ショッピングモールで買い物してたら、どこかの家族の幼い娘さんがギャン泣きし始めた。
耳を塞ぎたくなるくらいの大音量で、周りの人達の視線が一斉に注がれる。
若い夫婦は焦り戸惑い、一生懸命娘を宥めすかしている。
私はといえば、奥さんと娘達がコスメを物色している間、手持ち無沙汰に廊下をウロウロしていたところ。
何となく、ホントに何となく、足を止めて、ギャン泣きしている子供とその家族を眺めている。
自分にも、こんな時代があったんだな。
そんなことを考えながら。
若い夫婦だった時代もあった。
親を困らせるほどギャン泣きしていた時代もあった…たぶん、覚えてないけど。
今や、いっぱしの大人みたいな顔して、おやおや、大変だねえ、みたいな立場で傍観している。
イイ気なもんだ。
そんな、イイ気な立場から言わせてもらうと。
声が枯れるまで泣いていいよ。
泣いて想いをぶつけられるのは君達の特権だ。
でも、きっと君の願いは届かない。どれだけ泣いたって。
どれだけ君が可愛い娘でも、親にだって叶えてあげられない願いもある。
何だって叶えてあげたいけれど、出来ないことだってあるんだ。
だから、声が枯れるまで泣けばいい。
泣いて、泣き疲れて、ああ無理なんだと気付いて、世の中というものを少し覚えて。
きっとそうやって、私は大人になったんだと思う。
まあ…とはいえ、耳をつんざくような甲高い泣き声は、この距離ではなかなかツライものがある。
やっぱり、飴玉あげるから泣き止んでくんないかな。
そしたら、家族皆で楽しく買い物が出来るんだけどな。
現金なおっさんでごめんなさい。
喧嘩の始まりはいつも、至極些細なことだった。
自分より多く取ったとか、正しいと思うものが違うとか。
譲り合う気持ちと認め合う気持ちがをあれば、喧嘩なんかしなくてもよかったのに。
にんげんだもの、いつも同じ方角を見ていられるとは限らない。
世界は、たくさんの思惑で成り立っている。
それを受け入れれば、和解する道もきっと残されているはず。
その、ミサイルの発射ボタンを押す前に、着弾地点にいるのは自分と同じ人間だということを思い出して。
家族がいて、泣いたり笑ったり、恋をしたり喧嘩したり、大切な命を守り続けている人間だということを。
始まりはいつも、すべてが終わる可能性を秘めているから。
夜道で女とすれ違った。
すれ違いざま、「ついてきて」と耳元で囁かれた。
振り返ったが、女は淀みなく去ってゆく。
「何だったんだ今のは?」
前を向くと、目の前に一人の男が立っていた。
ピエロのマスク。
血まみれのシャツ。
右手にサバイバルナイフ。
もう、逃げるしかない。
何とか逃げきった。
「何だったんだ今のは?」
このセリフしか出てこない。
女は、私を助けようとした?
だが、女はピエロのいた方向からやって来た。
平然と、歩いて。
ピエロは俺だけを狙っていたのか?
俺が逃げ出した時、まだ近くに女はいたはずだ。
姿は見えなかったが。
考えても分からない。
とにかく、今は無事に家に帰ることだ。
警察に行くことも考えたが、何の被害も出ていないし、ピエロが単なる仮装だった可能性もある。
それでも物騒極まりないが。
正直なところ、面倒なことに巻き込まれたくなかったのが、本音かもしれない。
家に着いて、風呂に入り、落ち着いたところで、インターフォンが鳴った。
ドアを開けると、制服姿の警察官が二人。
「近所で、悲鳴とか、聞こえなかったですか?」
「何があったんです?」
「女性がね、殺されたんですよ。」
「もしかして…ピエロの格好をした…」
「え?なんでそんなことを?」
「あ、いや、見たんですよ。とゆーか、襲われました。何とか逃げ切りましたけど」
「襲われたって…強姦魔ですよ。男性のあなたには…」
「強姦魔?いや、あれは殺人鬼ですよ。血だらけでナイフを持ってた」
「目撃者によると、それはハロウィン用の仮装じゃないかと。ピエロのマスクで顔を隠していたそうですね」
「仮装…」
その可能性も考えたが…それでも、本当に人を殺したなんて…。
「実は、最近同一犯と思われる犯行が続いてましてね。この辺りに住む女性には、注意喚起していたんです。ピエロの仮装をした強姦魔が出没しています。もし、後をつけられたりした場合は、やむを得ないので、どなたか男性に声をかけて知り合いのフリをしてもらってください、と」
「知り合いのフリ…?」
彼女に、「ついてきて」と言われた。
あれは…助けて、という意味だったか。
女性しか襲わない強姦魔なら、そこに男性がいるだけで抑止力にはなる。
だけど、仮装とはいえ、あんな格好で目の前に立っていたら…。
私は、逃げてしまった。
