【月夜】
『綺麗な月が好き。特に満月が。』
そういい、
君は、今日も飽きずに望遠鏡を覗き込んでいる。
今日は月に1回許された、天文学部・屋上観測会。
部員は、幽霊部員を含めて5人。今日の参加者は、2人だけ。
天文学部は人気のない部活で、同好会状態だ。
おかげで部費はさほど援助されず、合宿は学校か、
近くの山か土手の3択である。
「うーさむ。」
冬の方が空気が澄み星が綺麗に見えるが…寒くてかなわない。耐えられず、望遠鏡を持っていた手を勢いよく自分のポケットに突っ込み、白い息を吐きながら君を見た。
毎度毎度飽きずによく見るな。
真剣な横顔で、ピントを合わせる君にそんなことを思う。
もちろん君はそんな視線には気づくはずもなく、ひたすらに月や星を見ている。
「本当に宙が好きなんだな。」
『好きだよ。大好き。』
君は、鼻の上を真っ赤にして、満足そうにニコニコ笑いながら宙を指さす。
『直接触れないし、見れない。海よりもっともっと遠い遠い存在で、なんだかワクワクしてこない?』
僕は気の利いた返事なんて思い浮かばず
「ああ。そうだな。」
と無愛想な返事を一言し、自分のピントの合ってない望遠鏡を覗くふりして誤魔化した。
2人で静かに宙を見る。望遠鏡に齧り付く。
さて、今日は何を見ようか。
金星、一等星、輝く星は沢山あるが、
やっぱり今日も月を見ていよう。
月の使者が君を連れ去りに来たら大変だから。
【一筋の光】
私は今埋められている。
土の中。酸素は薄い。
さっき来た大災害に巻き込まれてしまったのだ。
駿河湾から日向灘沖を震源地とする、南海トラフ地震。
震度6強の揺れに見舞われ、昨晩の雨で緩くなっていた土砂が私に降り注いだ。
うちは山間部だから津波は来ないと正直油断していた。
━━30年以内に起きる可能性は70パーセントです━━
真っ暗闇の中、ニュースの言葉がずっと脳を駆け巡る。
あんなに備蓄をしっかりしていたのにな…。
それにしてもここは重くて、暗い。
昨晩の雨に濡れた土は泥となり、私の身体に密着している。動こうとすればするほどに、私の身体に張り付いてくる。
動き疲れた私は、来るかも分からない助けを大人しく待つことにした。
何秒、何分、何時間が経ったのかすら分からぬ暗闇。
目が慣れることの無い闇は、私を益々不安にさせる。
いっそ地獄のような光景でもいいから、この目に入れたいとさえ思った。
何も感じなかった体が、冷たい何かを感じた。
ミミズだ。ミミズが顔の近くを張っている。
今すぐにでも払い除けたい衝動で、右手を動かすがビクともしない。どうしようもなく、ただその気持ち悪さを堪え、されるがままにミミズを散歩させた。
もう嫌だ。早く出たい。
目を閉じて、次起きた時には光の中に居たい。
そんな願いも虚しく、暗闇が続く。
遠くからカラスの鳴き声が聞こえる。明け方なのだろうか?とっくのとうに、時間間隔など分からなくなったはずなのに、体に備わった時計は夜に睡眠を取ることを覚えていたようだった。
お腹がすいた。
カラスの声に混じって、犬の吠える声がした。
まだ遠いが、頑張れば声が届くのではないだろうか。
助けて、ここにいます。助けて!!!
