逆井朔

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5/26/2024, 3:25:43 PM

お題:月に願いを
 飲み屋から一人、また一人と出ていく。
 なんだか不思議な感じだった。
 子どもの頃の面影のある子もいれば、もはや完全に別人みたいな子もいる。美優(みゆ)ちゃんは今もあの頃と同じで可愛くて、でもその一方で背丈が低いのをずっと気にしていた聖(たけし)くんは180センチ超えのスポーツマンになっていて。昔と今の雰囲気に変化の無い子とある子がまぜこぜになって、頭がこんがらがりそうになる。
 アルコールも入っているから尚のこと夢見心地で、普段見慣れない昔なじみが一堂に会しているこの光景はちっとも現実味がなかった。
「この後カラオケ行くー?」
「いいねー、歌おう歌おう」
「駅前のカラオケ店まだやってたっけ?」
「今ネットで見たら、一応やってるみたい」
「あたし流行りの歌とか知らないけど平気かなぁ」
 みんなの会話がぽんぽんと弾んでいる。
 会の始まりには少し距離感のあった子たちも、二時間も飲んだおかげかだいぶ昔みたいに話せるようになっていた。かく言う私もコミュ障で会話は下手くそな部類に入るけれど、みんなとは比較的楽に話せている。普段全然会っていなかった子たちなのに、ちょっと話すとあの頃の空気に戻れるのだから不思議だ。
 夜風に当たりながら、ぼーっと街灯に照らされたみんなの横顔を見つめていた。
 昔はそばかすのあった仁美ちゃんの頬は今は真っ白だ。あの頃分厚い眼鏡をしていた太一くんは今はコンタクトでもしているのか、何もかけていない。そんな風に変化しているところはあるけれど、二人とも相変わらず穏やかで優しい。
 そういう風にみんなの容姿や雰囲気が変わっても、あの頃の面影は言葉の端々から滲んできた。そういう残り香のような思い出の欠片を密かに拾い集めるのはちょっと楽しかった。
「どうしたの、なんか楽しそうだね」
「あ、郁(いく)」
 昔なじみたちを眺めて感慨に浸っている私の目を覚ますかのように、視界いっぱいに入り込む長身の男子。今やすっかり疎遠になっていたけれど、幼稚園から中学校までずっと一緒に過ごした幼馴染だ。
「いやぁ、なんかさ、いいなぁって思ってたの」
「なにが?」
 怪訝そうに見つめてくるその容貌は昔とは随分と変わって、年相応に精悍なものになっている。昔は本当に可愛らしくて、考えていることが丸わかりなくらい表情によく出ていたのに、今は全く何を考えているかが見えてこない。
 ちょっと気にはなるけれど、でも多分、他の子のように昔みたいな面も残っているんじゃないかなぁ。そんな風に考えてみる。
 飲みの席ではずっと別々の所にいたからまともに話していないので、実は今日まともに話すのはこれが初めてだったりする。中学の卒業の頃までやりとりをして、それからずっと没交渉だった。
 ずっと会っていなかったけれど、顔立ちはあの頃と変わりなかったので会の初め頃にすぐに気付いた。
 背丈は当時より多分20センチくらいは伸びていると思う。あの頃から大して背の変わらない私が、当時は同じくらいの目線だと感じていたのに、今はこんなに見上げなくてはいけないのだから。
「みんなと随分会ってなかったから変わっちゃったんじゃないかなって不安もあったけど、根っこのところは変わってないなぁって思ったら、なんか嬉しくてさ」
 うまく言葉にならないのがもどかしいけれど、これが間違いない本心だった。
 もしかしたらここにいる大半とは明日からはやり取りしないのかもしれない。二度と会わない人もいるのかもしれない。それでも、今この場でこうして会って同じ空間で過ごすことができてよかったなと思う。
 外に出て大分経つのに、まだ両頬はじんわりと熱をもっている。夜風だけでは物足りず、パタパタと掌を扇代わりにして仰いでいると、
「これ、よかったら使って」
郁が何かを差し出してきた。扇子だ。開いてみると濃紺の布地に檸檬色の細かなドット模様が鮮やかだ。星空をイメージしているのかもしれない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 先程までの手の扇に比べたら格段に良い。だんだん心地よくなってくる。
 年相応に外見は変化しているけれど、郁も中身は昔とそんなに変わらないような気がしてきた。
「見て。青(あお)。空、満月だ」
 呼ばれるがまま、空に目を移した。月が視界に飛び込んでくる。
「本当だ。綺麗だね」
 ふわふわと宙に浮いているみたいに足が軽い。子どもの頃に教科書で読んだ鯨の雲に、今の私ならひょいと乗れそうな気もしてくるくらいだ。
「そうだね、綺麗だ」
 傍らの郁はこちらを暫く見た後、空に目を移した。彼も久々に会った幼馴染の姿に、過去の面影を探していたのかもしれない。
「カラオケ、青は行くの?」
 お互いに月を眺めながら話す。
「そうだね。明日は特に用事入れてないし、せっかくだから行こうかな。郁は?」
 月から隣へと目を移すと、「俺も行こうかな」とかすかに郁が微笑んでいるのに気づいた。笑っていると、少し昔の郁に戻った感じがする。
 このまま、また昔みたいに仲良くなれたらいいのにな。
 見上げた月に、ふとそんなことを思いながら、郁と共に少し先を歩くみんなの後を追いかけた。

