この空の向こうに君がいる。
きっと楽しそうに笑ってる。
もうあれは七年前。
お別れの日は悲しいほどの雨だった。
傘をさして立ち尽くす君に、「もう二度と会わない」と告げた。
幸せになって欲しいなんて思わない。
地獄に堕ちろとも思わない。
ただ、今日という日のことを覚えておいて欲しい。
土砂降りの雨の中で、やっと僕を解放した日のことを。
この空の向こうに君がいる。
きっとそれは僕の知っている君じゃない。
自由奔放に生きて、誰かを傷つけて、すべてのことを過去に追いやって。
空に向かって叫ぶ。
僕は間違っていなかった、と。
僕も君もただ、幼すぎただけ。
生きる場所を失うことに、臆病になりすぎていただけ。
明日の空は、何色だろう。
君も同じ空を見るだろうか。
君も間違ってなんかいないから、君を受け入れてくれる誰かと出会えていたら…いいな。
幸せになって欲しいなんて思わない、けど。
東京駅。
地下のコンコースを歩いていると、通路脇で一人の男が道行く人に何かを言っている。
大きな声で、皆に伝えるように。
「はじめまして!私、ジガミと申します!これから、この辺り一帯で頑張らせていただきますので、何卒よろしくお願いいたします!」
何だ?新手のキャッチセールスか?
だが、ほとんどの人達が見向きもせずに通り過ぎてゆく。
関わっちゃいけない相手だと認識しているからだろうか。
私も、関わらずに通り過ぎようとしたその時、あの耳障りの悪いアラーム音が一斉に鳴り響く。
…地震?
その後、軽い揺れを感じた。
大したことはなさそうだ。
それでも、地下通路での地震は心臓に悪い。
辺りの人達も、ホッと胸を撫で下ろしているところに、
「申し訳ありません!私が配属されたそばから皆様にご心配をおかけして!でも大丈夫です!先輩のオオクニさんに相談しておきます!皆様、今日もご無事で!」
男の声が、アラーム音以上に響く。
何だよ、それ。なんで地震に責任感じてんの。
先輩に相談したところでどうなるってんだよ。
そもそも、いったいどこに配属されたっていうんだ?
この辺り一帯って…ん?ジガミ?
ジガミって…もしかして、地神?
この土地の…守護神?
先輩のオオクニさんは、大国主大神ってことか?
確か、国づくりの神様だとか。
立ち止まって唖然としている私に、男が声をかけてきた。
「あ!やっと私に気付いてくれる人が現れましたね!新人のジガミです!昨今、何かと不安な災害の多いニッポンですが、天災については可能な限り鎮めるよう精進いたします!人災については貴方がたの協力があってのことですので、よろしくお願いしますね!」
…よろしくお願いされても、だ。
私一人に伝えられたところで、何も変わる訳がない。
…いや、彼も一人で頑張ってるんだよな。
彼を見習って、少しは彼に協力するか。
もしかしたら、他にも彼の声を聞き届ける人達がいるかもしれない。
そうやって、人と神の繋がりは保たれてきたのだろう。
彼の熱心な街頭演説を、無駄にしてはいけない。
今日は眠いから、また明日話がしたいな。
一方的にこっちが話すだけになっちゃうかもだけど、聞いてくれたら、とゆーか、読んでくれたら嬉しいな。
君のために何か、言葉を贈りたいよ。
君が誰かも知らないけれど、僕の書いた文章を読んでくれるだけで、それはもう感謝に値する。
だから、贈りたい言葉は、ありがとう。
誰かに感謝して眠れるなんて、それはきっと幸せの形。
感謝される心地良さも感じて欲しい。
今日もいろいろあったけど、こんな一日の終わりに僕は、何の不安もない世界の片隅で、感謝とともにエールを送る。
明日も頑張ろう。
乗り越えて、また会おう。
この、言葉だけで繋がる空間で。
それじゃあ、またね。
「なあ、タンポポって食ったことある?」
「食わんだろ、フツー。雑草だぞ」
「いや、食えるんだって。天ぷらとか美味い」
「まあ、天ぷらにすりゃ大抵美味いけどな。わざわざタンポポは食わないよ」
「ばーちゃんがさ、たまに作ってくれたんだよな。他にも、いろんな雑草で」
「雑草って言っちゃってるじゃん。お前のばーちゃん、去年亡くなったんだっけ?」
「ああ、それから、食ってないな、雑草の天ぷら」
春風とともに、ばーちゃんのことを思い出した。
冬の寒さが終わり、春の暖かさが訪れる頃、よく田んぼのあぜ道を散歩してたっけな。