その後、彼女は捕まってしまったのだろうか。
それとも、別の女性か。
いずれにせよ、ちゃんと状況説明がなくちゃ、助けられるものも助けられないじゃないか。
私は悪くない。
私のせいじゃない。
次の日の朝。
昨夜の警察官から無理矢理聞き出した、女性の殺害現場に赴いた。
私があのピエロと対峙した場所から、ほんの数百メートルしか離れていない。
被害者はきっと、昨夜私が会った女性だろう。
開店直後の花屋で買った花束をそっと置き、手を合わせた。
心が苦しくて、座り込んだまま、立ち上がることが出来ない。
あのすれ違いが、単なるすれ違いでなく、彼女の命運を分けるものになってしまった。
そして、その命運を分けたのは、私の行動だった。
その日は仕事を休み、家に帰って作戦を練った。
あのピエロ野郎を捕まえる。
私は今も、あのマスクの下の目を覚えている。
彼女についていくことはもう出来ないけれど、復讐することならまだ出来る。
やってやる。
もう、彼女との気持ちのすれ違いが起こらないように。
私のこんな気持ちを、払拭するために。
幸せな気持ち。
誰かに会いたい気持ち。
たくさん話をして、お互いに笑顔で過ごしたい気持ち。
誰かのために頑張って、感謝されて認められて、自分をもっと好きになれそうな気持ち。
秋晴れの空の下、何もかもがうまくいくんじゃないかと勘違いしてた。
空が晴れ渡っていても、悲劇は起こるべくして起きる。
ラーメンを食べていたら、隣の席でおっさん同士の喧嘩が始まった。
おいおい勘弁してくれよ、と思いながら避難すべきか考えていたら、おっさんがおっさんを突き飛ばして、突き飛ばされたおっさんが俺のラーメンを吹き飛ばした。
マジかよ。まだ、二口も食べてないのに。
とりあえず、エスカレートしそうな二人を宥める。
「皆の迷惑になるからやめましょうよ」
「うるせぇ!関係ない奴は引っ込んでろ!」
いやいや、ラーメン吹っ飛ばされて、かなりダメージ食らってるから、関係なくはないのよ。
でも、メンドくさいから言わない。
店員が厨房から出てきて止めに入った。
かなりの巨漢。こんな店員がラーメン作ってたのか。
チャーシュー頼めばよかったかな…なんて失礼極まりなく。
巨漢店員のおかげで、おっさん達の喧嘩は瞬時に治まった。
俺の仲裁はこんなにも無力なのね。
ラーメンは、店からの厚意と謝意で、新たに作り直して提供された。
しかも、グレードアップしてチャーシュー麺。
何の力にもなれなかったんだから、店から礼を言われる筋合いはないのだが、当のおっさん達は、喧嘩を止められたらすぐに仲直りしやがって、俺に謝ることもなく二人仲良く店を出ていった。
何なんだよ、まったく。
食事を終えて店を出ると、清々しい空が広がっていた。
幸せな気持ち。
誰かに会いたい気持ち。
たくさん話をして、お互いに笑顔で過ごしたい気持ち。
誰かのために頑張って、感謝されて認められて、自分をもっと好きになれそうな気持ち。
秋晴れの空の下、何故か、「まあいいか」とすべてを許す気持ちになれた。
チャーシュー麺、美味かったな。
またあの店に、食べに行こう。
夕暮れ時、君の笑顔を思い出す。
忘れたくても忘れられない。
僕の心に刻み込まれた笑顔。
幸せそうに笑ってた。
学校で僕を見つけると、本当に嬉しそうに駆け寄ってきて、まるで寄り添うように、僕に身を寄せてきたね。
初めて屋上に呼び出されて、君の気持ちを聞かされた時、心臓が跳ね上がったのを覚えてるよ。
ドキドキして、時間よ止まれと願ったっけ。
いつも僕の温もりを感じていたかったのか、そっと僕の持ち物を持っていってしまうこともあったね。
ちょっと困ったけど、たまに思わぬところで見つけたりして、何とか学校生活は乗り切ったよ。
お茶目な君のことだから、僕とかくれんぼでもしてるつもりだったのかな。
君が友達を紹介してくれて、皆で校舎裏で話したこともあったね。
お金に困ってる子がいて、貸してあげたら凄く喜んでくれた。
僕もそんなに余裕があった訳じゃないけど、親のお金とかも使えたし、君の友達だから何とか力になりたかったんだ。
何度か、君を怒らせてしまった。
そんな時、君は全身全霊で僕にぶつかってきたね。
本当に僕のこと、想ってくれていたんだね。
君の想いに圧倒されて、僕はボロボロになってしまったけれど、最後には君が笑ってくれた。
それだけで僕は嬉しかった。
今日だけでも、救われた気持ちになれたから。
夕暮れ時、君の笑顔を思い出す。
忘れたくても忘れられない。
僕の心に刻み込まれた笑顔。
幸せそうに笑ってた。
僕を思う存分イジメて、幸せそうに笑ってた。
僕は忘れないよ。
また君に会いに行くよ。