「最悪だ……」
独り言は雨の音にかき消された。なんでこんな日に限って雨なんか降るんだろう。折角こないだ買ったばかりの新しいワンピースとパンプスにしたのに。ついでに髪も少し切ったばかりで、今日はいい感じにヘアセットがキマっていた。今日の私はとてもオシャレで、自分で言うのもなんだけど可愛く見えてたの。見せたくて、褒められたくて、精いっぱいの背伸びをしてみたんだ。
でもそれは、貴方が来てくれなきゃなんの意味も無いんだけどね。
「止むかなあ」
どっかの廃れた建物の軒下で雨宿りすることにした。天気予報なんてチェックしないから当然傘なんて無かった。しばらく待ってればそのうち止むだろう。それに、待ってる間に貴方が来るかもしれないから。もしかしたら貴方も、今ここに来る途中で雨に降られて今どこかで雨宿りしてるのかもしれない。そう思って。辛抱強く待ってる。ただひたすら貴方の姿を探してる。雨が上がってもずっとずっと私は待っているのだ。
でも、本当はもう来ないんだって心の何処かで思ってるのにね。馬鹿みたいだね。こんなに待っても来ないんだから結果は見えたようなものなのに。
――いい加減目を覚ましたら?
もう一人の自分が私に問いかける。嫌だ。認めたくない。この時間もこのオシャレも無駄になってしまう。そんなの悲しすぎる。あまりにも私が可哀想。
――そうやって、被害者気取りしてる自分に酔ってて楽しい?
酔ってない。楽しい訳がない。じゃあ私は何がしたいの?何時間もここにいて来るはずない人を待っている。
――無意味だよ。
違う。
――あの人はアンタのこと何とも思ってないよ。
そんなことない。
――いつまでそうしてるつもり?惨めだよ。
「やめて!」
自分の声にびっくりしてしまった。頭を振って空を見上げた。雨はもうとっくにあがっている。遠くのほうの空を見れば、そこには、
「……虹だ」
そこからもう進めと言っているの?なんて綺麗な空なんだろう。太陽が眩しくて、屋根の先から垂れてくる水滴が透明で、目に映るものがみんな優しかった。雫に手を伸ばすとそれは私の掌を濡らした。ぽたぽたぽた。雨は止んだはずなのに水滴が掌に落ちてくる。自分の涙だった。
「もう行こう」
雨上がりの少し泥濘んだ道を、新しいパンプスで掛けてみた。泥がスカートにはねた。いい気はしないけど、不思議と惨めな気持ちからは解き放たれた。
私はもう、振り向かない。
「ごめん、遅れた」
「もーう、遅いよぉ」
息せき切って駆けつけた僕に笑って抗議する彼女。いつもの、窓際の席に座っていた。テーブルの上にはカップと文庫本がある。
「何読んでたの?」
「最近出たミステリーだよ。お気に入りの作家さんなの。はい、メニュー」
「ありがとう。じゃあ……」
「アイスコーヒーでしょ?」
「うん」
僕は決まってアイスコーヒー。彼女はホットカフェラテ。まだ付き合うようになる前から互いにそれをよく飲んでいた。恋人関係になった今は、お互いの好きなものをもっと知るようになった。彼女の好きなものは、カフェラテの他に花と猫とミステリー小説。それと甘いもの。僕のアイスコーヒーと一緒に運ばれてきたパフェにさっそく目を輝かせている。
「今だけ限定なんだって。葡萄のパフェ」
いただきまーす、とパフェスプーンを手に満面の笑みをこぼす。この笑顔をこんな特等席で見られるのは僕だけの特権なのだ。
「もうすっかり秋だね」
「キミは読書の秋か、食欲の秋ってところ?」
「うん。あとね、旅の秋にしたい」
「旅?」
「うん。旅」
一口食べる?と眼の前に近付けられたクリームとアイスの乗ったスプーンを口に含んだ。冷たくて舌の上がひんやりする。
「私たちが出会ってから、まだ一緒に秋を過ごしてないからさ。だからいろんな景色を見に行くの。秋特有のものを見つけに旅をしたいの」
僕らが出会ってからもう間もなく1年が経とうとしている。初めてのデートで冬のイルミネーションを見に行った。春の桜の下で告白をした。夏祭りで浴衣デートをした。季節ごとに色々な思い出が出来たけど、彼女の言う通り、秋はまだ付き合ってから経験したことがなかった。
「この秋も、春や夏に負けないくらいいっぱい思い出できるといいな」
「そうだね」
秋は感傷的になるとか誰かが言ってたけど、僕はワクワクする気持ちが止まらない。こうやって、何気ない日常が積み重なってゆくんだろう。キミと過ごす日々に幸せを感じながら、この先も沢山の未知のことが待ち受けてることを願う。
(……after 9/25)
いつものカフェ、いつもの窓際奥の席、いつものホットカフェラテを注文して持ってきていたお気に入りの文庫本を読んでいる。ただ、頭の中は今いち物語の内容を考えられておらず。読みながら、まだかなまだかなとさっきから落ち着かないでいる。大切な人を待つ時って、こんな気持ちになるんだな。
