墓石を縁取るように掘られているのは桜の花。
ロウソクに火をつけ、濃い桃色の線香を火に近付けると辺りに桜の香りが拡がった。
女性は静かに手を合わせる。
私も隣に並び手を合わせた。
女性の娘さんは高校2年生、17歳の時に交通事故にあい、帰らぬ人となった。
学校の帰り道、前方不注意の車に後ろから追突されて、ほぼ即死状態だったと言う。
不妊治療の末に授かった一人娘で、大きな怪我や病気もなく元気に育ち、友達も多く、休日には両親と共に買い物に出かけたり、映画を観に行ったりしていた親孝行な娘さん。
高校に自転車で通うとなった時、保険に加入した。
本人が怪我した場合ではなく、誰かを怪我させた場合を想定して。
車の運転手は裁判で悪びれもなく言ったそう。
『スマホを取ろうとしていたんだ、仕方がないだろう』
仕方がない?なんだそれは。
聞いているだけの私でも頭にくると言うのに、この女性の気持ちを考えると更に怒りが募る。
が、女性の続く言葉に自分の浅はかさを知った。
「裁判官の方もね、怒ってくださったの。でもね、そんなのどうでも良かったのよ。だって娘は戻らないもの」
女性は儚く笑う。
その事実を受け入れるのに、どれだけの時間を要した事か。
「ここにお墓を買うって決めて、この近くにマンションも買ったの。いまでもお友達の方が来てくれて。いい子達なのよ」
娘さんの保険金は、お墓と度々訪ねて来てくれるお友達へのおもてなしのために使うと決めているのだという。
娘さんのために貯めていたお金は、娘さんのお墓の近くにいるために買ったマンションになったと笑う。
用事がなければ女性は毎日墓へ来て、娘さんと会話する。
「ふぅ、長居しちゃったわ。お仕事の邪魔じゃなかった?」
「いいえ、大丈夫です」
立ち上がった女性に合わせ、私も椅子から立ち上がる。
平日の管理人の仕事はそれほど多くはない。
それじゃぁ、と言い残し女性は駅へ向かって歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送って、私は休憩室に戻る。
机に置かれた湯のみを片付け、ガラス張りの扉の向こう側、整然と並ぶ墓石を見る。
『仕事はね、難しいことはないよ。掃除をしながら見回り。枯れた花は回収して、墓石に異常がないか確認する。これを大体、一日三回から四回。お供え物は夕方に必ず回収すること。鴉や猫に荒らされるからね。あとは法事の準備などだけど、これは実際やってみればわかりやすいかな。難しくはないから。それから一番大事なのは、お客さんの話を聞くこと。掃除よりも、こっちの方を優先してね』
仕事を教わるとき、そう伝えられた。
初めは何故なのかよく分からなかったが、今なら理解できる。
ここには色んな人の色んな人生が詰まっている。
時間は悲しみを癒すのに必要なものだけれど、残された人にはまだこの先も人生が続く。
無くした人との思い出を、心の中で整理して、人に話すことで哀しみを昇華させる。
私はそのお手伝いをしている。
その人の人生に、直接関係のない人間だから。
故人のことを何も知らない他人だから。
けれど、全く関係のない人間では無いから。
適度に他人で、適度な関係者。
だから、話しやすい。
あなたが顔を上げ明日を生きるために必要ならば、私が話を聞きましょう。
あなたが未来で出会う誰かのためになるならば、私が涙を流しましょう。
あなたが過去に囚われそうならば、私が手を握りましょう。
「こんにちは、いい天気ですね」
私は今日もお客さんに声をかける。
誰かの終わった人生と、これからの人生を見守るために。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 墓石は『深海』がイイ
駅からアパートまでの道、その丁度中間辺りにある白い洋館。
この辺りでは一番敷地の広いお屋敷で、ぐるりと鉄柵に囲まれている。
敷地の中には大きな木があって、区の保存樹木に指定されていた。
どんな人が住んでいる?
家族構成は?
ペットとか飼っているのかな?
