Ryu

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11/5/2024, 9:36:16 PM

どんなに辛いことがあったって、お構い無しで朝が来る。
静かに暗闇に沈んでいたいのに、否応無しに朝が来る。
世界は誰中心でもないから、当たり前の営みを当たり前に続けるだけ。
だけど人間は自分がすべてで、自分以外の何もかもが「その他大勢」なんだよ。
家族だって然り。

心がつながってるとか、心はひとつとかの、比喩表現。
実際には人はそれぞれ別個体な訳で、「お前に俺の何が分かるんだよ!」ってセリフは、あながち間違っていないと思う。
分かる訳ないんだよな。
分かられちゃ困る。
自分だけの心の、形のない感情。

それでも、分かり合えないままで生きていくのも辛い。
人は人とつながりたいんだ。
想いを共有したいんだ。
だから、言葉を使う。
私達がつながる唯一の手段は、きっと言葉だろう。
話しても、書いてもいい。
孤立した私達が分かり合うための、一筋の光。

どんなに辛いことがあったって、お構い無しで朝が来る。
カーテンの隙間から、私達を暖める一筋の光。
これはきっと、私達への救済措置だ。
宗教的なものじゃなくて、世界が、人間がそういうもんなんだと思う。
暗闇に沈み続けることを良しとする思考回路なんて持ってない。
きっと、誰もが。

だから、今日も陽の光をたくさん浴びて、伝えたい言葉をたくさん持って、大切な人達とつながっていたい。
雨の日なら、明日に期待。
必ず晴れる日は来るから。
一筋の光から始まる朝が、必ず訪れるから。

11/4/2024, 12:11:55 PM

何だろう、哀愁を誘うもの…次元大介とか?
ハードボイルドと哀愁は表裏一体だよね。
でもそれじゃ話を広げられそうにないから、もっと身近な…我が家の猫の話。

我が家では現在、三匹のネコを飼っているが、そのうちの一匹、先代の猫が死んで次の子としてお迎えしたニャンコ。
里親募集の保護猫だったが、ボランティアの方の話では、「人の膝に乗るのが大好きな子です」という説明だった。

あれから五年。
未だに、家族の誰もが頭を撫でることすら出来ないまま。
抱っこなんてもってのほか。
触ろうとすると怒るわけではなく、死にものぐるいで逃げる。
そして、ベッドの下に潜り込む。
そこからしばらくは、姿さえ見せなくなる。

決して、虐めたり怖い思いをさせたりなんかしていない。
食事の時間になると、ちゃっかり顔を出して、可愛い声で鳴いてくる。
ご飯もちゃんと食べる。
でも、そんな時でも気は許さず、食事中に手でも出そうもんなら、またすぐに隠れてしばらく出てこなくなる。
カリカリほったらかしで。

子供の頃から実家でもたくさんの猫を飼ってきたが、こんな猫はいなかったな。
いったい何にそんなに怯えているのか…今や、他の二匹は普通に家族に懐いてる。
三ヶ月前にお迎えした末っ子までもうベタベタなのに、それを見てても一向に態度を変えないとは、これ如何に。

まあ…孤高の猫なんだろうな。
ハードボイルド、そして哀愁を誘う猫。
…無理矢理過ぎる?
でもホント、ある意味、一匹狼で、迎合せずに、馴れ合わずに、我が道を突き進んでいるとも言える。
カッコイイじゃないか。
私の中ではすでに、「コイツを思う存分撫でることが出来るのは、きっとコイツが死んだ時なんだろうな」なんて、悲しい諦めを抱いている。

哀愁漂うエピソードじゃないだろうか。
これが我が家の現在の猫事情。
改善策を探してネットも漁りまくったが、どれも効果なし。
ウチの猫には当てはまらなかった。
もういいや、と思って過ごしているが、なんか最近、ちょっとだけ距離を縮めてきているような…気がしてる。
結構な頻度で、すぐそばを通り過ぎる。
キャットタワーで眠っている時に近付いても逃げない。
…手を出した途端に雲隠れだが。

猫の話でどんだけ書くんだってくらい書いてるので、もうこの辺で。
ちなみに今、その猫は、キャットタワーの一番高い場所から、私を見下ろしています。
まるで、「勝手に俺のこと書くなら、命の保証は無いぜ」みたいな、ハードボイルドな表情で。

11/3/2024, 3:27:33 PM

鏡の中の自分は、本物の自分なのか、それとも偽物なのか。
本当の自分を映してはいるが、鏡の中に自分はいない。
そこにあるのはただの板。
本物はここにいる一人だけだ。

朝起きて、鏡の前に立った。
何か、違和感。
右目の横にあったホクロが、鏡の中では左目の横に。
いや…鏡に向かって見れば右側にあるが、あれは私の左目じゃないか。
あれは本当に私なのだろうか。
それとも、あれが本当の私なのだろうか。

矜羯羅がる。
鏡の中の世界はこちらと何ら変わりはないのか。
左右対称なのは既知のものだとしても、例えば色は?
動きが少し遅れたりすることはない?
違うタイミングで瞬きしたり?

