眠るという行為は、私にとって一日の区切りをつける行為だ。
何度か睡眠で夜を越さずにいたことがあるが、どうも昨日が続いているようで頭がぼうっとしてしまう。しっかり一日を終わらせて、明日のことは明日の私に任せることが大切らしい。
乾かした髪を梳かして照明のリモコンとともにベッドへ入る。いつもここからが長い。
照明が消えた暗い部屋の中、薄らと眠気を感じつつも液晶画面を眺めては緊急性など欠片もない情報を頭に詰め込んでこぼしていく。深夜ともなれば更新も少なく、すぐに目を通し終えれば場所を移して続ける。空虚で無意味な時間だ。さっさと寝てしまった方が寝不足気味の私にはよっぽど有意義だと言える。
死んでも死にきれない。言葉にするとしたらこれが一番しっくりくる感覚。今日を有意義な日として終わらせられる何かを探している。
生まれてから毎日のように、今日という日に未練を抱いていた。
『眠れないほど』
スリルを求めて殺人をした二人の男がいたらしい。
初めて聞いたときは理解に苦しんだ。そこまでのスリルを渇望することなど、あるだろうか。少なくとも、自分の人生にはなかった。スリルなんて必要ない。平穏であれば平穏であるだけ良い。
しかし、それを壊す存在が現れてしまった。彗星の如く現れたその人は恐ろしいほどに美しく、狂おしいほどに眩しかった。まるで神の最高傑作。目の前にいるはずなのに、どこか次元がズレているような気すら感じさせる。あの体には内臓なんてなくて、宇宙が秘められているのだと言われても納得してしまいそうだ。
信じ難い衝動を呼び起こされたことを自覚するのに時間はかからなかった。あの輝く姿をひと目見ただけで気がおかしくなる。平静を装うので精一杯だった。
壊したい。壊されたい。あの人を天界から引きずり下ろして、自分と同じ存在に落としてしまいたい。
いつか自制が効かなくなるとわかっている。わかっているのに離れたくなくて、なあなあに日々をやり過ごしている。この醜い本性を知られたくないと思いつつ、胸の底では暴かれたいとも願っていた。そのスリルが堪らなかった。
更なるスリルを求めたら、どうなってしまうのだろうか。
『スリル』
空というものは不思議だ。
果てに広がるのは宇宙なはずなのにその暗さは見せず、ただ青く澄んでいる。空が青いのは光の影響らしいが、難しいことはよくわからない。
都会の喧騒から離れると、こんなにも空は広く青かったのだと気づかされた。知ってはいても、あの高いビル群に囲まれていると見失ってしまうというものだ。しかしここでなら星だって見える。
漫画で見るように草むらに寝そべった。身近な虫の気配には怯えつつも、解放感は極上。深く呼吸をすると肺の底まで洗われたようにも思える。
辞表と有給申請書を叩きつけて飛び出してきたのはやり過ぎただろうか。ふと頭をよぎった罪悪感は、木々のざわめく音で掻き消えた。
ここまで広い空の下だ。このくらいで神様が怒ったりなんかはしないだろう。
『どこまでも続く青い空』
すっかり慣れた動作で手を差し出すと、眉を寄せた彼は無言のまま手を重ねてソファから立ち上がった。腰を抱かれ、距離がぐっと近づく。
私はこの時間が好きだ。嫉妬で満ちた彼と踊るこの時間が。私が踊るのを欠かさず見に来るくせに、他の男と踊っていることに欠かさず拗ねているのだから可愛くて仕方がない。
ステップは適当。ダンスホールはマンションのリビング。BGMは気ままな鼻歌。誰に見せるわけでもなく、ただ彼と踊るためだけのダンスだ。動きは合っていても合っていなくてもいいし、そもそもコンクールでこんなダンスは踊らない。
踊ってるうちに彼の顔が少しずつ和らいでいく。ここまでゆるゆると素で踊る様を見られるのは自分だけだと実感するにつれて安心してくるのだと言っていた。
可愛い可愛い私の恋人。私が踊るのは貴方だけよ。
『踊りませんか?』
ソファから飛び出た足に革靴、コート掛けにはよく落ちないでいるものだと感心する芸術的なコート。前にもこんなことがあったと思い返しながら、自分の足の何周も大きいルームシューズを手にソファへ近寄った。
どこが神経質だ。唸る彼から靴を引っこ抜く。一応仕事場では常に気を張った緊張感の塊だと評されているらしいので、どうやら彼も人間らしく自分の家では気が緩むということだろう。
以前全く同じことをしたときは寝ぼけ眼のまま手を握られたのだった。共通の知り合いから本当に恋人なのかと定期的に確認されるほどに恋人らしくない私たちにとっては、そんなことすらも珍しい。
少し、欲張ってみたくなってしまった。
屈んで指先からそっと頬に触れる。起きない。ゆっくり滑らせて、無造作に崩された髪に指を通した。時々やけに頭を撫でたくなる瞬間があるのだが、起きているときにはできやしない。
睫毛を押し上げて薄く瞳が覗いた。期待に躍る胸を抑えて見つめていると、長い腕に抱き寄せられる。そして彼は甘えるように体を引きずって、擦り寄ろうとした。
どすっ、とソファから彼の体がずり落ちて呻き声が漏れる。乱れた髪の下で呆けた顔は、今までに見たどんな顔よりも愛おしかった。
『奇跡をもう一度』