ススキと聞いて思い出すのがこの記憶。
幼い頃、父親と行った夜釣り。
田舎の川で、河原にはススキが群生していた。
車を止めて、ススキを掻き分けて、川岸まで。
そこに草を踏みしめて小さなスペースを作り、拠点とした。
そして釣りを開始。
暗闇の中、ランタンと懐中電灯の明かりのみ。
直ぐ目の前で、川の流れが黒いうねりとなって音を立てる。
低く、耳に残る音。
ー怖い、帰りたいー
素直にそう思ったが、プライドが邪魔して父親には言えなかった。
すると、突然父親が、車にタバコを忘れてきたと言う。
取りに行ってくるから待ってろ、と。
冗談じゃない。こんな場所で一人で待てと?無理に決まってる。
だが、ヘビースモーカーの父親は、じゃあお前が取ってきてくれるか?とか鬼畜なことを言う。
仕方なく、そこで待つことにした。
まるで釣れない。
とゆーか、ウキなんかちゃんと見ている余裕がない。
背後のススキ野原が気になる。
父親がなかなか帰ってこない。
いや、さっきから、誰かがススキの中を歩いている音がずっとしているのに、父親は姿を現さない。
「おーい、おーい」
気付けば、父親の声が呼んでいる。
だが、声は、目の前の川の方から聞こえてくる。
恐る恐る、懐中電灯の光を向けると、対岸に人が立っているのが見えた。
黒いシルエットが、両手を大きく振って、何かを叫んでいる。
「逃げろー、後ろから来るぞー」
そう聞こえた。
その時、背後のススキ野原から、一層大きな物音が聞こえてきた。
ガサガサと、かなりのスピードで何かが迫ってくる。
ーヤバイ、逃げなくちゃー
慌てて竿を放り投げ、対岸に向かって走り出そうとしたところで、後ろからがっしりと抱きすくめられた。
それは、父親だった。
突然川に飛び込もうとした私を助けてくれたらしい。
「ススキん中で迷子になってな、ウロウロしてたら、お前が、お父さん!って呼ぶ声が聞こえたんで、声のした方に走ってきたんだ」
目の前の川幅は広く、対岸に懐中電灯の光は届かない。
私は何を見たのだろう。
そして、私は「お父さん!」と呼んでいない。
いったいそれは、誰の声だったのか。
その声が無かったら、私は暗くうねる川に飛び込み、流されてしまっていたかもしれない。
私はその声に、命を救われたと言えるだろう。
その後、すぐに荷物を片付け、撤収することに。
帰りの車の中で、父親が言った。
「タバコを取りに車に戻ったらさ、車の横に、男の子が立っててさ、こんな時間に何やってんだと思って声をかけたら、早く戻ってあげなよ、って言われてさ。なんか嫌な予感がして、急いで戻ったつもりなんだけどな」
それで、迷子になっていたら世話がない。
そんな、暗闇に揺れるススキの思い出。
思えばあの川は、水難事故が多発して、地元でもいろんな意味で恐れられている場所だった。
これを書く前に、ネットで、あの川で過去に起きた事故について調べてみたが、水遊びをしていた何人かの子供が流され、亡くなっている。
私は思う。
あの夜、私と父親は、事故に遭った存在と事故を起こした存在の両方に出会ってしまったのではないかと。
そのおかげで命を奪われそうになり、そのおかげで命を救われることになった。
いずれにしても、物悲しく切なさの残る思い出だ。
その後、夜釣りには一度も行っていない。
脳裏の奥に眠る悔恨。
もはや幻のように、あの時代は遠ざかる。
言葉も行動も未熟な、あの頃の自分。
誰かを悲しませたり、自分を信じられなかったり。
だけど、きっとうまくいくと思ってた。
何もかもうまくいくと。
六畳一間のアパートで、お互いに罵り合った。
心にも無い罵詈雑言が、次々と口をついて出る。
こんなにも自分の中に、憎悪の固まりが作られていたとは。
あなたに渡すつもりじゃなかった。
あなたに見せるつもりもなかった。
こんな世の中への怒り、嘆き、悲しみ、そして憎悪を。
終わりゆく時代は、二人の関係を冷やし続けたまま、あの部屋の記憶を曇らせてゆく。
私の人生に必要のない時間だったのだろうか、あなたと過ごした日々は。
出会わなければ、交わらなければ。
二人の男女の悲劇など、この世界に満ちあふれているのに。
だが、脳裏の片隅に残る、あなたの笑顔。
幸せな時間をもたらしてくれた、あなたの笑顔。
これだけは、いつまでも心を離れずに、あなたとの綺麗な思い出として残り続けるだろう。
時が経てば、それだけが事実。それだけが真実。
美化された過去のあなたに、今、惜しみない賛辞を送る。
そして、新しいステージへと。
人は、前に進むことが出来る。
部屋は広くなり、罵り合うことは無くなっても、世の中への怒り、嘆き、悲しみ、そして憎悪は消えやしない。
だけど、きっとうまくいくと思ってる。
何もかもうまくいくと。
そうして人は、すべてを乗り越えて成長してゆくのだから。
自慢する人って嬉しそう。
まあ、そりゃそーか。
これで自分の株を上げられる…と思ってるんだから。
いやでも、それは株を下げてることに何故気付かない?
