逆井朔

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5/30/2024, 2:35:20 PM

お題:終わりなき旅
 やあ、おはよう。あれから二週間は経ったんだが、気分はどうだい?
 普段通りか。そうかそうか。それは重畳。
 身体のどこかに違和感はないかい? 痛む場所は? ふむ、特に問題なしか。
 君が被検体になると自ら申し出てくれた時には本当に驚いたよ。僕がしている実験の話をいつも怖がっていたしさ。
 こちらとしても、怖がるのも無理はないと思っていたよ。それなりに酷いこともたくさんしてきているからね。
 古来より、欲の深い資産家(スポンサー)が追い求めてやまない不老不死。それを成すために、僕たちは本当になりふり構わずありとあらゆることを試してきていた。その結果、今回君に受けてもらった身体のパーツの取り換え手術にたどり着いたって訳だ。まぁこの辺は君に何度も聞かせていたことだから、そろそろ耳にタコができていてもおかしくはない頃だね、ははは。
 神経回路なんかはそのまま活かさせてもらっているけれど、まぁ当初の話通り、君の身体はほぼ全て機械化させてもらっているよ。機械ではあるけれど、一般的な人間と大差のない容貌に色々手を加えて調整してある。ついでに言うと、二週間前の君と見た目上はほとんど変わらないように作り上げてあるから安心してもらっていい。
 とはいえ、君に被検体となってもらったことからも分かるように、まだこの方法の安全性や有効性は未知数にある。つまりは発展の途上にある訳だ。もしかしたらこの先、君の身に僕らですら予想し得ないような何事かが発生する可能性もあるということでもある訳だ。事前に伝えてはいたけれど、改めて伝えておくからね。
 君が被検体になってくれたからには、僕も必ず約束を守ろう。君の弟や母親がこの先、食いっぱぐれないように経済的な支援は惜しまないし、君の想いに最大限報いるつもりだ。
 これから先、君は永遠の旅のような人生を送ることになるだろう。まぁ、この手術の安全性や有効性がはっきりとしたら、の話ではあるから、まだ「取らぬ狸の皮算用」かもしれないがね。
 それでも、僕は現段階でも既に今回の手術に関しては結構自信があるんだ。これまでのトライアンドエラーのおかげで、過去の被検体のデータもそれなりに集まっていたしね。
 それで、君のこれからの話になるんだけどさ。
 僕が生きている内は君のメンテナンスをしっかり行おう。君自身にも、そのやり方はおいおい少しずつ手ほどきしていこう。そうすれば、僕がこの世を去っても君が一人で生きていけるだろうから。
 そう、君はこの地球上の誰よりも長生きするんだ。そして、この国や世界中の歴史、文化の変化などを見守り続けて、できるものなら記録にまとめてほしい。
 今、僕たちの研究と並行してコールドスリープの技術もあちこちで盛んに行われている。もしかしたら、いつか僕らが死んで随分経った頃、コールドスリープから目覚めた人がその記録のデータを指標に生きていくかもしれないからさ。え? 責任重大だ、って? 大丈夫。同じことを頼んでいる被検体はたくさんいるから、そこまで気を揉まなくていい。
 ああいや、そうじゃない。君を信用していないのではなく、情報は多ければ多いほど精度が増すからね。
 まぁ、とはいえ、まずはあと数日はこのまま無理せず静養したほうがいいだろうね。
 とりあえず、僕からは今のところこのくらいかな。
 それでは、また。夜に様子を見に来るよ。それより前に何か用向きがあれば、枕元のナースコールを押してくれ。

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個人的備忘録
・執筆時間…約1時間
 これまでの作品もそうだが、書いている途中に眠くなりながら後半の方は書いている。大体夜22時以降に書き始めていることが多いからだろう。

