「もしも世界が終わるなら」
旅行中、岸壁の側を歩いている時、友人が私に尋ねてきた。もしも世界が終わるなら、と。完全に不意をつかれた私は立ち止まり、黙りこくってしまった。
この手の話よく聞く。だがそれ故に他人に頻繁に聞くことでは無いし、普段の生活の中で出てくる話題でもない。旅行という特殊な条件下であるが為の普段とは違う思考から生まれたイレギュラーなのだ。
さて困った。こうも混乱すると何も考えられない。考えようとして目を瞑っても、波が岸壁に当たる音だけが私の頭の中を震わす。ただ、ただ響く。一寸の狂いも無い深い青。とても寒そうで、しかしどこか暖かみを感じるそんな世界がそこにある。
ふと小学生の頃の記憶が蘇った。蒸し暑い夏休み、
小学校のプール講習の日の記憶だ。水色のプールサイド。
太陽光に熱せられ、かなりの暑さを帯びている。そしてそれを一刻も早く解決するためにバケツでプールから水を汲み、プールサイドへ放出する。随分とその記憶が碧く感じる。
さて、一時間程その講習は続くが、最後の十分間は決まって自由時間となっていて、私含め子供達が和気あいあいと遊んでいた。鬼ごっこであったり、泳ぎで友達と競い合ったりと、それぞれの時間を過ごす。
その中で私はふと気になったことがあった。水中から空を眺めるとどう見えるのだろう。子供は疑問に思うと直ぐに行動に起こすのが常だ。その例に漏れず私もゴーグルを掛け、鼻を摘み水中に潜った。そして眺める。そこにあった世界はちょっぴり淋しさを感じる美しさと全身を優しく包む暖かさが混在していた。
音は無く、唯一聞こえるのが自身の体から空気が抜ける音ただ一つ。そして私の体は仰向けになり水中を漂う。結果、視覚に全ての感覚が費やされる。そこから見た空は...
目を覚ます。少しだけ意識が飛んでいたような、そんな感覚だった。友人の顔を横目で見ると、そこまで答えを急かしているようには見えなかった。
一体どれ程長く目を瞑っていたのだろう。自分自身には短く感じるが、実際のところは分からない。だが、答えはもう調った。
「俺は海に飛び込む。文字通り、海の藻屑になるのさ」
「どうして?」
「そうだなぁ。強いて言うなら『帰りたい』から...かな」
了
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プールの端っこに皆で集まってグルグル回って擬似流れるプールを作るあれ、もう1回やりたい
「答えは、まだ」
試験が終わり、数時間ぶりに外に出た。普段と何ら変わりのない新宿の夜、普段の光景であるはずだ。だが、今の私には別物にも感じる。日が落ちようとも眠る気配のない、多種多様な人間が交差する、側は秩序ぶっているくせに本性を隠しきれないそんな街。
とにかく不思議だった
そんな街の中を私は半分浮いているかのような気持ちで巡っていた。試験が終わったらそそくさと帰る予定であったのに、一体何に狂わされたのか理解しようともせず、その狂気の一部と私は成り果てた。
何度も何度も訪れたはずの新宿、色んな側面をこの目で見た。今歩いている道もその記憶をなぞっているだけ、普段の私ならただの作業の如く進むだけ。でも今日の私は狂っている。
人々が発する言葉、走音、我先にと走る車やバイクの走行音、クラクション、あちらこちらで聞こえる音響式信号機の音。秩序なんてあったものでは無い。だが私はそれがオーケストラの様だと感じた。
全くもって不可解な思考である。まるで協調性を感じさせないそれぞれの音を聞きた感想とは思えない。私は内心、ほくそ笑んでいた。
不思議だ。何故だろう。分からない。でも笑ってしまう。その時、私は心の底から濁った欲が溢れたように感じた。他人を押し退けてでも走り、最後には大きく笑ってやろう。そんな欲がどこからともなく湧いて出る。
狂ってる
だがそれが心地よかった。高架下、大きく響く列車の音を聞きそれは増大した。
どうしたのだろう。試験が終わるまでは普段の私であった。何が原因か、誰が原因かなんて考えられる頭も残っていない。身体の節々が己の欲求に従って動く。
まぁ、いいか...