大声をだすが、近づいてくる気配は無い。
どうしたらいい、今を逃したら助けはいつ来るんだ、
死にたくない、こんな暗闇もう嫌だ。
━━土に埋まってしまった時には、排尿しましょう。
災害救助犬の鼻が匂いを捉えやすくなります!━━
いつか見た動画の言葉を思い出した。
普通の人間なら抵抗してすぐに行動に移せないだろうが、私は違った。
死ぬこと以外に怖いことなんて、今は何も無かった。
どうか神様、私を助けてくださいと。
心から願い、大声をあげながら排尿するさまはきっと無様なものだろう。そんな私を神は救うのだろうか。
しばらくして
私を救う神のような声が聞こえた。
【どこまでも続く青い空】
『海と空が広がって、繋がっている!』
海に来る人間はよくそういう。
魚の私に言わせれば、
空は海と繋がることは永遠になく全くの別ものだ。
海から顔を覗かせてみても、この海と繋がっているはずの空には私のヒレは届かないのだから。
見上げれば、海と同じ色の大きな大きな青空が見える。
海を映す鏡のようなその姿に、魚の私が憧れを抱いてしまうのは罪なのだろうか。
1度でいいから、空に飛び込みこのヒレで空を掴みたい。
そう思うのは、罪なのだろうか。
そんな考えに溺れながら、波の奥に空を見ていた。
重力に呑まれ、眠りに落ちるようにゆっくりゆったり
わたつみへ沈んでいく。
羨ましい、私も空飛ぶ鳥のように自由に空を泳ぎたい。
今の姿では無理なので、そっと目を瞑り神に祈った。
悲しげに物語ったあと、
彼女はその陶器のように白く美しい腕を日に透かした。
「神なんていないのかもね。」
そう呟く彼女の横顔は、この憂き世でも自分の手で空を泳げないことを、悔やんでいるのように見えた。
【踊りませんか?】
いつもの天井、鳴り響く介護士の足音に目を覚ます。
食堂にはもうみんな集まっているようで、少し急ぎながら歩行器を進ませる。
いつもの席に座ると、新聞を読んでいた貴方が
「おはよう」と挨拶してくれた。
「おはよう」と返事をして朝食を待つ。
しばらくの沈黙の後に、
神妙な面持ちで貴方はとある提案をしてきた。
「一緒に踊ってくれないか?出会った時のように。」
寝ぼけているのだろうかと疑う発言であったが、
彼のあまりに真剣な表情に、承諾してしまった。
踊るという言葉に、出会った時を思い出す。
私たちが初めて出会ったのは、社交パーティだった。
会社が主催の親睦を深めるためのパーティで、テーブルにはたくさんのオードブルやドリンクが並んでいた。
わたしは踊りが好きだったが、相手が見つからずに壁際をさまよっていた。
(このままじゃ壁の花だわ…)なんて思っていた時、ガチガチに緊張していた可愛い彼を見つけて、「良ければ、踊りませんか?」と思わず声をかけてしまったのだった。
それがきっかけでここまで幸せにずっと共に生きることになったのだから、あの時の勇気は間違いではなかったのだろうといまでも思うのだ。
夕暮れになり、ホールに音楽がかかる。
介護士が用意してくれていたらしい。
華やかな場所が苦手で、ダンスもそこまで上手くない貴方がいきなり誘ってくれた意味。
よく考えなくても分かっていた。
明日はきっとこの幸せが半分になる日なんだろう。
初めて出会った社交パーティで踊ったワルツを、
車椅子と歩行器の老人で踊る。
それは到底踊りとは言えない代物だったが。
それでもいつまでも老人は踊った。
【踊るように】と同日の物語。妻の視点
【巡り会えたら】
腕の中で冷たくなっていくあなたを感じている。
さっきまでの熱が嘘のように、冷えていくの感じる。
どれだけ健全に生きていようが、
生きとし生けるものには必ず死は訪れる。
当然それはあなたにも。
そもそもあなたにとって、
この人生は幸せだったのだろうか?
あなたの求めていた幸せって
こんなものだったのだろうか?
聞いても返答などできないあなたの口を閉じる。
光や色をもう感じることの出来ない目を閉じる。
そっと頬に手を添えて、美しいその顔に口付けをする。
そして、最後の最後にあなたの耳に囁いた。
「次こそ、正しく巡り会って幸せになろうね。」