逆井朔

Open App

今日のお題:逃れられない
 何だか変な感じがして、ゆっくりと目蓋を開いた。
 見慣れない天井。辺りを見ても、どう見ても知らない部屋だった。必要最低限の家具しか無い、殺風景な部屋だった。
 なぜか私は、誰のものとも分からぬベッドの上で、諸手を掲げるようにして寝転んでいた。自分でやりたくてやっているのではない。両手首が頭の上で何かによって固定されているからだ。そこだけではなく、両足首の辺りにもひやりとした感触が感じ取れた。もしやと思い両脚をがばっと開いてみようと試みたが、やはりそこも固定されているようで、びくともしない。
 がちゃりがちゃりと耳障りな音が頭上と足首の辺りからする。
 なんでこうなったのだろう。
 唐突に訪れた理不尽な仕打ちに、怒りよりも先に困惑の感情が湧き上がる。
「こんばんは」
 がちゃ、という音と共に誰かの声がした。そちらに向かって顔を何とか向けてみると、特に見覚えのない男性がそこにはいた。普通に街中で出会ったら思わずときめいてしまうかもしれないくらいには整った容貌をしている。王子様みたいな、きらびやかな人だ。友人のハマっている男性アイドルユニットの一人、瑛斗(アキト)に少し似ているかもしれない。目元の泣きぼくろが目の前の彼にはないので別人なのだろうとは思うが、艷やかな黒髪に白い肌といい、色素の薄い瞳といい、彼を彷彿とさせる。
「あの、これ、どういうことなんですか?」
「どうって、何が?」
「私、なんでここにいるんでしょう」
 瑛斗似の王子様は、お綺麗な顔をふっと緩めてくすくすと微笑んでいる。その笑みさえ芸能人のように如才なかった。
「それは勿論、僕が招待したからさ」
 招待、と表現するには随分なもてなし方のように思えるのだけれど、彼は特にそのことを気にする素振りを見せない。
「すみません、そもそも私、貴方のお名前すら知らないのですけれど……」
 当然ながら、キャンパス内の全員のことなんて知らない。それでも、日々やりとりをする男友達ならサークル友達の中に数名くらいはいた。
 でも、今目の前にいる彼はその中にはいなかったはずだ。顔見知りでもない異性の自室に招待されるいわれは無い。
「……へぇ、そっかぁ」
 何故だろう。緩やかに弧を描いたままの唇が、瞳が、急に冷ややかなものに見え始めたのは。
「僕は君のことを知っているよ。周防灯里(すおうあかり)さん」
 ぞわりと背筋を駆け抜けるものがあった。
 こんな格好いい人にそう言われたら、普通の状況下なら嬉しくなることだろう。でも今の私は、どうしても素直には喜べない。
「なんで、私の名前……」
「そうだね。一方的に僕ばかり君のことを知ってるのはフェアじゃない」
 少しずつこちらに向けて歩き出した彼は、ベッドの前で立ち止まることなく身を進めてきたかと思うと、私の身体に覆いかぶさるようにして顔を寄せてくる。こんな状況下でなければゆっくり眺めたいくらいには、彼は綺麗だった。
「だからこれから一つずつ教えてあげるよ、僕のこと」
 ぞっとするくらいに美しい声に耳元を浚われて、私はただ茫然と天井を見つめていた。

5/23/2024, 2:59:54 PM