興味は尽きない。
けれど、何一つ知ることはできなくて、いつも洋館の前を通り過ぎるだけ。
時折聞こえてくるピアノの音に耳をすまして、歩く速度を落としてみる。
音楽の知識があるわけじゃないから、そのピアノが上手いのかどうか、全然分からない自分にちょっぴりガッカリする。
今日も今日で洋館の前を通る。
あ、珍しい、玄関が開いている。
頭ではダメだとわかっている。
けれど体は正直で、好奇心に負け横目で中をチョット拝見。
「鳥かご?」
思わず口に出た言葉を、慌てて仕舞い込む。
木製の、随分と手の込んだ彫刻が施された、そうアンティークの鳥かごだった。
けれど⋯⋯。
もう一度見たい、しかしここで引き返したら不審人物以外の何者でもない。
でもあれは確かに⋯⋯。
目を閉じて、先程のほんの一瞬の光景を思い出す。
「間違いない」
うんうんと、誰にでもなく頷いて、足取り軽く駅に向かう。
洋館については相変わらず殆ど何も分からない。
けれど 、あの洋館には某アニメが好きな人が住んでいる。
⋯かもしれない。
だって鳥かごの中で、首に赤いリボンをつけた真っ黒な猫が、とても気持ちよさそうに寝ていたのだから。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 洋館、だいぶ前になくなってた⋯
男女間の友情は成立するのか?
色んな意見があるとは思うが、俺の回答は『成立する』かな。
まぁ、俺の場合はだが。
で、いきなり何でそんな事を言い出したのかと言うと、その相手が今現在俺の横で寝ているから。
こんだけ安心しきった顔で寝られると、こちらとしてもチョットばかり複雑な心境になる訳だが、まぁいいか。
この、俺のベッドでスヤスヤと寝息を立てている人物とは、かれこれ10年以上の付き合いになる。
彼女の2つ上の兄と俺は中学からの同級生で、中学、高校、大学と俺の幼馴染と3人でよくツルんでいた。
当然、家に遊びに行くことも多く、というか、ほぼ毎日のように遊びに行っていたので、顔見知りなんて程度の仲ではない。
もしかすると彼女にとって俺は、兄のような存在なのかもしれないが。
「友達ねぇ」
昨夜、仕事から帰るとマンションの入口に佇む影があった。
背中の半分まであるストレートの黒髪を首元でひとつに結んで、上下グレーのパンツスーツ。
左手にはシンプルなデザインの、と言えば聞こえはいいが、飾りのひとつもない普通の鞄を持っている。
ここまで言えば、その足元が黒の飾り気のないパンプスであることは想像に固くないだろう。
お洒落のおの字もない女性は、俺の姿を確認すると右手に持ったスーパーのレジ袋を掲げて見せた。
軽々と掲げているが、あの中にはこれでもかとビールが詰め込まれているのを俺は知っていた。
毎週末、予告も約束も無しに彼女は俺の部屋に来る。
一週間分の仕事の愚痴を吐き出すために。
まぁ、予定がある場合当日の昼までにその旨連絡しておけば家に来ることはないので、彼女にとって俺の家に来ることはルーティーンのひとつなのだろう。
嫌なら断ればいい?
まぁ、嫌なら俺だってきちんと断る。
嫌じゃないから、この状態が続いているし、そもそも初めに誘ったのは俺からだし。
「んー、また隈が酷くなったか?」
むにゃむにゃと何か寝言を呟いている彼女の目元をそっと撫でる。
人たらしでちゃっかり屋の兄は適度に手を抜ける世渡り上手、それに比べ根が真面目で手を抜くということを知らず、人との付き合いも苦手な妹は昔から息抜きが下手だった。
中学に上がり子供のままではいられないストレスに晒された者達は、その捌け口を探す。
人付き合いが苦手で、独りでいる事が多かった彼女はすぐにターゲットにされた。
それでも、金銭を要求されたりすることは無いから平気だと、彼女は俺に言った。
ちょっとした生傷は絶えなかったし、時には髪を切られたりしたこともあったが、彼女は両親や兄、そして教師に言うことを拒んだ。
何故かと聞いた俺に対し、「意味が無いことはしなくていい」と言い放った。
教師に言えば、イジメは酷くなるだけで無くなることは無い、両親や兄には心配させたくないし、心配させるだけでイジメは続くから、と。
それに⋯。
「優しすぎるのも考えものだぞ」
うりうりと眉間を少し強く押してやれば、不満気な声を上げて寝返りを打つ。
『私が虐められているうちは、他の人は虐められないから』
そう言った彼女の顔を覚えている。
憂いているでも強がっているでもなく、毅然として、それが最善の方法なのだと心から信じている目をしていた。
今なら、そんな対応は間違っていると、自分を犠牲にしてまですべきことでは無いと言って諭すのかもしれないが、当時の俺には何も言うことが出来なかった。
