逆井朔

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お題:天国と地獄
 子どもの頃、かけっこが本当に苦手だった。持久走大会なんかは本当に地獄そのもので、練習でも本番でもビリから2番目辺りを常にキープしていた。
 走ること自体が苦手だったけれど、特に持久走大会の練習や本番は大嫌いだった。
「ほら、皆。頑張ってる◯◯さんを応援してあげて」
 多分、先生はそんな感じのことをクラスメイトに言っていたのだと思う。へとへとになりながら走っているこちらが、先にゴールして休んでいる子たちの近くを走ると、「頑張れー」と声がかかるのだ。これが心底嫌だった。
 頼むからこちらに構わず、友達同士でのんびり会話していてほしい。こちらに注目しないでほしい。これでは完全に悪目立ちだ。応援なんて要らない。どうしようもなく情けない姿を、目に入れないでほしい。
 そんな風に思いながら、トラックをゆっくりゆっくり走り続けた。
 教育に関して多少かじったことがあるので、まぁ、一生懸命頑張る子を励まそうとする心理は今となっては分からなくはない。
でも、本当にその子(この場合は自分と、もう一人の遅かった子)のことを考えた行動というより、その子以外の他の子達に対して他者を思いやる心を育もうとする意図のほうが強かったのではないかと思ってしまう。
 或いは、その先生はそういう惨めな思いをしたことがなく、理解が及ばなかったのではないかと思えてならない。
 何も他意はなく、足の遅い二人に対してよかれと思って、励ましの言葉を送らせたのだ。
 後者のほうが性質が悪いなぁと個人的には思う。思いやりも時と場合によっては酷い侮蔑になる。持てる者が持たざる者に対して施しを与えるのは、施しを受ける側からすると屈辱的に感じられることもあるのである。全ての人間がこうなるとは限らないけれども、少なくとも自分はそうだった。
 一時が万事こんな感じだから、特に小学生の頃は体育の授業が本当に嫌いだった。
 例えばマット運動の際、先生はこうしてああして、と指示を出すけれどやり方の見本を一度も見せてくれなかったので、当時の自分はそのことにもやもやを感じていた。
 こういう感じなものだから、運動会も正直あまり好きではなかったと思う。お祭りみたいなムードは好きだったし、応援合戦や台風の目、ダンスなんかは面白く感じられたけれど、徒競走やリレーなどはもう、てんで駄目だった。持久走大会に比べればすぐに終わるし随分マシではあるけれど、観衆の面前で走りを披露するというのはそれなりに恥ずかしかった。
 大体において、こうした走る競技ではBGMで『天国と地獄』が流れる。今思うと、これはそれなりに皮肉のきいた選曲のように思えてしまうのだ。「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があるが、まるで「勝てば天国、負ければ地獄」と言わんばかりではないか。
 あのメロディーの中で走るのは当時は別に嫌ではなかったけれど、もし今あの曲の流れる中で徒競走をしなさいと言われたら、多分嫌な気持ちになると思う。

5/27/2024, 1:59:07 PM