思いつきなんちゃって小話

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【踊りませんか?】

いつもの天井、鳴り響く介護士の足音に目を覚ます。
食堂にはもうみんな集まっているようで、少し急ぎながら歩行器を進ませる。

いつもの席に座ると、新聞を読んでいた貴方が
「おはよう」と挨拶してくれた。
「おはよう」と返事をして朝食を待つ。

しばらくの沈黙の後に、
神妙な面持ちで貴方はとある提案をしてきた。
「一緒に踊ってくれないか?出会った時のように。」
寝ぼけているのだろうかと疑う発言であったが、
彼のあまりに真剣な表情に、承諾してしまった。


踊るという言葉に、出会った時を思い出す。

私たちが初めて出会ったのは、社交パーティだった。
会社が主催の親睦を深めるためのパーティで、テーブルにはたくさんのオードブルやドリンクが並んでいた。
わたしは踊りが好きだったが、相手が見つからずに壁際をさまよっていた。
(このままじゃ壁の花だわ…)なんて思っていた時、ガチガチに緊張していた可愛い彼を見つけて、「良ければ、踊りませんか?」と思わず声をかけてしまったのだった。

それがきっかけでここまで幸せにずっと共に生きることになったのだから、あの時の勇気は間違いではなかったのだろうといまでも思うのだ。



夕暮れになり、ホールに音楽がかかる。
介護士が用意してくれていたらしい。



華やかな場所が苦手で、ダンスもそこまで上手くない貴方がいきなり誘ってくれた意味。
よく考えなくても分かっていた。
明日はきっとこの幸せが半分になる日なんだろう。


初めて出会った社交パーティで踊ったワルツを、
車椅子と歩行器の老人で踊る。
それは到底踊りとは言えない代物だったが。
それでもいつまでも老人は踊った。




【踊るように】と同日の物語。妻の視点

10/4/2023, 1:28:02 PM