ゆかぽんたす

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9/8/2023, 7:07:08 AM

小さな桶の中で金魚2匹が踊っている。赤いのと黒いのがふよふよ浮いて遊んでるみたいだ。なんて言ったっけ、確かおじさんが、“和金”とか言ってた気がする。私が1匹もとれなかったから、呆れて笑った先輩の手が横から伸びてきてこの2匹を掬ってくれた。お前みたいなトロいやつに捕まる金魚なんていないよな、って言われた。今からちょうど1週間前の、夏の最後のお祭りの日のことだった。
ふらふら水の中を漂う金魚。2匹だけの、直径30センチあまりの小さな世界。そろそろちゃんとした水槽を買ってあげなくちゃ。そう思ってはいるんだけど何となく、気が進まない。正直、金魚のことに意識がいかないでいる。
あの日の帰り、金魚を揺らして帰った家までの道の途中で。私は先輩に好きですって言った。だけど、勇気をふりしぼって伝えた思いは先輩には受け取ってもらえなかった。ごめん、とそれだけ言って私の頭を撫でてきた。視線を落として手元に目が行った時、今と同じように2匹の金魚が水の中で踊っていたのを覚えている。
「あーあ」
ごろんと寝転がって仰向けになった。フローリングの床はひんやり冷たい。そこからテーブルのほうに目を移す。踊る金魚たち、の隣に鳴らない携帯。もうこれ以上待っても無駄なのに、1%くらいは、と期待をしてしまっている自分がいる。
その時、部屋の中にふわりと風が入り込んできた。もう最近は、夜ならクーラーをつけなくても過ごせるようになったから窓を開けていた。夏のような生温くなく涼しくて心地よい風。もう秋なんだと感じる。むくりと起き上がってテーブルまで近づく。相変わらず揺れている金魚。横にあった携帯を手にして操作した。先輩の連絡先を呼び出し、数秒間見つめ、そして、消去した。
「さよなら」
1つの恋と1つの季節が終わった。でも新しい季節はもう始まっている。新しい恋も、またそのうちいつか始まるんじゃないかな。始まるといいな。

9/7/2023, 5:12:39 AM

そんなに泣かないでほしい。

伝えたくてももう、僕の声はキミには届かない。抱きしめたくても触れられない。僕の墓前で泣き続けるキミをそっと見ていることしかできない。僕の姿かたちは、もうキミの目には映らない。
1人にさせてごめんね。キミを残すことがとてもつらいよ。もっと沢山、楽しい思い出を作りたかった。キミを笑わせたかった。やりたいことは山ほどあったけど、どうやらこの運命を受け入れるしかないようだ。

だけどどうか忘れないで。離ればなれになってしまうけど、僕はこの先もずっとキミのこと見守ってる。キミの幸せを誰よりも願ってる。見えなくても、触れられなくても僕はいつもすぐそばにいるから。キミが僕のことを忘れないでいてくれたなら、心はずっと一緒だよ。
僕は居なくなるけど、決してお別れじゃないよ。辛くて寂しさに負けそうな時は、これまでの楽しかった日々を思い出して。僕がどれだけキミを愛していたか。どうか忘れないでいて。

そろそろ行くね。
その時がきたから。
キミと会えて、キミを愛せて幸せだった。
本当にありがとう。


9/5/2023, 12:35:13 PM

私はよく分からない難しい名前の病気にかかっている。ある日突然胸が苦しくなって、お母さんが呼んだ救急車に乗せられて大きな病院に運ばれた時はもう意識がなかった。そこから処置を受け、生死の境目を彷徨って、もう一度この世界に戻ってこれた、らしい。
これは全部お兄ちゃんが教えてくれたこと。私はずっと眠っていたから覚えてるわけない。でも、とにかく大変だったらしい。沢山の大人の人がお前のことを救ってくれたんだよ、って教えられた。だからこの先の未来は一生懸命生きるんだよ、って。
たとえどんな辛いことが起きても。
たとえ私が、自分の力で歩けなくても。

