死のうと思ってここに来た。見渡す限り山と畑しかない、田舎と呼ばれる場所。今にも壊れそうなぼろぼろの柵に手をかけた時、後ろから声をかけられた。
「お姉さん死ぬの?」
「……うん」
「この辺じゃ見ない制服やね」
「……東京から来た」
「東京?!んねね!東京ってさ、空狭いの?」
「知らない。ここに比べたら狭いんじゃない」
「斜めの横断歩道があるってほんとなの?信号機もいっぱいあるの?」
「うん」
「ほへ……考えられん世界だ」
自分と同級生くらいの男子。制服を着崩して、ビニール袋を手に持っている。
「俺ね、20分かけてコンビニ行ってきたんだ!」
「……20分…………?」
「この辺さコンビニないから、歩きで20分!はよ車乗れるようになりたいんよ」
「……そう」
「せっかくだし、一緒にアイス食べよや!どうせ死ぬんなら最後にアイス!」
ぱきっ、と音がして差し出されたのは、パピコの片割れ。持ってくる間に溶けたのだろう、中身は液体に近いどろどろになっていた。
「……要らない」
「いいやん。どーせ死ぬんやしさ、食べながら東京の話聞かせてや!」
「……はぁ」
2人並んで地べたに座り込んで、溶けたアイスを食べる……というか吸いながら淡々と質問に答えていく。東京の電車は無限に来るだとか、意外と公園が多いだとか、スタバが何処にでもあるだとか。
「東京ってすげぇんやな、何でもあるやん!」
「まぁ首都だからね……」
「俺も東京行きたい!一緒について来てや!」
「はぁ?」
「お母さんにな、会いに行きたいんよ」
「お母さん?」
「東京に出稼ぎ行く言ってな、もう5年くらい会ってないから」
「ふーん……勝手に行けば」
「んえぇ?!ここはついて来てくれる雰囲気やん!」
「ひとりで行け」
「んー……じゃあ!じゃあじゃあ、今日俺ん家泊まって、明日晴れたらついてきてな!」
「意味がわからん」
「俺一人暮らしやし、今夏休みやし……明日朝、起きた時晴れてたらついて来てや」
「やだ」
「なんでよぉ……テレビでしてたで、明日降水確率70%やから!な??」
「……はぁ」
「70%!7割!賭けしよ賭け」
食べ終わったパピコの抜け殻を握りしめたまま男子は勢いよく立ち上がる。もう片方の手で手首を掴まれ、男子はにっこり笑いかけてきた。
「明日、晴れるとええな!」
『明日、もし晴れたら』
人を好きになるという気持ちを知らなかった。知る必要が無かったから。1人が好きだった。他人に気を遣わなくていいから。
けれど。
『大好きだよ』
「私も大好き!」
スマートフォン越しに笑顔を見せる。通話時間はとっくに5時間を超えていた。何を話すわけでもなく、2人ともがそれぞれの作業をしながら時折名前を呼び合う。
『ずっと一緒にいるから』
「ん、ずっと一緒」
言葉だけの誓いだとしてもお互いを確かめ合うには充分すぎる言葉だった。
初めはただの友達の友達。共通の友達がいないとお互い話さなくて、趣味も好みもバラバラな2人だった。気付いたらお互いがお互いの中で1番になっていて、引き返せない所まで嵌っていた。
『少し連絡減っちゃうかも』
「大丈夫だよ、頑張ってね!」
『ありがと』
徐々に、徐々に。違和感を感じ無い程度に連絡も通話も減っていく。通話したいと言ったら予定があると言われて、離れていく。
煩くなる心臓に、分かっていた事だと言い聞かせる。最初から分かっていた、分かって、いた。結局お前は1人だという神からの天啓みたいだ。
「𓏸𓏸さん、好きです」
「……ごめんなさい、私」
私はずっと独りでいるって決めた。
『だから、一人でいたい』
「おねーちゃん」
「どうしたぁ?」
純粋無垢な瞳が、お姉ちゃんと呼ばれた女性の方をじっと見る。女性の声は誰が聞いても分かる程震えていた。
「どうしてお父さんは倒れてるの?」
「これは、ね……お父さんはお酒の飲みすぎで酔ってねちゃった」
「お酒……?お酒って赤いの?」
「ワイン、かな。ワインって言う飲み物」
「わいん……そうなんだ」
血腥い匂いが部屋に充満していく。女性は隠すように持っていた包丁を地面に置くと、目の前の男児を抱きしめた。
「あのね、ここで見た事は、誰にも話しちゃだめ」
