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11/12/2024, 2:07:17 AM

「ねえ、新しい靴買ってもいいかなあ」
彼女がこう言うとき、もう靴は買ってあって、俺はただ
「うん」
とだけ返せば良い。あとは
「今度デートで履いてきてね」
とか付け足しておけば完璧である。
「わかった!実は靴にあわせてワンピースも買ったんだよね、デート楽しみ」
上目遣いであざとく見つめられて、俺も悪い気はしなかったので
「そうだね、バイトがんばってね」
と言っておいた。ここは夜の街。

11/11/2024, 6:21:48 AM

いつも月とともにあらわれる彼は、一年で最も美しいと言われる中秋の名月の日には姿を見せなかった。一応メールを打ったものの、その晩は返事がなかった。せっかくお団子やら里芋やら準備してみたのに、結局一人で空を見上げていた。夜が更けるのにはずいぶんと時間がかかりそうだったので、酒を持ってきて窓辺で彼について考えることにした。
晴れた夜には必ずやってきて、長くなると一晩中語り合う。そしてまたフラっと帰っていくのである。よく考えると名前しか知らないような男だ。いや、好きな酒のつまみも知っている。言ってみればただそれだけだが、やはりあのように美しい月夜にはススキのうわさ話なんかしながら、彼と酒をのみたいと思った。

11/10/2024, 8:00:31 AM

肌寒くなると、ついカンガルーのおなかを思い浮かべている。赤ちゃんは往々にしてそうだが、あたたかいところで過ごすのは素敵なことだ。ところがこの前、カンガルーの赤ちゃんは産まれたら自力で親のポケットに入っていかねばならないという記述をみた。それが本当なら……自然界はさぞ大変なところであろう。とはいえ、うまれおちた瞬間からサバイブが始まるのは誰もかれも同じではなかろうか。
現に私もこのナントカ液に浸けられた脳みそ一つで世を渡り歩こうというのだからとんだサバイバルではないか。
なーんて戯言をほんとの脳裏に刻みつけていたら、パソコンの気象情報が今日の最高気温は25度だといい始めた。12月にしては異例。
なんだ、まだ肌寒くないじゃん。

11/9/2024, 12:34:59 AM

「ブニャッ!」
と足元から聞こえたので驚いて見ると、うっかり猫のしっぽを踏んづけようとしていた。
「スマン、痛かったか」
通じるわけもないが人語で謝っておいた。
「恨まないでくれよ、俺も気が動転してんだ」
そのまま真っ暗で細くて寒い路地を駆け抜けつづけた。この先には何が待っているのだろう。見つからずに電車に乗れたなら、途方もない田舎に行き着くだろう。あるいは、死んでしまうか。
死にたくないから殺したのに、俺は死ぬのか。人生なんとかやってきたと思っていた。そりゃあ他人よりはいくらかひどいこともあったが、それも含めて俺のもんだと大事にしてきた。
「今日で終わり、なのか?」
急に心細くなった。
死ぬとき誰かが横にいてほしいなんて過ぎた願いかもしれないが、せめてもう少しあたたかいところで死にたかった。
そんなことを考えていたらふいに後ろから銃声がした。撃たれた胸から赤い血が意味もなく流れているのが見えた。

11/8/2024, 4:09:27 AM

まだ霧の出ているような早朝に湖の周りを歩いていると、現実と妄想の境目があいまいになる時がある。薄暗くて湿った地面や葉っぱたちは、ともすれば神秘さえ思わせる。そういう幻想の中を散歩していくと、次におぼろげになってくるのは自己と他人である。ときどき、美しさは人間を等しく穏やかにするのではないかと錯覚する。しかし、美の概念などはこの世に存在しない。何が美しいかはわたしが感じるまでのこと。
わたしは知っている。この甘美なる夢から家へ帰っていくと、妻はいつも言うのである。
「またズボンのすそ汚したでしょう。泥は難しいのよ!」

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