これも、その難しい名前の病気のせいで自力で歩くのができなくなった。体中に巡るはずの血液がうまく循環しないかららしい。だからずっと車椅子。出掛けるのは誰かと一緒。大好きだった陸上もできなくなった。海で泳ぐことも二度と無い。それを思うとすごくすごく辛くて、みんなが帰った夜の病室で独りで泣いたことは何度もあった。なんで私だけ、って思った。

でもそんな時、お兄ちゃんは私に会いに来る時決まって“お土産”を持ってきてくれる。それは綺麗な貝殻だった。この近くに海があって、そこで拾ってきてくれる。耳に当ててみな、と言われてその通りにする。
「貝殻を耳に当てると波の音がするんだよ」
色んな大きさと形の貝殻からはどれも違った音がした。泳げない私に、お兄ちゃんは海を持ってきてくれたのだ。
お兄ちゃんのおかげで私の貝殻コレクションはすごい量になってゆく。だけどいくら集めても、海に潜れる日がくることはない。人魚姫は自分の声と引換えに足を手に入れて陸に上がった。私も、願えるのなら、自分の声をあげるから泳げる足がほしい――なんて言ったら、お母さんが悲しむから言わないけれど。

悲しみに負けそうな時、この貝殻を耳に当てると少し心が落ち着く気がする。あの頃の日常も元気な私ももう取り戻せないけれど。波の音が大丈夫だよ、って言ってくれてる気がするんだ。

生きてさえいれば。
どんなに辛くても自信がなくても否定的になっても。
生きてさえいれば、きっと何かが変わる。
ゆっくり時間をかけて、この波の音のように寄せては返して悲しみを乗り越えられる日がくる。
私はそう信じてる。

9/5/2023, 3:26:03 AM

誰も居ないテニスコート。それもそのはずで今日は部活がオフの日だった。なのに球を打つ音がする。こっそり覗くとありえない人が居た。
「先輩……」
「お。おつかれー」
私の気配に気づいて先輩は壁打ちをやめた。散らばった球を拾ってこっちに近付いてくる。
「どうしたんですか?」
「ん?気分転換に。なんか打ちたいなーって思ってさ」
先輩たち3年生は先月の夏の大会で引退した。あれからもう新部長の新体制で部活が始まり、ちょうど今日で1ヶ月が経つ。たった1ヶ月姿を見なかっただけなのに、なんでか、コートにいる先輩がすごく懐かしく感じた。
「新しい部長はどーよ?」
「まだ、いろいろ慣れなくてテンパってます。でも、私の話とかもちゃんと聞いてくれるのでそこは信用できます」
「そっかそっか。ま、良く支えてやってくれよ、マネージャーさん」
「……先輩は」
「ん?」
先輩は、私がマネージャーで良かったですか?
前部長である先輩を、私はちゃんと支えてあげられてただろうか。全てが終わって、先輩が部を去ってからぼんやり思うこと。新しい部長の子と比べるなんておかしな話だけど、先輩の時代の時は私は何一つ困ることなくマネージャー業ができた。経験の差とか、歳上だからとか色々理由はあるけれど。見えないところで先輩は私に気を配ってくれていた。なのに先輩はそれを表に出さず、試合の時はいつものプレーをしていた。私の目にはいつも先輩がきらきらしていた。誰よりもきらめいていた。そんな先輩が、好きだった。
「……いえ。なんでもないです」
こんな質問は先輩を困らせてしまう。だから言わなかった。私がすべきことはこんなことじゃない。次の部長を精いっぱい支えることだ。先輩が私たちを引っ張ってくれたように。今度は私がそれをやるんだ。
「よろしく頼むぞ」
「はい」
はっきりした私の返事を聞いて先輩は笑顔を見せた。それは私の好きな、きらきらした、きらめいた笑顔だった。

