お題:半袖
じわじわと、こもるような蒸し暑さが辺りを包む。
初夏という割に、既に夏のような暑さだ。
春と秋が本当に短くなってきた、と大人は口々にそこかしこで言っている。親も担任の先生も、暑くなったり寒くなったりする時期には大体恒例のように言っているから、多分昔はもっとちゃんと春も秋もあったのだろう。夏も冬も色々体調管理に気を遣わないといけないから、昔が羨ましい。
春なんだか夏なんだかよくわからない暑さを耐え忍び、ようやく待ちに待った衣替えの時期がやってきた。
肌にべたべたひっついて鬱陶しくて長袖なんか着たくないのに、暑くてもずっと着なくてはいけないのが嫌だった。校則って何のためにあるんだろうと、時折首を傾げたくなる。
クローゼットから、真っ白いシャツを取り出してすぐ羽織る。長袖と違って、腕に風がちゃんと当たる。それだけでずいぶんましに感じられた。
身支度を整えてリビングに戻り、兄が作ってくれたクロックムッシュにありつく。
「美味しい……!」
思わず口元が緩んでしまう。
「そりゃよかった」
一足先に食べ始めている兄が満足気に笑っている。勿論兄の朝食も彼自作のクロックムッシュだ。
兄は調理の短大に通っている。でも、そこに通う前から十分料理が上手だった。仕事で不在がちな両親に代わって、いつも食事を作ってくれていたのだ。兄が作る料理はどれも本当に絶品で、弟の欲目を抜きにしてもすごく美味しい。
前に話してくれたのだけれど、小さい頃から、両親の助けになりたくて料理を頑張っていたらしい。僕が物心ついた頃には、確かに兄はよく台所に立っていた。
「いつもありがとうね、葵兄(あおいにい)」
「こちらこそ、いつも美味そうに食ってくれてありがとな。作り甲斐がある」
ぽんぽん、と頭を大きな手で撫でられて、気恥ずかしいけれどやっぱり嬉しい。多分兄も気づいていると思うけれど、僕は結構なブラコンだと思う。何でも一生懸命頑張るところとか、いつも穏やかで優しいところとか、兄の色んな面を本当に尊敬しているし、僕もいつかそんな大人になりたいなと憧れてもいるのだ。
「そういえば、ようやく衣替えか」
「そうなんだよー、やっと!」
「ずっと、暑い、暑いって言ってたもんな」
「本当だよー」
「短大だとその辺は自由だからなー」
「僕も早く大人になりたいなぁ……」
こうしなさい、ああしなさい、これを守りなさい、と言われ続ける日常に、時折ちょっと窮屈に感じてしまう。
思わずぷーっとむくれる僕の頬をちょいちょいとつついて、兄がくすくすと笑った。
「今はそう思うだろうけど、俺なんかは逆に、聖(さとる)の頃に戻りたいなぁって思うことあるぞ」
「えっ、本当に?!」
「ああ」
「髪の毛の長さとか服装の時期とか細かく決まってて嫌だなぁって思うけどなぁ……」
「その辺は確かにちょっと面倒かもしれないけどな。
でも、自由な時間が多かったり、友達と気軽に互いの家とか行き来できたり、そういうのってその頃だけって感じがするんだよなぁ」
顎に手を当てて考えこむような仕草をしながら、兄がこちらに微笑んで言った。
「そういうものなの?」
「そういうものなの。ついでに言うと、社会人になると、もっと友達とは会いにくくなるってさ」
「そうなの?!」
「母さんがこの前教えてくれたんだ。働いてるとみんななかなか都合がつかなくて、会えても数人とかがざららしい」
「そっかぁ……」
いつまでも今みたいに約束をしてすぐ会える訳じゃないのか。大人も色々と大変なんだな。
「ま、だからお互い、今の内にできることを、存分に楽しんでおこうな。
俺も一応大人に片足突っ込んでるけど、ぎりぎり学生だから」
うん、と大きく頷いた。
僕が今しかできないことってなんだろう。まだすぐには思いつかないけれど、大好きな兄が羨んでくれた今この時を、めいっぱい楽しみつくしていけたらいいな。
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【蛇足かつ余談】
本当は、クラスメイトの半袖姿にときめく子(男か女かは未定でした)の姿を書こうと思って書き始めたのだけど、気づいたら兄との話に落ち着いていました。
5/28/2024, 2:46:55 PM