5/25/2024, 2:50:15 PM

お題:降り止まない雨
「はー」
 やってしまった。
 下駄箱で見上げた空はどこまでも重く暗い鈍色だ。
 それなのに私のリュックには雨具の一つもありはしない。
 朝寝坊して大急ぎで支度を済ませ、とにかく遅刻をしてなるものかとなりふり構わず駅を目指し、電車を降りた後も一目散に学校までの通学路をひた走った。
 その結果がこれだ。
 我ながら、情けなくて笑える。せめて少しでもゆとりをもてていれば、電車の中で天気予報のアプリくらいは見ることはできただろうし、通学路の途中のコンビニでビニール傘くらいは入手できたことだろう。更に言うなら、寝坊をしていなければ、いつも観ている天気予報を今日も観られたはずだ。
 眼前の篠突く雨に対して、今の私は絶望的なまでに無力だった。
 今更ながらに天気予報アプリを開いて、わずかな希望を探ってみるが、残念ながらこの雨は簡単には引いてはくれないらしい。時系列ごとの天気は、今日はこの先ずっと雨模様だ。このアプリでは雨雲レーダーも見られるのでそちらも確認してみたが、やはり雨雲は不動の構えを見せている。
 さすがにお手上げだな。
 帰宅部と密かに自称してはいるが、その実態はどの部活にも所属しない自由人。そこまで人付き合いも得意な方ではなく、こういう時に頼れる友人もそうそういない。
 こうなったら、雨の中を走り抜けて、駅の近くにあるコンビニでビニール傘を買うことくらいしかできなさそうだ。ここが都会ならもっとあちこちに雨具の買える店があるのだろうけれど、残念ながらそうではないのだから。
 コンビニから駅までの僅かな道のりと、地元の最寄り駅から駐輪場までの歩く道のりの間の雨だけでも防げれば御の字と思うしかない。
 リュックの中に入っているビニール袋を一枚取り出して、ささやかながら雨よけの代わりにすることにした。もう一枚あったので、それでリュックを外側から覆う。教科書や電子辞書がずぶ濡れになっては使い物にならない。
 ここまで支度を整えて、あとは飛び出す覚悟を固めるだけなのだけれど、その一歩がなかなか踏み出せなかった。びしょ濡れになったらきっと風邪をひくよなとか、濡れ鼠で電車に乗ったらひんしゅくを買うかなとか、そんな埒が明かないことを考えてはためらうことを絶え間なく繰り返してしまう。
 足を出しては戻し、出しては戻しとしていると、
「どうした? 帰らないのか?」
背後からかかる声があった。
「……えっと」
 見上げた先には、やけに背の高い男子が立っている。担任の近藤先生よりずっと大きい。果たしてこの人と面識があっただろうか。あまり自信がないが、多分、無いのではないだろうか。上履きの色を見る限り、私と同じ学年らしい。
 「帰りたい、んだけど、無くて、傘」
 考えながら口にするから、文法も何もあったものではない。
 それでもその男子は何も気にする様子もなく、「そっか」と軽く頷いてみせた。
「じゃあ、帰る? 俺と一緒で構わないなら、入れてやれるけど」
 恐らく初対面のはずなのに、随分と優しい人もいるものだ。
「……いいの?」
 顔を覗き込むようにして問うと、彼は大きく頷いた。からっとした笑みで、「その気がなければ、そもそも声はかけないから」と言われれば、それもそうかと納得する。
「駅まで行くのか?」
「うん」
「なら一緒だな」
 よし、行くぞ。
 さっきまでずっとぐずぐずして動けずにいたのに、初対面の男子のたった一言で、魔法が解けたように足が動いたのだった。
 ざあざあとけたたましく響く轟音の中、私は妙にしみじみとしていた。捨てる神あれば拾う神ありとは、けだし名言だなぁと。
 駅までの道のりはそれなりにある。まずは親切な男子の名前を聞くことから始めてみようかな。