5/29/2024, 2:56:06 PM

お題:「ごめんね」
 二階の一室を開け、スイッチを押して薄明かりを得ると、部屋の端まで歩いていき、カーテンを開く。
 更に窓を開け、雨戸を開けた。
 ゆるりと見上げれば、どんよりとした曇り空。それでも天気予報では一応、一日雨は降らないという。
 換気のため、暫くは網戸にしておく。
 部屋を出て突き当りの納戸に、掃除機が決まってある。取り出して、先ほどの部屋に引き返す。
 ここにあったベッドは随分昔に隣の家で暮らす曾祖母に譲り渡した。高齢になり、布団での寝起きが辛くなったためだ。その曾祖母も、もういない。
 大きく場所を取っていた家具が取り除かれたこの部屋に掃除機をかけるのは、物理的にはさほど苦ではない。
 カーテンレールには、千羽鶴が飾られている。CDコンポの上には、大勢の友人がサインをしてくれた大きなぬいぐるみもある。勉強机の上には学校の教科書やノートが行儀よく並んでいる。
 部屋の中は、ずっと様子が変わることがない。そこだけ見ると、あれからどれだけ月日が経ったのか忘れそうになるほどだ。
 5歳上の兄が海外で事故に遭い、生死の縁を長いこと彷徨った後、そのまま帰らぬ人になってからもうすぐ21年が経とうとしている。
 中学3年生の受験も間近という頃のできごとで、当時は精神的にどん底まで落ちて勉強も手につかなくなった。
 プロになるつもりはないかとまで打診を受けたのに、習っていたピアノを続けられるような心境では到底無かった。
 それに、実際問題として、続けられるような環境ではなくなった。
 まだ若かった兄は海外旅行保険など知らなかったのだろう。それに入ることをせず国外に出ていたため、入院や治療にかかる費用は莫大なものとなって我が家に襲いかかった。
 とても月7000円のレッスンにお金を出せるようなゆとりはなかった。
 周囲の人間全てが妬ましく見えた。お金持ちな家の子も、きょうだい喧嘩をしたと文句を言う友人も、きょうだいが無事ないとこも、誰も彼もがずるく見えた。なんでこんなに不平等なんだと、うんざりした。
 そうなると、皆とどんな風にこれまで会話していたのかが分からなくなってしまって、次第に疎遠になってしまった。
 そして同時に申し訳なく思った。なぜ死んだのが自分ではなかったのだろうと、何度も何度も何度も何度も嫌になるほど責めた。
 兄は誰からも好かれていたし、幼い頃から自分の信念を貫き、夢に向かって努力を続ける人だった。
 それに引き換え私は、大してできることもなく、人からもさほど好かれない。兄のような信念も夢もない。誰だって思うだろう。兄の方が生きるべきだったと。
 今でも、何度も何度も何度も何度も、嫌になるほど繰り返し思ってしまうのだ。
 ごめんね、死ぬのが私ならよかったね、と。
 そう謝りながらも、やっぱり死ぬのがどうしても怖いのだ。あまりに矛盾している。
 このことについて考え出すと心はずぶずぶと沼に沈み、そのまま何もできないくらいに落ち込んでしまう。もう21年近くこんな日々を繰り返している。
 兄へのせめてもの手向けとしてこうして部屋を清めはするものの、それで何かが変わるかといえば決してそうではないのだ。いくら綺麗にしてももう兄がこの部屋で過ごすことは決して無い。この部屋はずっと、主の訪れを待ちわびているというのに。
 掃除機をかけながら、何度も心中で謝る。
 それに返る言葉はなく、ただ静かな部屋が私を冷ややかに見つめているだけである。 

