懐中時計を見つけた。
くすんだ銅色の、アンティークっぽい感じのやつだ。蓋にはごちゃごちゃした複雑な文様が彫られてる。ボタンを押して開いてみると、文字盤の真ん中がぽっかり空いてて、中の小さな歯車が噛み合ってるのが見えた。スケルトン仕様ってやつ?
とにかく、聞いてた特徴とはバッチリハマってる。これ、当たりか?
「店長ー、これっすか? 探してたやつ」
奥の方に居るはずの店長を呼ぶと、ごそごそと何かを漁っていた音がピタリと止んだ。
この骨董店は、近々閉店する。もともと店長の趣味で始めたようなもんで、普段も客なんて全然来なかったけど。まぁそれでいて、おれというバイトを常時雇ってたのも謎ではあるけど。
でも、楽して稼げて居心地も良かったのにな。なんてしみじみと浸っていると、急に棚の影からぬっと顔が生えてきて肩が跳ねた。
よく見ると店長だった。脅かすなこら。
「ああそう、これこれ! 良かったぁ。無くしたかと思ったよ」
おれの手からひょいと時計を持ってって、店長はオーバーに喜んでる。そんな大事なもんなら、分かるとこに仕舞っときゃいいのに。
「ふつーに売り出し中になってましたよ。いい加減、片付け覚えません?」
おれが居なくなったらどうするつもりなんだろう、この人。
思えば、初めの仕事はゴミ屋敷じみた店内の整理だった。この店が今、ちゃんと店として機能してるのは、おれのおかげだ。店長はいい大人のくせして、片付けがまるでできない。
「この時計、僕の思い出の品なんだ。聞きたい? 語っちゃっていいかな?」
うきうきと目を輝かせて話す店長にうんざりする。何かと喋りたがりの店長は、こと骨董品の話になるとめっぽう長い。いつもなら適当にあしらうところだけど。……まぁいいか、最後くらい。
そんなに長いこと働いてたわけでもないのに、終わるとなるとちょっと寂しい。基本暇だったけど、なんだかそれすら懐かしく思えてくるなぁ。
と、そこまで考えてふと気がついた。
「そういえば店長、この店やめるのっていつっすか? 詳しいことなんも聞いてませんけど」
いい加減教えてくれてもいいんじゃ、と思いながら話を振ると、店長は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。え、何その顔。
「やめないよ? 店」
「は? でも閉店するって」
「これ見つかるまでは店開けらんないなぁって意味だよ。大事なものだからね」
なんだそれ。
「あ、もしかして勘違いしちゃった?」
「……うるっさ」
恥だ。大恥だ。むかつく。無駄に浸ってたのが馬鹿みたいじゃんか。
顔が熱い。羞恥を振り払うように店長の目の前に手を出すと、その顔を睨みつける。
「特別手当ください。頑張ったんで」
「ええ、まだ勤務時間内でしょう。それくらいはさ」
「頑張ったんで。おれ、お手柄なんで」
「……まぁいいけど」
「やった」
言ってみるもんだな。
手渡された茶封筒を受け取って、いそいそと中を確認する。数秒中身を見つめてから、店内にある古い置時計に視線をちらり。
実働三時間。支給が千円。時給あたり三百円ちょい。
……しけてやんの。
/『懐かしく思うこと』
陽に背を向けて暗がりを生きるような、惨めったらしい生だった。
*
十階の窓から見える景色はいつも同じだ。
向かい側に建つビジネスホテルに、真下を走る自動車の群れ。歩道を行き交う人間の姿はとても小さく見えて、朝と夕に制服を着た学生がちらほら通る。
景色自体は三日で飽きた。でも、時々ここに来る前のことを思い出すと、どろどろとした感情が吹き上がる。
挙句、窓に反射した自分の首元が見えた時なんかには、何もかも全部ぶっ壊してしまいたくなる。
なんで、俺ばっかり。そう思ったことは、ここに来てから数え切れないほど多い。
昔から、人に寄りかかるのも、人に頼るのも苦手だった。
だから身寄りを失った時、居場所も、友人も、頼れる人も、何も無いことに気がついた。俺が居なくなったところで、気にするやつなんて誰も居ない。
俺がここに居たって、誰も探しになんて来ない。
苛立ち混じりに拳を窓に叩きつける。分厚いそれはビクともしない。
強化ガラスだからね、と薄ら笑いで諭してきた、いつかのあいつが脳裏によぎる。腹が立つ。
腹が立つ。
首を触ると、指先に異物が触れた。それがすっかり体温と馴染んでしまっているのが、より一層癪に触った。
初めの頃は、ここに鎖がついていた。部屋中歩き回れるくらいの長い鎖だ。でも、その一週間後には外れた。あいつの居る時にそれで首を吊る真似事をしたら、慌てて外された。
いつもの薄ら笑いが引っ込んで、青ざめていく様は傑作だった。
しかしそれ以上は何も変わることなく、首輪だけがいつまでも、俺の首に居座っている。
