信じて。約束する。
1年後にぜったいに迎えに行くから。
「嘘つき」
1年後、あなたは帰ってきた。背が高くてがっしり体型だったあなたが、今は小さな箱に納まってしまっている。私の胸に抱かれて、なんの言葉も発さない。
肉体は昨日荼毘に付された。色黒な人だったけど、とても綺麗な白い骨をしていた。からん、という音が静謐な場所でやたらと響いた。
ねぇ、今日って何の日か知ってる?あなたと離れ離れになってちょうど1年経つ日だよ。そしてあなたは今日、私のこと迎えに来てくれる予定だったんだよ。でもこんな形で再会なんて、許せるわけないじゃない。これじゃ約束守ったことにならないよ。ひどいよ、ずるいよ。
もっともっと責めたかった。けれど遺品の手帳の今日の日付けのところに大きな丸印がついていたのを見つけたら、私はもう何も言えなかった。言ったところであなたは聞いてくれないんだけどね。
「……馬鹿だね、ほんと」
あなたは世界一の大馬鹿者だよ。こんなことになるなら約束なんかしなきゃ良かった。あの時もっとちゃんと、あなたの話を聞いとけばよかった。
子供の頃は、“しょうちゃん”だなんて呼んで俺の後をついてきたのに。それも成長するにつれて無くなり、俺もアイツも互いに忙しい生活を送っていた。
別に、同じ高校に通っているのだから会えないわけじゃないのだが、俺は俺で、来月はインターハイが控えている。これに勝たなきゃ夏が終わる。だから毎日必死になって遅くまで練習に明け暮れていた。向こうも多分、部活が忙しい時期に入っているんだと思う。アイツと同じ吹奏楽部のヤツが練習がきついとかぼやいていたのをどっかで聞いたから。
「なあなあ。あの子、よくね?」
合宿で昼飯をとっている時だった。友人の1人が急に言った。指さす方向には――アイツがいた。何人か女子たちと談笑しながら昼を食べている。
「あーあの子な。結構可愛いよな」
「おい。俺が先に目つけたんだからな」
俺を挟んで友人たちが言い合っている。よくもまあ勝手なことを言えたもんだ、と呆れたが、勝手でいいのだ、とも思った。別に俺はアイツの何でもない。
「そいやショウタ、あの子と同じ地元だっけ?」
「ああ、まぁ」
「仲よかった?」
「……別に」
「なんだよー、仲よかったら紹介してもらおうかと思ったのによ」
誰がお前なんかに、と思った。アイツは相変わらず仲間と談笑している。涙が出るほどに笑ってるその顔を見て、ふと幼少期のアイツの顔が重なった。小さい頃も確かあんなふうに、顔をくしゃくしゃにして笑ってたっけ。幾つになっても面影は残ってるもんだな。同じ人間なんだからそりゃそうか。
もう随分と話さなくなってしまった。避けてるとかじゃなくて、互いに忙しくなってしまっただけ。そう思ってたのに、たまたま放課後廊下でばったり会った時、アイツの顔を見て初めてそうではないと分かってしまった。
「……あ、えと、久しぶり」
一本道の廊下のど真ん中で出くわした。俺もアイツも携帯をいじりながら歩いていたから、近くに来るまで互いに気がつけなかった。
「おう。元気か」
「うん、まぁ」
「そっか」
久しぶりなのに、会話はちっとも弾まず。明らかに空気が重かった。もっと、近況だとか学校生活での出来事とか、話題はたくさんある筈なのに、俺もアイツも視線が忙しなく動いていた。俺も挙動不審だったけど、アイツはもっとすごかった。慌てているというよりも、その表情は困っているふうだった。
「俺と話するの、嫌なわけ?」
気づいたらそんなセリフが口から出ていた。言ってしまってから、俺の馬鹿、と思う。これじゃまるで、喧嘩を吹っかけているようなもんだ。アイツもまた、目を見開いて俺を凝視してきた。
「……悪い、そういうんじゃないんだ。ごめんな」
「嫌なのは、そっちでしょ」
「は?」
「だって、全然話してくれなくなったから」
「おいおい待てよ。お前が今みたいな顔するから、煙たがられてると思ったんだよ」
「そんなこと、ないよ」
思ったよりも大きな声で彼女は否定をしてきた。でもそれっきりで、下を向いてしまった。なんなんだ全く。よくわからなくて、何を言ったらいいかもうかばなかったから、俺はただ黙っていた。そうしたら、彼女がこっちを見た。昼休みに見たような顔ではなかった。今にも泣きそうな顔だった。