この狂気は今に始まった事では無いのだろう。この狂気の答えを私は先送りにした。
それよりも狂気の宴は始まったばかり、心が満たされるまで浸っていよう。それを境に、私は側を剥がした。
了
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書き途中で半ば放棄状態のやつがあるのですが、
終わりが見えなくなっちゃったんですよね...
「夏の気配」
「学生の夏」
それは、私にとってあまりにも多すぎる時間だった。
夏休み前半こそ、プールだの映画だのと遊びに遊んでいたが、こうも時間に余裕があると欲は満たされ何も無くなってしまう。外の暑さとは対照的に、私の欲求は冷めてしまった。夏は全力で遊ぶなんで考えていた自分はベットで寝転がりながら何をしようかと考えに考えていた。八月初旬のよく晴れた日のことだった。
ふと、今年の夏はあまり個人で遊ぶことはしていないことに気づいた。友人も私と同じ考えだったらしく、連日都内各所を巡り遊んでいたが、今や相手も私と同じ状況だろう。一度一人で遊ぶのもいいだろう。幸い時間はごまんとある。金は多少減っていたが、まだ一日程度は満足いく程度に遊べる程の金額は残っていた。さて、次は何をするかだが、これが大きな問題だった。一人で行動すると決めたのはいいが、一人で何をするのか、その答えがどうしても出なかったのだ。
私は答えを求めてスマホに手を伸ばした。スマホで何か検索して見ようと思うも手が進まない。ただニュースに目が向くだけ。そろそろ面倒くさくなった時だった。ふと、旅行系サイトの広告が目に入る。そこには大きく「温泉ツアー」と書かれていた。その手があったか、と私は妙に納得したような感じになった。
「温泉...温泉...」
頭の中で反芻する。いくら多少の金が残っていようと、遠出をすると一瞬で消し飛ぶ。程よく近い場所にあり、観光も多少できる温泉地はないだろうか。そう考えていると、すぐに一ヶ所条件を満たす場所があることに気づいた。
「熱海温泉」
全国的に有名な温泉地で、古くは仁賢天皇の時代まで遡る。そこから温泉地として段々と名は広まり、バブル景気の終了後は廃れるように思われたものの、現在でも多くの観光客で賑わっている。
時計をふと見る。時間は午前十時、行くにしてはあまりにも遅いが、金がない状況では長い時間遊べないのも事実。むしろ今言ってしまった方がいいかもしれない。そう考えて、急いで支度を始めた。
少なくとも午前中に向こうに到着する事は出来ないだろう。新幹線を使えばもしかしたら出来るかもしれないが、そうしたら遊ぶ為の金が無くなってしまう。それでは本末転倒なので普通の東海道線に乗り、熱海まで向かうことにした。
夏休みの平日午前11時半、流石に電車は空いていた。角席も容易に確保でき、私はそのまま進み始めた車窓を眺め続けていた。駅に一つ一つ停車する度に人は減っていき、残されたのは私含めて四人。それ以降人数は変わらず。熱海駅に着いてから、皆一斉に降りてしまった。
熱海駅を出てまず初めに感じたことは、空がいつもより眩く感じたことだろう。今日は南関東を中心に快晴の予報が出ていて、基本自宅付近と熱海の天気は大差ない。だからこそ不思議に感じられた。その気持ちを例えるならば、夢のような感覚に近かった。
そんなことを考えている内に腹の虫が鳴り、昼食を食べていないことを思い出した。何の計画も立てずに来たものだから、何をするのか、何処へ行くのかも決めていない。スマートフォンで近くの飲食店を探すことも考えたが、たまには商店街を歩いて周り、探すことにした。
歩いていて、よく海鮮系の店を目にするが、人通りの多い場所に出店している店の多くは地魚をあまり出していたいと聞く。行くならば人気の無い路地の店だ。私は程よく狭い道の奥に佇む一件の店を見つけた。時間も有限、これ以上店探しにこだわっていると食事の時間が無くなりそうだったのでこの店にした。
