「君は世界に一人だけ!オンリーワンさ!」
「どうしたのいきなり」
イヤホンを片耳だけ外して、プライベート故に静まり返っていた二人きりの部屋へただ突発的に言葉を放つ。心優しい彼はそれがどんなに無意味で不毛なことであろうと、無視せずに言葉を返してくれる。心地が良すぎて調子に乗ってしまうから、甘やかさないほうが身のためだと思うけれど。
「これってなんの褒め言葉でもなくない?」
「そうかな。前向きで良い言葉だと思うけど」
「だって、私みたいな愚図が他にいないことなんて前から知ってたもん」
「確かにお前は愚図で馬鹿だね。これはそういう意味じゃないよ。もう少しその足りない頭で考えてごらん」
「ありゃ、読書の邪魔しちゃった?」
「その上、そういう話は聞き飽きたから。暇なら簡単な本を貸すけど」
「いらない。あーあ、もっと私のことを理解してくれるいい友人が出来ないかな。いっぱい甘やかして優しく姬プして欲しい」
「僕ほどお前を理解してる人もいないと思うけど。あんまり優しくすると嫌がるじゃん」
「えー…そーかな…」
自分以外の存在が消えてしまったよう。目に映るのは雨に掠れた不明瞭な世界で、聞こえるのは柔らかいシャワーが世界に跳ねる音だけ。世界から自身を隔離するように囲む雨のカーテンに守られている。騒音から現実から世界から。
雨粒が少し痛いかも。僕の存在はまだあるだろうか。それともカーテンに囲まれたのは世界の方?
濡れた髪を額からはらっても意味はなかった。頭痛がする。体温が奪われる。音を立てて降り注ぐ雨は僕を怒っているみたいだ。なぁ、おまえが立っているその場所は、本来雨のあるべき場所だ。邪魔だ。邪魔。
居場所を与えてくれたと思っていたけど。無条件に僕を世界から守ってくれるなんて、虫の良い話ないよね。僕の居場所は
雨がやんだ。冷水の如く冷え切った身体に触れた腕は暖かかった。彼の藍色の傘が冷たい雨を弾く。
「なに、してるの。こんなに冷えて」
「消したいと思った。雨は、全部を誤魔化してくれるから。でも、雨は僕のことが嫌いみたい。いっそ僕が、消えてしまえればよかった」
「雨にそんな力はないよ。あるとすれば、君に風邪を引かせることくらいさ。おいで、母様が心配してる」
誰一人、裏切りなどという行為はしていない。雨も、世界と切り離され戻れなくなった僕を家に迎えてくれた君の両親も、君も。僕が、勘違いを信じてしまうから。
太陽が、近づいているらしい。
「なんで?」
ここ数ヶ月で何処からともなく現れた噂は、今朝のニュースにもなっていた。何処かの専門家が小難しいことを言っていたが、僕の頭には入らなかった。親に聞いても、先生に聞いても皆、「わからない」と、つまらないことを相手にするようにあっさりと返した。
「何言ってるの、全部嘘さ。子供を騙して怖がらせてるの。だってありえないことでしょ? だから大人は信じてない」
「テレビも嘘をつくわけ? それに怖がらせて、それで、なんの意味があるの」
学校横の公園で、コンクリートの土管の上に友達と座る。空一面がどんよりとした曇り空だからか、昨日よりも涼しかった。友達はクスクス笑って、足をバタバタさせた。
「みんなにかまって欲しいからに決まってる! テレビだってオレらとおんなじ人間が作ってるんだよ。嘘ぐらいつくさ。太陽が落ちてこなければ奇跡にして、怖がらせてごめんなさいって、謝ればいいんだ」
「意味がわからない。暑さに頭をやられたの?」
「ふん、子供だなァ」
ニヤニヤ。僕が冷めた目で返しても、友達のテンションは変わらない。捻くれ者の頭の中では大人や政治家は絶対的悪らしい。そして、それを理解できないのは子供。なら、いつまでも子供のままで構わない。
「暑さにやられたついでにさ。今なら何やっても許されるかも。だって、皆が正しければ数秒後にオレら死ぬんでしょ」
「余計馬鹿の妄想になってるよ。誰も信じてないんなら、そんなの言い訳にならないし。あぁ、もう暑い。頭が回らない」
結局、皆が平気で嘘を吐くから、何も信じられなかったんだろう。どれもこれも暑さのせいだ。暑さが人を馬鹿にしたんだ。もう戻らないなら、いっそ終わりにして欲しい。
その瞬間、全てを思い出した。小さなテーブルのみが置かれた空間。自分がそれを認識したのは十数年も前だった。最初こそ、空間の存在すらあやふやだったが、今や丸テーブルを叩くと音が出る。感触が戻ってくる。
「お前の瞳が青だって、最近気づいたんだ。僕の好きな色だよ」
「そうかい。一体キミは今まで私のどこを見ていたんだ?私の瞳は出会ったときから澄んだ海の色をしていただろう」
「僕、女の人はもっとお淑やかな方が好みだよ」
彼女の存在自体は、空間より先にあった。一番最初に見た映像は、意識の中で黒いモヤがただ揺れ、何かを訴えているだけだった。話し掛けても反応を返すだけで言葉は話さない。そこから日に日に声を出すようになり、人型をとるようになり、つい最近には黒髪と青い瞳の少女なのだとわかった。
彼女は実の姉と似て、高飛車な態度ばかり取る。
「この部屋の色も分かればいいのに。僕、未だにこの部屋が黒いのか白いのかわからないんだよ」
「そんな下らないことよりも、気にすべきことがある。キミが目覚めるまでの時間は有限なんだ。しかも最近は夜ふかしばかりして、ろくにスイミンジカンを取れていないだろう」
「ああもう!それはお母さんに散々言われたから聞きたくない!……それで、気にすべきことって何」
「キミが生きた中で必要だったのはテーブルだけか?もっと娯楽を増やしたらどうだ。ゲームとか、海とか、学校とか」
彼女は指折り数える。
「そんなコト出来るの?」
「出来るさ」
彼女の行動は良くも悪くも自分の想像の範疇を越えない。出来ると言っておきながら、やり方は示さないのがまさにそうだ。さっき上げた娯楽の例だって、自分が最近体験したものばかりだった。
「そもそも、学校は娯楽じゃ、」
「ねぇぇええ!!今、何時だと思っているのよ!?」
母親の怒声に飛び起きて壁にかかった時計を見る。家を出る予定時刻5分前だった。なんだ、まだ余裕じゃないか。
何か夢を見ていた気がするが、それが何だったか思い出せず、モヤモヤとした喪失感を覚えながら制服に着替えた。
「どんな天気がいいかなんてあんまり気にしたことない。1日のうちにコロコロ変わるし。むしろ天気に合わせて、その日気分でやることを決めたいから、どんな天気になるかなーって考えるよ」
「ふーん。だったら明日、もし晴れたら何するの?」
「ゲーム」
「雨だったら?」
「ゲームかな」
「通りで天気が気にならないわけだね」