逆井朔

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お題:降り止まない雨
「はー」
 やってしまった。
 下駄箱で見上げた空はどこまでも重く暗い鈍色だ。
 それなのに私のリュックには雨具の一つもありはしない。
 朝寝坊して大急ぎで支度を済ませ、とにかく遅刻をしてなるものかとなりふり構わず駅を目指し、電車を降りた後も一目散に学校までの通学路をひた走った。
 その結果がこれだ。
 我ながら、情けなくて笑える。せめて少しでもゆとりをもてていれば、電車の中で天気予報のアプリくらいは見ることはできただろうし、通学路の途中のコンビニでビニール傘くらいは入手できたことだろう。更に言うなら、寝坊をしていなければ、いつも観ている天気予報を今日も観られたはずだ。
 眼前の篠突く雨に対して、今の私は絶望的なまでに無力だった。
 今更ながらに天気予報アプリを開いて、わずかな希望を探ってみるが、残念ながらこの雨は簡単には引いてはくれないらしい。時系列ごとの天気は、今日はこの先ずっと雨模様だ。このアプリでは雨雲レーダーも見られるのでそちらも確認してみたが、やはり雨雲は不動の構えを見せている。
 さすがにお手上げだな。
 帰宅部と密かに自称してはいるが、その実態はどの部活にも所属しない自由人。そこまで人付き合いも得意な方ではなく、こういう時に頼れる友人もそうそういない。
 こうなったら、雨の中を走り抜けて、駅の近くにあるコンビニでビニール傘を買うことくらいしかできなさそうだ。ここが都会ならもっとあちこちに雨具の買える店があるのだろうけれど、残念ながらそうではないのだから。
 コンビニから駅までの僅かな道のりと、地元の最寄り駅から駐輪場までの歩く道のりの間の雨だけでも防げれば御の字と思うしかない。
 リュックの中に入っているビニール袋を一枚取り出して、ささやかながら雨よけの代わりにすることにした。もう一枚あったので、それでリュックを外側から覆う。教科書や電子辞書がずぶ濡れになっては使い物にならない。
 ここまで支度を整えて、あとは飛び出す覚悟を固めるだけなのだけれど、その一歩がなかなか踏み出せなかった。びしょ濡れになったらきっと風邪をひくよなとか、濡れ鼠で電車に乗ったらひんしゅくを買うかなとか、そんな埒が明かないことを考えてはためらうことを絶え間なく繰り返してしまう。
 足を出しては戻し、出しては戻しとしていると、
「どうした? 帰らないのか?」
背後からかかる声があった。
「……えっと」
 見上げた先には、やけに背の高い男子が立っている。担任の近藤先生よりずっと大きい。果たしてこの人と面識があっただろうか。あまり自信がないが、多分、無いのではないだろうか。上履きの色を見る限り、私と同じ学年らしい。
 「帰りたい、んだけど、無くて、傘」
 考えながら口にするから、文法も何もあったものではない。
 それでもその男子は何も気にする様子もなく、「そっか」と軽く頷いてみせた。
「じゃあ、帰る? 俺と一緒で構わないなら、入れてやれるけど」
 恐らく初対面のはずなのに、随分と優しい人もいるものだ。
「……いいの?」
 顔を覗き込むようにして問うと、彼は大きく頷いた。からっとした笑みで、「その気がなければ、そもそも声はかけないから」と言われれば、それもそうかと納得する。
「駅まで行くのか?」
「うん」
「なら一緒だな」
 よし、行くぞ。
 さっきまでずっとぐずぐずして動けずにいたのに、初対面の男子のたった一言で、魔法が解けたように足が動いたのだった。
 ざあざあとけたたましく響く轟音の中、私は妙にしみじみとしていた。捨てる神あれば拾う神ありとは、けだし名言だなぁと。
 駅までの道のりはそれなりにある。まずは親切な男子の名前を聞くことから始めてみようかな。

5/25/2024, 2:50:15 PM