ゆかぽんたす

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小さな桶の中で金魚2匹が踊っている。赤いのと黒いのがふよふよ浮いて遊んでるみたいだ。なんて言ったっけ、確かおじさんが、“和金”とか言ってた気がする。私が1匹もとれなかったから、呆れて笑った先輩の手が横から伸びてきてこの2匹を掬ってくれた。お前みたいなトロいやつに捕まる金魚なんていないよな、って言われた。今からちょうど1週間前の、夏の最後のお祭りの日のことだった。
ふらふら水の中を漂う金魚。2匹だけの、直径30センチあまりの小さな世界。そろそろちゃんとした水槽を買ってあげなくちゃ。そう思ってはいるんだけど何となく、気が進まない。正直、金魚のことに意識がいかないでいる。
あの日の帰り、金魚を揺らして帰った家までの道の途中で。私は先輩に好きですって言った。だけど、勇気をふりしぼって伝えた思いは先輩には受け取ってもらえなかった。ごめん、とそれだけ言って私の頭を撫でてきた。視線を落として手元に目が行った時、今と同じように2匹の金魚が水の中で踊っていたのを覚えている。
「あーあ」
ごろんと寝転がって仰向けになった。フローリングの床はひんやり冷たい。そこからテーブルのほうに目を移す。踊る金魚たち、の隣に鳴らない携帯。もうこれ以上待っても無駄なのに、1%くらいは、と期待をしてしまっている自分がいる。
その時、部屋の中にふわりと風が入り込んできた。もう最近は、夜ならクーラーをつけなくても過ごせるようになったから窓を開けていた。夏のような生温くなく涼しくて心地よい風。もう秋なんだと感じる。むくりと起き上がってテーブルまで近づく。相変わらず揺れている金魚。横にあった携帯を手にして操作した。先輩の連絡先を呼び出し、数秒間見つめ、そして、消去した。
「さよなら」
1つの恋と1つの季節が終わった。でも新しい季節はもう始まっている。新しい恋も、またそのうちいつか始まるんじゃないかな。始まるといいな。

9/8/2023, 7:07:08 AM