結局、中学、高校と程度の差はあれイジメが止むことはなかったが、彼女は一度として俺達や誰かに助けを求めることはなく、また友達を作ることもなく卒業した。
大学は比較的穏やかに過ごしていたようだった。
だが、就職活動が始まると落ち込むことが増えていたらしい。
らしいというのは、その頃俺も忙しく、殆ど顔を合わせることがなかったからだ。
時折、LINEで連絡をとったりはしていたけど、簡単な近況報告だけで、通話することも会うこともなかった。
状況は数ヶ月から半年に1回程度で飲む彼女の兄から教えられたが、その兄も実家を出て一人暮らししていたのだから、詳しい状況はわかっていなかった。
再会したのは彼女が就職して半年が過ぎたあたり。
昨夜と同じように、マンションの入口に立っていた。
初めは誰か分からなかった。
4年の歳月もあったが、それほど彼女は疲れ切っていた。
とりあえず部屋にあげると、彼女は一通の封筒を差し出した。
普通の手紙とは違う、少し厚手のほんのりピンクの色がついたそれは、彼女の兄の結婚式の招待状だった。
本来ならば本人の手で渡す予定だったらしいが、急な海外出張でひと月ほど戻れないという事で代理で渡しに来たと。
俺のマンションは彼女の会社から駅2つと近い事もあり、つい連絡無しで来てしまったと。
そして、役目を終え帰ろうとした彼女を俺は引き止めた。
久しぶりに会ったのだから、少しくらい話そう、と言って。
彼女は黙って頷いた。
冷蔵庫にあったビールと簡単なツマミをテーブルに並べて乾杯する。
会わなかった4年間のこと、そして仕事の事など彼女のペースで話させた。
「あんまり無理するな」
相変わらずというか、やっぱりと言うか、大学でも友達はできなかったようだ。
彼女の性格なら、会社でも友達を作ることはないのかもしれない。
それでも、仕事をしやすくするため最低限の人脈作りを頑張っているようだが、あなり上手くいっていないらしい。
俺ができることといえば、ほんの少しのアドバイスと、愚痴をきいてやることぐらいだ。
だから、いつでも来ていいぞ、と言ったら次の週末から酒やツマミを持ってくるようになった。
「うーん⋯⋯、もう、朝?」
「まだ5時前だ」
3時頃まで飲んでいたのだから、そんなに寝ていない。
現に俺は、まだ一睡もしていない。
「⋯⋯うぅん」
「ほら、まだ寝てろ」
寝返りではだけた布団を掛けてやる。
シングル用の布団は2人で寝るにはやっぱり少し小さい。
華奢な肩を引き寄せて、布団で包むようにしてやる。
「あった⋯かい⋯」
「⋯⋯⋯そうか」
これが普通の男女なら、色々な関係の名前がつくのかもしれない。
けれど俺たちの関係は男女のそれでは無い。
強いて言うなら、友達になるのだろう。
「寝れる時に寝とけ」
「うん⋯、ごめん」
「⋯⋯何が?」
何か謝られるようなことがあっただろうか。
「兄さん、結婚しちゃう」
結婚しちゃう、ね。
薄々そんな気はしていたけれど、このタイミングで来るか。
というのが、正直な感想。
「⋯⋯⋯何時から知ってた?」
「中2の夏休み。寝てる兄さんにキスしてたから」
「そっか。あいつには⋯」
「言ってないし、言わない、よ」
彼女が謝る必要なんて、これっぽっちもないのにな。
この結果は、俺があいつとの友情を、友達でいることを選んだからであって、誰のせいでもない。
例え俺の気持ちをあいつに伝えたとしても、あいつは変わらず友達でいてくれたとは思う。
けれど、俺が変わらずにいられる自信がなかっただけだ。
「ありがとう」
彼女はフルフルと首を振り、何も出来なくてゴメンなさい、と小さく呟いた。
来週はあいつの結婚式で、俺はあいつを祝う。
友人として、一人の男として、あいつの人生の門出を見守る。
あいつがあいつの愛する人と家庭を作り、幸せになる様を友人として見届けるために、自分の気持ちに区切りをつけるために。
「あ⋯と、兄さん、春、パパ、⋯に、な⋯⋯る」
「え?」
満足した顔で眠る彼女とは逆に、落とされた爆弾の大きさにやられた俺はひとり天井を見る。
結婚は覚悟していたから、それほどショックではなかったが。
「パパ⋯」
子供が生まれると聞いて、何故こんなにもショックなのだろうか。
そして、彼女がこんなにも無防備に自分の隣で眠れる理由が、俺の想い人を知っていたからだと思うと、何だか切なくなってしまうのは何故なのか。
「はぁぁ。寝るか」
思考を放棄し、ぽそりと呟いて目を閉じる。
アルコールの心地よい酩酊の感覚と、隣にある人肌の温もりが俺を深い眠りへと誘う。
取り敢えず、彼と彼女の兄妹と出会えたことに感謝し、この穏やかな関係がこの先もずっと続くことを願いながら、俺は意識を手放した。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 友情⋯(。-`ω´-)ンー。