「また昔みたいに話したいよ……しょうちゃん」
その呼び名を聞いて、不思議な感覚になる。言われ慣れていた、でももう2度と呼ばれることはないと思って思い出になったその名前が呼ばれて。時間の感覚が狂ったみたいな、変な感覚になった。でも、変だと感じていたのは最初のうちだけで、今度は別の感覚が俺の中を駆け巡ってきた。あったかいような、心地いい感じ。
「次の日曜」
「え?」
「土曜は部活だから、日曜。どっか行くか。どっかうまい飯食えるとこ」
「あ、うん……あ、ダメだ、日曜は私が部活」
「んじゃあ夜。お前が練習終わったら。同じ地元なんだから、夜でも平気だろ」
「……うん!」
「店はお前が探しとけよ」
「わかった。しょうちゃんも部活頑張ってね」
変わらないあの笑顔を最後に見せて、アイツは向こうへ歩いて行った。初めから、話をする機会なんて山ほどあったんだ。なのに部活だとかお互いの予定がだとか、言い訳みたいな理由をつけて適当にしてた。でも、お前のおかげでそれじゃダメなんだよなって気づいた。
色々、反省することもあるけどとりあえず今言えることは1つ。日曜が楽しみだ。
え?誕プレ?誰の……って、俺か。そーいえば来週誕生日だった。
どもッス。別に何でも良いけど。いや別に乗り気じゃないとか、そーゆうんじゃないから。今んとこ特に欲しいものが無いんスよね。だから、先輩の好きな駅前の店でケーキ買って一緒に食べるってのはどう?
……え?普通?いいじゃん別に。それが俺の今1番欲しいものなの。ケーキ食べる。先輩喜ぶ。俺も嬉しい。一石二鳥じゃん。あ、ケーキが美味いってのもあるから一石三鳥か。
まぁとりあえず、それで。プレゼントはー……別にいいんだけど、そんなに言うなら一緒に見に行ってよ。久しぶりにアウトレットでも行ってみる?あはは何そんなにじっと見てんの。俺の顔なんかついてる?
こんなのいつもの日と一緒だって?
いいんだってば。それで。や、それ“が”俺は欲しいの。日常ほど幸せなものなんかないんだからさ。俺より歳上なのに、さてはその大切さに気づいてなかったな?
ちょー待ってって、怒るなって。これじゃどっちが先輩か分かんねえッスよ。
ほら、機嫌直して。今からパフェ食い行こうよ。来週もケーキ食べんのに、とか、つまんないこと言わないの。甘いもの食べたら先輩すぐ笑うからそれでいいの。
いいから行くよ。ほら、手ぇ出して。
その子の名前を知らなかったから、僕の中では勝手に“きいろちゃん”と名付けていた。何故なら、いつも身につけるもの全てが黄色で統一されていたからだ。だから当然イジメの標的にされていた。“男のくせにフザけた色着てんじゃねーよ”って、集団の男子に囲まれていた現場を見たことがあった。見ただけで、僕は何をするわけでもなかった。
あれから10年以上が経って、僕は上京して都内の美容専門学校へ進学した。夢は美容師になること。ゆくゆくは自分の店を持つこと。期待と希望で胸を膨らませた最初の登校の日。学内の掲示板を眺めている生徒を見つけた。男か女かを判断するより先に髪色の派手さに目がいってしまった。金髪というよりも黄色に近い色に染められていたのだ。見れば、着ているシャツもパンツもほぼ同系色のもの。でも上手くまとまっている。どんなヤツだろうと回り込んで顔を覗いてみた。
「……きいろちゃんだ」
「は?」
彼は、僕の独り言にきちんと反応した。何だよお前、という顔つきで僕のことを見ている。それはほとんど睨みつけているというような視線だった。
「や、ごめんいきなり。とっても綺麗に黄色にまとまってたから。好きなの?黄色」
「じゃなきゃ纏ったりしねーよ」
まるで僕のことなんか歯牙にもかけず、彼は校舎の方へ歩いてゆこうとする。きっと別人だろう。僕の記憶では、“きいろちゃん”はいつも泣いていた。虐められて無視されて、男だけど毎日泣いていた。今みたいにガンを飛ばすようなイメージは皆無だ。だからきっと、彼とあの子はなんの関係もないんだろう。
「俺のこと、覚えてるのか?」
「へ」
足を止めた彼がいま一度僕のほうへ振り向き、そう問いかけてきた。蛇に睨まれた蛙のように僕は動くことができなかった。何も言わない僕を見て肯定と捉えた彼は、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あの時お前も影で俺のこと馬鹿にしてたんだろ。男のくせにって、軽蔑してたんだろ」