聞いてる方もそんなに馬鹿じゃない。
得意げに自慢する人に、本音で感心してると思うのかな。
それは幼さの表れだと思う。
子供の自慢話ってえげつないよね。
きっとそーやって、自分に自信を付けていくんだろう。
それを、大人になっても続けている人達。
自信の無さの表れでもある訳だ。
マウントを取ることに必死な彼らは、そのすべてが意味のないことであると気付かない。
そして、そんな彼らを卑下することもまた、意味のないこと。
だって、彼らはそれが嬉しいんだから。
自慢することが。マウントを取ることが。
うんうん、凄いねと聞いてあげるのが、円滑な人間関係のコツなんだろう。
でも、それがなかなか出来ないのも、幼さの表れなのかもしれない。
今日は久々の自社研修で、グループミーティングをやらされて、その中にやたらと仕事自慢をするおっさんがいて…各自5分の持ち時間だってのに10分以上喋り続けて。
そんな一日だったので、こんな意味のないことばかり並べてしまった。
明日からはまた気を取り直して、もっと心豊かな作品を作り上げよう。
自慢じゃないが、私には出来る。
…きっと、たぶん。
あなたとわたしがであったはまべで、
わたしはずっとまっています。
あなたはわたしをうしなっても、
あまりかなしくはないのかもしれませんが、
わたしはあなたがいないこのはまべが、
さみしくてなりません。
だって、あのひのゆうやけはきれいだった。
ふたりでみたゆうやけ。
あれからずっとあめつづきで、ふしぎにおもってたら、
それはわたしのなみだでした。
ながれつづけるなみだ。
ゆうやけさえにじんでしまう。
あなたがいなければ、
わたしははまべのいしのようなそんざい。
いこくから、ながれついたにんぎょう。
それがわたし。
いちどきり、あなたにひろわれたのに、
いっしょにはまべであそんだのに、
きたないにんぎょうはすてろといわれて、
あなたはわたしをてばなした。
あの、おとなたちをゆるせない。
あなたとわたしのあいはえいえんだから。
いっしょみたゆうやけのように、きれいなものだから。
このきたないからだをすててでも、
あなたにあいにいきます。
じゃまするものをはいじょして。
まっていて。
いま、むかっています。
雨音が心に染み入る時がある。
たとえば、誰かとお別れした後。
一緒に楽しく遊んで、お別れの時が来て、駅前で手を振って、離れてゆく電車を見送って。
そんなサヨナラの後の帰り道、柔らかい雨が降り注げば、きっとそれは心に染み渡る。
私にも、そんな経験がある。
雨は時に優しくて、時に冷たくて、時に痛い。
照りつける日差しより優しい雨。
肌を濡らし、心に染み入ってくる。
何故だろう、哀しい場面のはずなのに、世界に祝福されてる気がするのは。
きっと、自然の営みに、ほんの少しでも触れ合い混じり合うことが出来るから、なのかもしれない。
冷たく激しい雨に打たれても、きっといつかは乾くから、人生はいつだってやり直せるんだな。
すべてを洗い流して、新しい自分になって。
…まあ、そんなカッコ良くはいかないけど、柔らかい雨の音は、間違いなくリラックスを感じさせてくれるし、その香りには郷愁を覚える。
私の人生にとって、必要不可欠なものなんだ。
だから、天気予報に振り回されたりしない。
サイコロの目を見るように、何が出るかなのワクワク感で、朝を迎える。