店の戸を開けると、七十手前の老夫婦が見えた。老夫婦は慣れた手捌きで魚を捌き、盛り付け、客の元へと運んでいた。それを眺めていると、おばあさんがいらっしゃいと一声かけて優しい口調で好きな席に座るよう言った。好きな席と言っても、熱海は名の知れた観光地である。人目の付かなさそうな店でも大分繁盛していた。だから、好きな席と言われてもあまり選択肢は無かった。店を見渡す限り、空いているのは二人用のテーブル席と扉に最も近いカウンター席の二つのみ。少し悩んだが、一人でテーブル席を使うのは少し忍びないので、カウンター席に座ることにした。
席に座ってから少し間を開けて、おばあさんが手拭きとコップ一杯の水を持ってきてくれた。私はおばあさんに感謝を伝えると、店内を見渡し始めた。
建物自体が古いためか、かなりの年季を感じさせる店内だった。しかし、だからといって不潔かと言われるとそうでは無く、しっかりと清潔に保たれている印象だった。特に厨房はよく掃除されているらしく、不快感は全く無かった。
そんなことを考えている内に大将の手元に目が映る。長年培ってきたのだろう。自らの腕に自信を感じているのがよく伝わる手捌きである。この時点でハズレは無いと確信した。
余程多少の腕に見とれていたのだろう、おばあさんが注文は決まったかどうかを尋ねてきた。そうだった。飲食店に来て料理を注文しない者など殆どいないだろう。急いで品書きに目を通す。流石は漁港の近くの店である。回線の種類は豊富にあり、選ぶのに相当時間を要するかに感じられたが、アジのなめろうの丼に目が止まった。熱海の海鮮といえばアジである。今日はシンプルに地元の有名なものにしようと、私はおばあさんにアジのなめろうの丼を注文した。
アジのなめろうの丼は想像よりも早く来た。さて、どれ程の量なのだろうかと、席に置かれた丼を見ると中々に大きい丼茶碗にこれでもかと米となめろうが敷き詰められていた。少しの間絶句した。
やってしまった。これを食べ切れる自信が全く湧かない。正直、橋を手に取るのも怖く感じ、少しの間丼を眺め続けていた。だが、このままでは埒が明かない。仕方なく橋をとり、一口食べた。先に感想を言っておくと、かなり美味しかった。私が行った時期は丁度アジの旬と被っていた。にしてもいいアジであった。よく脂がのったいい魚だ。一口食べるとペースは増していき、気づけばあと二口三口残す程度になっていた。そのままの勢いで口の中にかき込み、完食した。
とてもいい店だった。大将は寡黙だが腕はとびきりいい。そしておばあさんの対応もとても丁寧で好感が持てた。またいつか時間がある時に来ようと、そう思いながら会計を済ませて戸を開けた。
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諸事情により、また途中で切ります。おそらく明日には書き切ると思います。
「最後の声」
燦々と輝く大きな太陽、何処までも続いているかのように思ってしまう広く蒼い空、己の命が尽きるまで必死に未来へ繋ごうとする蝉の声。そして、その中で少年は駆けていた。
「終わりは無い」
「畦道は何処までも続く」
それが彼にとっての希望であり、生きる意味だった。
彼は世界を知らない。純粋無垢な少年で、重荷をいっぱいに背負っていた。そんな重荷を少年は、まるで無いかの様に駆けている。彼は何処へ行くのだろう。
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ある一人の社会人が満員電車の中で外を眺めていた。ジリジリと強く輝く太陽、何一つ変化のない空、いずれ死んでしまうであろう蝉の大きく耳をつんざくのではないかと思う声。そして、その中で社会人は眺めていた。
「終わりはあるのか」
「何処まで走れば救われるのか」
彼は希望を探すため、絶望に浸る。それが彼の生き方だった。彼は知ってしまった。邪念を持った社会人は、昔背負った重荷に押し潰されそうになっていた。もう走る気力すらも無い。私は果たして進めるか?