5/28/2024, 2:46:55 PM

お題:半袖
 じわじわと、こもるような蒸し暑さが辺りを包む。
 初夏という割に、既に夏のような暑さだ。
 春と秋が本当に短くなってきた、と大人は口々にそこかしこで言っている。親も担任の先生も、暑くなったり寒くなったりする時期には大体恒例のように言っているから、多分昔はもっとちゃんと春も秋もあったのだろう。夏も冬も色々体調管理に気を遣わないといけないから、昔が羨ましい。
 春なんだか夏なんだかよくわからない暑さを耐え忍び、ようやく待ちに待った衣替えの時期がやってきた。
 肌にべたべたひっついて鬱陶しくて長袖なんか着たくないのに、暑くてもずっと着なくてはいけないのが嫌だった。校則って何のためにあるんだろうと、時折首を傾げたくなる。
 クローゼットから、真っ白いシャツを取り出してすぐ羽織る。長袖と違って、腕に風がちゃんと当たる。それだけでずいぶんましに感じられた。
 身支度を整えてリビングに戻り、兄が作ってくれたクロックムッシュにありつく。
「美味しい……!」
 思わず口元が緩んでしまう。
「そりゃよかった」
 一足先に食べ始めている兄が満足気に笑っている。勿論兄の朝食も彼自作のクロックムッシュだ。
 兄は調理の短大に通っている。でも、そこに通う前から十分料理が上手だった。仕事で不在がちな両親に代わって、いつも食事を作ってくれていたのだ。兄が作る料理はどれも本当に絶品で、弟の欲目を抜きにしてもすごく美味しい。
 前に話してくれたのだけれど、小さい頃から、両親の助けになりたくて料理を頑張っていたらしい。僕が物心ついた頃には、確かに兄はよく台所に立っていた。
「いつもありがとうね、葵兄(あおいにい)」
「こちらこそ、いつも美味そうに食ってくれてありがとな。作り甲斐がある」
 ぽんぽん、と頭を大きな手で撫でられて、気恥ずかしいけれどやっぱり嬉しい。多分兄も気づいていると思うけれど、僕は結構なブラコンだと思う。何でも一生懸命頑張るところとか、いつも穏やかで優しいところとか、兄の色んな面を本当に尊敬しているし、僕もいつかそんな大人になりたいなと憧れてもいるのだ。
「そういえば、ようやく衣替えか」
「そうなんだよー、やっと!」
「ずっと、暑い、暑いって言ってたもんな」
「本当だよー」
「短大だとその辺は自由だからなー」
「僕も早く大人になりたいなぁ……」
 こうしなさい、ああしなさい、これを守りなさい、と言われ続ける日常に、時折ちょっと窮屈に感じてしまう。
 思わずぷーっとむくれる僕の頬をちょいちょいとつついて、兄がくすくすと笑った。
「今はそう思うだろうけど、俺なんかは逆に、聖(さとる)の頃に戻りたいなぁって思うことあるぞ」
「えっ、本当に?!」
「ああ」
「髪の毛の長さとか服装の時期とか細かく決まってて嫌だなぁって思うけどなぁ……」
「その辺は確かにちょっと面倒かもしれないけどな。
 でも、自由な時間が多かったり、友達と気軽に互いの家とか行き来できたり、そういうのってその頃だけって感じがするんだよなぁ」
 顎に手を当てて考えこむような仕草をしながら、兄がこちらに微笑んで言った。
「そういうものなの?」
「そういうものなの。ついでに言うと、社会人になると、もっと友達とは会いにくくなるってさ」
「そうなの?!」
「母さんがこの前教えてくれたんだ。働いてるとみんななかなか都合がつかなくて、会えても数人とかがざららしい」
「そっかぁ……」
 いつまでも今みたいに約束をしてすぐ会える訳じゃないのか。大人も色々と大変なんだな。
「ま、だからお互い、今の内にできることを、存分に楽しんでおこうな。
 俺も一応大人に片足突っ込んでるけど、ぎりぎり学生だから」
 うん、と大きく頷いた。
 僕が今しかできないことってなんだろう。まだすぐには思いつかないけれど、大好きな兄が羨んでくれた今この時を、めいっぱい楽しみつくしていけたらいいな。


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【蛇足かつ余談】
本当は、クラスメイトの半袖姿にときめく子(男か女かは未定でした)の姿を書こうと思って書き始めたのだけど、気づいたら兄との話に落ち着いていました。

