迷路のように広い神社の中を、少女は裸足のままひたすらに走り続ける。息も絶え絶えで素足はぼろぼろになり、服のそこかしこに草や枝が絡みついている。それでも足を止めてはならない。必死に前だと思われる方角に逃げ続けた。
「はぁ……はぁ……ッ…」
ピキっ、と嫌な音がして足裏に何か刺さったような痛み。数歩歩いてその場に膝から崩れ落ちる。後ろを見れば赤い液体がぽたぽたと付いていた。見てしまったが故に、認識してしまったが故により痛みが鋭く増す。
「にげ、ない、と…」
一言。自分に言い聞かせる様にポツリと呟くと、少女は聳え立つ大木に寄りかかりながら立ち上がる。そしてゆっくり、ゆっくりと歩み始めた。
鳥居が遠くに見える。大きな大きな神社の門。彼処まで行けば、きっと。少女の口元に僅かな笑みが浮かび、傷を負った足を引きづりながら門へ近づく。
手を伸ばせば鳥居に手が届く。ぱちりと瞬きをした次の瞬間。
少女の目の前に広がったのは、母親の優しい微笑みだった。
「駄目でしょう。貴女は神の使いになるのよ。何処へ行こうとしたの」
「……っ、……」
息すら漏れない。喉からは何も発せられなかった。足の痛みも無くなっている。服も整っている。少女は何度目かの光景に、溜息すら出なかった。
様々な生き物が我々を崇め奉り、信仰している。信じている者がいる間は、少女に意思などない。…意思など持ってはならない。
「貴女。何度も言っているでしょう」
呪文のような、呪いのような言葉をまた聞くことになってしまった。何度も何度も言われて聞き慣れて覚えてしまった言葉。
…そう、私は、
此処から、逃れられない。
『逃れられない』
17時を知らせるチャイムが鳴り響く。カラスが鳴いて飛び立っていく。
「もうかえらなきゃ」
「…うん」
「あした、がっこうであおうね」
「…うん」
「もー!××くん!」
下をむいたままの僕に、𓏸𓏸ちゃんは手を差し伸べて、こう言った。
「またあした!」
「高校まで一緒なんてね」
「ずっと𓏸𓏸と居るから彼女だと思われてんだよ」
「ただの幼なじみだし。今度彼氏つくるか…」
「いいんじゃね。良い男選べよ」
「あんたに言われなくてもそーしますぅ」
「ん、じゃあな」
「また明日〜」
………。
ばらばらになったビル、燃え盛る街、泣き叫ぶ人の声。××だったハズの、なにか。手を握っても抱きしめても、温度さえ感じられない。焼け焦げた××の体は触れる度にぼろぼろと崩れていった。
こんな時に限って、懐かしい思い出ばかり蘇る。ほんとは彼氏つくる予定なんて無かった。ずっと隣にまとわりついてやる予定だったのに。
飄々と燃え続ける炎に近づく。皮膚に火の粉が飛んで、痛くて暑くて、段々苦しくなってくる。
酸素を求めても肺に入ってくるのは二酸化炭素ばかり。視界が点滅して、苦しくて苦しくて、苦しい。
大丈夫だよ××。きっと会えるから。だからね、
また、明日。
『また明日』
学校の屋上、夕陽と目が合った。自分には眩しすぎて目を逸らす。
下校を急かせるチャイムが響いて、段々と笑い声が遠くへ消えていく。
今日はどの先生が見回りに来るんだろう。昨日は元担任だった𓏸𓏸先生だったな。
駐輪場から早く帰れと注意する先生達の声がする。これから先生達は残業かな。
ガチャり、と扉が開いて屋上を見渡す××先生。
「お疲れ様です」
声をかけたつもりが、××先生はそのまま扉を閉めて内鍵をかけた。
あぁそうだった。私、もう居ないんだった。
『透明』
容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群。足は長くて手は美しく、歌も上手くて喋りも面白い。
「ねぇアナタ」
どうした?こっちおいで
「んふふ、大好きよアナタ」
俺も大好きだよ。
「愛してる」
俺も愛してるよ。
アナタの手や体は人形の様に冷たいのね。冷え症なのかしら。今日は温かいご飯にしましょう。…もう、お箸も持ちたくないの?いいわよ、全部食べさせてあげる。
お風呂も私が体を洗ってあげる。寝る時は、服要らないわよね。んふふ、今日も長くなりそうね。
心から愛してるわ。私だけの完璧なアナタ。
ドール
『理想のあなた』
今日は朝から憂鬱だった。何をするにもやる気が起きなくて、外は雨。雨なだけで憂鬱が倍増する気がする。
何気なしにスマホの画面をつける。パッと明るい画面は眩しすぎる。ニュースアプリを開いて流れてくるのは、やれ殺人だのやれ性犯罪だのやれ自殺だの。
「……はぁぁ…」
暗い気持ちに暗いニュースが追い打ちをかけて深く長い溜め息が出た。
生憎今日はバイトの日だ。重たい体を無理やり持ち上げて、支度を始める。朝ご飯も食べる気にならないし、髪も整える気にならない。
…朝食は抜きでいいか。髪も手櫛でいいや。
霧がかっている雨の中、傘をさしてとぼとぼ歩き出す。
「……ニャー」
淀んだ鳴き声がして前を見れば道のど真ん中に佇んでいる黒猫がこちらをじっと見ていた。
「…気楽でいいな、お前」
黒猫に近付こうとしたその時、キキーっ!と音を立てて車が黒猫に突っ込んだ。何事も無かったかのように走り去る車。目の前で消えた、黒猫。
さっきまでそこに居たのに。さっきまで、
…俺が来たから?そんな考えが頭をよぎる。こっちを見てたから、車に気付けなくて、
あいつの人生、奪ったんだ。あいつに家族居たかもしれないのに、俺が、
「……ふっ…おれ、」
来た道を引き返す。まだ朝早いし、きっとあの海には誰もいないだろう。
「…すぐ行くから」
出会いと別れは紙一重。こうも憂鬱な日は、自分が居なくなるに限る。
『突然の別れ』