9/4/2023, 8:04:22 AM

幼馴染みのナオちゃんとは幼稚園の頃から一緒だ。だからかれこれもう10年以上の付き合いになる。ただし、付き合いが長いからと言って私たちの距離は縮まらない。私がどんなに想いを寄せようとも、“幼馴染み”という間柄から前進することはなかった。多分、この先もきっと希望はないと思う。
だったら早々に諦めればいいのに、どうしてかな、彼の笑顔を見ているとそんな決断を鈍らせてしまう。いっそもう、彼の近くから離れたほうがいい。そう思って、大学は都内の大学に受験することに決めた。別に、そうしたのは彼がすべての理由じゃない。やりたいことも目指したいものも叶えてくれそうな大学だと思ったからそこに決めた。いつまでも彼に縛られてちゃいけない。私もちゃんと自分の夢と向き合おう。そんな前向きな気持ちで進路を考えていたというのに。
「どういうつもりだよ」
放課後、たまたま廊下ですれ違った私の腕を彼が捕まえた。どういうつもりって、何が。そう聞こうとしたけど、声に出なかった。あまりにも彼が怖い顔で私のことを睨んでいたから。こんなことは知り合ってから1度もない。ただごとでは無いんだと感じ取れた。
「俺に黙って外部受験しようとしてたなんてな」
「黙ってって……別にそういうつもりじゃ」
「ならどうして俺に何も言わない。少なからず、やましい気持ちがあったんだろ」
私を見下ろしてすごんでくる。付き合いが長いから、これまでに喧嘩したことはあったけど。ここまで不機嫌さを隠さずに迫ってくるのは初めてだった。
「私の進路なのに、どうしてナオちゃんの許可がいるの。関係ないじゃん」
「なんだと」
「私なんか居ても居なくてもあなたの人生に影響ないでしょ」
「……本気で言ってんのか」
思わず後ずさりしそうになる。でもなんで私が責められなきゃいけないの。こんなのおかしい。そう思ったから私も負けじと睨み返す。何も語ることなくただじっと、彼の瞳を見つめ返した。その睨み合いの勝負から先に退いたのは向こうだった。彼は小さな溜め息を吐いて頭を掻く。そして悪い、と一言呟いた。
「俺らって、今までいつも一緒だっただろ。学校も委員会も選択科目も」
それは別に2人で示し合わせたわけでもなく、本当に偶然で同じだった。幼稚園からの約13年間、私たちは顔を合わせない日がなかった。だからお互いの考えてることも何となく分かるし、些細な変化にも気づけた。でもこれで私が都内の大学に進めば。彼と顔を合わせる日々でなくなる。つまりはそういうことだ。
「お前の未来は俺のもんじゃない。そんなこと分かってるけど……なんつーか、ショックだったんだよ。お前が黙って俺の前から居なくなろうとしてることが」
「ナオちゃん……」
「お前が俺の近くに居るのが当たり前に思ってた。けど、違うんだよな」
ちょっと寂しそうに笑って、彼は廊下の壁にもたれ掛かった。そんなふうな顔をしたいのはこっちだと言うのに。心が痛い。彼は私の気持ちに気づいてなかったからそんなふうに言えるんだ。やっぱり、彼の前から離れるという選択は正しい。私はいま一度決心した。
「お互い受験、がんばろうね」
これが、私の精いっぱいの返事であり強がりだった。うまく笑えてただろうか。自信はないけど自分なりにうまく笑顔を取繕ったつもり。まるで捨て台詞みたいなその一言だけ言って、私は彼に背を向け歩き出そうとした、その時だった。
「待てよ」
私の手首を彼が掴んだ。
「まだ話は終わってねーよ」
「……痛いよ」
「さっき、私なんか居なくてもあなたの人生に関係ないでしょとかなんとか言ってたよな」
「言ったよ」
「ふざけんな」
掴まれていた手首が引っ張られた。前につんのめりそうになる私をナオちゃんが受け止める。でもそのまま、離してはくれなかった。ぎゅっと抱き締められたまま、私は彼の肩口しか見ることができない。
「大有りだよ、バカ」
その言葉は、とても弱々しい口調だった。まさか、そんな。思わず彼の顔を確認したかったけど、相変わらず離してくれない。彼のこの強い力が、本気なんだと訴えてくる。
「ごめんね、ひどいこと言って」
私も小さく呟いた。それが聞こえたらしく彼はもう一度ぎゅっとしてきた。ごめんね。今まで気づかなくて。勝手に離れようとして。毎日顔を合わせてても、そこまではお互い読み取れなかった。どうしてだろうか。多分きっと、お互いに隠していたからだ。お互いが相手のことを思うあまりに。あぁ、なんて。なんて私たちは不器用なんだろうなと思った。


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