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ある一人の老人が病室の窓から外を眺めていた。
長く共に歩んできた太陽、大地を包み込むかのような大きな空、己の命を最後まで輝かせんとする蝉の声。そして、その中で老人は終わりを眺めていた。
「終わりはあった」
「だが、私は幸せだった」
彼は薄れる意識の中で、静かな喜びと少しばかりかの哀愁を一生を振り返るように目を閉じた。この先、私は「知る」ことが出来ないだろう。後は「無」に帰るだけであると、彼は旅の終わりを感じ取っていた。重荷を下ろす時である。いつか、また重荷を背負って進めるだろうか。彼はただ、終わりを待っていた。
了
「君と歩いた道」
六月の、夏の暑さも感じる風が病室を包み込んだある日のこと。私は一人、病室で読書に浸っていた。この日はやや風が強いらしく、風が純白のカーテンを大袈裟に揺らしていた。白いベットと鉄パイプの椅子、白い壁、そして蒼い空。無駄をすり減らした美しさすら覚える部屋の中で、私は自らを見失いかけていた。
入院とは暇をかなり持て余す物だとは知っていたが、いざ体験すると何もすることがない。自宅にいた頃に何をしていたかも忘れてしまいそうな程に、私の過去は病室の白い壁に吸い込まれていった。とにかく、私はただその日が過ぎ去るのを見つめているだけだった。
見舞いに来る人もいない。遠縁の親戚はいれど、最後に会ったのは十数年前のことである。妻はいたが、彼女が四十三の時に乳癌で先立った。妻との間に子は儲けなかった。私含め二人とも収入も時間も無く、貯金には少ししか回せなかったのだ。だから、最後の時まで二人で支え合っていた。そして、ふと思うのだ。子も儲けず、金銭的な余裕が無いが為に、妻に旅行や贅沢もさせてやれなかった。私は彼女に何を残せただろうか。時より、そんな後悔に襲われる。もし妻にもう一度会えるなら、会話ができるのなら、謝りたい。そんなことを薄目で澄んだ空を見ながら考えていた。
私ももう長くはないだろう。この空を眺めるのも、明日を迎えるのも、限りが見え始める歳だ。その時、特に強く風が吹いたようで、最近切っていなかった髪が揺らされる。私も若い頃は日中外へ出て、色んなところで遊んでいた。それも、今の身体と精神ではとても再現出来そうにない。
「時の流れとは残酷よな」
そんな考えに、私は私に自嘲のこもった鼻笑いを一つした。とんだ贅沢な考えである。ならば、そんな事すら考えることの出来なかった彼女はどうなる。余命宣告をされた後、空を眺め続けていた彼女の姿をまたも忘れかけていた。ずっと共にいると誓ったはずなのに。自分のことが嫌になることが増えた。
なぁ、君は幸せだったか?初めて二人で歩いた古書店街、必死にバイトをして行った沖縄も大学時代の話で、就職し結婚してからはこれといった思い出は無い。それでも君は文句一つ言わず、最期の時まで一緒にいてくれた。私は与えられてばかりの人間だったんだ。だから、君に謝りたかった。贅沢な暮らしをさせてやれなかったことを、何も返すことが出来なかったことを。
私もいずれ逝く。だから、もう一度君と話をしたい。どんなに辛いことがあっても支え合っていたあの頃のように、退屈なんてなかったあの日々に...
夕方に差し掛かる時刻
老人は写真を手にして眠っていた。
了