5/27/2024, 1:59:07 PM

お題:天国と地獄
 子どもの頃、かけっこが本当に苦手だった。持久走大会なんかは本当に地獄そのもので、練習でも本番でもビリから2番目辺りを常にキープしていた。
 走ること自体が苦手だったけれど、特に持久走大会の練習や本番は大嫌いだった。
「ほら、皆。頑張ってる◯◯さんを応援してあげて」
 多分、先生はそんな感じのことをクラスメイトに言っていたのだと思う。へとへとになりながら走っているこちらが、先にゴールして休んでいる子たちの近くを走ると、「頑張れー」と声がかかるのだ。これが心底嫌だった。
 頼むからこちらに構わず、友達同士でのんびり会話していてほしい。こちらに注目しないでほしい。これでは完全に悪目立ちだ。応援なんて要らない。どうしようもなく情けない姿を、目に入れないでほしい。
 そんな風に思いながら、トラックをゆっくりゆっくり走り続けた。
 教育に関して多少かじったことがあるので、まぁ、一生懸命頑張る子を励まそうとする心理は今となっては分からなくはない。
でも、本当にその子(この場合は自分と、もう一人の遅かった子)のことを考えた行動というより、その子以外の他の子達に対して他者を思いやる心を育もうとする意図のほうが強かったのではないかと思ってしまう。
 或いは、その先生はそういう惨めな思いをしたことがなく、理解が及ばなかったのではないかと思えてならない。
 何も他意はなく、足の遅い二人に対してよかれと思って、励ましの言葉を送らせたのだ。
 後者のほうが性質が悪いなぁと個人的には思う。思いやりも時と場合によっては酷い侮蔑になる。持てる者が持たざる者に対して施しを与えるのは、施しを受ける側からすると屈辱的に感じられることもあるのである。全ての人間がこうなるとは限らないけれども、少なくとも自分はそうだった。
 一時が万事こんな感じだから、特に小学生の頃は体育の授業が本当に嫌いだった。
 例えばマット運動の際、先生はこうしてああして、と指示を出すけれどやり方の見本を一度も見せてくれなかったので、当時の自分はそのことにもやもやを感じていた。
 こういう感じなものだから、運動会も正直あまり好きではなかったと思う。お祭りみたいなムードは好きだったし、応援合戦や台風の目、ダンスなんかは面白く感じられたけれど、徒競走やリレーなどはもう、てんで駄目だった。持久走大会に比べればすぐに終わるし随分マシではあるけれど、観衆の面前で走りを披露するというのはそれなりに恥ずかしかった。
 大体において、こうした走る競技ではBGMで『天国と地獄』が流れる。今思うと、これはそれなりに皮肉のきいた選曲のように思えてしまうのだ。「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があるが、まるで「勝てば天国、負ければ地獄」と言わんばかりではないか。
 あのメロディーの中で走るのは当時は別に嫌ではなかったけれど、もし今あの曲の流れる中で徒競走をしなさいと言われたら、多分嫌な気持ちになると思う。

