私事だが、あと2個で❤が10000個いただけたことになる。
10000という数字を、このカウンターがどう表示するのか?
5桁表示で10000?
4桁表示がマックスで0000?9999のまま?
それとも0リセットされる?
今回のこの駄文で、それを見ることが出来るのだろうか。
ひそかに個人的にそれをちょっと楽しみにしてる。
そして、これを機にそろそろこのアプリも卒業しようかと目論んでいる。
思えば、一昨年の年末から始めたこのアプリ。
1日たりとも飛ばすことなく、毎日書き続けた。
この作品を含め、666本。
前作までの文字数、463077字。
頑張ったじゃないか。
おかげで、しっかり書く習慣が身に付いたと思ってる。
時に、プレッシャーとなることもあった。
何も浮かばずに、眠れぬ夜を寝て過ごしたこともあった。
それでも、何とか19時というゴールを見据えて、出来る限りの知恵と想像を働かせて、日々綴り上げてきた。
その功績は、私史上、表彰に値する。
中途半端を許さない我が心が成した業だが、もう十分な気がする。
十分頑張った。
そして楽しんだ、と。
この辺で、一旦サヨナラします。
静かに消えていけばいい話だけど、10000個の❤への感謝も込めて、光と霧の狭間で、無理やり葛藤したようなテイで。
まあ、このアカウントが残っていれば、またいつか、気まぐれに書いたりします、たぶん。
たくさんの❤、ありがとうございました。
毎日のお題、ありがとうございました。
…あ、そーいえば、1日だけ、書けなかったことがあった。
お題が何だったのかも忘れたけど、まあきっと、「そんな言葉使わんわ」みたいなやつだったんだろうな。
中途半端は許せないが、致し方なかったんだろうな。
逆に、お題が今の自分にハマったりしたら、ウズウズして書かずにはいられないのかも。
その時はまた、よろしくお願いします。
時を刻む音がサラサラと流れる。
時を計ることは出来るが、現在時刻は分からない。
どちらかというと、時計というよりアラーム無しのタイマーだ。
スマホで事足りるが、今でも需要はあるのだろうか。
オブジェとして?コレクションとして?
私は、Windowsの待ち時間を思い出す。
そして、それ以外は…何も思い出さない。
何故なら、砂時計を扱った思い出が無いに等しいからだ。
何に使えばいいのかも分からない。
そんな砂時計の「音」となると、もはや「サラサラ」以外に思い浮かばない。
…いや、音なんてしないのでは?
ここまで来ると、手に入れて調べたい気持ちにもなってくるが、いかんせん使い道が…玄関のオブジェ?、キッチンタイマー?
てゆーか、どこに売ってるんだろう?
ダイソー?ハンズ?
あんまり見たことないな。
砂時計の音を知るために、この休日を使うのも違う気がする。
とゆーわけで、今回のつぶやきはこの辺で。
この短さなら、1分もかからずに読めるかな。
試しに一度読んで計ってみよう。
お気に入りの砂時計をひっくり返して、と。
今夜は雨。
星の見えない夜空。
空は漆黒で、厚い雲に覆われている。
何となく、この星が天体から隔離されて、孤立した惑星となってしまったような感覚。
本当は、数えきれないほどの星達のうちのひとつなのに。
孤立した惑星は、消えた星図を探し求める。
朝が来れば、この雲が晴れて、隔壁が取り除かれるだろう。
だがそこに、もはや星達の姿は見えない。
確かにそこにあるのに。
まばゆい太陽の光にかき消されて、その存在を幻のように潜めてしまう。
明日の夜は、雲のない星空に出会えるだろうか。
東京の空に見える星の数は少ない。
それでも、一番星を見つけようとする気持ちを失くさずに、仕事帰り、歩道橋の上で立ち止まって空を見上げよう。
この惑星が孤立していないことを思い出すために。
消えた星図がそこに広がっていることを確かめるために。
愛−恋=世界平和。
執着の絡む相手限定の恋が引かれて、平等な人類愛が残るから。
…違う?
家族愛や動物愛も残るよね。それでいいと思う。
まあ、刺激は足りなくなるけど…もう、そんなのが必要な年齢でもないし。
ああでも、恋を引いちゃったら、世界は平和になっても、人口が増えなかったりして。
少子化が進む。
いや、それ以前に家族が作られない。
家族愛の始まりも、まずは恋する気持ちだもんな。
やっぱり、愛+恋=皆幸せ、であって欲しい。
それにしても、最近のニュースを見てると、日本人ファーストがレイシストと叩かれる。
差別は確かに良くない。
でも、外国人も自国ファーストであって、それぞれがそれぞれのルーツを持っていることも確かなんだから、そこの線引きはあってもいいんじゃないだろうか。
一番ではなくても、愛を持って接すればいい。
そこに恋が芽生えたっていい。
好きなものに順番を付けて何が悪い。
好きな食べ物もあれば、苦手な食べ物だってある。
それがこの世界の多様性だと思う。
すべてを均一に受け入れるなんて、土台無理な話だ。
足し算が必要な時も、引き算が必要な時もある。
なんなら、足さず引かずそのままの方がイイ時だってある。
難しい計算で数値化できるものじゃないし。
愛や恋や世界平和や皆の幸せ、どれもこれもそのままそれでいい。
ただ、そこにあってくれれば、それでいい。
リンゴより梨が好き。
でも、巷ではリンゴの方が受け入れられているような気がする。
アップルパイだとか、アップルティーだとか、アップルストアだとか。
ニューヨークなんかビッグアップルだもんな。
ところで、梨って英語で何て言うんだろ?
教えて、Googleさん。
「Pear」だって。知らなかった。
梨の知識が無さすぎる。ナシだけに。
…まあそれは置いといて、あのみずみずしさは他にないんじゃないのかな。
品種も、幸水とか豊水とか、ありがたき水ってなネーミング。
二十世紀梨ってのも有名だけど、なんか革新的。
Pearなんて呼ぶ余地が無いね。
食べ始めると止まらない。
みずみずしいだけに、飲むように次々と手が出てしまう。
ああ、食べたいな。
明日辺り、気まぐれで誰か買ってこないかな。
仕事帰りに梨買って帰るのもなー、コンビニには売ってそうにないし。
夕飯食べ終わったら食卓にさりげなく置いてある、ってのが理想なんだけど。
他力本願で自発的な行動は無し。ナシだけに。
気付けば、オッサンの一人語りに終始してしまった。
梨から連想するものが、これで限界だったりするんだから仕方がない。
思えば、リンゴと比較してもしなくても、梨って目立たない存在なんじゃないのかな。
そこはかとなく地味っていうか。
意識して買わないと買い忘れるっていうか。
梨園とか経営してる人がこの投稿を目にしないことを祈る。
それにしても、梨は美味い。