逆井朔

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今日のお題:真夜中
 夜が深まるほど、街は静寂に包まれていく。
 日中の喧騒が嘘のように、呼吸音や自然のもたらす音など、普段なら別段気にならない些細な物音がやけに大きく感じられる。
 風の吹く音。少し遠くで鳴くカエルの音。屋外の給湯器が動く音。
 夜は普段では感じ取れない様々なものが飛び込んでくる。
 だからなのかもしれない。夜にお化けを見ると言われているのは。
 高校の頃に現代文の授業で読んだ評論文で、強く印象に残っているものがある。タイトルや細かな内容などは忘れてしまったが、現代は妖怪が棲みづらい世の中になっているというものだ。確かにそうなのかもしれない、と少し思う。
 昔は、夜が長かった。野良仕事などを早々と終え、夜は早くに床に就く。人の与り知らない夜という領域は深く広がっていて、闇はそこかしこにあった。故に、妖怪などの文化が根付く土壌があった。当時は医学も進んでいないので様々な未知の病もあったであろうし、そういうものに直面したら、得てして人は妖怪や鬼など、何か恐ろしい存在のもたらした禍であると思おうとするものであろう。
 人が亡くなった後、何かしらの禍が起これば、それはその人の祟であると思われていた時代などがいい例である。
 また、様々な学問もまだ現代ほど深まっていなかったので、分からないことの多さゆえに、何かを殊更恐れるということは当然あってしかるべきであると言えるだろう。
 しかし現代はどうであろうか。夜になっても眠りにつかない人々や街、昔に比べて遥かに進歩した医学や様々な学問。これらが、妖怪などの不思議な存在の棲みつくための「夜」や、夜のような未知の領域を悉く奪い去っていると言えるのではないだろうか。
 むやみやたらと恐れるような対象が減ったのは、悪いことではないと思う。ただ、目に見えないけれど確かにあるものに対して抱く畏敬の念のようなものが薄れていくのは、少し寂しいことのように思えてしまうのは、自分だけだろうか。
 こういう現代においては、妖怪や鬼はもはや畏怖の対象ではなく、寧ろ子どもを大人の都合で動かす際に丁度いい「脅し役」などになり下がることが多い。スマートフォンのアプリで、「悪い子には鬼から電話がかかってくるよ」などと持ち出されたり、「いい子にしていないとお化けに連れて行かれてしまうよ」なとと切り出されたりしたことのある現代の子どもは一人や二人ではないだろうと思う。
 こういう人々の傲慢さに、すみかを奪われた肩身の狭い闇夜の住人たちは怒りを覚えているのではないだろうかと、勝手ながら思ってしまう。
 夜の底の縁をなぞるほんのひと時、そういう不思議な存在たちのことを思い浮かべることをしてもばちは当たらないんじゃないだろうか。

●追記(2024.05.18)
 最近では、新型コロナウイルス感染症が世界中を席巻した折に、日本ではアマビエという妖怪が大きくクローズアップされたのが記憶に新しい。
 疫病の流行をアマビエが鎮めてくれるのでは、と何となく期待されていたのは、やはり未知の病ゆえに人々の心に不安が渦巻いていたことの証左なのだろうと思う。

5/17/2024, 2:58:46 PM