せっかく頼んだことだし、と思ってカフェラテに口をつけた。今日は秋晴れで過ごしやすい。少し前までは暑い日々だったから、こういう室内で会うことを好んでいたけれど。そろそろ外を散歩するのもいいかもしれない。ここからすぐ近くに有名なイチョウ並木の道がある。もう少ししたら見ごろかな。駅の反対側には、コキアがいっぱい植えられた公園がある。あそこもそろそろ色づいて来る頃かもしれない。夏が終わっても、綺麗な景色は近くに沢山あるものだ。何気ない風景だって、あの人と一緒に歩けば特別なものになる。
噂をすれば、窓から見える交差点に見慣れた人物が信号待ちをしている。待ってる間もしきりに腕時計を確認しているのが見える。約束の時間から2分遅刻だ。ここに来たらまずは私に謝ってくるんだろうな。そんなことを想像しながら、私は店の窓から貴方を観察している。そうとは知らずに貴方は青になった横断歩道を駆け足で渡っている。私のもとに駆けつけるために急いでいる。そんな、他人から見たらなんてことない風景だけど、私の瞳にはかけがえのない幸せな風景に映るのです。
「私のどこが好き?」
「……いきなり何だよ」
「いいから。答えてよ、5秒以内」
ごーお、よーん、と暢気にカウントダウンが始まる。僕は手にしていたカレースプーンを置いた。そして口を開く。
「5秒でキミの好きなところを語りきれないよ」
僕のこの返答は予想もできなかったようで。彼女も黙ってスプーンを置いた。傍にあったお茶の入ったコップを手にとって一気に飲み干す。そんなに勢いよく飲まなくてもいいのに。そして彼女はごちそうさま、と言って自分の食器をそそくさとキッチンのほうへ運んでゆく。自分でふってきたのに、照れ隠しするとか、どういうつもりなんだ。
「いいの?続き、聞かなくて」
投げかけるとキッチンからそろりと顔が出てきた。聞きたい、という顔をしている。単純だなあ。
「優しさ、言葉、癒やし、雰囲気、温もり、笑い、元気、勇気、ときめき」
「……なぁに、それ」
「みんなどれも、貰っても形に残らない。でも与えられないと僕が僕じゃなくなる。それをキミが定期的に補ってくれる。だから好き」
「そう、なんだ」
「うん、そうなの」
彼女はさささ、とまたこっちへ戻ってきて僕のコップにお茶をついだ。お皿かたすね、と言って僕の食事の済んだ食器たちを持ってまたキッチンへと消えた。こういう気づかいができるところも、好きの要素の1つを形成しているんだ。そういうの総称して何ていうか、分かる?
愛だよ。これまた目に見えなくて、形にならないという厄介なもの。でも僕ら、ちゃんと与え合ってるの分かってる。姿かたち見えなくても、キミからの愛は毎日感じてる。
「昔からさ、何かあったらここでよく話してたよね」
2人並んでベンチに腰掛けている。家の近所にある公園。昔はこうやってベンチに落ちついて座ってることなんてなくて、ブランコだったりシーソーだったり、とにかくせわしなく動いていた。10年も経てばそりゃあんな遊具で遊ぶこともなくなるか。そう笑いながらキミは言った。確かにそう思う。僕ら出会って10年も経ったんだね。ひょんなことから知り合って、家が近いから同じ区域内の学校に通って。高校受験互いがどこを受けるのか知らない内に新学期になったと思ったら、まさかの同じ私立高校で。その3年間楽しく過ごせた。いや、3年間だけじゃない。キミと会ってからの10年間は毎日最高に楽しい日々だった。こんなにいつも近くに居たから、この先ももしかして同じ道を歩むのかと少しだけ思ったりもしたんだけど。キミはキミの、僕は僕の未来を選ぶ時がきた。キミは明日ここを離れて遠くの学校へと進学する。
「ね、最後にあれ登ろうよ」
指差してきたのはジャングルジムだった。今じゃこんなに背も伸びてほぼ大人のような体格になった。登れるには登れるけど、もう器用にくぐったり身軽な動きをすることはできない。こんなふうに、成長していくにつれできないことも生まれてゆく。いつまでもあの頃のままじゃないんだって思い知らされる。
「わー。たけー」
ベンチから移動して2人でジャングルジムのてっぺんに登り腰掛ける。あの頃走り回っていた公園の敷地内が一発で見渡せる。あの頃は、どれだけ走っても果てなんてないように感じてたのに。やっぱり今と昔で、見える景色は違うんだな。
「がんばれよ」
「ありがとう」
僕らこんなに仲がいいのに、別れの言葉らしくない実にあっさりしたものだった。
いや、別れじゃない。いつかまたひと回り成長した頃に再び会えるから。それまでは僕も、キミに負けないように足を止めない。成長して変わってゆくものばかりじゃない。変わらないものもあるから。それを忘れずに、そして友であるキミが離れていても成功するようにと祈っているよ。