真岡 入雲

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「ねぇ、お父さん」
「うん?」
「これ、何?」

そう言って、娘が私に向かって見せたのは、白黒の写真のパネルだった。
随分前に行方不明になっていたのだが、妻の衣装ダンスにあったとはな。

妻が闘病の末、静かに旅立ったのは半年と少し前。
嫁に行った一人娘が、孫ふたりと戻ってきた三年後の事だった。
私と妻が知り合ったのは、もう50年近くも前になるだろうか。
当時流行っていたボウリングに友達3人で行って、隣のレーンでゲームしていた4人組の女の子たちと意気投合し、一緒に遊ぶようになった。その中のひとりが妻だった。
ただ⋯⋯。

「これ、お父さんが撮った写真?」
「そうだな」

雪の中、手袋をした両手を口元に当てて空を見上げる女性を納めた写真。
市のコンテストに応募したら、ちょっとした賞を取ったやつだ。
だから、パネルになっている。

「これ、お母さんじゃないよね?」
「あぁ、そうだな」
「え、じゃあ誰?」
「和枝さんって言って、⋯母さんの幼なじみの女性だ」
「へぇ、すごい綺麗な人だね」
「あぁ」

本当に彼女は綺麗で、すれ違う男共は皆振り返った程だった。
私もその一人で、彼女の前では気取って歩いたものだった。
だからこそ、彼女から告白された時は夢じゃないかと思った。
皆とも遊びつつ、時間をみては二人でデートを重ねた。
喫茶店を巡ったり、少し遠出をして海に行ったり、映画を観て感想を言い合ったり。

「お母さんからは和枝さんの話を聞いた事なかったな。幼なじみなら話題に出てきそうなものだけど」
「⋯⋯⋯そうか」
「ん?⋯コレは何?」
「どうした?」
「裏に何か書いてる⋯えっと」

『儚く散り逝く吐息と共に
凍える氷の花咲いて
キミの夢が叶うようにと
遙か遠くの星に願う』

「どういう意味だろう?あとは『和ちゃん愛してる』だって、お父さん良かったね。お母さん愛してるって」

娘に手渡されたパネルの裏側に書かれた詩。
小さな字ではあるけれど、それが誰の筆跡かはすぐにわかった。

「⋯って、お父さん?泣いてる?」

和枝は、出会った二年後の冬に帰らぬ人となった。
私達はその冬が明けたら結婚しようと、約束していたのに。
あっという間だった。
体調が悪いからと、その日の約束を断られた。
私は彼女が好きなガーベラの花束を持って、見舞いに行った。
部屋のベッドの上で彼女は笑って見せた。
少しだけ言葉を交わして、最後にキスをして別れた。
それが最後となった。
次に会った時、彼女はただ静かに眠っているだけだった。

「お父さん?」

そこからの記憶は曖昧で、彼女がいない世界がいつもとかわらずに回っていることに絶望していた。
そんな中、隣にいてくれたのが妻だった。
何を望むでもなく、ただそっと当たり前のように隣にいる、ただそれだけ。
そんな些細なことが、その頃の私にとって必要なことだった。
和枝を失って10年、心に空いた穴が漸く埋まり始めた頃、私と妻は結婚した。
そこにあったのは、和枝との間にあった燃えるような感情ではなく、ただそこにあるだけの優しい温もりだったが、それが心地よく穏やかな日々を過ごすことが出来た。

「はははっ、やられたな」

そう呟いた私を、娘は怪訝そうな顔をして見ている。
昔、1度だけ妻が私に言った、生前の和枝の願いごと。
私が幸せである事が、和枝の唯一の願いだったと。
それを聞いて、私は泣いた。
そして続けて妻はこう言った。

『和ちゃんの願いは、必ず私が叶える』

そこまで、幼なじみのことが大切なのかと、当時はそう思ったのだが、どうやら違ったようだ。
私と妻はライバルだったのか。
気付けなくて妻には悪い事をしてしまっただろうか。
もしかしたら、気付かせないことも妻の計画の一部だったのかもしれない。

妻の字で書かれた詩の左下。
小さく書かれた短い言葉。

『和ちゃん愛してる』

私の名前は和彦で、子供の頃は和ちゃんと呼ばれていたが、妻からは和彦さんと呼ばれていた。
それも娘が産まれる前までの話だが。
妻が和ちゃんと呼ぶ人物は、私が知る限りではたった一人しかいない。
言いたくても言えなかったこの短い言葉を、妻はいったいどんな思いで書いたのだろうか。

私と妻の間には、和枝がいる。
和枝を通して私と妻は家族になった。
妻は私より先に和枝に会いに行ってしまった。
残された私は、もう少しだけ、和枝と妻のいないこの世界で、和枝の願いを叶え続けよう。


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(´-ι_-`) 書ききれてない感じ。
私(和彦) → 和枝 ← 妻

7/23/2024, 5:51:17 PM