「こんにちは。あいせき、いいかい?」
私がカフェで優雅に紅茶を嗜んでいた折のことだ。上から降ってきた声に視線を向けた時、一瞬目を疑った。
そこに居たのは、一匹のツキノワグマだったのである。
二本足で立つその体長は、一般的な成人男性より少し大きいくらい。真っ黒な被毛につぶらな瞳。首元に羽織っている、丈の短いケープはどこか窮屈そうで、下から胸元の白い三日月模様が見え隠れしていた。
獰猛な種族のイメージにそぐわない、なんとも愛嬌のある佇まいであった。
「……失礼。どうぞ、おかけなさい」
ちょこんと小首を傾げるクマの様子に、我に返って席を勧める。クマはテーブルとソファの間に体を滑り込ませると、えっちらおっちら席に着いた。
改めて向き合うことになったクマの態度は、どこか居心地が悪そうであった。
「やはり、めずらしいかな、くまは」
「まあねえ……。私たち魔女が使い魔にするのは、もっぱら黒猫やらカラスやらの小動物だから……クマは初めて見たな」
使い魔にすると軽く言っても、元は全て野生の動物だ。人が野良の動物をペットにするのに比べると、それよりもはるかに長い時間、色々なことを仕込んで、覚えさせていく必要がある。
カラスは知能が高く、猫は人に慣れやすい。そのため比較的使役しやすいが、クマは元々獰猛な種族だ。体も大きいから、連れ歩くのにも難がある。
「あるじが、かぜをひいてね。おつかいのついでに、ここでともだち、つくってこいって」
こまっている、と肩を落とすクマを見て、軽く店内に視線を走らせた。
元々ここは、魔女とその使い魔御用達のカフェではあるが……なるほど、やはり遠巻きにされているようだ。あちこちから視線を感じる。
おおかた、このクマが暴れだしたりしないかと気が気でないのだろう。気持ちは分かる。
確かにこれは、友達をつくるどころではなさそうだ。
「まあ、せっかく来たんだから、お茶くらいして行けばいいさ。ここの紅茶は美味いぞ」
一度片付けていたメニューを再び取り出す。クマは数秒それを覗き込んでから、首を捻った。
「なにが、おいしいんだい」
「さあ。私はあまり味には詳しくなくてね。もっぱら香りを楽しんでいる」
「かおり?」
「好きなんだよね、紅茶の香り」
先程まで嗜んでいた紅茶を手元に寄せる。カップを鼻先に近づけると、爽やかでスッキリとした香りが鼻腔に広がった。
正直、紅茶は味よりも香りの方が好みだ。
だから、紅茶が温かい間はひたすら香りを楽しみ、冷めて香りが薄れて来てからやっと飲む。私はいつも、そんな独特の飲み方をしている。
友人には台無しだと怒られるが。
「かわっているね」
「ふふ、お互い様だね」
「……にたものどうし?」
よほど孤独を感じていたのだろうか。舌足らずなクマの声音が、少し嬉しげに弾むのを聞いて、思わず笑みがこぼれた。
とても愛らしいクマだ。まだ見ぬ彼の主は、動物を見る目があるらしい。
「そうだな、可愛いクマさんには、アップルティーでも勧めておこうか」
メニューのうちの一つに指を這わせると、クマは瞳を輝かせた。
/『紅茶の香り』
10/28/2024, 2:55:10 AM