帰宅したら、妻がいなかった。
部屋は真っ暗。
夕ご飯の用意もされてない。
明かりをつけ、リビングのソファに座って妻にLINEしてみる。
しばらく待ってみたが、既読がつかない。
メッセージはシンプルに、「どこにいる?」
少しずつ、不安が押し寄せてくる。
朝は何も言ってなかったな。
出かける予定があるとは聞いていない。
何か、突発的な用事でもできたのだろうか。
それでも、何かメッセージを残すくらいは出来たはずだ。
お風呂に入り、スマホを確認するが未読状態のまま。
これは明らかに…何だろう?
事故にでも遭ったのか?それとも、家出?
昨夜の自分達を思い出してみる。
喧嘩をした記憶はない。
いつもの夜だった。
…いや、何か、光を見たような気がする。
ベランダの向こう。
眩いほどの光。
あの光は…吸い込まれるような美しさを放っていた。
現に、吸い込まれたのではないだろうか。
…そしてその後、どうなった?
おぼろげに、あの時の情景が蘇ってくる。
いかにもな宇宙船内。三人ほどの異形の存在。
彼らは、私より妻に興味があるようで、私は軽く身体検査のようなものをされただけで、気付いたらリビングのソファに座っていた。
…妻は?
その時、脳の奥の方で何かが鳴り出した。
アラームのような耳障りな音が鳴り響いている。
…あれ?なんで歯ブラシが二本あるんだ?
私は一人暮らしなのに。
寝室のベットに入り、スマホを操作する。
一人寝の寂しさにLINEを起動すると、つい先ほど、私から「どこにいる?」というメッセージを送っていたが、相手が誰なのか、いくら考えてみても分からなかった。
既読はついていない。良かった。
こんなメッセージを誰とも知らずに闇雲に送っていたら、きっと不審がられるに違いない。
LINEからメッセージを削除し、何かを失ってしまったような不思議な気持ちに駆られながら、それが何故なのかも分からずに、私は深い眠りに落ちた。
急に涼しくなって、夏色が突然、秋色に変わる。
稼働続きだったエアコンが止められる。
寝苦しい夜もしばらくないだろう。
オレンジ色に染まる季節。
春と同じように短く、春と同じように好きな季節だ。
外に出かけたくなる。
暑いからやめとこう、と思っていた場所に、やっと重い腰を上げて訪れることが出来る。
イイ季節だ。
だけど、ホントに短い。
ともすれば終わってしまう。
そして凍える冬が来る。
オレンジ色が白に染まる。
色づいた木々が枯れ落ち、動から静へ。
世界が秋色に染まっているうちに、秋ならではの行楽をいくつ楽しめるか。
短いからこそ、そのひとつひとつを堪能しようと思う。
外に出ることも躊躇する長い夏を終えて、ハンディファンも塩分チャージタブレットも持たずに楽しめる季節。
秋らしく、落ち着いた楽しみ方を模索してみよう。
ハロウィンでの混雑を避けて、クリスマスムードが漂ってくる前に。
もしも世界が終わるなら。
何もせずに、ただ、終わりゆくこの星を見つめていたい。
数えきれないほどの生命を育んできたこの星。
その生命を大切に守り続けてきたが、いつしか綻びが生じてしまっていた。
身勝手すぎる生命。不条理すぎる生命。
世界は、誰の手に治められるものでもない。
ただ、人はそれが出来ると錯覚して、あらゆる兵器を作り出した。
綻びが生じる。世界が終わる。
だから、その時は何もせずに、大切な人達と一緒に終わりゆくこの星を見つめていたい。
自業自得だとは思わない。
人はこうして生きることを選んだのだから。
ただ、その時が来たら、何か他に道は無かったのかと悔やむだろう。
この、大切な人達とともに、もう少しこの場所で生きることは出来なかったのかと。
綻びの生じない生き方。
この星に受け入れられる生き方。
私達には、それを選択する権利があった。
もしも世界が終わるなら。
何もせずに、大切な人達と一緒に終わりゆくこの星を見つめながら、涙を流すだろう。
流した涙は潮流となり、この世界で同じ想いの涙を流す人達にきっと届く。
動画はSNSで拡散され、たくさんの人々の祈りがそこに集結する。
だけど、この星の運命は変わらない。
世界の終わりの饗宴。
この星のために涙を流した人達の、最後のバズリとなる。
「お腹空いたね」
「夕飯、どうしようか」
「お腹空いたままで最後を迎えたくはないね」
「じゃあ、ガストにでも行ってお腹いっぱい食べようか」
「ガスト、やってるかな?」
「そっか。皆、自分の大切な人達と過ごしてるよな、今頃」
「やっぱり、家にあるもので最後の晩餐にしようよ」
「そうだね。お腹がいっぱいになれば同じだよね」
最後まで幸せだったと。
そう言い合える人とこの場所にいられたことを、何よりも嬉しく思う。
もう、一時間も歩き続けてる。
目的地の神社が見つからない。
この山道を登ればすぐだって聞いたんだけど…辺りは緑の木々に囲まれ、建物らしきものは何ひとつ見当たらない。
どこで間違えたんだろう?