「な、違うよ僕は別に、」
「何もせずただ静観してるのはな、寄って集って虐める人間と同類だ」
「そんな、つもり……ない」
「嘘だね。男のくせに黄色が好きなんて気持ち悪いとでも思ってたんだろ、どうせ。腹の中で笑って見下してたんだろ。サイテーだよお前も、アイツらも」
吐き捨てるように彼は言ってまた歩き出した。違う、断じてそんなふうには思っちゃいない。でももう、僕が何を言っても彼は聞く耳を持たなかった。僕から遠ざかってゆく彼の姿。見えなくなる前に、渾身の力で叫んだ。
「僕も――……私も黄色が好きだからっ」
彼は凄い速さでこっちを振り向く。さっきとまた違う顔だった。私を凝視し、私の次の言葉を待っている。
「私も黄色が好きで、あの頃君がいっぱい黄色を身につけてたのが可愛いなって思ったの。……あの時、黙っててごめん、助けてあげられなくてごめん」
「お前……」
「私もあの頃生き辛くて、一生懸命“男の子”を演じてた。じゃないと君みたいにいじめられるから。ちょっとでもみんなと一緒じゃないことをすると、すぐ標的にされるから。でも、君は凄いと思った。怖がらずに堂々と全身黄色になれて、私にとって君は憧れだった」
思えば、小学校というあんな小さな組織の中で何を怯えていたんだろうと思う。大きくなれば視野も世界も広がって、あの頃なんて全然大した事ないと思える。でもあの時は必死だった。いかにみんなと同色になるか。それだけを考えて、生きていた。
「私はもう胸を張って黄色が好きだし、“私”で生きるようになれた。君のようにあの頃からできてれば良かったけど……私にはできなかった。勇気がなかった」
「あんなもん、勇気でもなんでもねーよ」
「……どういう意味?」
「周りのことなんて気にならねーほど、ただ馬鹿みたいに好きな色だけ追い求めてただけだからさ。別に勇気を出したわけじゃない」
彼はフッと笑った。黄色い色のおかげでとても優しく見えた。そして右手を差し出してきた。
「今日からよろしく。クラスメイト」
「……よろしく!」
私は思い切りその手を掴んだ。思わず両手で握ったら、大袈裟だな、と笑われた。眩しくて可愛い黄色い笑顔だった。君らしくて私らしい黄色が、これからも大好き。
見送りはいいよ、って言ったのに、ケイくんは駅まで来てくれた。改札の中までついてきてくれて、列車が来るまで荷物も持ってくれた。
「……ありがとう」
本当にそう思ってるけど、今のあたしの言い方は世界一ブサイクだったと思う。顔も、テンションも声のトーンも何もかも。これでしばらく会えなくなるって言うのに。なんでこんな可愛くない態度取っちゃうのかな。どうして素直になれないのかな。
「環境変わると体壊しやすくなるから気をつけてね」
「そんなこと分かってるよ」
「ならよかった」
にっこり笑ってケイくんは私の頭に手を伸ばす、のをまた引っ込めた。多分、頭なんか撫でたらあたしが“子供扱いしないで”って怒ると思ったからだろう。そんなふうに言わないのに。今日だけは、今だけはもう、別れを惜しんでただただ寂しい気持ちでいっぱいなの。それを簡単に口に言えたらいいのにできない。やっぱりあたしはまだまだ子供だ。
「あ、来たよ」
汽笛を鳴らせて列車が向こうから近づいてくる。あれに乗って、あたしはこの街を出て少し離れた地へ向かう。そこはきっと、時間的にも金銭的にも大人じゃないと気軽には来れない場所。あたしと3つくらいしか違わないケイくんがそう簡単に会いに来れるなんて思えない。それでも。
「元気でね。会いに行くからね」
ケイくんのその言葉が耳に沁みて、思わず涙が出てしまった。ぼろぼろと両目から溢れ出て、ケイくんの顔がうまく見えない。
「泣かないで。永遠のお別れじゃないんだよ」
そう言って、ケイくんは今度こそあたしの頭を撫でた。あったかくて大きな手が優しかった。
ありがとう。あなたがいてくれてよかった。あなたのこと、好きになれてよかった。きっとその気持ちを今なら言える。あたしは1歩ケイくんのほうへ踏み出す。そして、頭2つぶんくらい大きい彼に向かってぐっと背伸びをして飛びついた。