「ねぇ、お父さん」
「うん?」
「これ、何?」
そう言って、娘が私に向かって見せたのは、白黒の写真のパネルだった。
随分前に行方不明になっていたのだが、妻の衣装ダンスにあったとはな。
妻が闘病の末、静かに旅立ったのは半年と少し前。
嫁に行った一人娘が、孫ふたりと戻ってきた三年後の事だった。
私と妻が知り合ったのは、もう50年近くも前になるだろうか。
当時流行っていたボウリングに友達3人で行って、隣のレーンでゲームしていた4人組の女の子たちと意気投合し、一緒に遊ぶようになった。その中のひとりが妻だった。
ただ⋯⋯。
「これ、お父さんが撮った写真?」
「そうだな」
雪の中、手袋をした両手を口元に当てて空を見上げる女性を納めた写真。
市のコンテストに応募したら、ちょっとした賞を取ったやつだ。
だから、パネルになっている。
「これ、お母さんじゃないよね?」
「あぁ、そうだな」
「え、じゃあ誰?」
「和枝さんって言って、⋯母さんの幼なじみの女性だ」
「へぇ、すごい綺麗な人だね」
「あぁ」
本当に彼女は綺麗で、すれ違う男共は皆振り返った程だった。
私もその一人で、彼女の前では気取って歩いたものだった。
だからこそ、彼女から告白された時は夢じゃないかと思った。
皆とも遊びつつ、時間をみては二人でデートを重ねた。
喫茶店を巡ったり、少し遠出をして海に行ったり、映画を観て感想を言い合ったり。
「お母さんからは和枝さんの話を聞いた事なかったな。幼なじみなら話題に出てきそうなものだけど」
「⋯⋯⋯そうか」
「ん?⋯コレは何?」
「どうした?」
「裏に何か書いてる⋯えっと」
『儚く散り逝く吐息と共に
凍える氷の花咲いて
キミの夢が叶うようにと
遙か遠くの星に願う』
「どういう意味だろう?あとは『和ちゃん愛してる』だって、お父さん良かったね。お母さん愛してるって」
娘に手渡されたパネルの裏側に書かれた詩。
小さな字ではあるけれど、それが誰の筆跡かはすぐにわかった。
「⋯って、お父さん?泣いてる?」
和枝は、出会った二年後の冬に帰らぬ人となった。
私達はその冬が明けたら結婚しようと、約束していたのに。
あっという間だった。
体調が悪いからと、その日の約束を断られた。
私は彼女が好きなガーベラの花束を持って、見舞いに行った。
部屋のベッドの上で彼女は笑って見せた。
少しだけ言葉を交わして、最後にキスをして別れた。
それが最後となった。
次に会った時、彼女はただ静かに眠っているだけだった。
「お父さん?」
そこからの記憶は曖昧で、彼女がいない世界がいつもとかわらずに回っていることに絶望していた。
そんな中、隣にいてくれたのが妻だった。
何を望むでもなく、ただそっと当たり前のように隣にいる、ただそれだけ。
そんな些細なことが、その頃の私にとって必要なことだった。
和枝を失って10年、心に空いた穴が漸く埋まり始めた頃、私と妻は結婚した。
そこにあったのは、和枝との間にあった燃えるような感情ではなく、ただそこにあるだけの優しい温もりだったが、それが心地よく穏やかな日々を過ごすことが出来た。
「はははっ、やられたな」
そう呟いた私を、娘は怪訝そうな顔をして見ている。
昔、1度だけ妻が私に言った、生前の和枝の願いごと。
私が幸せである事が、和枝の唯一の願いだったと。
それを聞いて、私は泣いた。
そして続けて妻はこう言った。
『和ちゃんの願いは、必ず私が叶える』
そこまで、幼なじみのことが大切なのかと、当時はそう思ったのだが、どうやら違ったようだ。
私と妻はライバルだったのか。
気付けなくて妻には悪い事をしてしまっただろうか。
もしかしたら、気付かせないことも妻の計画の一部だったのかもしれない。
妻の字で書かれた詩の左下。
小さく書かれた短い言葉。
『和ちゃん愛してる』
私の名前は和彦で、子供の頃は和ちゃんと呼ばれていたが、妻からは和彦さんと呼ばれていた。
それも娘が産まれる前までの話だが。
妻が和ちゃんと呼ぶ人物は、私が知る限りではたった一人しかいない。
言いたくても言えなかったこの短い言葉を、妻はいったいどんな思いで書いたのだろうか。
私と妻の間には、和枝がいる。
和枝を通して私と妻は家族になった。
妻は私より先に和枝に会いに行ってしまった。
残された私は、もう少しだけ、和枝と妻のいないこの世界で、和枝の願いを叶え続けよう。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 書ききれてない感じ。
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