5/23/2024, 2:59:54 PM

今日のお題:逃れられない
 何だか変な感じがして、ゆっくりと目蓋を開いた。
 見慣れない天井。辺りを見ても、どう見ても知らない部屋だった。必要最低限の家具しか無い、殺風景な部屋だった。
 なぜか私は、誰のものとも分からぬベッドの上で、諸手を掲げるようにして寝転んでいた。自分でやりたくてやっているのではない。両手首が頭の上で何かによって固定されているからだ。そこだけではなく、両足首の辺りにもひやりとした感触が感じ取れた。もしやと思い両脚をがばっと開いてみようと試みたが、やはりそこも固定されているようで、びくともしない。
 がちゃりがちゃりと耳障りな音が頭上と足首の辺りからする。
 なんでこうなったのだろう。
 唐突に訪れた理不尽な仕打ちに、怒りよりも先に困惑の感情が湧き上がる。
「こんばんは」
 がちゃ、という音と共に誰かの声がした。そちらに向かって顔を何とか向けてみると、特に見覚えのない男性がそこにはいた。普通に街中で出会ったら思わずときめいてしまうかもしれないくらいには整った容貌をしている。王子様みたいな、きらびやかな人だ。友人のハマっている男性アイドルユニットの一人、瑛斗(アキト)に少し似ているかもしれない。目元の泣きぼくろが目の前の彼にはないので別人なのだろうとは思うが、艷やかな黒髪に白い肌といい、色素の薄い瞳といい、彼を彷彿とさせる。
「あの、これ、どういうことなんですか?」
「どうって、何が?」
「私、なんでここにいるんでしょう」
 瑛斗似の王子様は、お綺麗な顔をふっと緩めてくすくすと微笑んでいる。その笑みさえ芸能人のように如才なかった。
「それは勿論、僕が招待したからさ」
 招待、と表現するには随分なもてなし方のように思えるのだけれど、彼は特にそのことを気にする素振りを見せない。
「すみません、そもそも私、貴方のお名前すら知らないのですけれど……」
 当然ながら、キャンパス内の全員のことなんて知らない。それでも、日々やりとりをする男友達ならサークル友達の中に数名くらいはいた。
 でも、今目の前にいる彼はその中にはいなかったはずだ。顔見知りでもない異性の自室に招待されるいわれは無い。
「……へぇ、そっかぁ」
 何故だろう。緩やかに弧を描いたままの唇が、瞳が、急に冷ややかなものに見え始めたのは。
「僕は君のことを知っているよ。周防灯里(すおうあかり)さん」
 ぞわりと背筋を駆け抜けるものがあった。
 こんな格好いい人にそう言われたら、普通の状況下なら嬉しくなることだろう。でも今の私は、どうしても素直には喜べない。
「なんで、私の名前……」
「そうだね。一方的に僕ばかり君のことを知ってるのはフェアじゃない」
 少しずつこちらに向けて歩き出した彼は、ベッドの前で立ち止まることなく身を進めてきたかと思うと、私の身体に覆いかぶさるようにして顔を寄せてくる。こんな状況下でなければゆっくり眺めたいくらいには、彼は綺麗だった。
「だからこれから一つずつ教えてあげるよ、僕のこと」
 ぞっとするくらいに美しい声に耳元を浚われて、私はただ茫然と天井を見つめていた。