人権は金で買えるらしい。仮にも金で買われた以上、俺に拒否権は無い。
ここにいる限り、俺はずっと、陽のあたる場所は歩けないんだろう。
猫よろしく部屋に閉じ込められて、犬のように首輪をつけられ、ペットのように俺を管理しながら、そうしてあいつは笑って言うんだ。
『良かったね。あそこで独り寂しく死なずに済んで』
「……反吐が出るな」
とことんまで狂ってる。
そんなにペットがお望みなら、次はその喉笛に噛み付いてやろうか。
/『暗がりの中で』
「こんにちは。あいせき、いいかい?」
私がカフェで優雅に紅茶を嗜んでいた折のことだ。上から降ってきた声に視線を向けた時、一瞬目を疑った。
そこに居たのは、一匹のツキノワグマだったのである。
二本足で立つその体長は、一般的な成人男性より少し大きいくらい。真っ黒な被毛につぶらな瞳。首元に羽織っている、丈の短いケープはどこか窮屈そうで、下から胸元の白い三日月模様が見え隠れしていた。
獰猛な種族のイメージにそぐわない、なんとも愛嬌のある佇まいであった。
「……失礼。どうぞ、おかけなさい」
ちょこんと小首を傾げるクマの様子に、我に返って席を勧める。クマはテーブルとソファの間に体を滑り込ませると、えっちらおっちら席に着いた。
改めて向き合うことになったクマの態度は、どこか居心地が悪そうであった。
「やはり、めずらしいかな、くまは」
「まあねえ……。私たち魔女が使い魔にするのは、もっぱら黒猫やらカラスやらの小動物だから……クマは初めて見たな」
使い魔にすると軽く言っても、元は全て野生の動物だ。人が野良の動物をペットにするのに比べると、それよりもはるかに長い時間、色々なことを仕込んで、覚えさせていく必要がある。
カラスは知能が高く、猫は人に慣れやすい。そのため比較的使役しやすいが、クマは元々獰猛な種族だ。体も大きいから、連れ歩くのにも難がある。
「あるじが、かぜをひいてね。おつかいのついでに、ここでともだち、つくってこいって」
こまっている、と肩を落とすクマを見て、軽く店内に視線を走らせた。
元々ここは、魔女とその使い魔御用達のカフェではあるが……なるほど、やはり遠巻きにされているようだ。あちこちから視線を感じる。
おおかた、このクマが暴れだしたりしないかと気が気でないのだろう。気持ちは分かる。
確かにこれは、友達をつくるどころではなさそうだ。
「まあ、せっかく来たんだから、お茶くらいして行けばいいさ。ここの紅茶は美味いぞ」
一度片付けていたメニューを再び取り出す。クマは数秒それを覗き込んでから、首を捻った。
「なにが、おいしいんだい」
「さあ。私はあまり味には詳しくなくてね。もっぱら香りを楽しんでいる」
「かおり?」
「好きなんだよね、紅茶の香り」
先程まで嗜んでいた紅茶を手元に寄せる。カップを鼻先に近づけると、爽やかでスッキリとした香りが鼻腔に広がった。
正直、紅茶は味よりも香りの方が好みだ。
だから、紅茶が温かい間はひたすら香りを楽しみ、冷めて香りが薄れて来てからやっと飲む。私はいつも、そんな独特の飲み方をしている。
友人には台無しだと怒られるが。
「かわっているね」
「ふふ、お互い様だね」
「……にたものどうし?」
よほど孤独を感じていたのだろうか。舌足らずなクマの声音が、少し嬉しげに弾むのを聞いて、思わず笑みがこぼれた。
とても愛らしいクマだ。まだ見ぬ彼の主は、動物を見る目があるらしい。
「そうだな、可愛いクマさんには、アップルティーでも勧めておこうか」
メニューのうちの一つに指を這わせると、クマは瞳を輝かせた。
/『紅茶の香り』
「愛してるぜ」
ウィンクをしながら言ってみた。
目の前には小さなクマのぬいぐるみ。ぶっちゃけ俺の趣味じゃない。だが、愛しのあの子がきらきらしい笑顔でくれたプレゼントなのだから、大切にしないなんてありえない。
そうとも、これはただのクマじゃない。もはやあの子そのものだ。だからこうして練習に付き合ってもらっているんじゃないか。サンキュークマ吉、恩に着るぜ。
腕組みをしながら、さっきの自分の言動を評価してみる。
今のはちょっとキザ過ぎる気がするな。逆にダサい。
「月が綺麗ですね」
これはどうだ。授業でやった有名なやつだ。ちょっと教養のある知的な男も演出できる。
いや、だが彼女はかなり鈍感だ。純度百パーの笑顔で「ほんとだ! きれーだね!」なんて月を指して返された日にゃ、その意味をどうとっていいのか分からない。九十九パー伝わってないのは確実なのに、わずかな希望を期待して悶々と悩むのは不毛すぎる。
てか、そもそも明日は新月だった。やめよ。
「……君の瞳に乾杯!」
いつかどっかで見た古くさい映像から。これはどうだ。むしろ逆に新しくないか?