たまに付き合って一緒に歩くと、いつも、学校は楽しいかと聞いてきた。
まあまあだよって答える俺に、友達は大事にせんといかんよって。
分かってるって。友達は大事だよ。
今度一緒に東京に遊びに行く約束してるんだ。
「タンポポの天ぷらか。まあ確かに、一度食べてみたいかも」
「だろ?なかなかお店で食えるもんでもないしさ。東京に行ったって、食えるところはないんじゃないかな。」
「まあ、もっと美味いもん、いっぱいありそうだけど」
「何食う?俺、カツ丼が食いたい」
「カツ丼なんてどこでだって食えるだろ。なんでわざわざ東京で?」
「東京のカツ丼が食いたいんだよ。味が同じなら、これから東京に行かなくても食えるんだって思える」
「意味が分かんないよ。まあ、好きなもん食えばいいと思うけど」
学校帰りの道。
道端に、タンポポが黄色い花を咲かせている。
「これ、食ってみる?」
「やめとけよ。まさに雑草だぜ」
「お前、食ってたんだろ」
「それはさ、ばーちゃんがちゃんと調理してくれたから」
「生で食おうなんて言ってねーよ。ちゃんと天ぷらにしてさ」
「お前が揚げるの?俺は揚げ方なんか知らねーぞ」
「俺も知らねーよ。お前のばーちゃんに頼めたらよかったのにな」
貧しい時代があって、道端の雑草だって食べるしかなかったんだよ。
ばーちゃんはそう言っていた。
そんな時代は終わり、食材がスーパーに並ぶ現代になっても、それは思い出の味として心に刻み込まれていたのかもしれない。
そして俺も、飽食のこの時代にもう手に入らない味を求め続けているのかもしれない。
ばーちゃんの手料理の味だ。
「なあ、あの丘の向こうにさ、ばーちゃんの墓があるんだ。思い出しちゃったからさ、墓参りしてってもいいかな?」
「ああ、別にいいよ。ばーちゃんにレシピ、聞いてみよーぜ」
「答えてくれるかよ。でも、付き合ってくれてありがとな。ばーちゃんも喜ぶよ、きっと」
春風に吹かれて、ばーちゃんの墓を二人で掃除する。
墓の周りには、たくさんのタンポポが咲いていた。
「おお、食べ放題」
「何にも持ってきてないから、タンポポでもお供えしとくか」
「いいのかよ、そんなんで」
「いいんだよ。ご馳走だぞ、俺とばーちゃんにとっては」
「そっか。俺にもお裾分けしてくんないかな」
なあ、ばーちゃん、これが俺の友達。
学校でも、楽しくやってるよ。
だから心配しないで。
ばーちゃんがいなくなって、ホントはすげー淋しいんだけど、コイツがいるから何とかやっていける。
東京行ったらさ、土産買ってまた来るから、楽しみに待っててな。
春の風を受けて、辺りに咲くタンポポの花達が一斉に揺れていた。
まるで、嬉しくて身を躍らせているかのように。
堪えきれなくて、流れ出す涙。
そんな涙を見て、もらい泣くのは得意だ。
共感力が高いということなのだろうか。
最近なら、ミャンマーの現状を憂う。
「諦めないで、頑張りましょう」
ミャンマー人が、日本人から学んだと言う。
先の東日本大震災。
人は人を想い、励まし、助け合うことが出来る。
日本人は、その手本を見せたということだ。
誇らしく、嬉しい限りじゃないか。
だけど、被災地の悲しみは計り知れない。
拭いきれない涙が流れていることだろう。
「泣かないで」なんて言えない。
もう、泣くことが必要とも言える状況だと思う。
だから、泣いて泣いて泣いて、人はそうやって、ほんの少しでも、立ち直る気力を手に入れるのかもしれない。
嬉しい涙と悲しい涙。
同じように瞳を潤すだけのアクションなのに、その心にある想いはまったく違う。
出来るなら、嬉しい涙に暮れる日々を送りたいものだが、どうだろう、悲しい涙の方が、生涯数リットル多いのが現実だったりしないだろうか。
まあ、嬉しさの表現を笑顔で完結してるが故なのであれば、涙の量を比較することに何の意味もないが。
本当は、笑顔で人生を埋め尽くしたい。
でも、そんな人生はきっと味気ない。
強がりかもしれないが、涙に出会えることで、少なからず人生の幅が広がってゆく。
悲しいことは遠ざけたいが、そんな経験をして、たくさんの涙を流して。
それがいつか思い出に変わり、笑顔や涙で彩られた人生を振り返るその日々が、自分の生きた証になるのだから。
とりとめもなくて、ごめんなさい…涙。