5/17/2024, 2:58:46 PM

今日のお題:真夜中
 夜が深まるほど、街は静寂に包まれていく。
 日中の喧騒が嘘のように、呼吸音や自然のもたらす音など、普段なら別段気にならない些細な物音がやけに大きく感じられる。
 風の吹く音。少し遠くで鳴くカエルの音。屋外の給湯器が動く音。
 夜は普段では感じ取れない様々なものが飛び込んでくる。
 だからなのかもしれない。夜にお化けを見ると言われているのは。
 高校の頃に現代文の授業で読んだ評論文で、強く印象に残っているものがある。タイトルや細かな内容などは忘れてしまったが、現代は妖怪が棲みづらい世の中になっているというものだ。確かにそうなのかもしれない、と少し思う。
 昔は、夜が長かった。野良仕事などを早々と終え、夜は早くに床に就く。人の与り知らない夜という領域は深く広がっていて、闇はそこかしこにあった。故に、妖怪などの文化が根付く土壌があった。当時は医学も進んでいないので様々な未知の病もあったであろうし、そういうものに直面したら、得てして人は妖怪や鬼など、何か恐ろしい存在のもたらした禍であると思おうとするものであろう。
 人が亡くなった後、何かしらの禍が起これば、それはその人の祟であると思われていた時代などがいい例である。
 また、様々な学問もまだ現代ほど深まっていなかったので、分からないことの多さゆえに、何かを殊更恐れるということは当然あってしかるべきであると言えるだろう。
 しかし現代はどうであろうか。夜になっても眠りにつかない人々や街、昔に比べて遥かに進歩した医学や様々な学問。これらが、妖怪などの不思議な存在の棲みつくための「夜」や、夜のような未知の領域を悉く奪い去っていると言えるのではないだろうか。
 むやみやたらと恐れるような対象が減ったのは、悪いことではないと思う。ただ、目に見えないけれど確かにあるものに対して抱く畏敬の念のようなものが薄れていくのは、少し寂しいことのように思えてしまうのは、自分だけだろうか。
 こういう現代においては、妖怪や鬼はもはや畏怖の対象ではなく、寧ろ子どもを大人の都合で動かす際に丁度いい「脅し役」などになり下がることが多い。スマートフォンのアプリで、「悪い子には鬼から電話がかかってくるよ」などと持ち出されたり、「いい子にしていないとお化けに連れて行かれてしまうよ」なとと切り出されたりしたことのある現代の子どもは一人や二人ではないだろうと思う。
 こういう人々の傲慢さに、すみかを奪われた肩身の狭い闇夜の住人たちは怒りを覚えているのではないだろうかと、勝手ながら思ってしまう。
 夜の底の縁をなぞるほんのひと時、そういう不思議な存在たちのことを思い浮かべることをしてもばちは当たらないんじゃないだろうか。

●追記(2024.05.18)
 最近では、新型コロナウイルス感染症が世界中を席巻した折に、日本ではアマビエという妖怪が大きくクローズアップされたのが記憶に新しい。
 疫病の流行をアマビエが鎮めてくれるのでは、と何となく期待されていたのは、やはり未知の病ゆえに人々の心に不安が渦巻いていたことの証左なのだろうと思う。

5/16/2024, 2:53:26 PM

今日のお題:愛があれば何でもできる?

 おい、嘘だろ。
 目の前の光景に絶句した。
「あ、三尋木(みぞろぎ)くん」
 春秋冬夏(ひととせふゆか)の花のかんばせに、さっと朱色が走っている。
 いや、違う。朱というよりこれは……
「安心してください。これでもう、貴方を苦しめる者はどこにもいませんから」
 朱殷に染まった彼女の足下には、壊れたマネキンのような肉塊がまろび落ちていた。多分それは元々人間だったものなのだろう。
 彼女の言葉からすると、加賀屋千萱(かがやちがや)の可能性がある。こちらを目の敵にして事あるごとに非難し、僕の他者との繋がりを徹底的に邪魔してきた男だ。とはいえ、今の見た目ではそれと判別できないのでいかんともしがたいのだけれども。
「なんで」
 僕はそんなことを頼んじゃいない!
 と、言葉にしたいのにうまく出ないのがもどかしい。
「ふふ、おかしなことを聞きますね。三尋木くんは」
 一歩、また一歩と春秋が近づいてくる度に、僕の足は後ろへと下がっていく。それでも彼女は何も気に留めずまた近づいてくる。
「そんなの、決まってるじゃないですか」
 ――……愛ですよ、愛。
 どこかうっそりとした彼女の微笑みにつられるように、背筋に怖気が走り出した。

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