そんな妄想。
ある訳のない妄想だが、鏡の中の世界のことなんて、誰が知り尽くしているというのか。
その鏡に向かって突進してみたところで、粉々になって血まみれになるだけ。

だからそろそろアホな妄想はやめて、顔洗って歯を磨いて仕事に行こう。
今日も一日、頑張るぞ。

…あれ?今、鏡の中の自分が、サムズアップサインを送ってきたような…てか、お前も俺なんだから、一緒に仕事に行くんだよ。
他人事みたいな顔すんな。

11/2/2024, 10:48:34 PM

前回に引き続き、眠りにつく前に、ふと思ったこと。
モノを書くことは、音楽と同じように心を安心させてくれるなーと。

自分の心の中にあるイメージを、文字にして言葉にして文章を作る。
モヤモヤとしていたイメージが、形を持って目に見えるようになる。
書いてみて、ああ、自分はこれが言いたかったんだ、と気付いたりする。

ノープランで書き始めて、着地点は見えていなくとも、思うがままに書き続けると、言葉が次々と湧いてくる…時がある。
これがゾーンなのか?と思うほど。
一心不乱に書き続けていられる。
一心不乱に書き続けていたくなる。
我に返った時、その文章の良し悪しは問わずとも、そこにひとつの作品が存在している。
世界にひとつだけの、自分が生み出した作品が。

…と、そんな大層なものでもないが、こんな感覚でモノを書くことを楽しんでいる。
まあ単純に、人と話す時も言葉がうまく使えるようになるし、職場のメールのやりとりも無機質なのが多い中で、温かみのある人間らしい文章を書けている自負がある。
日記を毎日書くのも苦にならない。
そんな感じで、いろいろと毎日が充実する。
頭ん中がスッキリと整理できるしね。

…とゆーよーなことを、眠りにつく前に考えていると、きっとどーでもいいことだからなのか、すんなり眠りにつくことが出来てAll OK。
皆さんも試してみては?

11/1/2024, 1:51:40 PM

今日の朝、ふと思ったことを。

最近、音楽をちゃんと聴いてない気がする。
通勤時や、家でのんびりしてる時、必ず音楽は流しているのだが、まさにBGM、ただそこに流れているだけの音として聴いているな、と。
以前は、音楽の優先順位がもっと高かったんだと思う。
電車の窓の外に流れる景色を眺めながら、まるでそれがその曲のミュージックビデオかのように聴き入っていた。
今は、通勤時はスマホをイジりながら、家でも、ネットで何かしら検索しながら、だったりする。
そして、曲の再生は、知らないうちに終わっていたりする。

これって、寂しいなと思った。
素晴らしい音楽がこの世界にはたくさんあるのに、こんな風に、流すように聴いているだけなんて。
音楽に上の空であるほど、頭の中は余計な心配や不安で満たされる。
素敵なメロディに包まれながら、嫌なことなんて本来考えられないはずなのに。
思えば、パニック障害を発症したのも、音楽との付き合い方を変えてしまった頃からなんじゃなかったか。

もっと心にエモーションを。
情報や知識ばかり詰め込んでたら、頭がいつかカッチカチになる。
そして心もカッピカピになる。
そうなる前に、もっとたくさん音楽を聴こう。
エモかったり、励まされたり、切なくなったり、ワクワクしたり。
電車に乗りながら、歩きながら、くつろぎながら。
その時々に合った音楽がある。
こんな幸せなことが他にあるだろうか。

…いや、まあ、あると思うけど、とにかく、音楽の力は絶大だ。
そしてこの世に音楽がある限り、その力は永遠だ。
音楽さえあれば、永遠に歩き続けられる。
そんなことをふと思った朝、私が聴いていた曲は、
THE BLUE HEARTS の「情熱の薔薇」

永遠なのか 本当か
時の流れは続くのか

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