逆井朔

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お題:「ごめんね」
 二階の一室を開け、スイッチを押して薄明かりを得ると、部屋の端まで歩いていき、カーテンを開く。
 更に窓を開け、雨戸を開けた。
 ゆるりと見上げれば、どんよりとした曇り空。それでも天気予報では一応、一日雨は降らないという。
 換気のため、暫くは網戸にしておく。
 部屋を出て突き当りの納戸に、掃除機が決まってある。取り出して、先ほどの部屋に引き返す。
 ここにあったベッドは随分昔に隣の家で暮らす曾祖母に譲り渡した。高齢になり、布団での寝起きが辛くなったためだ。その曾祖母も、もういない。
 大きく場所を取っていた家具が取り除かれたこの部屋に掃除機をかけるのは、物理的にはさほど苦ではない。
 カーテンレールには、千羽鶴が飾られている。CDコンポの上には、大勢の友人がサインをしてくれた大きなぬいぐるみもある。勉強机の上には学校の教科書やノートが行儀よく並んでいる。
 部屋の中は、ずっと様子が変わることがない。そこだけ見ると、あれからどれだけ月日が経ったのか忘れそうになるほどだ。
 5歳上の兄が海外で事故に遭い、生死の縁を長いこと彷徨った後、そのまま帰らぬ人になってからもうすぐ21年が経とうとしている。
 中学3年生の受験も間近という頃のできごとで、当時は精神的にどん底まで落ちて勉強も手につかなくなった。
 プロになるつもりはないかとまで打診を受けたのに、習っていたピアノを続けられるような心境では到底無かった。
 それに、実際問題として、続けられるような環境ではなくなった。
 まだ若かった兄は海外旅行保険など知らなかったのだろう。それに入ることをせず国外に出ていたため、入院や治療にかかる費用は莫大なものとなって我が家に襲いかかった。
 とても月7000円のレッスンにお金を出せるようなゆとりはなかった。
 周囲の人間全てが妬ましく見えた。お金持ちな家の子も、きょうだい喧嘩をしたと文句を言う友人も、きょうだいが無事ないとこも、誰も彼もがずるく見えた。なんでこんなに不平等なんだと、うんざりした。
 そうなると、皆とどんな風にこれまで会話していたのかが分からなくなってしまって、次第に疎遠になってしまった。
 そして同時に申し訳なく思った。なぜ死んだのが自分ではなかったのだろうと、何度も何度も何度も何度も嫌になるほど責めた。
 兄は誰からも好かれていたし、幼い頃から自分の信念を貫き、夢に向かって努力を続ける人だった。
 それに引き換え私は、大してできることもなく、人からもさほど好かれない。兄のような信念も夢もない。誰だって思うだろう。兄の方が生きるべきだったと。
 今でも、何度も何度も何度も何度も、嫌になるほど繰り返し思ってしまうのだ。
 ごめんね、死ぬのが私ならよかったね、と。
 そう謝りながらも、やっぱり死ぬのがどうしても怖いのだ。あまりに矛盾している。
 このことについて考え出すと心はずぶずぶと沼に沈み、そのまま何もできないくらいに落ち込んでしまう。もう21年近くこんな日々を繰り返している。
 兄へのせめてもの手向けとしてこうして部屋を清めはするものの、それで何かが変わるかといえば決してそうではないのだ。いくら綺麗にしてももう兄がこの部屋で過ごすことは決して無い。この部屋はずっと、主の訪れを待ちわびているというのに。
 掃除機をかけながら、何度も心中で謝る。
 それに返る言葉はなく、ただ静かな部屋が私を冷ややかに見つめているだけである。 

5/29/2024, 2:56:06 PM