なんだか今度こそ行ける気がして、これまたあの子に貰った小さな手鏡にテイクツーをかましてみたら、あまりの自分のキモさに真顔になった。だめだこれ、なし。却下。
「むっずぅ……」
万策尽きてベッドに沈む。枕の上に置いていたクマが、ぽてっと倒れて頭に乗った気配がした。
明日はあの子の十六回目の誕生日だ。
誕生日に告白しようと思い立ってからはや五年。明日がだめならまた来年に持ち越すしかない。
別に誕生日じゃなくても、と思わなくもないが、特別な日にかこつけないと勇気が出ないんだ。どうしても足がすくむ。
ヘタレな自覚はある。でも無理なもんは無理だ。無理。
ああ開き直りだとも。なんとでも言えちくしょう。
誰と言わずに脳内で言い訳を並べ立てては、吐いたため息がシーツに沈む。ちらっと時計を確認すると、もう二十三時だった。嘘だろ、あと一時間で明日じゃねぇか。
いったい何が悪いんだろう。妙に気取るからだめなんだろうか。
だったらなんだ。もっと自然に? むしろ、ありきたりなセリフの方が言いやすいか?
例えば、あなたが好きです、とか?
……そんなの。
「直球すぎて一番恥ずい……」
/『愛言葉』
夏は思いました。「みんなとお友達になりたいのになあ」
この世界には春と夏と秋と冬、四つの季節しかありません。春と秋には初めと終わりに会えるけれど、冬には一度も会ったことがありませんでした。
なぜなら、夏と冬は正反対の季節だからです。決して交わることはない。交わってはいけない。それは神様から言い渡された、絶対のルールでした。
「でも、友達になりたいんだよなあ」
たった四つしかない季節なのに、最後の一つとは永遠に会えない。そんなのは、夏にとっては悲しすぎました。
「どうしたら友達になれるかなぁ」
*
夏は、秋に相談することにしました。秋は夏と冬に挟まれている季節なので、適任だと思ったのです。
「ねえ秋。僕、冬に会いたいんだ。橋渡しをしてくれない?」
けれど、秋は「だめだ」と言いました。季節を狂わせることは許されない。それが神様から言い渡されたルールだからです。
夏も、それは知っていました。けれど、どうしても諦められなかったのです。
季節が巡る度、夏は何度も秋に交渉しました。そして、そのたびに断られました。
それでも、根気よく何度も何度も訴え続けて。
ある時から、秋が病気がちになってしまいました。あまり長く季節を担うことが出来ないのです。
その代わりに、夏と冬が長めに頑張ることで何とかしていました。
初めは夏も真面目に頑張っていましたが、少しして欲が出るようになってしまいました。
「ねえ秋、ちょっとでいいんだ。どうにか冬に会えないかな?」
いつもならすぐに断る秋ですが、この日は違いました。体が弱っていたせいでしょうか。秋は「少しだけなら」と弱弱しく口にしたのです。
それから、夏は時々秋の担当する季節に、冬に会いに行くようになったのでした。
*
夏に悪気はありませんでした。ほんとうにただ、冬に会いたかっただけなのです。会って、友達になりたかっただけなのです。
けれど、少しずつ、少しずつ、季節が狂っていきます。
一度禁を破ってしまったしわ寄せは、どうなってしまうのか。
それは、誰にも分からないのです。
∕『友達』