「……何で?」
「おねーちゃんとの約束。守れるよね」
「……分かった、守れるよ」
「うん、えらい」
返り血が付いていない方の手で数回男児の頭を撫でる。男児は喜んで女性に抱きついた。
「おねーちゃんの事大好きだから守れるよ!」
「うん、ありがとね。私も大好きだよ……何があっても、絶対守るからね」
「……?……うん!守る!」
男児の真っ直ぐな視線に耐えきれず、女性はもう一度男児を強く抱きしめた。
『澄んだ瞳』
真っ暗、真っ暗、真っ暗、息が出来なくてもがいて手を伸ばす。待って、ひとりにしないで。このままじゃ、檻の中に、
「……𓏸𓏸?……おい!おい!!」
ハッ、と目を覚ます。目の前には不安そうに私の手を握っている幼なじみ。夏休みの勉強会で、寝落ちして、それで……。
「めっちゃ魘されてたけど。大丈夫?」
「あ、はは……ごめん……」
「……また母ちゃんの事?」
「…………うん」
私のお母さん、だった人。世間一般で言うところの屑。男つくって借金して、私を売ろうとした人。幼なじみの親御さんが助けてくれた。
今でも夢に見る。瞳孔を開いて私を売ろうとする母の顔が。暗い場所は嫌いだ。母の顔が浮かんで見えてくる気がして。寝るのも苦手だ。なのに寝落ちするなんて、自分は相当疲れていたんだろう。
「勉強……って感じじゃねぇな。今日は帰るわ」
「うん……めっちゃ雨降ってるけど、帰れんの……?」
「近いし大丈夫……じゃねぇかも」
外はゲリラ豪雨と言うやつだった。最近非常に多くて困る。音も怖いし外出の時傘を持ち歩かないといけないし。何より危険だ。
「止むまでいなよ」
「んー……時間も時間だ。あんま迷惑かけれねぇし」
帰ろうとする幼なじみの袖を咄嗟に引っ張る。やだ、ひとりにしないで欲しい。
「あ、ぶない、よ……」
「……怖いから居てって言えばいいのに。そんな手震わせて引き止めなくても居るよ」
隣に座って、ぽんぽんと頭を撫でられる。こういう事されると、こいつが彼女つくらない理由を勘違いしてしまいそうになる。
「怖くない。帰れ」
「またまた強がりなこった。嵐来ても帰ってやらねぇ」
「……はぁ……」
ぎゅ、と手を繋がれる。やけに高鳴っている心は知らないふりをした。
『嵐が来ようとも』
夜、浴衣を着ているカップルとすれ違う。甘い香水の匂いと汗の匂いが混ざって吐き気がしそうだ。
ゆっくり肩に手を添えられた感覚がして、一瞬体がぴしりと固まる。
「兄ちゃん、落し物」
「……へ、あぁ……すんません」
もっと声を出しながら肩を叩きでもしてほしい。そんなねっとり触られると幽霊でもなんでも出たのではないかと思ってしまう。……なんてグチグチ思いながら振り返る。
落し物、と差し出されたそれは見た事ない異様なナニカで、声の主の腕は透けていて顔も目なのか口なのか分からない化け物だった。
恐怖から一気に足が走り始める。あの異様なナニカから逃げるために。辺りを見回せば、山の上まで続く小道を見つけた。足が動く限り、小道をかけ登っていく。
小道の先にあったのは古びた神社。いかにもお化けやら狐やらが出てきそうな雰囲気を纏っている。
「……はぁ、はぁ……ちょ、きゅうけ……」
自分を落ち着かせるために独り言を話しながら少し神社を散策してみる。背後でポキリと小枝を踏んだ様な音がして咄嗟に振り返ったがそこには何もいない。
「……え、何そういう展開?無理なんだけど……」
誰に向けて話す訳でもなく、怖さを紛らわせる為に独り言を話し続ける。
「……だれかぁ〜、いたりとか〜……します?……なんてぇ……あはは……」
ゆっくり肩に手を添えられた感覚がして、体がぴしりと固まる。こんな所に人がいる訳ない、はずなのに。
「兄ちゃん、落し物」
さっき聞いた声と同じ声がして、冷や汗がどばり。声の主を認識する前に恐怖からばたりと失神してしまった。
「……さん!お兄さん!」
目が覚める。ゆっくり目を開けると、休憩スペースのテントで横になっていた。
「大丈夫です?倒れられてましたけど」
「……大丈夫っす……」
夢か。どこまでが夢?どこまでが、
「……兄ちゃん、捕まえた」
そんな声がして喧騒の中に悲鳴が響き渡った。
『お祭り』