5/26/2024, 3:25:43 PM

お題:月に願いを
 飲み屋から一人、また一人と出ていく。
 なんだか不思議な感じだった。
 子どもの頃の面影のある子もいれば、もはや完全に別人みたいな子もいる。美優(みゆ)ちゃんは今もあの頃と同じで可愛くて、でもその一方で背丈が低いのをずっと気にしていた聖(たけし)くんは180センチ超えのスポーツマンになっていて。昔と今の雰囲気に変化の無い子とある子がまぜこぜになって、頭がこんがらがりそうになる。
 アルコールも入っているから尚のこと夢見心地で、普段見慣れない昔なじみが一堂に会しているこの光景はちっとも現実味がなかった。
「この後カラオケ行くー?」
「いいねー、歌おう歌おう」
「駅前のカラオケ店まだやってたっけ?」
「今ネットで見たら、一応やってるみたい」
「あたし流行りの歌とか知らないけど平気かなぁ」
 みんなの会話がぽんぽんと弾んでいる。
 会の始まりには少し距離感のあった子たちも、二時間も飲んだおかげかだいぶ昔みたいに話せるようになっていた。かく言う私もコミュ障で会話は下手くそな部類に入るけれど、みんなとは比較的楽に話せている。普段全然会っていなかった子たちなのに、ちょっと話すとあの頃の空気に戻れるのだから不思議だ。
 夜風に当たりながら、ぼーっと街灯に照らされたみんなの横顔を見つめていた。
 昔はそばかすのあった仁美ちゃんの頬は今は真っ白だ。あの頃分厚い眼鏡をしていた太一くんは今はコンタクトでもしているのか、何もかけていない。そんな風に変化しているところはあるけれど、二人とも相変わらず穏やかで優しい。
 そういう風にみんなの容姿や雰囲気が変わっても、あの頃の面影は言葉の端々から滲んできた。そういう残り香のような思い出の欠片を密かに拾い集めるのはちょっと楽しかった。
「どうしたの、なんか楽しそうだね」
「あ、郁(いく)」
 昔なじみたちを眺めて感慨に浸っている私の目を覚ますかのように、視界いっぱいに入り込む長身の男子。今やすっかり疎遠になっていたけれど、幼稚園から中学校までずっと一緒に過ごした幼馴染だ。
「いやぁ、なんかさ、いいなぁって思ってたの」
「なにが?」
 怪訝そうに見つめてくるその容貌は昔とは随分と変わって、年相応に精悍なものになっている。昔は本当に可愛らしくて、考えていることが丸わかりなくらい表情によく出ていたのに、今は全く何を考えているかが見えてこない。
 ちょっと気にはなるけれど、でも多分、他の子のように昔みたいな面も残っているんじゃないかなぁ。そんな風に考えてみる。
 飲みの席ではずっと別々の所にいたからまともに話していないので、実は今日まともに話すのはこれが初めてだったりする。中学の卒業の頃までやりとりをして、それからずっと没交渉だった。
 ずっと会っていなかったけれど、顔立ちはあの頃と変わりなかったので会の初め頃にすぐに気付いた。
 背丈は当時より多分20センチくらいは伸びていると思う。あの頃から大して背の変わらない私が、当時は同じくらいの目線だと感じていたのに、今はこんなに見上げなくてはいけないのだから。
「みんなと随分会ってなかったから変わっちゃったんじゃないかなって不安もあったけど、根っこのところは変わってないなぁって思ったら、なんか嬉しくてさ」
 うまく言葉にならないのがもどかしいけれど、これが間違いない本心だった。
 もしかしたらここにいる大半とは明日からはやり取りしないのかもしれない。二度と会わない人もいるのかもしれない。それでも、今この場でこうして会って同じ空間で過ごすことができてよかったなと思う。
 外に出て大分経つのに、まだ両頬はじんわりと熱をもっている。夜風だけでは物足りず、パタパタと掌を扇代わりにして仰いでいると、
「これ、よかったら使って」
郁が何かを差し出してきた。扇子だ。開いてみると濃紺の布地に檸檬色の細かなドット模様が鮮やかだ。星空をイメージしているのかもしれない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 先程までの手の扇に比べたら格段に良い。だんだん心地よくなってくる。
 年相応に外見は変化しているけれど、郁も中身は昔とそんなに変わらないような気がしてきた。
「見て。青(あお)。空、満月だ」
 呼ばれるがまま、空に目を移した。月が視界に飛び込んでくる。
「本当だ。綺麗だね」
 ふわふわと宙に浮いているみたいに足が軽い。子どもの頃に教科書で読んだ鯨の雲に、今の私ならひょいと乗れそうな気もしてくるくらいだ。
「そうだね、綺麗だ」
 傍らの郁はこちらを暫く見た後、空に目を移した。彼も久々に会った幼馴染の姿に、過去の面影を探していたのかもしれない。
「カラオケ、青は行くの?」
 お互いに月を眺めながら話す。
「そうだね。明日は特に用事入れてないし、せっかくだから行こうかな。郁は?」
 月から隣へと目を移すと、「俺も行こうかな」とかすかに郁が微笑んでいるのに気づいた。笑っていると、少し昔の郁に戻った感じがする。
 このまま、また昔みたいに仲良くなれたらいいのにな。
 見上げた月に、ふとそんなことを思いながら、郁と共に少し先を歩くみんなの後を追いかけた。

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