いい加減独り身が辛くなり、かと言って出会いの少ない昨今、もうなりふり構わず神頼みすることに決め、縁結びで評判のイイ神社をネットで検索した。
思いのほか自宅から近い場所にこの神社があることを知り、出会いのご利益を求めて山道に踏み込んだわけだが、パートナーどころか神社そのものに出会うことが出来ない。
こりゃもう辿り着けないのかなと諦めかけた頃、山道の傍らに一人の老人が腰を下ろしているのが見えた。
よし、あの人に聞いてみよう。
それで分からなかったら諦めよう。
「あのーすみません。ご休憩ですか?」
「見りゃ分かるじゃろ。働いてるように見えるか?」
「あ…いえ、道を尋ねたいのですが…」
「どこへ行きたいんじゃ?こんな山の中で」
「この辺りに、縁結びにご利益がある神社があると聞いたのですが…どーにも辿り着けなくて」
「ほう…縁結びか。イイ相手を見つけたいと?」
「そうですね。もう、一人の生活は寂しくて」
「それじゃあ、まずはその靴紐を何とかするんじゃな」
「…靴紐?」
「ほれ、靴紐が解けておる。そんなんじゃダメだ。縁は結ばれん」
「靴紐が…良縁と何か関係があるんですか?」
「あるに決まっとるじゃろ。縁というのも、言うなれば紐なんじゃ。運命の相手としっかりと結ばれるためのな。それが解けておったら、良縁なんかに恵まれるわけがない」
「いやでも、靴の紐は縁の紐とは関係が…」
「なんでないと言い切れる?その足で相手のもとへ歩いてゆくんじゃろ?紐が緩んでおったら、上手く歩けんじゃろが。相手のもとへ辿り着けん」
「もしかして…そのせいで私は神社に辿り着けないのですか?」
「ん…まあそれは、一概にそのせいとも言えんが…とにかく、縁を結びたいならまずは靴紐を結ぶことじゃ」
「…分かりました。靴紐を結び直して、もう一度神社を探してみます」
「どうしても神社へ行きたいのか?極意は教えてやったのに」
「靴紐は結び直しますが、それだけで上手くいくとは思えないんですよね。やっぱり、神社で拝まないと」
「…そうか、分かった。なら、もう少し待て。神社ってのは神様のいる場所じゃからな。そこから神様がいなくなったら、消滅してしまうんじゃよ。今はまさに、消滅している時間じゃ」
「神様が…いない?それは何故です?」
「ここで一服してるからじゃよ。ずっとあそこで、皆の願いを聞き入れるのも疲れるのじゃ」
「…ん?あなたは…?」
「大国主神。縁結びの神様じゃ。ワシに任せておけ」
「マジっすか?もう、大船に乗った気持ちでいいってことですね?」
「ワシの力を見くびるな。まずは神社に戻るから、しばらく歩いたら来い。今度はちゃんと見つかるはずじゃ」
果たして、神社はあった。
先ほど何度も通り過ぎた場所。
木々が生い茂る行き止まりだったはずのところに、見るからに立派な神社が建っている。
さすが大国主神。
おかげさまで、この先イイ出会いが待ってる気がしてならない。
靴紐も結び直した。
さて、自分は今、誰かと繋がったのだろうか。
この大船が、あっけなく沈んでしまわぬことを祈る。
生きる意味とか、幸せの定義とか、考えたって分かりそうにないことを考える。
生きている間に、考えてしまうようなスキマ時間がたくさんあるから。
命の綱渡りを強いられるような人生じゃないし、失ったものとそう変わらない分量のものを手に入れて、五分五分で生きられているような気もしてる。
心の中で失ったものだって、大人になるにつれて交渉が上手くなって、物足りなさはかなり減らせてるんじゃないだろうか。
自分との交渉。折り合いをつける、という。
だから自分は幸せか?というと、それはまたいろんな側面があって、一概にどっちと決められるもんじゃない。
スキマ時間で考え得るのは所詮この程度だ。
いや、一生をかけて考えたとて、そう変わらないのかもしれないが。
だから答えは、まだ心の奥深く。
生きる意味も、幸せの定義も、自分の中にあることだけは分かってる。
ただそれを明確化して、頭で整理するのが難しいだけ。
案外、この曖昧な状況が幸せの種なのかもしれないな。
答えを出したところで、心がそれに素直に従うとは思えない。
葛藤して、試行錯誤して、こんなもんでいいんだと思いながら生きてくことに意味があるのかも。
だから答えは、まだ知らないままでいい。